22話:【職】を得られなかった少年が掴んだ生きる意味
それは、今から5年ほど前の事。
ハイトとシンティアがエリュシオン学園に入学して、3か月程の時が流れた頃だった。
シンティアは、学園の人気のない廊下の一角で、数人の生徒たちの取り囲まれていた。その光景は、先日のドライクロウ家との一件を思い出させる。奇しくも、場所も同じだった。
しかし、そこには以前とは明確に異なる点があった。
銀色の髪を伸ばした貴公子が、端正な顔を歪ませて吐き捨てた。
『ふん。卑しい妾腹の娘が、この格式高きエリュシオン学園に在籍しているとは…。虫唾が奔るな』
現在シンティアを取り囲む生徒たちは、彼女の事を心の底から見下し、また嫌悪していた。ドライクロウ家の令嬢は、シンティアと友好的な関係を結ぶのを望んでいたが、彼らは違う。照れ隠しなどという優しい感情はそこにはない。
『……ふむ。どうしましょうか?この娘』
『いい案があるわ。服をはぎ取って、貧困街に放り込むのはどう?』
『いいね。なに、心配ししなくてもいい。君ならちゃんとやっていける。教師にしてあげたことと同じことを、貧困街の男どもにもしてやればいいのさ』
『ふん。そんな不埒な手段で、成績を上げるなんて…。恥を知れよ』
謂れのない中傷に、シンティアは講義の声をあげようとする。
『ち、ちが……。私はそんな事』
しかし、それは一人の貴族の怒号に遮られた。
『嘘をつけ!ならば、何故貴様如きがあんな成績をとることができる!どうせ、教師を誘惑でもして事前に問題を入手していたのだろう!?』
入学から3か月の月日がたち、先日エリュシオン学園では1学期の中間試験が行われた。
エリュシオン学園では、より高位の【職】を目指して様々な事柄について勉強する。
それは数学であり、歴史であり、文学であり、武技であった。文武を問わない、幅広い試験範囲。
学年が上がれば、己の適正や目指したい【職】に合わせて、専門的な学習を行い、個人によって授業内容が大きく異なる場合もある。
しかし、一年時は個人の適性を確認するため、皆が全く同じ科目を受講することになっていた。つまり、成績の優劣が一目瞭然で分かるのだ。
その中でシンティアの成績は、200名中2位。
一位が誰なのかは、言わずもがなだが、その背を一番近くで追う人間こそがシンティアだった。彼が神童ならば、彼女は天才と言っていいだろう。
勿論、シンティアだって初めは手を抜いていた。
出る杭は打たれる。その残酷な現実を、彼女はよく理解していた。
しかし、最近よく突っかかてくるドライクロウ家の令嬢に「手を抜くなんて許さないことよ!貴女は私のライバルなのだから!……だから、私と強敵と書いて友と呼ぶ関係に……、な、なんでもないことよ!」と言われ、そうはいられなくなってしまったのだ。そして、渋々ながら本気を出した結果がこれだ。
貴族たちは、自分たちに勝利したシンティアの事が気に入らなかった。
こんな卑しい身分の娘が、自分たちに勝てるわけがない。そう信じて疑わなかった。己の血統への誇りと、根拠ない自信を吐き違えた哀れな敗北者たちがそこにいた。
しかし、今のシンティアは多勢に無勢だ。
後年に【勇者】となってシンティアであれば、赤子の手を捻るが如く対処できるだろうが、今の彼女は【職】を持たない少女でしかない。当然【加護】もなく、その身体能力は常人の枠をはみ出ない。
しかして。
そこに。
『……どけよ』
第三者の声が響いた。
貴族たちは、ゆっくりと、壊れたゼンマイ人形にように、声の方向を振りむく。
華奢な体つきで、顔は少女のようにあどけない。
髪の色は黒で、瞳の色は灰色。
『神童』がそこにいた。
ややあって、貴族の一人が口を開いた。
本人は決して認めないだろうが、その声はほんの微かだが震えていた。
