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溺れる蛇  作者: サニー
3/3

 その日も、歩いても歩いても一件の広告も取れなかった。


「この店、今月一杯でたたむんですよ」

 やつれた表情をしたラーメン屋のおかみが、泣き笑いのような表情を浮かべながら、気の毒そうに言った。何度呼んでも返事のない小さな文房具屋では、耳のほとんど聞こえない老人が、奥の部屋で布団に体を横たえていた。店先に並べられた「国語」「算数」などと書かれたノートには、真っ白にほこりがつもっている。古い平屋の一軒家が並ぶ通りを歩いていると、しわになったカッターに染みこんだ汗が炎天にあぶられて臭った。俺は自販機で買ったコーヒーを飲み干すと「くそっ」と誰にともなく悪態をつきながら、空き缶をゴミ箱に叩き込んだ。


 再び歩き出した俺の視線の先に、黒い長い紐のようなものが落ちていた。近づいていくと、それは頭を潰された蛇の死骸だった。俺はよけずに、大きく足を踏み出してそれをまたいだ。数歩歩いて振り返ると、蛇が鎌首をもたげてこっちを見ている。俺を凝視する真っ黒な蛇と目が合って、俺は思わずぎゅっと瞼を閉じた。しかしそろりと目を開けると、ゆらりと陽炎の立つ道の上で、蛇はただの黒い紐に戻っていた。

 

 俺の心に突然激しい怒りが湧きあがった。それは目についたものを手当たり次第に壊して回りたいような凶暴な衝動だった。今まで、喧嘩はおろか、人と言い争いをした記憶も数えるくらいしかない俺の中に初めて生まれた未知の感情だった。俺はその地鳴りのようなものを内に抱えたまま、ひたすら炎天を歩き続けた。

 

 その日俺は社長の言いつけを破って、担当の地区に車で来た。さすがに社用車は使えないので、自分の車を使った。通勤の時、満員のバスで、汗くさいシャツが臭うのが嫌だったのだ。しかし、アパートに帰っても、今日もおそらくシャツは洗濯されていないだろう。それどころか、香奈はもうあそこには戻ってこないような予感がした。不本意な仕事、すれ違った気持ち、希望の持てない未来。俺は座席に座ると、握り拳で思い切り車のハンドルを殴りつけた。


 田舎道なので、道路は空いていた。十分ほど走った時、はるかな前方に、一人の老人が杖をつきながら危なっかしい足取りで道を横切り始めた。これまでにも、平気で車道を渡る年寄りに、ひやりとさせられたことは何度もあった。すぐ近くに信号機があるのに、まるで車など目にも耳にも入っていないかのようによろよろと横断してくる。どれほど相手に非があっても、人身事故を起せば、免許だけではなく、もしかしたら仕事までも失うかもしれない。


 俺は今まで、親や教師や先輩や上司に面と向かって逆らったことはなく、要するに社会が俺にこうしろということにはひたすら従順に、決められたことを守って生きてきたのだ。それの何が悪い。どこが間違っている。その俺の人生が、あんな無軌道な存在のために根底から破壊されてしまうなんて、なんという理不尽さだ。


―― 殺したって構わないんだ。だって蛇なんだから。

 頭の中でそう囁く斉藤の声が聞こえたような気がした。俺は思い切りクラクションを鳴らしながら、前方の人影に向かって力一杯アクセルを踏んだ。      (了)


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