19話:ホルスト神殿
翌日の朝、俺たちはホルスト神殿に向かって再び旅を開始した。
山を一つ越えれば、神殿は目の前だ。昼過ぎに俺たちは森を抜けた。その先には、なだらかな丘が広がっていた。丘の頂上には、白亜の建物が寂しげにぽつんと立っていた。
ホルスト神殿だ。
周囲に人の集落は見当たらない。巨大な塔がそびえ、それを囲むように建物が建っている。
さて、とりあえず神殿に来たはいいものの、これからどうすればいいのだろうか。そんな事を考えていると、数人の男女が神殿の入口から出てきて、俺たちに近づいてきた。
「ようこそ。【巫女】様御一考。お待ちしておりました。馬はこちらで預かりましょう」
最年長である老人が、俺たちに言う。60歳を超えた痩せぎすの男で、目の周りを酷い隈が囲んでいる。真っ白な法衣を纏ってこそいるものの、聖職者の類ではないだろう。
顔には大きな傷があり、腰は剣が佩いてあった。細身ながらも、その足取りはしっかりしており、確かな武の修練が伺えた。〝ジョブ・オープン″で【職】を確認すると、案の条【剣士】であった。
俺たちは言葉に従って、馬から降りた。
馬は神殿の者たちに引かれて、畜舎に連れていかれた。
「そちらの方が?」
男がラルの方をみて尋ねる。
「ああ。私が今代の【巫女】。……ラル・ホルストだ」
男は目を細めた。
「そうですか……。お若い、ですね。当たり前ですが。…そして母君とそっくりだ。あの方もラル様と同じように、澄んだ青色の瞳をもっていらしゃった」
「……母を知っているのか?」
「ええ。勿論。十数年前、今と同じように私は貴女の母君を出迎えました」
男は顔を懐かしむように、目を閉じた。口元は何かに耐えるかのように、ぎゅっと引き締められている。
「……さて、神殿を取りまとめるミハエル様の元まで、ご案内しましょう」
男は踵を返して、俺たちを先導しようと、足を踏み出す。
俺たちも、それに続く。
しかし、ラルはその場を動こうとはしなった。
彼女の瞳は、先ほど抜けてきた森を見つめていた。
正確には、その先を見るような、遠い目をしていた。
「ラル?」
俺は声をかける。
「……ああ、今行く」
ラルは頷いて、歩き出した。
【剣士】の老人はラルに問いかけた。その表情は何処か痛々し気だった。
「ラル様。良いのですか?」
「ああ、いいんだ。これで。他にどうしようもないだろう?」
「……やはり、母君とそっくりだ」
俺は口を挟んだ。
「……何の会話だ?」
今、何かすごく重要な会話が行われた気がする。
「さあ、行くぞ。こっちでいいんだよな」
ラルは明らかにはぐらかしながら、俺を抜き去る。
その光景を見ながら、【剣士】は呟いた。
それは誰にも聞かせるつもりのなかった独り言のようなものなのだろう。しかし、耳の良い俺は、その呟きをちゃんと拾っていた。
「ああ、貴女は知らせていないのか……」
知らせていない?
一体何をだ?
◆
俺たちは男に連れられ、神殿を歩く。
ホルスト神殿は、中央にたつ『封印塔』と周りを囲む形でつくられた建物で構成されているらしい。
【不死王】オルファンは『封印塔』、正確にはその地下に封じられているそうだ。
ホルスト神殿には【神官】や【司祭】といった聖職者たちが20人、神殿の守りを担当する【剣士】等の戦闘職が10人ほど、合計で30人弱の人間が暮らしているらしい。【剣士】の老人も、そんな神殿の守りを担う者たちの一人だという。
封印塔を囲む建物は、彼らの生活の場らしい。
最初は塔だけだったらしいが、後から居住区が増設されたそうだ。
よくよく見れば、塔とそれ以外の建物は、微妙に建築様式が違う気がする。馬を走らせて、一時間ほどの場所に街があり、そこまで外界と隔絶されている訳でもないらしい。
そんなことを【剣士】に教えられながら、俺たちは神殿の廊下を歩く。
途中何人か、神殿で働く者たちとすれ違う。
皆恭しく頭を下げるが、その多くは痛ましげに顔を歪めていた。中には泣きそうな者さえいた。
なんだ?
