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ちいさなほしのうえで  作者: ゲンダカ
二〇五四年 アイルランド・ゴブリンテロ事件
7/13

六章 子鬼の章

「私の父はテロリストです」


 私が純人の女なら、こんな戯言はきっと信じてもらえないのだろう。

 けれど、私はゴブリン。

 醜く、汚く、世界に嫌悪される存在。

 誰にも味方されず、誰の味方も出来ない、哀れな種族。


 こんなふうに生まれたことを恨んだことはある。

 両親に対して理不尽な怒りを持ったこともある。

 だけど、それも過去のこと。子供のころ、ちょっとばかりそう思っただけのことだ。

 私は私だ。私は他の誰にも成れないし、他の誰も私には成れない。

 だからこそ、現状を受け入れる必要がある。

 それは、諦観にも似て。

 ひどく、息が苦しくなることだけれど。


 私にもともだちはいる。

 ともだち、というのがどういうふうに分類されるものなのか、その定義にもよるけれど。

 ともだちという存在が、何も臆することなく自分の気持ちをさらけ出すことが可能で、全幅の信頼を寄せうる存在、というのならば、間違いなくこれは私のともだちだ。

 だけど、それが生命体でなくてはならない場合。

 息をして、食事を摂り、肌に触れられるモノでなくてはならない場合。

 ()()は、ともだちではない。



 一週間前だ。

 雨の降る、冷たい夜のこと。 

 父が、久々に家に帰ってきた。ニューヨークのスラム街にひっそりと建つ、放っておけば自壊しそうなアパートメントに。

「おかえりなさい」

「ただいま、ネイジー。元気にしていたか?」

「うん。大丈夫」

 父はどこかで拾ったらしい、くしゃくしゃの小さな背広を着ていた。

「そうか。……父さんな、直ぐ出なくちゃいけないんだ。それから、いつ、帰ってこられるかもわからない」

「なんだ。それじゃあ、いつもと変わらないね」

 私がそう言い返すと、父は困ったような顔をした。

「いや、いつもとは少しワケが違うんだ。詳しいことは言えないんだが、今から、ダブリンに行かなくちゃならない」

「ダブリン……って、どこ?」

「ほら、アイルランドの首都だよ。北欧の」

「―――ああ」

 場所を把握した瞬間に、父がこれから何をしに行くのかも、わかってしまった。

「―――そっか。それは、ほんとうに、どうなるかわからないね」

「……ネイジー。やっぱり、お前は賢い子だな。今まで散々迷惑をかけた。これは、せめてもの償いだ」

 父はそう言って、腕時計を外した。

「形見のつもり?」

 怪訝な顔をする私を見て、父は少しだけ微笑んだ。

「そうでもあるが、これはただの時計じゃあないぞ。ほら、ご覧」

 父が時計のリューズをかちかちと二度引っ張ると、空中に立体映像(ホログラフィック)が投影された。

「ど、どうしたの、これ」

「先生……父さんが世話になった人から貰ったものだ。父さんにはもう必要ない。データは初期化してあるから、好きに使いなさい」

「と、父さん」

 時計を受け取ると、要件は済んだ、と言わんばかりに、父は玄関を出ていこうとした。

「ネイジー。父さんはもう、行かなくちゃならないんだよ」

「そんなことない。父さんがそんなこと、する意味ないじゃない」

 私の言葉を聞いて、父の動きが止まった。

「……そうだな。確かに、父さんにその義務はない」

「なら―――」

「でもな。誰かがやらなきゃならないんだ。なら、私がしなくては。でなければ、その誰かに罪を着せることになってしまう」

「―――――」

 私は、それ以上口を動かせなかった。

 父の顔を見て、もう、何を言っても無駄なのだと。

 そう、わかってしまったから。


「―――いって、らっっしゃい」

 閉じた扉に、そう呟いた。




 父が私に手渡したのは、時計型の情報端末だ。

 太陽光で電力を貯めるらしい。これはとても便利だ。

 音楽とか、写真とかは、パソコンから転送する必要がある。これは、不便。

 インターネットに関しては、無線環境さえ整っていれば問題ない。最近はスラム街でも、あちらこちらで無線のスポットが出来てきているので、ニュースを見たりするには十分だ。

