月光葬列
※戯曲という形であるので、念のために記載しておきます。
上演用の台本として使用する場合は、メッセージ機能や感想欄で必ずひとこと告げて、原作者として「王生らてぃ」の名前を記載してください。無断使用は禁止します。
『月光葬列』
登場人物…風臣、二女、伊介、鶴姫、浮浪者の男
小高い丘の上、黒服の風臣と二女が歩いてくる。
風臣は手ぶらで、ポケットにメモ帳と万年筆を入れ、二女は肩に斜め掛けの小さなカバンの中に本と拳銃を持っている。
風臣「枕詞って知ってるかい」
二女「知らないわ」
風臣「お前は賢いから知ってると思ったもんだけどな、望月の……は枕詞だっけか、それとも受ける方だったか、見てみろ、お前は目がいいからきっと見えるだろ、あそこの先頭に立って歩く男たちだ」
二女「どこ? 列のどこが先頭なのかしら、わからない、兄さん、どんな人たちなのか私に教えてちょうだい、そうしたら私も見てみるわ。あの列の先頭はどこなのかしら」
風臣「お前はやはり賢いやつだ、けれど賢すぎていけないな。確かにあれはただの列じゃあないが、動けない棺が先頭かな、それともすすりなく老人が先頭かな、涙をこらえる若い女性かな、いろいろ考えるのは大変よろしいことだ、生きているな、けれどここは単純に一番先を歩くものを先頭と答えればいいのさ」
二女「わからないわ、けれど兄さんがそういうなら、あの黒い服に身をやつした男を見ればいいのね」
風臣「そうさ、あの二人だ。ゆったりみてごらん、先は長いぜ」
二女「槍を持っているのが見えるわ」
風臣「持っているな」
二女「それと、――首から下げているのは十字架かしら、片方の男はまだ若そう、ひどいしかめっ面をしているわ、胃の中にひどい潰瘍でもあるみたいな顔をしている、よほどつらい目に遭っているのかしら。もう一人の方はだいぶ年を取っているみたい、目の色がくすんでいるわ、きっと目が見えないのかもしれない、何も見えていないみたいに淡々としているように、私には見える」
風臣「上出来だ、」
二女「あの槍を持った人たちが、どうかしたの?」
風臣「どうもしないさ、彼らも生きているんだ、どうして彼らはあそこにいるんだと思う」
二女「何かと戦うのかしら、あの槍で悪魔か天使かを突いて追い払う、とか、それとも棺を襲う追剥ぎを斬首するための、――どうしてかしら。あの葬列」
男「(ふらふらと入ってきて)おヤ、珍しいね、こんなところにお客さんかい」
風臣「邪魔でしたか」
男「なに、邪魔なんかじゃねえやい、ただ俺の家みたいな場所なんだよ、ここは、なんでだかしってるかい、滅多に人が来ねえ、見晴らしのいい場所だからさ。そこに知らねえ二人組がいたんだから、驚くのもいいだろう」
風臣「挨拶しな」
二女「こんばんは」
男「へえ、コンバンワ、親子かな、それとも逢引きかい? っと、そんな顔をしなさんな、心配しないでも憲兵に付き出したりしねえよ、俺が先に連れて行かれちまう。ミイラは歩き出してもただのミイラさ、木の棒をこう、組み合わせて、頭にエイっとぶつけてエイメンと唱えるだけでおしまいさ」
風臣「兄妹ですよ、散歩に漕ぎ出でてこんなところに、しかし邪魔だったようだね、とても立派な家だ」
二女「家だなんて、どこにもないわ」
風臣「お前は賢すぎるのさ、人生ちょっと馬鹿なくらいが幸せだよ、こんなに立派な家じゃないか!(大仰に)」
男「分かっていらっしゃいますぜ、兄貴、ここはおいらの自慢の家でさぁ、見てのとおりだ、空をも覆い尽くすような高い天井、風の吹き抜けるほど広い壁、そして月の光がらんらんと差し込んでくる大きな窓! ところが困ったことがみっつほど」
風臣「分かるかい?」
二女「分からないわ」
風臣「賢いお前だから分からないのさ、俺が答えて見せよう。(男に向き直って)ああ、まだ言いいなさんな、俺には分かるぜ、高い天井は雨雲まで包み込み、窓は大きすぎてひとりじゃ閉めることができない。おまけに、だだっ広い壁の内側には動物やら死体やら、いろいろなものが入っては出ていき」
男「をかし! をかし! あんたはさすがの兄貴だぜ!」
二女「(座り込んで鞄から本を取り出す)」
風臣「すまんね、俺たちも土足で上がりこんじまった。(靴を脱ぐふり)」
男「構わねえよ、どうせ扉も土間も無いんだ、ましてや鍵なんかもね、ただこんな俺でも客をもてなすくらいの気構えってやつはあるんでさ。(懐から酒の入った小さなビンを取り出す)あんた、いっぱいどうだい、あんたさえよければいくらでも持ってきてやるぜ、これくらい!」
風臣「お構いなく、お構いなく、俺たちは酒なんか飲めないし、ここに居させてくれりゃそれでいいさ」
男「つれないことをいいなさんな! 良い夜じゃねえか、俺は女は抱けないが、酒を片手に夢を抱くくらい神様だって許してくれるぜ、見ろよ、目の前を、あんな風に生きていた人間の周りの人間が死んだような面をしていたんじゃうかばれないぜ。俺たちだけでも盛り上がらなきゃな、ひとつが死んでずるずる引きずられていくなんて俺は御免だよ」
