18話:自由
俺はウィリアムと別れ、一人宿に向かった。
すぐ近くまで彼が付き添ってくれたため、道に迷うことはなかった。
宿の受付に話しかけ、部屋の鍵を貰い、2階への階段を上る。
部屋の一階は食堂を兼ねおり、料理に舌鼓をうつ村人の姿が見えた。
部屋は2つとってある。
シンティアとラルは同じ部屋で、俺は別室だ。
性別が違うからな。
俺は自分の部屋のドアの鍵を開け、内装を確認する。
小さな箪笥と向かい側にベッドがあるだけの簡素な部屋だった。
俺は荷物を降ろすと、シンティアたちの部屋を訪ねた。
まだ彼女たちが夕食をとっていないなら、一緒に食べようと考えたのだ。
数度、部屋のドアをノックする。
返事はない。
しかし。
代わりにうめき声のような音が聞こえてきた。
「う、が……あ」
俺は反射的にドアを開けた。
不用心にも鍵は掛かっていなかった。
一人の少女がベッドの傍で、俺に背を向ける形で蹲っていた。
顔を抑え、苦悶の声をあげている。
シンティアだ。
荒い息を吐きながら、ベッドに顔を押し付けている。
「っ!?誰ですか!?」
「どうした!?シンティア」
「ハイト!?……こないでください!」
駆け寄ろうとする俺をシンティアは制した。
その剣幕に思わず俺の足はぴたりと止まる。
「……私を、見ないでください」
俺は、そこでシンティアの足元に真っ白な仮面が転がっている事に気づいた。
彼女がいつも身につけている仮面。
それはシンティアが邪神迷宮で負った傷を隠すものだった筈。
つまり、今の彼女に顔を覆うものは何も無いのだ。
「大分、醜いので」
絞り出すように、懇願するようにシンティアは言う。彼女は、手探りで床に落ちている仮面を探そうとする。
しかし、仮面は彼女の背中側に転がっているため、中々見つける事ができない。俺はゆっくりとシンティアの傍まで歩いていった。
そして、仮面を掴んでベッドの上に置く。
なるべくシンティアを見ないように気を付けた。
昔と違って、それくらいの気持ちの配慮はできるようになった。
「ほら、仮面。ベッドの上に置いとくから」
俺は部屋の入口まで、早足で戻った。
シンティアは仮面をつけると、こちらに向き直り、立ち上がった。
「お見苦しいところをお見せしました。少々傷が痛んでしまって…。もう、大丈夫です」
頬には幾筋かの汗が流れていた。
「ほんとに大丈夫か?」
「ええ、問題ありませんよ」
「そう、か」
俺は安堵の息を吐く。
そして、言う。
「俺は、別に気にしないぞ」
シンティアが顔にどんな傷を負っていても。
そう言外に告げる。
俺の言葉に、一瞬シンティアは目を丸くするが、すぐに苦笑して言った。
「私が嫌なのですよ。私と言えども、女なので」
シンティアがそういうなら、無理強いするつもりはない。
次いで俺は部屋の中を見渡した。
俺の部屋とたいして違いはない。多少部屋が広くなり、ベットの数が2つになっただけだ。
「ラルは?」
【巫女】の姿は見えなかった。
「……お手洗いです」
それは失敬。
トイレは一階にある。どうやらラルとは入れ違いになったようだ。
「どうかしましたか?ハイト。突然部屋を訪ねてきて」
「別にこれ取った用事もないさ。ただ、ご飯を一緒にとろうと思っただけだ。もう済ませたか?」
「いいえ、まだです」
「そりゃ、良かった。じゃあ、ラルが帰ってくるまで待つか」
俺はシンティアのベッドに腰を下ろした。
その横にシンティアも座る。
少し学生時代を思い出した。
俺と彼女はよくこのように、学園の中庭のベンチに並んで座り、話をしていた。
そういえば、俺が彼女と初めて会話したのも、あそこだった気がするな。
「ああ、そういえば、思い出した」
「なんです?」
「【魔王】プロキオンとの戦いの事だよ。お前、俺が【魔王の加護】を打ち破れるって、前もって気づいてたのか?」
「……その可能性はある、くらいには考えていました」
俺はため息をつく。
「だったら、先に言ってくれ」
「申し訳ありません。本当に……」
シンティアは頭を下げた。
「まあ、もう過ぎたことだ。仕方ないさ。次は気をつけろよ」
「はい。……腕の調子はどうですか?」
「悪くはないな」
俺は左腕の袖を捲る。
半ばあたりには、一本の線が奔り、腕を一周していた。自分で自分の腕を斬り落とした際にできた傷だ。
俺は掌を握ったり開いたりしてみせる。
「ほら、もうしっかり動く。ただ、やっぱり握力は少し落ちたな。剣を持つのはまだ危ない」
「本当にごめんなさい」
なんでシンティアが謝る?
