六章 子鬼の章
「私の父はテロリストです」
私が純人の女なら、こんな戯言はきっと信じてもらえないのだろう。
けれど、私はゴブリン。
醜く、汚く、世界に嫌悪される存在。
誰にも味方されず、誰の味方も出来ない、哀れな種族。
こんなふうに生まれたことを恨んだことはある。
両親に対して理不尽な怒りを持ったこともある。
だけど、それも過去のこと。子供のころ、ちょっとばかりそう思っただけのことだ。
私は私だ。私は他の誰にも成れないし、他の誰も私には成れない。
だからこそ、現状を受け入れる必要がある。
それは、諦観にも似て。
ひどく、息が苦しくなることだけれど。
私にもともだちはいる。
ともだち、というのがどういうふうに分類されるものなのか、その定義にもよるけれど。
ともだちという存在が、何も臆することなく自分の気持ちをさらけ出すことが可能で、全幅の信頼を寄せうる存在、というのならば、間違いなくこれは私のともだちだ。
だけど、それが生命体でなくてはならない場合。
息をして、食事を摂り、肌に触れられるモノでなくてはならない場合。
これは、ともだちではない。
一週間前だ。
雨の降る、冷たい夜のこと。
父が、久々に家に帰ってきた。ニューヨークのスラム街にひっそりと建つ、放っておけば自壊しそうなアパートメントに。
「おかえりなさい」
「ただいま、ネイジー。元気にしていたか?」
「うん。大丈夫」
父はどこかで拾ったらしい、くしゃくしゃの小さな背広を着ていた。
「そうか。……父さんな、直ぐ出なくちゃいけないんだ。それから、いつ、帰ってこられるかもわからない」
「なんだ。それじゃあ、いつもと変わらないね」
私がそう言い返すと、父は困ったような顔をした。
「いや、いつもとは少しワケが違うんだ。詳しいことは言えないんだが、今から、ダブリンに行かなくちゃならない」
「ダブリン……って、どこ?」
「ほら、アイルランドの首都だよ。北欧の」
「―――ああ」
場所を把握した瞬間に、父がこれから何をしに行くのかも、わかってしまった。
「―――そっか。それは、ほんとうに、どうなるかわからないね」
「……ネイジー。やっぱり、お前は賢い子だな。今まで散々迷惑をかけた。これは、せめてもの償いだ」
父はそう言って、腕時計を外した。
「形見のつもり?」
怪訝な顔をする私を見て、父は少しだけ微笑んだ。
「そうでもあるが、これはただの時計じゃあないぞ。ほら、ご覧」
父が時計のリューズをかちかちと二度引っ張ると、空中に立体映像が投影された。
「ど、どうしたの、これ」
「先生……父さんが世話になった人から貰ったものだ。父さんにはもう必要ない。データは初期化してあるから、好きに使いなさい」
「と、父さん」
時計を受け取ると、要件は済んだ、と言わんばかりに、父は玄関を出ていこうとした。
「ネイジー。父さんはもう、行かなくちゃならないんだよ」
「そんなことない。父さんがそんなこと、する意味ないじゃない」
私の言葉を聞いて、父の動きが止まった。
「……そうだな。確かに、父さんにその義務はない」
「なら―――」
「でもな。誰かがやらなきゃならないんだ。なら、私がしなくては。でなければ、その誰かに罪を着せることになってしまう」
「―――――」
私は、それ以上口を動かせなかった。
父の顔を見て、もう、何を言っても無駄なのだと。
そう、わかってしまったから。
「―――いって、らっっしゃい」
閉じた扉に、そう呟いた。
父が私に手渡したのは、時計型の情報端末だ。
太陽光で電力を貯めるらしい。これはとても便利だ。
音楽とか、写真とかは、パソコンから転送する必要がある。これは、不便。
インターネットに関しては、無線環境さえ整っていれば問題ない。最近はスラム街でも、あちらこちらで無線のスポットが出来てきているので、ニュースを見たりするには十分だ。