風臣「それで酒かい。(二女の頭を撫でる)」
男「酒はいい。酒はなんでも解決してくれるのさ、(ひとくち飲む)こうして口に含んで飲み下してやるだけで天にも昇るような気になる、土の中から手を伸ばされても足を掴まれる心配がない、俺は詩人を目指してたことがある、そのためだけに馬鹿みたいに英語を学んでたこともな。そんな俺が、酒に酩酊するという意味の英語をひとつ、考えたぜ、アセンションというんだ」
風臣「雷に打たれないように気を付けるんだな」
男「こんな素敵な夜には、月まで飛んで行けそうだ! なんだか気分がよくなってきたぜ、天に向かう力を町へ向けよう、なけなしの酒なんかじゃもったいない、飛び切りの酒を持ってきてやるよ! あんたら、しばらく待っていな、おっと、レディのことを忘れちゃならねえな、甘い茶菓子と渋い紅茶を持ってきてやるよ。(駆け足で去る)」
二女「(本から目をそらさずに)変な人」
風臣「誰だって変さ」
二女「私には分からない、本に書いてあることと違うの」
風臣「本なんて、(背後から手を伸ばしてページをめくりながら)大したもんじゃない。本より人を見ようぜ、人が出てこない本なんてないだろう」
二女「でも、兄さん言ったわ、本を読みなさい、本は知識の宝庫だからって、私が本を読むと兄さん、いつも頭を撫でてくれたじゃない。今だってそうよ、本を読むと目を悪くするからやめなさいってお医者のおじいさんは言うけれど、目が悪くなったことなんかない、今だって目をつぶってても本を読むことができる」
風臣「どうかな、お前は本を読めても人を読むことができないだろう、顔を上げて考えてみるといい、例えばそうだな、頭の良いお前なら、あそこの婆ぁ様をどう思う。あの黒い服を着た婆ぁ様さ。面を伏せて、涙をこらえているように俺には見える」
二女「私にもそう見える」
風臣「俺たちは健常らしい、さて、牧師様みたいで嫌いだがあえてお前に聞いてみようか、彼女はいったい何を泣いているんだろうか、想像してみよう、どう思う」
二女「涙をこらえているんだから、悲しくて泣いているんだわ。(目を細めて列を眺める)……どうかしら、なにが悲しいのかが分からない、黒い服を着せられているからかしら。嫌なことをされたら、誰だって悲しいわ」
風臣「そうかな。じゃあ、ちょっと視線を左に反らしてみろ、あそこにあるのは何だろう、俺には重たく黒い棺みたいに見えるぜ」
二女「私も見たことあるから知ってるわ、あれは棺よ」
風臣「中には何が入っているんだろうな、俺の与り知るところじゃあないが、ともかく棺の中に入っているってことはそいつはきっと息をしていない、心臓も止まっているだろう、するとそいつは死んでいることになるのだろうか」
二女「人が死んだら、周りの人は悲しむの?」
風臣「どうだろう。どうだろう?(二女に聞く)」
二女「分からないわ(本に目を落とす)」
風臣「(大仰に嘆くふりをする)」
二女「(うっとうしそうに)兄さんは私にどうしてほしいというのかしら。ウリを包丁で切り開いてみたら中身が熟して真っ赤なんて、たまにあるじゃない、ひどく気味が悪いけどそれは食べるとおいしいんだって、けれど棺は開けたら分かってしまう、死んでいるんだもの、死んでたら生き返らない」
風臣「生き返らないってことは、笑いもしない、泣きもしない、それは死んでいるようなものじゃないか」
二女「死んでいるのよ、本の中の人と一緒、意志がない」
風臣「悲しいんだろうな」
二女「さあ(本を手に立ち上がり、風臣の反対側へ)けれど、きっと悲しくないんだと思う、葬列の間にいるあの三人の女の人、それぞれだもの、ひとりは涙を流しているけれど、もうひとりは笑いをこらえているみたい、最後の一人は魂がないみたいだわ」
風臣「不思議な人なんだろう、死んで笑われたり、死んで泣かれたり、死んで死なれたり、いったいどんな人があの棺のなかに入っているんだろう、ああ、開けて確かめてみたい! 息を吹き返してほしいもんだ、それで一つ歌でも詠ませてやるのさ、とびっきりの滑稽な歌をだ。辞世の句なんておこがましい、再生の句をな! 頭に来るのは望月だ」
二女「(天を見上げる)歌、歌ってことは、こんなものでいいのかしら。(詩を詠む)
望月のひかる涙にうつりけり」
風臣「めちゃくちゃだ。(大笑いする)」
二女「私に文法なんて分からない、分かるのは本の事だけ、人間の意思なんて分からないもの、邪魔なだけ、本はいいわ、人間と違って嘘をつかないし、終わりがしかと見えているし、私はその方がよっぽどいいな」
風臣「お前は賢いが、賢すぎるな、もっと馬鹿になれよ、馬鹿になったからって考えることをやめちゃあいけないが、考えすぎて賢くなるのはとても勿体ないことだ。人生という視界を狭めることになる、本当の馬鹿っていうのは全部自分で考えて確かめることをしないやつだ。お前の兄さんは、どーしようもない馬鹿さ!」
