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金縛り

作者: サイトー義光

 中高生の時分、私は随分と『目に視えないもの』、つまり心霊関係に傾倒していた。

 その時分、何人かの自称『視える』人と出会ったが、私が本当に『視えている』と信じたのは立花紅音(たちばな あかね)、ただ一人だけであった。


 立花紅音。

 年齢は私より一つ下。出会った当初は十五歳。高校には行かず、私が通っていた高校の近くのスーパーでアルバイトをしていた。背は低めで一五〇センチ程。肩口に届く位の長さの綺麗な黒髪を後ろで一つに結わえている事が多かった。性格は気分屋。いつも気怠げだが、意外と表情豊か。両親は離婚しており、母親と二人暮らし。母親は夜の仕事をしており深夜に自由が効くので、良く一緒に心霊スポットを徘徊した。警戒心が弱いな、とも思っていたが、私が信用されていたという訳ではなく、実は二人で出かける時は常にポケットにナイフを忍ばせていたらしい。


 この話は、彼女が本当に『視えている』と信じた出来事である。

 それは私が立花紅音と出会って間もない頃、二人で『出る』と噂の廃団地へ行った時の事である。


 その日は夕方からアルバイトのヘルプに入り、終了後そのまま立花紅音と合流、私のスクーターに二人乗りをして目的地へと向かった。

 探索中、立花紅音は『むこうで子供が騒いでますよ』『男がこちらを睨んでます』『ほら、あそこに女の霊がいますよ』等と言い、私を散々怖がらせた。

 まだ彼女が本当に視えていると信じていたわけではなかったが、怖い物は怖かったのだ。

 団地は予想以上に広く、探索し終わった頃には、とうに日を跨いでいた。そして来た時と同じ様にスクーターで彼女を家まで送り届け、私は一人暮らしをしている兄の家に行った。

 兄は出張に行っており不在で、合鍵で家に入った時には、深夜の三時を過ぎていた。

 突発のアルバイトに加え、廃墟を探索の時、恐怖で力みすぎて疲労困憊だった私は、リビングのソファーに倒れ込むとすぐに眠ってしまった。


 不意に耳鳴りを感じて眼が覚めた。

 時間は分からなかったが、同時に違和感がした。自分の身体の上に何かが乗っている感覚。

 目を開くと、全く知らない女が私の上に立っていた。

 驚きと恐怖で飛び上がろうとしたが、身体は全く動かない。声も全く出なかった。女は生気のない瞳で、ずっとこちらの顔をのぞき込んできた。

 恐怖で支配された思考の隅、わずかに冷静な部分が『これは金縛りだ』と自覚したが、どうすることも出来なかった。耳鳴りが頭に響き、現実味のある重さが胸を圧迫した。その息苦しさと何も出来ない恐怖に頭がおかしくなりそうだった。

 突然身体の自由が戻った。留め具の外れたバネの様に、私は勢いよく身体を起こすが、そこに女の姿はもうない。静寂の中、自分の荒い呼吸だけが響く。シャツは汗でぐっしょりと濡れていた。

 後で立花紅音に話そうと思った。そして呼吸を落ち着け再び横になったが、夜が明けても寝付くことは出来なかった。


 廃団地へ行ったのが金曜日の夜。眼が覚めて土曜日の昼頃、私は学校へ向かう電車に乗って、立花紅音がアルバイトをしているスーパーへ向かった。

 前日の探索中にした雑談で聞いた時間通り、彼女はレジ打ちをしていた。

 私は適当なペットボトルの飲み物を買って、彼女のレジに並ぶ。

「いらっしゃいませー」

 貼り付けた様な笑顔で彼女は言うが、眼は笑ってなかった。

「あのさ、話があるんだけど」

 私が小声で言うが、彼女は無視して商品を通す。

「合計で九八円になります」

「あのさ――、」一〇〇円を出して言う。

「一〇〇円お預かりしますー、ありがとうございましたー」

 このように完全に無視された。

 仕方がないので、私は従業員出入り口付近をうろうろしながら、どの様に今朝体験したことを話せば自分が体験した恐怖がちゃんと伝わるか思案していた。


 そうこうしているうちに、立花紅音が出てきた。

「おい、立花」と声をかけると、彼女は眉をハの字にして、あからさまに不快そうな顔をした。

「もしかしてずっと待ってたんですか? 三時間ぐらい経ってますよ?」

「えっ、本当に?」

 時計を確認すると、確かに三時間近く経過していた。全く気づいていなかった。

「ま、まぁ、ちょっと話を聞いてくれよ。今朝ちょっと面白い事があったんだよ」

 嫌がる、というより気持ち悪がる立花紅音を説得し、近所のファミレスへ連れ込み(もちろん私の奢り)、今朝の出来事を話した。

「へー、そうですか」

 話を終えると、立花紅音は烏龍茶を飲みながら素っ気なく言った。

「そいつぁ、ズバリ、金縛りってヤツですね」

「いや、それは分かってるが・・・」

「金縛りはもうある程度科学的に説明できます。インターネットで調べればいくらでも出てくるでしょう?」

「レム睡眠とかの話だろ。大体知ってるけどさ」

 そうだと知っていても、あの時は恐怖を感じずにはいれなかった。

「あー、そうですね」

 一仕事終えて疲れているのか、普段よりも遅い速度で立花紅音は喋る。

「医学的には『睡眠麻痺』と言って、レム睡眠時に起こる全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こっている状態を『金縛り』と言います。それで、さらに言うと、レム睡眠時には自律神経が不規則な活動をして、呼吸を乱す。身体が動かない事も、息苦しくなることも、これで大体説明がつきます。身体が動かない時に出てくるリアルな幽霊とかも『入眠時幻覚』と言えば説明がつきます。この話は分かりますか?」