 そして、父が私にこれを渡した、ほんとうの理由は、きっとこれ。

 リューズを、かち、かちと、二度引く。

「何か用かな、ネイジー?」

 投影される擬似妖精(デミフェア)

 ひとりぼっちの私に、父が遺したもの。

 それが、これ。

 浮遊する、一体の女デミフェア。

「ダブリン、今どうなってる?」

「そうだね……特に、目新しい情報はないよ」

 いくつかネットニュースを表示させながら、デミフェアが呟いた。

「おや、トリニティ・カレッジが休講……。これはなにかありそうじゃないかな?」

 ニュース記事のひとつを拡大し、私に見せつけるデミフェア。

「……そうかな。うん、そうかもね」

「なんだ、お父さんが心配じゃないの?」

「べつに」

「ふうん。まあ、いいけど。なにか新しい情報が入ったら教えようか?」

「ええ、お願い」

「わかった」

 そう言って、デミフェアは消えた。

「…………」

 はあ。

 無意識に、ため息がこぼれていた。



 雨の午後。

 暗い部屋。

 ベッドと、机と、椅子。

 散在する文庫本、食べかけのお菓子。

 これが私の世界だ。

 これが私の持つすべて。

 それを、不幸だと思うことはない。

 だって、仕方のないことだ。

 だって、私はゴブリンなんだ。

 世間から疎まれ、世界から危険視される、その種族の娘なんだから。


 でも、父はそれがどうにも許せなかったらしい。

 私が小さな頃から、父はそういうひとだった。

 大戦から百年経った現代でも、なお弾圧されるゴブリン。

 その扱いに反発するゴブリンもまた多かったが、結局それは、私たちゴブリンの評価を著しく損なうだけのことだった。

 抗えば弾圧される。誰でも分かる道理だ。

 だというのに、父は声高に叫んだ。

 自由を。権利を。

 父が叫ばずとも、誰かが叫んだ。

 愛を、慈悲を。

 でも、そんなあたりまえは、私たちが貰い受けられるはずもなく。

 父や誰かの叫び声は、誰の耳にも入らなかった。


 父が政治や法についてあれこれ話すのを、私はいつも白い目で眺めていた。

 ゴブリンにのみ適用される、有害指定。

 国によって程度の差はあるけれど、まあだいたい同じだ。ゴブリンの活動を制限、監視することで、テロや犯罪を未然に防ぐ法律、ないし条例。

 個人情報の保護だとか、そんなものは関係ない。

 ゴブリンだから。

 ただそれだけで、私たちの生活は一著しく制限される。

 その法律を撤回せよと、多くのゴブリン達が声を上げた。彼らはときとして暴徒と化し、結局、それらの活動は有害指定をより強固なものとするだけだった。

 それでも。

 それでも、と、父のようなゴブリンは一定数存在して、ずっと抗議の声を上げていた。


 どうでもいい。

 だって、何も変わらない。

 父より少し賢い私は、その虚しさを知っていた。

 変革など、個人の手でもたらせるはずもない。

 それはいつも、時代という大きな流れとともに発生する現象だ。父のような小さなゴブリンが、ちょっとばかり頑張ったところで、どうにかなるものじゃない。

 私がそう言うと、父は決まってこう言った。

「それでも、立ち上がる者が居なければ」

 言わんとすることはわかる。

 どんな大きな改革も、ひとつの小さな思想から生まれるものだ。

 ひとりの人間が動くことで、それがやがて大きな流れを生む。

 個人の意見が民衆の意見となり、国を、世界を動かすこともある。

 だけどそれは容易なことではない。多大な資金、膨大な労力、そして気の遠くなるような時間。それらがあってやっと、成し得るかどうかというもの。

 馬鹿馬鹿しい。

 全くもって、馬鹿馬鹿しい。

 右翼だの左翼だの、歴史的背景だの、ゴブリンの権限だの。

 それを説いたところで、一体何になるというのだろう。

 私の部屋に電気が通ってくれるのだろうか?

 私の明日の日給が上がるのだろうか?

 私の晩ごはんに、暖かなチリが追加されるのだろうか?