二女「(本を持ったまま風臣の背中を蹴りつける)」
風臣「(すっころぶ。大笑いしながら、葬列を指さして)光あれ! とびきりの!」
二女「影の強い人だったのね、きっと、いろいろな人にあいされていたに違いないわ。愛されて、あいされていたんでしょうね、そうじゃなければあんなに長い葬列が出来るはずがないわ、まるで神話の蛇みたいね」
風臣「愛されていたんだろう、それこそ、葬列に紛れ込んでほくそ笑む魔女と仲良くなれるくらいには」
二女「とにもかくにも」
風臣「ほら、先頭の槍を構えた男たちを見ろよ! 道でつまずいて転びそうになってやがる、それだけ影の薄いやつだったんだろう、あいつめ! あいつめ! なんのために槍を構えているんだか知れたもんじゃないな、仕事も満足にできないらしい、いや、そんな仕事しかできないやつを雇うのが関の山なんだろう」
二女「それに棺の中は関係ないんじゃない、ノコサレタ方の問題でしょ」
風臣「ノコシタ方にも問題はあるのさ、原因があって結果がある、月の光は太陽の光さ、太陽がなけりゃ月だって月になれない。(大の字に寝転がって、叫ぶ)光あれ!」
沈黙。
二女「長い葬列ね、いつまでたっても続いてるわ。(寝転がる風臣を椅子代わりに座る)いろいろな人がいるわよ、ねえ兄さん、いろいろな人が、もう先頭の男たち、槍しか見えなくなっちゃった、後ろを歩く人たちはみんな一様に同じ表情をして、軍隊みたいに整列して歩いてるわ。かわいそうに」
風臣「おれも、おまえも、かわいそうな子羊さ」
二女「本を読む羊なんていないわ」
風臣「本を読んでいるから羊なのさ。人間は本なんか読んじゃいけないんだ」
二女「ま。兄さんは私のことを、羊に貶めようっていうのね、それで本なんか読ませてるのね、まるまる太ったところで身ぐるみはがそうっていうの!」
風臣「誰もそんなこと言っちゃいないさ、(背中から抱擁する)お前は俺のたったひとりの家族なんだから、髪の毛の先からつま先の爪まで、全部俺たちは一心同体なんだ」
二女「詩人気取り」
風臣「人間は詩人か失語症かのどっちかしかいない、そして俺たちはふたりとも健常さ」
二女「私に詩なんて編めないわ、兄さん、私に詩なんて」
風臣「何を怖がるのさ、やってごらん、種はそこらじゅうに転がってるぜ、あとはお前の育て方次第さ。恋の詩でも別れの詩でもなんでもいい、誰か一人を切り取ってみな、簡単さ」
二女「(本を閉じて立ち上がり、指を真っ直ぐ向ける)じゃ、あの人にするわ。兄さんには見えるかしら、あそこを歩いている男の人よ、まだ若そうね、兄さんと同じくらいかしら。親の仇でも見るみたいだわ、なんて危ない瞳なのかしら、けだものみたいね」
風臣「あいつかい」
二女「そうよ、あの人よ。なんて恨めしそうな目つきなのだろう、棺の中に飛び込んでしまいそうだわ、どうしてあんな目が人間に宿るはずがないわ、ひとつ、こんなのはどうかしら。
(詩を口ずさむ)
ぬばたまの夜にあかがね望月のあめつちな見そうらみことだま
――詩なんて簡単なものね、こんな風に思ったことを並べればいいのだったら、確かに人はみな詩人なのかもしれない、兄さん、私も詩人になれたのかしら」
風臣「いいことさ、俺だって詩人だが、お前だって詩人だ、きっとあの男に届いているだろうさ。どれ、ひとつ俺も詠んでやろうかな。(詩を口ずさむ)
あめつちのうらみ望月空に見て円きもたれつわが黒き影
こんな風に言葉で表してしまえるんだから、この世界は気楽だ、はじめに言葉があり、言葉は神と共にありまして、言葉は神であった、という、神を信じないものでも言葉を話せるっていうのにな、世界ってやつはいい加減だ、だからこそ気楽に過ぎる、ちょっと馬鹿なくらいがいいと俺は言ったろう、世界が馬鹿なんだから当たり前ってもんだ。馬鹿に付き合うには、馬鹿でなきゃあならない」
二女「あの男はどうしてあんな眼をしているのかしら、なにをそうまでして呪うのかしら、もうこの世にいないものを呪って何になるというの、兄さん、私には分からないわ」
風臣「そんな風な目をしているのか、あの男め。俺には自分を恨んでいるように見えるぜ」
二女「自分を恨むのに、棺を見るの?」
風臣「目は前についちゃいるが、前を見ているわけじゃないのさ、例えば死んだ奴は目を開けていても目の前を見ているわけじゃないだろう」
二女「まるで死んだことがあるみたいな言い方ね、兄さんはずっと生きていたじゃない、私と一緒に」
風臣「寝ている間にふっと死んじまってるかもしれないぜ、この無明の世界はきっとあの世ってやつなのかもしれない、現世から解放されて好き勝手にしゃべくり歌う、これは幸せか?」
二女「(風臣の背を蹴っ飛ばす)だとしたら、あの棺に入っている人とも会うことがあるかもしれない、嗚呼、なんて不幸なことだろう。兄さん、私は眼帯を付けるわ、松明を目にねじ込んで光で目を潰して眼帯で封じ込める、そんなもの見たくもない」