そして、父が私にこれを渡した、ほんとうの理由は、きっとこれ。
リューズを、かち、かちと、二度引く。
「何か用かな、ネイジー?」
投影される擬似妖精。
ひとりぼっちの私に、父が遺したもの。
それが、これ。
浮遊する、一体の女デミフェア。
「ダブリン、今どうなってる?」
「そうだね……特に、目新しい情報はないよ」
いくつかネットニュースを表示させながら、デミフェアが呟いた。
「おや、トリニティ・カレッジが休講……。これはなにかありそうじゃないかな?」
ニュース記事のひとつを拡大し、私に見せつけるデミフェア。
「……そうかな。うん、そうかもね」
「なんだ、お父さんが心配じゃないの?」
「べつに」
「ふうん。まあ、いいけど。なにか新しい情報が入ったら教えようか?」
「ええ、お願い」
「わかった」
そう言って、デミフェアは消えた。
「…………」
はあ。
無意識に、ため息がこぼれていた。
雨の午後。
暗い部屋。
ベッドと、机と、椅子。
散在する文庫本、食べかけのお菓子。
これが私の世界だ。
これが私の持つすべて。
それを、不幸だと思うことはない。
だって、仕方のないことだ。
だって、私はゴブリンなんだ。
世間から疎まれ、世界から危険視される、その種族の娘なんだから。
でも、父はそれがどうにも許せなかったらしい。
私が小さな頃から、父はそういうひとだった。
大戦から百年経った現代でも、なお弾圧されるゴブリン。
その扱いに反発するゴブリンもまた多かったが、結局それは、私たちゴブリンの評価を著しく損なうだけのことだった。
抗えば弾圧される。誰でも分かる道理だ。
だというのに、父は声高に叫んだ。
自由を。権利を。
父が叫ばずとも、誰かが叫んだ。
愛を、慈悲を。
でも、そんなあたりまえは、私たちが貰い受けられるはずもなく。
父や誰かの叫び声は、誰の耳にも入らなかった。
父が政治や法についてあれこれ話すのを、私はいつも白い目で眺めていた。
ゴブリンにのみ適用される、有害指定。
国によって程度の差はあるけれど、まあだいたい同じだ。ゴブリンの活動を制限、監視することで、テロや犯罪を未然に防ぐ法律、ないし条例。
個人情報の保護だとか、そんなものは関係ない。
ゴブリンだから。
ただそれだけで、私たちの生活は一著しく制限される。
その法律を撤回せよと、多くのゴブリン達が声を上げた。彼らはときとして暴徒と化し、結局、それらの活動は有害指定をより強固なものとするだけだった。
それでも。
それでも、と、父のようなゴブリンは一定数存在して、ずっと抗議の声を上げていた。
どうでもいい。
だって、何も変わらない。
父より少し賢い私は、その虚しさを知っていた。
変革など、個人の手でもたらせるはずもない。
それはいつも、時代という大きな流れとともに発生する現象だ。父のような小さなゴブリンが、ちょっとばかり頑張ったところで、どうにかなるものじゃない。
私がそう言うと、父は決まってこう言った。
「それでも、立ち上がる者が居なければ」
言わんとすることはわかる。
どんな大きな改革も、ひとつの小さな思想から生まれるものだ。
ひとりの人間が動くことで、それがやがて大きな流れを生む。
個人の意見が民衆の意見となり、国を、世界を動かすこともある。
だけどそれは容易なことではない。多大な資金、膨大な労力、そして気の遠くなるような時間。それらがあってやっと、成し得るかどうかというもの。
馬鹿馬鹿しい。
全くもって、馬鹿馬鹿しい。
右翼だの左翼だの、歴史的背景だの、ゴブリンの権限だの。
それを説いたところで、一体何になるというのだろう。
私の部屋に電気が通ってくれるのだろうか?
私の明日の日給が上がるのだろうか?
私の晩ごはんに、暖かなチリが追加されるのだろうか?