 あったかくて、辛いチリ。


――――チリ、か。

 母の、作ってくれたチリ。

 あれを最後に食べたのは、いつだったろう。

 ひき肉なんて全然入ってなくて、

 おおきなビーンズばっかりで、

 ひたすらにどろどろしてて、

 でも、食べると、体の底から暖かくなって。

 父と、母と、私。

 三人で最後に、あのチリを囲んだのは―――

「ネイジー」

「っ」

 顔を拭う。

「…………なんで、出てるの」

 腕に巻いた時計の上に浮かぶ、銀髪のデミフェアを睨みつける。

「なんでって、別にオフにされたわけじゃないから。忘れてるのかな、そこのスイッチ引かないかぎり、ボクの意識はあるからね」

 デミフェアが指差したのは、時計のリューズだった。

「……そうだったっけ」

「うん。急に泣き出すものだから、驚いたよ。よくあることなの?」

「ううん、そんなことない。ちょっと、目にゴミが入っただけ」

「……そっか。うん、そういうことにしておこう」

 デミフェアが姿を消した。それを見て、同じことが起きないよう、リューズをかちりと引っぱっておく。

「はあ」

 また、ため息が零れた。




 目を覚ます。

 今日は、朝早くから仕事だ。

 大した仕事ではない。

 ドワーフ達に任せるまでもないが、純人がわざわざやるようなものでもない、完成した商品の仕分け作業。

 つまらない仕事だ。

 でも、私でも出来ることというと、これくらい。

 だから、贅沢は言えない。

 給料は安い。

 待遇は悪い。

 でも、文句は言えない。




 仕事を終えて、誰も居ない部屋に戻った。

 今日は、綺麗な月が出ている。

 星までは見えない。

「まあ、それだけで十分、かな」

 かしゅ、と、気持ちのいい音が響いた。

「……ネイジー。キミは今、何歳だい」

 机に置いた腕時計から、しゅるりとデミフェアが投影された。

「はたちよ」

「はあ。あまり若いときから飲むと、体に毒だよ」

「知らない」

 一口、口に含み、一気に飲み下す。炭酸が体全体に染み渡って行く気がした。

「仕事終わりの一杯くらい、私だって欲しいもの」

「お酒の飲めないボクには理解できないな」

「お酒にかぎらず、何も飲めないでしょう」

「それもそうだね」

 ふと、月を眺めていて思い出した。

 いつだったか。

 日本(ジャップ)びいきの母が薦めてくれた漫画に、こう書いてあった。

 春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪。

 それだけで、十分にお酒というものは美味しいのだ、と。

 生憎と、こんなスラム街には桜なんて生えていない。

 だけど、あの月だけで、十分にこの麦酒(ビール)は美味しい。

―――ああ、でも。

 あの台詞には、何か、まだ続きがあったような。

「まあ、いいか」

 二口目。

 今のままで、十分に美味しいのだから、問題はないだろう。



「楽しそうだね」

 半分ほど飲み終えたあたりで、デミフェアが話しかけてきた。

「もちろん」

「どんなふうに楽しいのかな。飲み物を飲むだけで楽しくなるなんて、少し理解できないんだ」

 本当に純粋な表情で、そうデミフェアは尋ねてきた。当たり前だろう。電子世界の住人に、お酒の楽しさなど想像すらできまい。

 なので、その疑問を邪険にすることもできない。

「そうね……。詳しい原理は知らないけど、アルコールを摂取すると、頭がふわふわするの」

「成程、中枢神経の抑制作用だね」

「…………うん、まあ、たぶん、それ。それで、嫌なことが頭からなくなって、楽しい気持ちだけになるの」

「ふうん」

 納得したような、してないような、曖昧な返答。

「ひとによるけどね。泣きやすくなるひととか、怒りっぽくなるひともいるみたい」

「ああ、つまり、感情が昂ぶるのか」

「えーと……うん、たぶん、そうね」

 缶を傾ける。

 正直、この「苦み」はまだ苦手だ。だけど、それ以上にこの飲み物は美味しい。

 頭がすっきりするのだ。他のいろんなお酒も飲んだけど、今のところ、この麦酒というやつが一番、飲んでいて気持ちがいい。

「成程成程、確かにそれは飲んでいて楽しいのかもしれない。うん、ボクも飲めたら良いのにな」

 しきりに頷きながら、彼女はそう語った。

「―――そうね」

 