「分かるけど・・・。じゃあ、俺が見た女もただの幻だった、ってことか?」

「まぁまぁ、ちょっと聞いてて下さいよ」

 彼女は烏龍茶をまた飲んで続ける。

「今までの説明は、一般的に言われている事で、世の中のお偉い学者先生が認めている事。ここから先は、私の経験談として聞いて欲しいんですが、夢とか幻覚とかに視るのは、その人が知っているモノだけなんですよ。どんなに滅茶苦茶なモノでも、断片的なパーツで考えてみれば、自分の知っているモノの組み合わせでしかないんです。全く知らないモノは幻覚でも視れられないんですよ。少なくとも私は。それと、眠る直前に見たモノや、その近くの時間に印象深かったモノが夢や幻覚に出やすかったりする、比較的ってだけですけど。この話は納得できますか?」

「まぁ、納得出来るけど・・・」

 確かに、眠る直前に見たものは夢に見やすい、という話はよく聞く。記憶に新しく、印象が強く残っているからだ。しかし、立花紅音の話を聞いていて納得出来ない、腑に落ちない部分があった。

 昨日、金縛りの幻覚で見た女は何処で見た記憶もなかった。

 ちぐはぐな記憶の組み合わせだったのだろうか。

 考えて居ると、立花紅音が聞いてきた。

「じゃあ聞きますけれど、今朝あなたが視た女っていうのは私でしたか?」

「違うよ」

 確かに寝る暫く前まで一緒に居たが、彼女とは似ても似つかない女だった。そもそも彼女が出てきても、あまり怖くなかっただろう。

「じゃあ両親、いや女ですから、母親でしたか?」

「違うよ」

 そうだったとしても、やはり全然怖くない。

「じゃあ妄想でしかない、あなたの理想の女の子の姿だったりしましたか?」

「違うよ」そんな幽霊が出てきたら逆に嬉しい。

「それじゃあ」

 と、立花紅音は髪型、顔つき、体型、服装をかなり具体的に言い連ねていった。

 それは確かに、私が金縛りの時に視た女の特徴と完全に一致していた。

「な、なんでわかったんだ?」

 驚き、動揺しながら訊ねた。

 彼女には『女が胸の上にのっかてきた』としか説明していなかったはずだ。

 彼女がそんな事実を知っている筈はなかった。

 しかし、立花紅音はニヤリと笑って言う。

「何故って、私も見たからですよ、そういう女を。あなたと一緒にね」

「一体何処で? そんな女を見た覚えはないぞ」

「まぁ、あなたには分からないでしょうが、よーく思い出して見て下さい。昨日、私達は何処へ行きましたか?」

「えっ? それは、廃墟になった団地だよ、あそこの。でも・・・、えっ?」

 言っていて、脳裏に嫌な予感が巡っていた。背筋に冷たい汗が噴き出していた。

「よーく思い出して見て下さい、ほら、私がこう言ったのを覚えていますか?」

 立花紅音は笑みを深くし、腕をゆっくり持ち上げて虚空を指す。

 その姿が前日に見た光景と重なった。

「『ほら、あそこに女の霊が居ますよ』」

 鳥肌が立つ。

 思い出した。確かに、彼女はそう言っていた。

 そして、その指した方向を私も見ていた。

「そこに居た幽霊と同じだったのか? でも」一瞬言いよどむ。「俺には何も見えなかったぞ」

「でも、あなたはその方向を見たでしょう。意識をそちらに向けたでしょう。たとえ眼の細胞が処理できず、その存在を知覚していなくても、あなたは感じていたんですよ」

「見えていなくてもか?」

「そう。見えていなくても、です」

 彼女の話を聞いて、私は『初めて本当の幽霊が観れたのか』と少し考えたが、それは結局夢である。金縛り、つまり『睡眠麻痺』というのは珍しい体験であったが、珍しいモノが見れたわけではなかった。

 皆が見ていることなのだ。皆が見ているが、殆どの人が気づいていない。それが幽霊というものなのだ。

 私は、金縛りの時の生々しい恐怖と息苦しさを思い出し、ふと頭に浮かぶ別の可能性を聞いてみた。

「もしかして、俺が幽霊に取り憑かれたから身体が動かなくなって、そんな幻が見えたっていう可能性はないのか?」

「まぁ、確かに金縛りの全てが『睡眠麻痺』って訳ではないかも知れませんが、変なモノは憑いてないと思いますよ、多分」

 最後の『多分』は小声であった。



 こうして私は立花紅音が本当に『視える』と信じるようになった。

 以降、彼女を頻繁に誘うようになり、様々な怖気が走る体験をした。

 そんな彼女も、現在は玉の輿に乗って二児の母。

 私は彼女の尻を追いかけ回した経験を活かし、探偵事務所で働いている。


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