あったかくて、辛いチリ。
――――チリ、か。
母の、作ってくれたチリ。
あれを最後に食べたのは、いつだったろう。
ひき肉なんて全然入ってなくて、
おおきなビーンズばっかりで、
ひたすらにどろどろしてて、
でも、食べると、体の底から暖かくなって。
父と、母と、私。
三人で最後に、あのチリを囲んだのは―――
「ネイジー」
「っ」
顔を拭う。
「…………なんで、出てるの」
腕に巻いた時計の上に浮かぶ、銀髪のデミフェアを睨みつける。
「なんでって、別にオフにされたわけじゃないから。忘れてるのかな、そこのスイッチ引かないかぎり、ボクの意識はあるからね」
デミフェアが指差したのは、時計のリューズだった。
「……そうだったっけ」
「うん。急に泣き出すものだから、驚いたよ。よくあることなの?」
「ううん、そんなことない。ちょっと、目にゴミが入っただけ」
「……そっか。うん、そういうことにしておこう」
デミフェアが姿を消した。それを見て、同じことが起きないよう、リューズをかちりと引っぱっておく。
「はあ」
また、ため息が零れた。
目を覚ます。
今日は、朝早くから仕事だ。
大した仕事ではない。
ドワーフ達に任せるまでもないが、純人がわざわざやるようなものでもない、完成した商品の仕分け作業。
つまらない仕事だ。
でも、私でも出来ることというと、これくらい。
だから、贅沢は言えない。
給料は安い。
待遇は悪い。
でも、文句は言えない。
仕事を終えて、誰も居ない部屋に戻った。
今日は、綺麗な月が出ている。
星までは見えない。
「まあ、それだけで十分、かな」
かしゅ、と、気持ちのいい音が響いた。
「……ネイジー。キミは今、何歳だい」
机に置いた腕時計から、しゅるりとデミフェアが投影された。
「はたちよ」
「はあ。あまり若いときから飲むと、体に毒だよ」
「知らない」
一口、口に含み、一気に飲み下す。炭酸が体全体に染み渡って行く気がした。
「仕事終わりの一杯くらい、私だって欲しいもの」
「お酒の飲めないボクには理解できないな」
「お酒にかぎらず、何も飲めないでしょう」
「それもそうだね」
ふと、月を眺めていて思い出した。
いつだったか。
日本びいきの母が薦めてくれた漫画に、こう書いてあった。
春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪。
それだけで、十分にお酒というものは美味しいのだ、と。
生憎と、こんなスラム街には桜なんて生えていない。
だけど、あの月だけで、十分にこの麦酒は美味しい。
―――ああ、でも。
あの台詞には、何か、まだ続きがあったような。
「まあ、いいか」
二口目。
今のままで、十分に美味しいのだから、問題はないだろう。
「楽しそうだね」
半分ほど飲み終えたあたりで、デミフェアが話しかけてきた。
「もちろん」
「どんなふうに楽しいのかな。飲み物を飲むだけで楽しくなるなんて、少し理解できないんだ」
本当に純粋な表情で、そうデミフェアは尋ねてきた。当たり前だろう。電子世界の住人に、お酒の楽しさなど想像すらできまい。
なので、その疑問を邪険にすることもできない。
「そうね……。詳しい原理は知らないけど、アルコールを摂取すると、頭がふわふわするの」
「成程、中枢神経の抑制作用だね」
「…………うん、まあ、たぶん、それ。それで、嫌なことが頭からなくなって、楽しい気持ちだけになるの」
「ふうん」
納得したような、してないような、曖昧な返答。
「ひとによるけどね。泣きやすくなるひととか、怒りっぽくなるひともいるみたい」
「ああ、つまり、感情が昂ぶるのか」
「えーと……うん、たぶん、そうね」
缶を傾ける。
正直、この「苦み」はまだ苦手だ。だけど、それ以上にこの飲み物は美味しい。
頭がすっきりするのだ。他のいろんなお酒も飲んだけど、今のところ、この麦酒というやつが一番、飲んでいて気持ちがいい。
「成程成程、確かにそれは飲んでいて楽しいのかもしれない。うん、ボクも飲めたら良いのにな」
しきりに頷きながら、彼女はそう語った。
「―――そうね」
このデミフェアは、父から譲り受けたもの。