風臣「まぁ、そう言うな、想像を続けよう、(座る)ここに座りな、何が見える、お前の瞳は銅のようによく見通し、琥珀のように輝いている」
二女「(座る)兄さん、ひどい目つきの女が見えるわ、腫れぼったい目をして棺に向かってなにかを呟いている、その隣にいる小さな子供は手を引かれて首をかしげている、そんな風に見えるの」
風臣「祈りの言葉か、それとも悪霊を追い払おうとしているのかな、どっちにしてもまともなことを喋っちゃいないんだろう、棺の中にはよほどの負がのたうっていると見た、ますます分からんぞ! 泣かれたり笑われたり恨まれたり、いったいあれはどんな生き方をしてきたのだ! もっと素直な馬鹿になりやがれ!(メモ帳を取り出して、なにかを荒々しく書き記す)」
二女「兄さんはいつも分からない、分からない、私が利口だってことかしら」
男「(ビンを片手に戻ってきて)やぁやぁ、兄貴、持ってきてやったぜ、」
風臣「今忙しい、もう少し待ってくれ」
男「へえ、こんな場所で勉強かい、俺の家もずいぶんと立派になったもんだ! 子供たちを連れてきて、学舎にでもしようかね、ほい嬢ちゃん、焼き菓子と紅茶をを持ってきてやったぜ、遠慮せず飲みな、喉が渇いちゃあ何もできやしない、腹が減ったらどうにもいけないぜ、人間ってのは損なものさ」
二女「(紅茶を口に含む)」
男「それより、長いことこの葬列は続いているなぁ、俺は町の方からここまで真っ直ぐに来たが、その時には既に先頭の槍を持った兵士たちが門をくぐろうとしているところだった、これだけ長い列を歩かせるんだ、きっと相当なお偉いさんが亡くなったに違いねぇやな、男だか女だか知らないがよ。けれど一様に黒い服を着てたんだから、まるで悪魔の軍団だ、ひとりくらいきらびやかに着飾っている女はいないのかね」
二女「(焼き菓子を少しずつ口に含みながら)棺は、」
男「死んだ奴のイレモノを着飾ってなんになるんだい! 嬢ちゃん! 墓をきらびやかにして何になるんだい! それはエゴイズムなんだぜ、そして最高なマヌケでもある」
風臣「(メモを続けながら)あんたのことが好きになってきたぜ、面白いことを言うもんだ」
男「恐縮でさあ、兄貴よ」
二女「私の兄はこの人よ」
男「俺はもともと工場で働いていたんだ、毎日毎日気が遠くなるほどいろいろな作業をした、そのうちに作っているのがどでかい船だったことが分かって、すぐに仕事をクビになった、工場ごと吹っ飛ばされちまってな、そこから今の生活に逆戻りよ。俺はつつましい作業員だった、金を使う暇もなかったが、酒だけは蓄えてあったから向こう半年、俺は健常さ、金はないし食い物もない、家族もない、けれど俺は幸せよ。なぜだかわかるかい、嬢ちゃん、それは俺がどうしようもない馬鹿だからさ、人並みな幸せなんて俺には高尚すぎて理解できないってことよ。毎晩月が夜に上ると、俺は家に帰ってくる。そこで緑色のベッドに寝っ転がって酒を飲み、開け放した窓から吹き抜ける風に身を任せるのさ、それが出来れば俺は生きているんだ」
二女「(紅茶の瓶を渡す)ごちそうさま」
男「あいよ、兄貴、あんたの酒をここにおいていくぜ」
風臣「どこに行こうっていうんだい」
男「分からねえよ、そんなこと、俺は夜風のままに吹かれるのさ、砂埃みたいに」
風臣「おやおや、もう行っちまうのか。寂しいことだ」
男「嬉しい限りだぜ、その言葉、俺を必要としてくれるなんてよ、けれど俺にはまだまだやるべきことがあるらしいぜ、風がそう言って俺を吹き飛ばすのさ」
風臣「壁にぶつからないように、気を付けろよ」
男「あんたには見えてるんだろう、俺の家の壁はもっとずっと向こうにあるのさ!(意気揚々と出ていく)光あれ!」
風臣「(酒瓶を手に)いいか、あの男の背中を見ておくことだ、あれが本当の馬鹿さ。俺にはとうてい及びもつかない、そんな馬鹿さ、すてきな男だよ」
二女「兄さん、葬列の後ろが見えてきたわ、とうとう長かったわね」
風臣「どれ、本当だ、どんな奴がいるんだろうな、最後の最後まで飽きさせないやつだ」
二女「向こうにはまた、槍を持った人が見える、またふたりだわ。あとはもう見飽きてしまいそうね、泣いている男に笑っている女、赤ん坊の泣き声も聞こえてこないわ」
風臣「さぁ、いよいよ分からなくなってまいりましたなぁ。(座り込んで酒瓶を開ける)お前もかおりくらい嗜んでみるかい」
二女「あそこにいるのは夫婦かしら、それとも愛し合っている男女かしら、葬列に腕を組んで歩いている、うん、それは普通の事なのかしら、私も馬鹿になってしまっているみたい」
風臣「(酒を口に含む)逆だぜ、お前は賢すぎるんだ、普通を知らない、素敵なことさ、知らないほうが賢いことだってある」
二女「でも兄さんは、賢くあるために多くを知れと言ったわ、だから本を読んでいるのに」