俺たちを先導する【剣士】も含めて、皆どうして揃いもそろって似たような顔をする。まるで、罪人が聖職者の前で罪を告白するような、そんな悲痛な表情をしているのだ。
やがて俺たちはとある一室の前に辿り着く。
先に、【剣士】だけが部屋に入り一分ほど時間がたった後、ドアが開かれる。
「【巫女】様方をお連れしました」
「入れ」
ドアの向こう側にいたのは、丸々超えた中年の男だった。
真っ白な法衣の腹部分がでっぷりとはちきれんばかりに膨らんでいた。
彼がこの神殿を取りまとめるというミハエルだろう。
彼は豪奢な椅子に深く座りながら、俺たちの顔を舐めるように順にみると、フンと鼻を鳴らした。
「遅すぎる。貴様ら、何をちんたらとしていたのだ。本来なら1か月前には到着している筈だぞ」
「お言葉ですが、道中に【魔王】の襲撃がありました。その事につきましては、手紙でお知らせ」
シンティアの言葉は途中で男の怒号によって遮られた。
「知っておるわ!」
ミハエルは机の上に置いてあった、一枚の手紙を掴むと握りしめて潰した。
「貴様ら、馬鹿者か!もう少し到着が遅れれば、結界は破れるところだったのだぞ!【騎士】たちが大勢ついていたのだろう?そいつらを肉壁にして、とっととこっちに向かえばよかったのだ。くだらん偽善で【騎士】たちを置いて、少数で【魔王】を迎え撃つだと!愚かすぎる」
ミハエルは激昂して唾を飛ばす。確かにミハエルの言い分には、一理ある。しかし、こうも頭ごなしに否定されては、流石にカチンとくるものがある。俺は何か言い返してやろうとする。
が、ミハエルの放った言葉で俺は完全に放心した。
「それでこの供物が死ねば、どうするつもりだったのだ!」
――あ?
……今、この男はなんていった?
供物、だと。俺の聞き間違えか。
「ミハエル様。先ほど述べたように、ラル様は皆さまにその事を伝えておりません!その先は……!」
【剣士】が早口に囁くように言いながら、ミハエルに詰め寄る。
「うるさい!お前には聞いてないわ!」
ミハエルは声を張り上げ、ラルを指さした。
「この女がここに来なければ【不死王】オルファンが復活するのだぞ!この女の命を捧げなければ!この結界は維持できないのだ!それを理解していなかったのか!?」
「……は?」
俺は本当に、理解していなかった。
俺はそんな事、全く聞いていない。
予想すらしちゃいなかった。
横目でシンティアを見る。
彼女は目を大きく見開いていた。彼女も初耳だったのだろう。
ミハエルはラルを睨んだ。
「全く!貴様!臆したのではあるまいな!役目を放り出して一度逃げだした、貴様の母のように!あの女が土壇場で逃げ出したせいで、結界はひどく脆く歪になったのだぞ!」
ミハエルの言葉でどういう訳か、【剣士】が顔を背けた。
「っ!」
当時の事、ラルの母に纏わるあれこれを思い出しているのだろうか。ラルの母とあの【剣士】は一体どういう関係だったのだろうか。頭の隅で、そんなことを現実逃避気味に考える。
ミハエルの指摘に対し、ラルは昂然と言い放った。
「いいや。私の覚悟はとうに決まっている。それこそが【巫女】の私の役目なのだから」
それは自分の命の喪失を受け容れているという事だ。
彼女の声を全く震えていなかった。
背筋をまっすぐにして、ミハエルを見つめ返す姿には、微塵も恐怖も見当たらない。
ミハエルは逆に気押されたのか、視線を逸らして鼻を鳴らした。