『……なんだ。ハイト君。今僕らは取り込み中なんだ。見ればわかるだろう?だから……』
ここから消えてくれ。
そう言外に口にする。
それに対し、ハイトは目を細めて言う。
『だから、どけよ。俺はその先に行きたいんだ。礼拝の時間が迫ってる。そこにいると邪魔なんだよ』
『邪魔、だと?…僕が誰かわかっていて口を聞いているのか?』
『聖教国伯爵家。サニーバッド家の次男、ハルクだろう?』
『ふん。分かってるなら……』
『……はあ。聞いてなかったのか?俺は、その先に、用事があるんだ』
ハイトはそこでシンティアを見て、灰色の瞳を小さく見開く。今まさに存在に気づいたような反応だった。
そして、貴族たちの顔を見回すと、ああ、と得心がいったかのように小さく頷いた。
しかし、彼はすぐに何もみなかったように視線を戻した。
明らかに只事ではないこの状況を見ても、ハイトは全く興味を示さなかった。彼は純粋に、その廊下の先に用があったのだ。週に一度、ノルンに祈りをささげる礼拝にハイトは遅刻しそうだった。
しかし貴族たちは、そんなハイトの内心を誤解した。
シンティアと助けるとつもりなのだと、勘違いした。
『ちっ。良いだろう。あくまで僕にたてつくつもりか』
『多分お前は思い違いをしているぞ…。……まあ、いいか。お前らを倒した方が、道を譲って貰うより早くカタが付きそうだ』
『ッッ!貴様ァァ!!』
……勝敗は、語るまでも無いだろう。
数分後。
廊下に伸びた生徒たちを一瞥すらせずに、ハイトは歩き出そうとする。
シンティアはその背に声をかけた。
『あ、ありがとうございました』
『別に。こいつらが邪魔だったからな。じゃあ、急いでるんで。創造神ノルンが俺を待っているから』
ハイトは、シンティアの方を振り返ろうともしなかった。
貴族の一人が、憎々し気なうめき声を上げた。
『この……化け物が……!』
その負け惜しみのような一言で、ハイトの動きが一瞬止まった。首を僅かに傾けて、倒れた貴族を一瞥する。がらんどうのような瞳だった。それを見た貴族はひっと悲鳴を漏らすと、そのまま失神した。
その様子を見て、シンティアはつい尋ねていた。
『…人間がお嫌いですか?……誰かに拒まれた経験が?』
『あん?』
ハイトが声を返したのは、完全に気まぐれからだった。
『見当違いだったらすいません。しかし、そう見えたので』
『……嫌い、とは少し違う。どうでもいいんだよ。他人なんて』
『創造神ノルン以外はどうでもいい?』
ああ、とハイトは頷いた。
誰かに怒るという段階はとうの昔に通り過ぎてしまった。
最初は喜んでくれた人も、最後には怪物のような目でハイトを見てくる。
だから、ハイト・アイオンはもう誰にも期待しない。
『神は俺を見捨てない。掌を返したりはしない。ずっと俺を見てくれる』
『……そうかもしれません。ですが、神に触れる事はできませんよ』
『俺に触れる人間もいないよ』
肩を竦めながら、ハイトは足を踏み出した。
その手を掴む者がいた。
シンティアだ。
ハイト・アイオンは背後を振り返った。
飲み込まれるような、黄金に近いヘーゼル色の瞳を自分を見つめていた。
『大丈夫ですよ。ハイト。私は貴女を一人にしません。貴方は私の英雄ですから。弱い私には貴方が必要です。……だから、もし。貴方がいつか私の前から姿を消しても……、必ず探し出して見せます』
何を突然言い出すのだろう。
いきなりこんなことを言われても、反応に困るだけだ。
しかし、ハイト・アイオンはその言葉には何故か目頭が熱くなっていた。その時は彼自身にも理由が分からなかった。何よりも大事な礼拝の時間が迫っていても、それでもハイトは彼女の手を振りほどくことができなかった。
結局、彼はまだ期待していたのだ。