風臣「今のお前が、賢いことさ。馬鹿なやつなら、知ろうとしない。棺の中め、よっぽど脈の広いやつだったんだろう、さぞ愛されていたか、さぞ恨まれていたか」
二女「どんな人なのかしら、兄さん、棺を開けてもいいかしら」
風臣「駄目だ」
二女「兄さん」
風臣「棺を開けては駄目だ、お前が棺の中に落っこちちまうぜ、開けずに中身を推理してみろ、見なければ何もかも正解だ、そして何もかもはずれでもある、うっかり中身が猫でした、なんて面白いだろう?」
二女「(座ってじっくりと考え込む)」
風臣「(酒を口に含む)どれ、どれ、気分がよくなってきた。(詩を詠む)
くれないの月にもゆるはさかずきか
ひどい詩だ、ひどいもんだ、世界は素晴らしい」
二女「分からない、兄さん、分からないの、開けてみたい、あの棺を」
風臣「駄目だ、それは人の頭をこじ開けようとするようなことだ、無粋なことだぜ」
二女「そこに泣いている子供がいるわ、きっと年はやっつ、ここのつくらいね、短い髪の男の子よ、わんわん泣いているのに声が聞こえないの、こんなに静かなのに、わんわん泣いているのに声が聞こえないのよ、いったいあの子はどうして泣いているのかしら」
風臣「俺の目には、この昇華した目には、げらげらと笑っている男の子が見えるぜ、大きく口を開けて天を仰ぎ、つばを飛ばしながら大笑いしていやがる、だが声は確かに聞こえないな。どうしてあの子は笑っているのだろうか、……楽しくなってきた」
二女「兄さん、私も呑んでみたほうがいいかしら」
風臣「お前が馬鹿になりたいってんなら別だ、いや、違うね、呑んだら賢くなっちまうぜ」
二女「よくわからないの」
風臣「俺には分かっている、じき、お前にもわかるだろう」
二女「兄さんの頭をふたつに開いたら、私にもわかるかしら、兄さんのことが」
風臣「俺はお前の頭を開いたって嬉しくないぜ、きっとおぞましいにおいが立ち込め、そこらじゅうに鉄錆が浮くだけで何も起こらない、そういうことだ、人間の身体は」
二女「心を見たいのよ」
風臣「棺を開けなきゃならない」
二女「開けては駄目と言ったじゃない」
風臣「開けては駄目だ、考えるしかないぜ、そら、もう不合格だ。まだお前は呑んじゃいけない、昇華できない」
二女「(座り込んで、本を開きながら葬列を眺める)」
伊介「(入ってきて)あんなところまで!」
風臣「家主は不在ですよ。そんなに血相を変えて、なにを急いていらっしゃるのか」
伊介「あなた方は、いえ、失礼なことを伺いますが、あの葬列はどこまで進んでいるかご存じありますか」
風臣「もう町の方まで進んでしまっているらしいぜ」
伊介「おお、神よ! なんと無常なのか、いや、どうしてこうも長い列が続くのか、分かりきった事だ。追いかける僕の身が報われる、慈悲はあるのだ、光があった」
風臣「君、」
伊介「おお、これは失敬。自分はこれから、あの葬列を追いかけないといけないんです、けれど町に向かえばよいことは分かりました、失礼するであります(敬礼を向ける)」
風臣「待つんだ、君、どうしてそう急くことがある、座って一緒に語らうことにしようじゃないか、貰い物だがなかなか美味い酒だってある、肴はこの望月を仰ぎ見るって寸法だ」
伊介「いえ、しかし、自分は、」
風臣「堅苦しい光は眩しいだけだぜ、天に昇れば誰だっていっしょさ、同じ国の兄弟だ、急くことはない」
伊介「なぜそうまでしてあなたは自分を引き留めるのでありますか、私を急かしてください! 早くいけ、と、それだけで自分は救われる!」
風臣「どうにもお前、気が確かじゃないようだな? さっきの言葉は訂正するぜ、これは呑まないと治りそうにないね、そもそもなぜ俺に許しを請う必要があるんだ、さっさと走って行ってしまえばよいんだ、どうせそこに立ち止まるしかできないなら呑んで行けよ、ひとつ詩でも残していってくれ」
伊介「自分に詩なんて詠めませんよ」
風臣「座って呑め、そうすりゃ嫌でも詩人になれるぜ、思った通りを口について出せばいい、簡単だろう」
伊介「ああ、流れていく、くそ、行かないでくれ! 僕はあれに行かなければならないんだ!」
風臣「はいはい、まぁ座れ。(伊介を座らせる)良い長めだろう、ここの家主の自慢だそうだぜ、俺は気に入ったあげくこうして居座らせてもらっている、家主はいま風の向くまま散歩に出ているから、俺がここを離れるわけにはいかないんだ」
伊介「おい! 待ってくれ、止まってくれよ! くそ、どうしてだ、なぜ気付かないんだ、止まってくれと言ったら!」
風臣「(酒を飲む)そんな義理はないぜ」
二女「(本を読んでいる)」
伊介「おい、おい、おい、おい! どうしてなんだ、どうしてなんだ(力なく崩れ落ちる)」
風臣「世界とは動き続けるものだ、見ろ、ついさっきまで頭上にあったはずの満月は既に傾き始めている、あの列は止まりながら動いているのさ、何のために歩いているのか、俺たちはそれについてこうして眺めているのさ」
伊介「なら、止めてくれ」
