天才が消えた
はじめに、ざっくばらんな文章で書かせていただく。
ご了承願いたい。
俺は好きな文章と言うやつが、大変偏った人間である。
幼い頃から、一通りの古典文学は嗜んできたが、結果として古典文学などろくでもない人間がろくでもない内容を書いているものだと実感し、そのような文章を好んできた。
作者が生臭く、ドロドロしたルサンチマンを抱えているほど作品は面白くなる……ような気がする。
腹の中で煮えたぎる、なんと表現すべきか分からないサムシングを、文章と言う形で表現せねば死んでしまう。そんな奴が書いた物語は、そもそも迫力が違う。
なろうに来た当初、俺はなろうをよく知らなかったので、文章を書いて3年放置した。
その後ハッとこんなものに登録していたなと気付き、日々の怒りや憤り、脳内でドロドロと渦巻く創作の熱を注ぎ込み、十八万文字程度書き上げた。
この時には、俺はまだポイントや評価と言うシステムを知らなかった。
さて、本題に戻ろう。
俺はある時に天才に会ったのだ。
そいつの文章は、下品で、自虐に満ち溢れ、世の中に対する怨嗟に塗れた……だが読後にスカッとするエンターテイメントだった。
絶対に一般受けはしない。
大変アングラ趣味的で、それでいて普通である事へのルサンチマンを感じた人間でなければ共感できないような、そんな物語だった。
だが、明らかに負の感情から産み落とされた忌み子のような作品でありつつ、それは読後に正の感情をもたらす、快作なのである。
「さては、この男天才か」
俺は瞠目し、すぐさま感想を書いた。
彼は不安定な気質で、ノリノリで返答を書いたかと思うと、数時間後にはその返答も無機質でコピペ紛いの返答に変わっていた。
彼は次々に、負の感情から生まれたような負の要素に塗れた作品を作り上げて行った。
彼が生み出す負は、負と負でかけあわされて正となる。
俺にとって、その男は天才だった。
奴が描き出す物語は文学だった。
俺は奴が描く作品にどっぷりと浸かり、堪らずにレビューを書いた。
感想を書き、時折更新をチェックする程度にはファンになった。
天才は常に不安定だった。
割烹はネガティブ、だがしかし、風変わりなファンが付き、彼らと細々とした交流が成されている。
俺もまたその輪に加わり、細々とやり取りを行なった。
夢のような時間だった。
俺は確かに、天才が物語を描き続けるその瞬間瞬間に立ち会っている。
そう感じたものだった。
終わりの時はやってきた。
奴はネガティブな事ばかりを書き綴った割烹で、「なろうを退会します。そうしたらみんなが驚くからです」
的な内容を書いた。
俺はいつも通り、この割烹に適当な返答を書いていたのである。
だがそこに、俺から見て空気が読めぬ者がいた。
「やめるならやめればいいと思います。私はやめたあなたを軽蔑します。悔しかったら見返してください」
馬鹿ではないのか。
俺は驚愕した。
同時に、終わりがやって来たことを予感した。
その数十分後、彼は全ての素晴らしい創作物とともに、あの、負と負が交じり合って正となる文学の数々とともに、永久になろうから消えた。
俺と天才との交流は終わりを迎えたのである。
それだけの話である。
別に、天才のネガな割烹を煽った男をどうこう言う気持ちもないし、気にはしていない。
だが、ただ惜しいな、と感じている。
願わくば、あの天才とまた出会いたいものである。