少年は他人から排斥され、そして今度は自分から他人を拒んだ。
それでも。
彼は誰かに必要としてほしかったのだ。
認めて欲しかったのだ。見つけて欲しかったのだ。
『……本当にか?』
『ええ、本当です』
『………お前、名前は?』
『――シンティア。……シンティア・レインバードと申します』
それはとある昔日。
彼と彼女が本当の意味で出会った日。
彼らが交わしたその約束は、5年の月日をもって果たされる。
【職決めの儀式】の後。
誰にも行方を告げずに、聖都から消えた神童を彼女は辺境の街にて遂に見つけたのだ。
◆
「《ダーク・ブレイド》!」
シンティアは聖剣グラムを振るう。
すると、黒色の魔力は形を持った斬撃となって俺に飛来した。
神殿の床を破壊しながら迫りくるそれを前に、俺は反撃どころか、防御も回避も行わなかった。その素振りすら見せなかった。
「……何故!何故反撃しない!回避しようともしない!」
俺のとった行動はシンプルだ。
ただ、まっすぐシンティアの元に歩いていくだけ。
「剣を抜きなさい!ハイト!」
「だったら、なぜ攻撃をあてない!どうして俺は無事なんだ!?」
シンティアに負けじと俺も声を張り上げる。
そう。
俺は防御も回避もしていないのに、無傷だった。シンティアは、そもそも俺に攻撃を当てようとはしていなかた。全て身体に当たる紙一重の箇所に放たれていた。
「お前は結局そういう奴だ!【魔王】の【職】を得ても、友達一人殺せない優しい奴だ!」
俺は、神殿でシンティアに襲われた人々を思い出す。
俺の見る限り、彼らの中に死人は一人としていなかった。
「お前はかつて、俺に言ったな!俺を一人にしないと!お前はその約束を守ってくれた!」
そうだ。
シンティアは俺との約束を守ってくれた。
ちゃんと俺を見つけてくれた。
辺境の街、ビギニンで俺とお前は再び出会った。
言葉にこそしなかったけれど、あの時俺は本当に嬉しかったんだ。
その恩を、今こそ彼女に帰す時だ。
救われていたんだ、ずっとお前に。
「お前はこのままだと、【不死王】を復活させた【魔王】として、世界から排斥される。あらゆる憎悪がお前に叩きつけられる!」
彼女はただ、助けようとしただけだ。
ラルという非業の運命を背負った【巫女】。
彼女の命を救いたかっただけだ。
しかし、シンティアはこのままでは世界から憎悪され、一人孤独に殺される。歴史の一項に、最低最悪の【魔王】として記録される。そんな未来は許せない。認めない。
「だったら!だったら!どうすればいいんですか!?」
シンティアは声を張り上げた。
怒号のように、悲鳴のように。
「オルファンを倒せばいいだろう!俺が倒す!俺なら倒せる!倒して見せる!」
「何の根拠があって!」
「俺の攻撃は【魔王の加護】を打ち破った!きっと、【不死王】の、不死身の【加護】も討ち敗れる筈だ!」
「……ッ!?確かに貴方ならば、【不死王の加護】も無効化できるかもしれない!……だけど!できないかもしれない!結果は誰にも分からない!もし、後者が正解だった場合、きっと貴方は死んでしまう!」
シンティアのその答えは、今唐突に思いついたという訳ではなさそうだった。前もって、用意していた回答のような気がした。
俺は理解した。
彼女が救おうとしていたのは、ラルだけではない。
俺の命もだ。
シンティアは言っていた。
俺が【魔王の加護】を打ち破れる可能性を前もって予見していたと。
また、ホルストの【巫女】の神殿の結界がラルの命を吸い取ってしまう類のものだとも、彼女は予測していた。
その可能性は低いだろうと思っていても、シンティアは念のため、対抗策を用意したのだろう。
――――それが俺だ。
ハイト・アイオンだ。
もし、結界がシンティアの予想した最悪の部類のものだった場合、彼女は俺にオルファンを殺させるつもりだったのだ。