俺が訝し気な表情をつくると、彼女は言った。
「私が巻き込んだりしなければ…」
俺は鼻で笑った。俺はあらゆる危険を認識したうえで、プロキオンと戦う事を決めたのだ。シンティアが謝る理由は何処にもなかった。
というか、俺がその戦いで死んだなら、謝るのも分からないではない。が、俺はこうして生きているし、腕の傷はいつかは完治する。
「俺は神童だ。これくらいすぐに治る。シンティアは気にし過ぎだ 」
「はい。ごめんなさい」
俺はシンティアのでこを小突いた。
「いたっ」
「だから、謝るなよ」
「……承知しました。というか、やっぱり【勇者の加護】も突破してますね。ダメージ半減出来てませんもん」
額を抑えながらシンティアは言う。
何気に重要な事実が明らかになった。
……他者に対して効果を発揮する【加護】は、俺には関係ないのかもしれない。
例えば【王】の【職】が持つ【加護】の中には、そのカリスマで相手を魅了するというものがあるが、それも俺には効かないのかもな。
そんな事を一人考えていると、シンティアが尋ねる。
「そういえば、どうでした?スズカさんと話をしてきたのでしょう?」
「どう、っていってもな」
「彼女、大層怒っている様子でしたが」
「いや。目覚めた後は、凄く冷静だったよ。……むしろあっちが本調子なんだろうな」
俺は彼女に簡単に、スズカとの会話のあらましを語った。
スズカは望みの【職】を得られなくても、それでも尚、現実に立ち向かう強い女性だった。
「……正直、嫉妬するな。折角【職】を与えられたんだ。それに従えばいいのに、と思わないでもない」
ふと、零れた言葉は俺の本音であり、弱さの表れだった。
「俺には【職】がない。……まるで、真っ暗な世界を明かりも持たずに歩いているようだよ」
誰もが、創造神ノルンに【職】を授けられる。
お前はこういう人間で、こういう事が得意だから、こんな風に生きればいい。
この世界で生きる意味を、人は天におわす神から授けられるのだ。
その、なんと幸福な事か。
神の後押しがあるのだ。
誰もが自信をもって、自分の人生を生きることができる。
神の後押しがあったのだ。
例え、人生に失敗してもそれは自分のせいではない。
俺以外の他の者が、そんなことを考えて生きているのかは、分からない。
だが、俺のそんな考えは、人々がある程度は心の奥底に抱いている気持ちなのではないかと、思う。
「【職決めの儀式】以降、思うようになったよ。俺は意外と弱い人間だったんだなって。……創造神ノルンは俺を見ていなかった。それは、誰も俺に生きる意味を授けてはくれないという事だ」
どこに行くべきかもわからない。
何処に行きつくのかもわからない。
そもそも。何処かに辿り着けるかも不明だ。
そんな先行きの見えない不安感が、常に心にへばりつく。
俺のそんな告白を聞いて、シンティアは言った。
「子供っぽい事言っていいですか」
横を見ると、ヘーゼル色の瞳が俺を真っすぐに見上げていた。
この数年で俺たちは変わった。
俺は神の愛を失い、無職となった。彼女は神の寵愛を受け、【勇者】となった。
しかし、彼女の瞳は変わらなかった。俺を信じる瞳は、何も変わっていなかった。
「私、貴方の事を無敵だと思っていました。……ハイトは強かった。誰にも負けなかった。……他人なんて見ていなかった」
そうだ。
昔の俺は他人なんてどうでもよかった。
誰かに期待なんてしちゃいなかった。神の愛さえあれば、それで十分だったからだ。
「私は違います。私はいつも人の視線を気にして、誰かの望む振る舞いをしてきました。子供の時から今に至るまで、ずっと」
シンティアは自嘲するように目を細めた。