「……ふん。今回の【巫女】は前と違って中々骨のあるやつらしいな。そうだ。貴様らホルストの【巫女】はそうやって、世界の為に死ぬことこそが役目なのだからな!」
その言葉で、シンティアが前に出た。
「いい加減にしろ。貴様」
別に声を荒らげた訳ではない。むしろ平坦で抑揚に乏しいとすらいえる声。
しかしそれは、付き合いの長い俺でも聞いたことのない、初めて聞くような怒りに狂った声だった。
「ひっ!」
ミハエルはシンティアの顔を見ると、小さく悲鳴を漏らした。
次いで、【剣士】に命令する。
「お、おい!クラウス!こいつらを用意した部屋までつれていけ!長旅で疲れているだろうからな!」
「……かしこまりました。さあ、皆さまこちらへ」
俺たちは【剣士】、クラウスに促され、ミハエルの部屋を後にした。
◆
ミハエルの部屋を出るなり、俺はラルを問い詰めた。
シンティアも、睨むような顔つきでラルを見ている。答えをはぐらかすことは、許さない。そう言外に言っていた。
「……どういう事だ?」
ラルは大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐いた。
ぽつり、ぽつりと話し始める。俺とシンティアの方向は見ようとはしなかった。
「【不死王】オルファンが起こした『屍大戦』は本当に酷い戦争だったらしい。恐れを知らない死人の兵士に、それを操るのは不死身の怪物だ。戦争なんて、名前がついてるけれど、本当は一方的な虐殺だよ。数多の犠牲の後に、当時の【勇者】が漸くオルファンを討っても…。塵となった身体は再び集まり始め、再生を開始した」
そこまでは、以前聞いた話だ。
しかし、その先は前回とは異なっていた。
「それを見た初代ホルストの【巫女】はな。願ったんだ。何をしても、いい。何を捧げてもいい。自分の命で足りないなら、己の子供、それでも足りないなら、その子供。子孫たちの命を捧げるから、オルファンをこの地に封じてくれって」
そして、その願いを神は確かに受け取ったのか。
純粋に、何の捻りもなく、【巫女】の望みを叶えたのだろう。「己とその子孫たちを捧げるから、どうかオルファンを封じてくれ」という、悲痛な祈りを。
「そして、初代ホルストの身体は四散し、その血肉はオルファンを封じる結界となった。結界は数十年おきに弱まり解けかけるが……、そのたびに【巫女】の命を捧げる事で、結界を張り直している」
「最初から、知っていたのですか?」
「悪かったな。2人とも。だけど、言えるわけがないだろう?」
そうだ。
彼女をホルスト神殿に連れてくるという事は、つまり彼女を殺すという事と同義だった。
それを知っていたならば、俺たちの旅は全く異なる内容になっていただろう。
俺たちのこの数日間の旅は、魔王を殺して以降、概ね平穏と言っていいものだった。俺は心の隅で、この旅を確かに楽しんでいた。
しかし、この旅の最後の結末を知っていれば、とてもそんな感想は抱けなかっただろう。陰鬱とした感情が、ホルスト神殿に近づくたびに、膨らんでいったはず。
そんな思いをラルは俺たちにしてほしくなかったのか。
だから、言わなかったのか。
「これが私の役目だ。これが私の生きる意味だ。お願いだからさ。私にお前たちを守らせてくれよ」
ラルは俺たちを見て笑った。
笑みの、筈だ。俺は彼女の顔を見る事はできなかった。ラルがこちらを振りむくと同時に視線を逸らした。
……シンティアの言う通りだ。
俺は英雄でない。
非業の【巫女】を絞首台に連れて来るだけの、ただの悪役だった。無知で愚かな、悪役だった。