だけど、
「貴方は無敵じゃない!ただの才能のある神童でしかない!」
彼女はこの旅の中で知ってしまった。
俺は只の人間だという事を。
魔王の攻撃を食らえば、傷もつく。
腕を斬り落とせば、後遺症も残る。
【職】を得られなければ、泣いてしまう。
「貴方は英雄じゃない!ただの強い人間でしかない!」
俺は許せなかった。
自分の弱さが許せないと思った。
「俺を見くびるな!俺は神童だ!」
神の童。
神の子供。
しかし、子供はいつだっていつかは大人の元から旅立つものだ。その庇護から脱し、いつかは親の背を追い抜く生き物だ。
そうだ。
ラルは世界の為に死ぬ【巫女】となった。
シンティアは世界を壊す【魔王】となった。
2人の運命は創造神ノルンが決定したものかもしれないれど。それこそが偉大なる神の望んだ正しい世界の在りようなのかもしれないけど。
俺はそんな世界を覆す。神の理に反逆する。
「俺は勝って見せる!お前を害する全ての者に!お前が倒して欲しいと願う全てのものに!オルファンにも!王国にも!世界にも!……創造神ノルンにだって!」
俺はあらん限り声を振り絞る。
シンティアに、世界に、神に、宣言するように。
それは同時に誓いでもあった。
これからの自分の生きる意味を決定する、己への宣誓だった。
俺は【職】を得られなかった。
この世界のおいて、俺は、俺だけが、神から生きる意味を与えられない。
だけど。
『ハイトアイオン。貴方は自由だ』
――――代わりに俺は自由を得た。
俺は何にも縛られない。
俺は自分の意志で、自分の力で、この世界を生きていく。
「俺は!お前の、お前たちの!英雄になって見せる!」
「ハイト……。貴方は……」
それこそが、自分自身で掴み取った生きる意味だから。
「どうかお願いだ!【魔王】なんかにならないでくれ!【職】なんかに負けないでくれ!この手をとってくれ!」
「っっ!?」
俺は手をシンティアに向かって伸ばす。
気づけば、俺は彼女に触れられそうな距離まで近づいていた。
「私は……私は……!」
シンティアは聖剣グラムを手から落とした。
カランカランと金属の音が響く。
「私はラル様と貴方に死んでほしくなかった…!だから、だから……」
顔を両手で覆うシンティアの身体から黒色の魔力があふれ出す。
彼女の混乱する内面を映し出すように、魔力は乱気流の如く複雑な渦を巻き、あたり一面を抉り続ける。
しかし、それでも。
神殿がボロボロの様相になってしまっても、黒色の魔力は俺の身体を避けていた。
「……だけど、その為にその為にオルファンを復活させるなんて間違っている……!何処かの誰かが!私の行く道を勝手に定めるなァッッ!」
叫びと共に、黒色の魔力が霧散する。
しかし、完全には消失しない。【魔王】の魔力は微かに残り、しかし同時に懐かしい気配も俺は感じていた。
変化した《ジョブ・オープン》の結果に俺は目を見開く。
シンティア・レインバード 職:勇者/副職:魔王
【勇者】の【職】が復活していた。
【副職】なんて言葉は初めて聞くが、【魔王】の【職】は残っていた。
しかし、先ほどまでシンティアから感じていた嫌な気配はもう、感知できない。恐らくであるが、【魔王】の【職】の精神誘導を【勇者】の【職】が打ち消しているのだろう。
「ハイト……。戦ってくれますか、私と一緒に」
シンティアはゆっくりと、俺に手を伸ばす。
俺は自分から更に手を伸ばした。
俺と彼女の掌が、重なった。シンティアの体温が伝わってくる。彼女がここにいる証がある。
「勿論だ」
「では、行きましょう。私の英雄。【不死王】オルファンを倒しに」
シンティアは笑った。
涙でぐしゃぐしゃの顔。だけど、俺は彼女を美しいと思った。