風臣「家主がいないんだ、奴が帰ってくるまで待ちな、語ろう(酒を差し出す)」
伊介「(酒を飲む)」
二女「(本を読む)」
風臣「あの葬列をどう思う、あんた、息せき切って走ってきてあそこに加わろうって魂胆なんだろうよ、だがこうして見てみるとどうだい、この葬列を、どう思う」
伊介「分からない、僕は棺を取り返すためにここまで来たんだ、しかしこれだけ長いとは思いもよらなかった、夢にも思わなかった」
風臣「俺も、驚いているのさ、そして考えていたんだ、これだけ長い葬列だ、きっと棺の中に入っていたのは相当な何かに違いないとな、詳しい実像が結べないからそれを推理していた、そこで読書にふけっているつつましい女の子は俺のたった一人の家族さ」
伊介「(酒を飲む)月が高いな」
風臣「これがもっと高かった時から俺たちは葬列を眺めていたぜ、だが一向に途切れる気配がない」
伊介「そんなにか、それじゃあ、棺はもうだいぶ離れて行ってしまっているってことかい」
風臣「棺なんてあったかな、それを見た時はきっと月が上っていなかったのかもしれないぜ」
伊介「なんてことだ、どうりで僕の目にも見えないはずだ」
風臣「追いかけようったって無駄だぜ、そんなことより君の話を聞かせてほしい、よっぽど有意義だ、どうして棺なんて追いかけるのさ、今夜の主役だぜ」
伊介「主役だなんて! ひどい言いぐさだ、あなたは何もわかっていないと見える」
風臣「考えているんだよ、分かってたらここにはいないからさ」
伊介「ああ……なんてことだ、なんてことだ、無常の極みだ、あの葬列はさしずめ悪魔の軍勢だ、姿を見せるだけで絶望を運んでくる。黒は光を吸収する」
風臣「相当な才能の持ち主だぜ、それでいてどうにも賢くはない、素敵な男だ」
伊介「背中を押してくれ、棺を取り返さなければならない、しかし僕には自分で一歩を踏みだす覚悟が無い」
風臣「そうかい、(酒の瓶を奪い取って一口飲む)なら、あそこの男を見てみるといい」
伊介「どの男だ」
風臣「あの男さ、いちばん手前で歩きながら左手の指をしきりにくねらせているあの男だ、どう思う」
伊介「あの男か。ようやく見えたよ、僕にはわかる、彼は煙を欲しているんだろう。軍人はみんなそうだ、戦いと酒、それと煙草だ、どれにしても煙を欲している、そうして右利きの軍人は賭け事も戦争も右手ひとつでやってしまう、左手になにかを持っていないと落ち着かないんだ、そら、見たことか、視線も所在なさげに泳いでいる。彼はこんな式を早く終わらせたい、煙を浴びたいと思っているんだろう」
風臣「詳しいものだ、それ、もう一杯飲んでみな」
伊介「(飲む)煙になってしまいたい、煙になって風に乗れれば、棺までひとっとびだ」
風臣「家の中でか? 滑稽なことだ、それは換気というんだぜ、お前は外に放り出されてそれきりさ」
鶴姫「(息を切らしながら)伊介、伊介はどこ?」
伊介「これは姫様、伊介はここにございます(酒を飲みながら)」
鶴姫「どうだ、捕まえたか、棺を、お前は勇敢だった、狼の列を追う兎のようだ、しかしなぜ列はどうして、私の耳には足音が聞こえる、軍靴のような足音が、なぜだ、なぜ葬列は止まっていないのだ」
伊介「姫様、私がここまで来た時には既に葬列が町に差し掛かっていたのです、今からでも追いかけますか、あなた様が追いかけろと一言言ってくだされば、私は自らの足に鞭を打ち付けて走り出します、しかし私は疲れ果ててしまいました」
鶴姫「あの棺は私のものだ、誰も入ってはならないのだ、それを分からずにどうして歩を進めるのか! 愚かしいやつら! 棺を開けて見てみればよかろうて」
風臣「恐ろしいことを言うない、見ろよ、あの軍列を。最後尾が見え始めているぜ、あの槍が何のためにあるのかをよく考えてみるこった。棺を奪い替えそうだなんて考えるんじゃない。あの笑う子を見てみるといい、天を仰ぎ、あの望月につばを吐きかけんとするかのようなあの子をだ、あの無垢な笑顔をあんたは奪おうっていうのかい、最高の喜劇の舞台に土足で立ち入った美しい涙の青てとこか」
鶴姫「黙れ! どこの馬の骨とも知らん者に、私の尊厳を問われる筋合いはない、私は今すぐにでも棺に入らないとならないのだ、貴様にかまっている暇はない」
風臣「(大笑いして)あんたもか! こっちがこっちなら(伊介の肩を叩き)、あんたもあんたか! 不思議なもんだ、世の中ってよ! 走っていくなら走ればいい、なにを俺たちにかまうんだ、俺たちはその辺を舞う枯葉と一緒だぜ、何を縛るでもなく木枯らしに巻かれ、ただ吹き飛ばされ、焼かれるのがせいぜいの関の山だ、あんたたちはさしずめ、渦を巻く木枯らしってとこだな」
鶴姫「愚弄するか、私を、枯葉だというのなら、おとなしくここから立ち去れ」
風臣「立ち去れ、か、素敵な言葉だ、しかし俺たちは留守を預かっているのさ、出ていくのはなおさらあんたたちだ、うん? 俺たちの命でも持っていくかい、そしたら木枯らしから鎌鼬になる、少しだけ高みに行けるぜ」