だけど、当のデミフェアの記憶、すなわち記録は綺麗サッパリ消去されていた。
当然といえば当然。だってこの二ヶ月、父に付き添っていたというのなら、これから父の起こす行動についても知っていたはずだから。
その情報は消さねばならないだろう。私に知らせるわけにはいかないだろう。
別に、知りたいとも思わないけれど。
というわけで、こいつはまっさらな状態で私のものになった。
性別、性格、外見、すべてを私が設定することが出来た。
普通のデミフェアで構わない。ヘンにカッコイイやつとかを創っても仕方ない。
なので、こうなった。
短い黒髪に、白い肌。それから、小さく半透明な、一対の羽根。
性別は、私と同じ女。
ちょっと勝ち気で、とにかく真面目。
そして、おしゃべり。
―――要するに。
ともだちが欲しかったのだ。
なんでも話せて、いつでも一緒に居られて、楽しくて。
そんな存在が欲しかった。
ひとりきりの私。
哀れなゴブリン。
だからこそ、そばに居てくれる存在が、欲しかった。
目を覚ます。
「っ……」
体中が痛い。
周りを見渡すと、どうも自分は椅子に座っているらしかった。
机の上には、空のビール缶と、腕時計。
月見酒まがいのことをしている間に寝てしまったようだ。
「おはよう」
そう言ながら、デミフェアが投影された。
「……そっか、貴方の電源も、切ってなかったね」
「うん。でも、おかげで、ちょっとした情報が入ってきたよ」
ウェブブラウザを開き、何やら操作を始めるデミフェア。
「…………君のお父さん。名前は、なんだったかな」
「マックよ」
目をこすりながら返答する。
「ファミリーネームは?」
「ゴブリンにそんなもの、ないわ」
「……そうか。それじゃあ、たぶん、間違いないね」
そう言って、デミフェアがニュース記事を私に向かって表示した。
宙に浮かぶページ。
ダブリンで起きた大規模テロ事件の概要と、そこで捕まったゴブリン達の名前が並んでいる。
「…………そう。結構、すごいことをやったのね」
「うん。警官に結構な被害が出たらしい。カレッジも、しばらくは使えないだろうね」
ずらっと並ぶ英文。読むのが面倒くさい。
「何がどうなったの」
私の乱暴な問いに、デミフェアは律儀に答えた。
「トリニティカレッジの二箇所で大規模な爆発が起きて、警護にあたってた警官が少なくとも五十人以上は亡くなってる。指導者が妖精種で、爆心地からは魔力が検出されてるから、たぶん陣魔法だね。ゴブリンがその下ごしらえをしていたらしい」
「それで?」
「うん。ほら、ここ」
右手でニュースページを操作し、逮捕者リストを拡大するデミフェア。彼女は、何故か申し訳無さそうな顔をしていた。
「ここに、君のお父さんの名前がある」
「……そうね」
「随分、冷たい反応だね。お父さんが捕まったんだよ? 心配じゃないの?」
「全然。むしろ安心したわ」
「どうして?」
「だって、生きているんでしょう」
私がそう言うと、デミフェアは言葉を詰まらせた。
「最近はなんだかんだでゴブリンを保護しようって動きもあるもの。妖精種が指導者で、父さんはあくまでその手先。実行犯とはいえ、極刑にまではならないでしょう」
「どうかな。規模が規模だ。そうとは言い切れない」
まあ、そうかもしれない。
父はゴブリン種とはいえ、それなりに頭が良かった。私はそれに負けないくらい良いけれど、それも父の教育のおかげだ。
だから、今回のテロでも、かなり上の立場に居たかもしれない。
「それでも、死ぬまでに会って話すくらいのことは出来るわ」
「―――ボクは、君のことを少し、勘違いしていたよ。案外、ポジティブなんだね」
「そうでもないと、ゴブリンなんてやってられないもの」
デミフェアが投影されたままの時計を手に取り、腕に巻く。
「もう出ないと。まったく、デミフェアなんだから、アラームぐらいやってくれなきゃ」
「うん、君があと二分三八秒目を閉じていたら、最大音量を流す予定だったよ」
「…………うん、まあ、それでいいや」
ベッドに投げられていた上着を羽織り、玄関に向かう。
「…………」
ふと。
なんとなく、部屋を振り返った。
「…………いってきます」
誰も居ない空間に、そう呟いた。