 このデミフェアは、父から譲り受けたもの。

 だけど、当のデミフェアの記憶、すなわち記録(データ)は綺麗サッパリ消去されていた。

 当然といえば当然。だってこの二ヶ月、父に付き添っていたというのなら、これから父の起こす行動についても知っていたはずだから。

 その情報は消さねばならないだろう。私に知らせるわけにはいかないだろう。

 別に、知りたいとも思わないけれど。


 というわけで、こいつはまっさらな状態で私のものになった。

 性別、性格、外見、すべてを私が設定することが出来た。

 普通のデミフェアで構わない。ヘンにカッコイイやつとかを創っても仕方ない。

 なので、こうなった。

 短い黒髪(ブルネット)に、白い肌。それから、小さく半透明な、一対の羽根。

 性別は、私と同じ(female)

 ちょっと勝ち気で、とにかく真面目。

 そして、おしゃべり。

―――要するに。

 ともだちが欲しかったのだ。

 なんでも話せて、いつでも一緒に居られて、楽しくて。

 そんな存在が欲しかった。


 ひとりきりの私。

 哀れなゴブリン。

 だからこそ、そばに居てくれる存在が、欲しかった。




 目を覚ます。

「っ……」

 体中が痛い。

 周りを見渡すと、どうも自分は椅子に座っているらしかった。

 机の上には、空のビール缶と、腕時計。

 月見酒まがいのことをしている間に寝てしまったようだ。

「おはよう」

 そう言ながら、デミフェアが投影された。

「……そっか、貴方の電源も、切ってなかったね」

「うん。でも、おかげで、ちょっとした情報が入ってきたよ」

 ウェブブラウザを開き、何やら操作を始めるデミフェア。

「…………君のお父さん。名前は、なんだったかな」

「マックよ」

 目をこすりながら返答する。

「ファミリーネームは?」

「ゴブリンにそんなもの、ないわ」

「……そうか。それじゃあ、たぶん、間違いないね」

 そう言って、デミフェアがニュース記事を私に向かって表示した。

 宙に浮かぶページ。

 ダブリンで起きた大規模テロ事件の概要と、そこで捕まったゴブリン達の名前が並んでいる。

「…………そう。結構、すごいことをやったのね」

「うん。警官に結構な被害が出たらしい。カレッジも、しばらくは使えないだろうね」

 ずらっと並ぶ英文。読むのが面倒くさい。

「何がどうなったの」

 私の乱暴な問いに、デミフェアは律儀に答えた。

「トリニティカレッジの二箇所で大規模な爆発が起きて、警護にあたってた警官が少なくとも五十人以上は亡くなってる。指導者が妖精種で、爆心地からは魔力が検出されてるから、たぶん陣魔法だね。ゴブリンがその下ごしらえをしていたらしい」

「それで?」

「うん。ほら、ここ」

 右手でニュースページを操作し、逮捕者リストを拡大するデミフェア。彼女は、何故か申し訳無さそうな顔をしていた。

「ここに、君のお父さんの名前がある」

「……そうね」

「随分、冷たい反応だね。お父さんが捕まったんだよ? 心配じゃないの?」

「全然。むしろ安心したわ」

「どうして?」

「だって、生きているんでしょう」

 私がそう言うと、デミフェアは言葉を詰まらせた。

「最近はなんだかんだでゴブリンを保護しようって動きもあるもの。妖精種が指導者で、父さんはあくまでその手先。実行犯とはいえ、極刑にまではならないでしょう」

「どうかな。規模が規模だ。そうとは言い切れない」

 まあ、そうかもしれない。

 父はゴブリン種とはいえ、それなりに頭が良かった。私はそれに負けないくらい良いけれど、それも父の教育のおかげだ。

 だから、今回のテロでも、かなり上の立場に居たかもしれない。

「それでも、死ぬまでに会って話すくらいのことは出来るわ」

「―――ボクは、君のことを少し、勘違いしていたよ。案外、ポジティブなんだね」

「そうでもないと、ゴブリンなんてやってられないもの」

 デミフェアが投影されたままの時計を手に取り、腕に巻く。

「もう出ないと。まったく、デミフェアなんだから、アラームぐらいやってくれなきゃ」

「うん、君があと二分三八秒目を閉じていたら、最大音量を流す予定だったよ」

「…………うん、まあ、それでいいや」

 ベッドに投げられていた上着を羽織り、玄関に向かう。


「…………」

 ふと。

 なんとなく、部屋を振り返った。

「…………いってきます」

 誰も居ない空間に、そう呟いた。

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