二女「(肩を揺らして無言で笑う)」
鶴姫「伊介、伊介、すぐに棺を取り返してくるのだ、私の棺をだ、頼めるか」
伊介「姫様の言葉なら、仰せの通りに」
風臣「人形め」
鶴姫「そうか、では頼まれてくれ、伊介」
伊介「分かりました(よろよろと立ち上がり、瓶を風臣に差し出す)ありがとう、久々に美味い酒だった」
風臣「いいから行けよ、もっとあんたと語らいたかったが、名残惜しいことだ」
伊介「姫様、それでは行ってまいります(ゆったりと歩いて去る)」
風臣「どうだい傀儡師のあんた、気分のほどは、走れと言われれば走る、なるほど優秀な人形だ、糸を引くあんたの手際もよっぽどいいに違いない」
鶴姫「お前のようなものに語る言葉はない」
風臣「光なら、たくさんあるぜ、空を見上げてみろよ、こんなに光が満ち溢れている、無明の闇にだ、ただこの光は月のモノじゃあないんだぜ、(瓶を差し出し)こけら落としは終わったろう、酒でも呑んであがっていけ」
鶴姫「低俗な酒に身をおぼれさせる気はない、酒より前に棺が欲しいのだ。その前に呑むとすれば、もっと美しく、そう、望月のように澄んだ酒であるが相応しいだろう、葬列に加わるには少しばかり気が違っているほうが素晴らしい、まともなものなどいてはならないのだ、それなのに奴らは馬鹿正直に真っ直ぐ並び、黒い服を着て、一様に面を伏せているではないか、誰に対して祈っているのだ、その程度の祈りは呪いに等しいほど耳障りだ」
風臣「ほう。それではあの笑っている子供も、泣いている老婆も、腕を組む仲睦まじい男女も、みんな気狂いだとあんたは言うわけだ、葬列でそんなことをするべきじゃないと」
鶴姫「誰もが心に従わなければならない、しかし、誰より先に私が酔わなければならないのだ、誰よりもっとも酩酊しないとならないのだ」
風臣「二本槍がもう目の前を通り過ぎていくぜ、きっと手遅れだろうさ、いや、手遅れも何もない、とんだ墓荒らしだ、をかしの欠片もない、(二女に)見てみな、もう顔が見えない、すっかり行ってしまったぜ」
二女「本当だわ」
鶴姫「あれだけの頭、あれだけの数の人々が、私の魂を汚そうというわけか、私に安寧を与えまいとしているということか、何とも滑稽なこと、そうまでして私が憎いのか! いや、我を愛しているのだろうか、あわれなものよ! 我が生涯、なにひとつ安寧などないということか!」
風臣「あんたも気が違っているようだな、いや、違っているのは俺たちなのか、キチガイから見た健常者はキチガイってことかい、そんなはずはないね! 絶対の正しさ! 嗚呼、耳触りのいいことだ」
鶴姫「汚させまい、汚させはせんぞ、あのような低俗な者どもに安息を乱されることなど、あってはならないのだ」
風臣「やけに必死だね、呑んだらどうだい」
鶴姫「下種が、軽々しい、目が泥に潰れてしまう」
風臣「俺は世紀の殺人犯だね」
二女「貴女はいったいどうしたいのかしら、棺の中に何が入っているのか知っている風じゃないの、棺の中から装飾品を根こそぎ奪うのか、それとも棺を解体して品の良いタンスにでも仕立て上げるのかしら、どちらにしても貴女は動かないのね、指先だけは踊るようにリズムを刻む」
鶴姫「私の地だ! 私のあるべき場所だ、棺は、それをああして形だけ飾りあげて、心のない人形でももう少し主人の意をくむだろう」
風臣「そりゃなんとも不思議な言い回しだ、へべれけになぞかけなんてやめてくれよ、下品な言葉しか出てこないぜ」
鶴姫「目と口を閉じろ!」
風臣「(目を手で覆い隠して)ああ、すっかり葬列が見えなくなっちまいそうだ、しかし家主がいないんじゃ勝手にここを離れるのはどうだろう」
二女「あの人はそんなこと、気にも留めないと思うけれど」
風臣「そうかい、しかし酒の礼くらいしたい、なああんた、酒をふるまってもらったなら何か返してやることが筋ってものなんだろうか、俺はそう思うが、あんたにとっての正解を教えてほしい」
鶴姫「酒は我の物だ、誰に礼を言う必要があるのか、すべて我の物だ、酒も月も葬列も、すべて我の元にあるべきなのだ! それをどうして汚される! 人の泥にまみれて眠るのは耐えられない、窒息してしまいそうだ」
風臣「光で窒息とは素敵だ」
二女「口づけしながらじゃ、光は生まれないわ」
鶴姫「(苛々しながら)ええい、伊介、伊介はまだか! あれが棺を以て私を眠らせるのだ、それがなぜできない、止まれ! あの槍は何のためにあるのだ、碇のようにあめつちを突き立てるだけで、それだけでいいのに、どうしてそれがかなわない!」
二女「(詩を口ずさむ)
望月の弓はりわれのかたきたて」
風臣「ハ。(酒を飲む)」
二女「満月が美しいのよ、望月が、あんなに円いのにあなたはいきり立っている、三日月でももう少し美しいのに」
鶴姫「貴様!」
二女「あなたは棺を開けてしまったわ」