「だから、他人の視線なんか気にしない貴方の事が、私には本当に眩しく見えた。心の底から思ったのですよ、貴女は私の英雄だって。ハイト。貴方の存在で、私は幾分か救われていた気がします」
彼女はいつも言っていた。
『貴方は私の英雄』だと。
しかし、その理由を俺は聞こうとはしなかった。
きっとそれも、心の底では他人をどうでも良いと思っていたからだろう。
しかし、
「……俺はそんな大層な奴じゃない」
シンティアは頷いた。
「ええ。かもしれません」
「……はっきり言うなぁ。人に言われると、ちょっとショックだぞ」
「この旅の中でもう、充分に知りました。いえ、本当は気づいていたのです。あの【職決めの儀式】の日から。あの時、貴方は泣いていました」
「そう、だったのか?」
【職決めの儀式】。
俺の運命が捻じれた日。
【勇者】に選ばれたシンティアは、不安げな顔をして俺の事を見てきた。
その時、俺は泣いていたの、か。
正直、覚えていない。
あの日の記憶は、まるで昨日のことのように俺の頭に焼き付いているが、同時に細部はひどく曖昧だった。
「私も当時は見間違いだと思っていました。貴方が泣くはずないと信じていましたから。しかし、ハイトに関する記憶で私が誤る事は、やっぱりないですよ」
シンティアは俺の頬に手を当てた。
そこに俺がいる事を確認するように。
俺が血を通う、どこにでもいる人間だと実感するように。
「貴方は、魔法を食らえば血を流す。嫌なことがあれば当たり前のように傷つく。そして、誰かを傷つけてしまえば、謝りに行く。……そんな人間でした」
「幻滅、したか?」
「まさか」
シンティアは可笑しそうに笑った。
「確かに貴方は英雄でなかったのかもしれない。…だけど、貴方は人間だった。誰よりも素敵な人間だった」
彼女の手が俺の目じりを撫でる。
少し、くすぐったい。
しかし、その手を振り払おうとは思わなかった。
「人は変わります。貴方は【職】を得られず、学園を追われた。私はどういう訳か【勇者】となり、英雄に祭り上げられた。変わらないものなんてどこにもありません」
「俺たちの関係でも、か?」
「ええ、勿論。かつての私の貴方への思いは憧れでした。今は………」
「……今は?」
「さあて、なんでしょうね!」
シンティアは首を傾げて、おどけるようにからからと笑った。
それには多分、恥ずかしさを誤魔化す意味もあったと思う。
彼女の顔は赤かった。
多分俺の顔も赤かった。
「……ねえ、ハイト」
「なんだ?」
「貴方は言いましたね。…まるで、真っ暗な世界を明かりも持たずに歩いているようだって。だけど、こうは考える事はできませんか」
確かに俺は、先ほどそう零した。
それがどうしたというのだろう。
「貴方の前に広がっているのは、光の無い漆黒の世界なのかも知れない。ですが、きっとその世界は何処までも広がっていて、何処へだっていける。…確かに私たちは創造神ノルンに【職】を授けられました。しかし、同時にそれは【職】に縛られるという事でもあります。……対して、貴方は自由だ」
もう一度、彼女は言う。
俺の心に刻みつけるように。
「ハイトアイオン。貴方は自由だ」
「……自由」
俺はその言葉を反復する。
「そう、捉えたことはなかったな」
少しだけ、心が軽くなった気がした。
その少しが、きっと俺には大きな意味を持っていた。
俺はふと気づいた。
部屋のドアが僅かに開いていた。
その隙間から俺たちの様子を伺う者がいた。
褐色の肌に、銀の髪。
「ラル?どうしたんだ。廊下に突っ立って」
というか、いつからそこにいたんだ。
やけに、トイレが長いな、とは思っていたが。
らるはドアを開けて、部屋の中に入るなり吐き捨てるように言った。
何故か、彼女の顔も赤かった。
「そんな雰囲気の中にはいっていけるかよ、馬鹿野郎が」