風臣「中に何が入っているか、おっと言うなよ、お前はそれを知っているらしい、しかし俺たちにとっちゃ知りたくもないようなことだ、まさしくパンドラの匣ってところか」
鶴姫「伊介!」
二女「教えてほしいけど、知りたくはないの、ごめんなさい」
風臣「すっかりもう町の方へ流れ流れてしまった、もう槍の先端が見えない、俺はめくらになってしまったのか? いいや違うね、もう月は傾き始めている」
鶴姫「私は、私はどうすればいいのだ、安息をどこに求めればいい、伊介はどこだ。戻ってきてくれ、私を一人にしてくれ、あんな葬列なんていらぬのだ、ひっそりと、誰にも気取られない場所で眠っていたい、なぜそうしてくれないのか」
二女「安息なんて、ないわ、この世界に、常に動き回っているんだもの、何もかも」
鶴姫「止まって、止まっておくれ」
風臣「すっかり、見えなくなっちまったな」
鶴姫「(その場にへたり込む)」
男「(戻ってくる)おやおや、兄貴、まだ待っていてくださったんですかい、気にしなくとも鍵なんて閉められませんぜ、このだだっ広い家は」
風臣「ああ、おかえり家主殿、帰り際に一言、この酒のお礼を言いたくてな、うまい酒だったよ、ありがとうな」
男「気にしちゃいませんや、おすそ分けってのは気分がいい、天にも舞い上がっちまいそうですよ。おや、今度は新しいお客さんが増えているじゃありませんかい」
二女「(本を鞄にしまう)」
風臣「そういやあんた、ここに来る途中に若い男を見なかったかい?」
男「そんなの、葬列を横から見てりゃいくらでも見つけられるってもんですぜ、それがどうかしましたかい?」
風臣「いや、別に。長居したね、俺たちはこれで。行くぞ」
男「へぇ、もう行っちまうんですかい、楽しい時間ってのは早く過ぎ去ってしまうもんですねぇ、ありがとう、ありがとう」
風臣「また、来ることもあるかもしれない、その時は今度こそ語り明かそうじゃないか」
男「とびきりの酒を用意しておきましょう、肴はまた、この月でどうだい」
風臣「そりゃ、いいことだ」
男「ところで、このどえらい美人さんはなんだい、あんたたちの連れかな? まるで死んだみてえに動かないけれどなぁ、死体なんてあっても困りまずぜ、この辺りは土が硬くて掘り返しにくいんだ」
風臣「どうかな、俺にはさっぱり分からないことさ。なぁ」
二女「そうね」
伊介「(ゆるりと戻ってくる)」
二女「哀れな人ね、糸をねじ切る力もないなんて」
伊介「姫様、姫様、棺を取り返すことがかないませんでした」
男「(歯を見せて笑いながら)何があったのやら、俺の口はがたがただぜ、門が立てられない、けれどこんな寂れた門に好き好んでやってくるようなやつもいないだろうよ、離してみるといい」
伊介「(うつろな表情で)あの棺は空っぽなのだ、姫様が入っているはずだった、それなのに彼女はここにいる、なぜだか分かるか、あの葬列は姫様の葬列なのだ、それをありもしない亡骸に対して面を伏せ、祈りをささげ、襲って来る事も無い何かに威嚇だけはし続けていた、それをどうして許して捨て置けるのか! 棺に姫様の亡骸を治めなければならないのだ、彼女の安息はそうでなければ保障されない、彼女を孤独にしなければならないのに! 姫様があんな盛大な葬列を望むわけがない、誰も彼女を知らないのだ! 飾るだけ飾り立てて、彼女の永遠はこれでついえてしまったのだ、姫様、姫様……(うつろに呼びつづける)」
風臣「てことは、これが死んでいるってことか、はつらつとした死体だ、これは火にくべる必要が無いな(鶴姫を足蹴にして)」
伊介「貴様!」
風臣「おいおい、滑稽だぜ、まさしく兎だ、目を真っ赤に泣き腫らしそうじゃねえか。結局あんたがこの姫様を生かしてしまったわけだな、酒なんか飲まずにさっさと追いかけていれば、葬列は止まっていたかもしれないものを」
二女「この人は、健常なのね、きっと」
風臣「さ、帰ろう。俺たちは止まってちゃいけない、ここには生きつつも、止まっている人がいる、興味深いだろうな、しかしいささか瘴気が濃い(頭を撫でながら)」
二女「(鞄から拳銃を取り出し、男に手渡す)」
男「おやおや、これは珍しいものを持ってるもんだ、最近の若い女の子はおっかないねぇ」
二女「ごきげんよう(去る)」
伊介「(茫然自失とする)ああ、僕は、僕はいったいどうすればいいのか……光が聞こえない、聞こえないんだ、一篇の詩も詠めない」
男「なら、俺が代わりに読んでやろう、今のあんたにぴったりの詩をだ。(詠む)
風吹きつ流れ流れて望月のしもとな打ちそかのみあし
勝手なことかもしれないがね、どうだい、いっぱい飲まないか、そこの娘さんにもひとつ呑ませてやろう、最後に口にするのがこんな安っぽい酒だなんて申し訳ねえ、罰当たりだとは思うが、味気ない水よりよっぽど行けるぜ」
伊介「(座り込んで)姫様、」
鶴姫「(天を仰ぎ見て)光は……」
男「(酒と拳銃を伊介に手渡し、歯を見せてわざとらしく笑い、)あんた、気は確かかい?」