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3話 水着回(泳ぐとは言ってない)

「「はぁー……」」

 真夏の炎天下を十数分歩き、僕たちは目的地であるデパートに到着していた。

 僕たちに反応して自動ドアは開き、内側から溢れた冷気が僕らを出迎えた。

「良いですねぇデパートの冷房。家の冷房よりも涼しく感じますよ」

「この体に悪いくらいの涼しさがたまらないよなぁ」

 これだけでも数十分の過酷な労働の報酬と言える気すらしてくる。

 でも、今日の目的は冷風を浴びることじゃない。

 当然だ。そんなことが目的だったら、近場のコンビニで済ました方が遥かに楽だろう。

「それにしても、この広さは相変わらず慣れませんよ。何処に何があるのやら」

「あ、ちょっと待って」

 ここは入り口近くだ。となれば大抵、そこには案内板が設置されている。

 そう思いながら周囲を見渡すと、すぐ横にそれらしき物があった。

「えっと、水着は三階で売っているらしいけど」

「了解です」

 元の通りに前を向けば、エスカレーターが目に入る。

 よほどぼーっとしていない限り見逃すことは無さそうな、巨大なそれがそこに。

「じゃあ、とっとと用ことを済ませちゃいますかね」

「だね」

 話しながら歩き、程なくして足をエスカレーターに乗せる。

 僕が先に乗り、その二段ほど下に千可。

 そしてそのまま二階に着き、三階行きのエスカレーターに乗り。

 三階に到着して、歩き。

「「広くなったなぁ……」」

 水着コーナーに到着して、異口同音に感想を漏らしていた。

「前来た時はこんなに広くなかった気がするんだけどなぁ?」

「他の階もコーナーの位置が変わってたりしてましたし、その影響でしょうか?」

 ぐるりと周りを見渡し、前との差を探ろうとしてみる。

 けれど、差がどこにあるのかがさっぱり分からない。

 まぁ、ころころ模様替えをするデパートの配置を覚えろ、って言うのも酷な話だ。

「夏場しか売れない物にこんなにスペースを割く、って言うのも不思議な話ですよね」

「まぁ、確かに」

 食品コーナーとかを広くした方が需要はありそうな気がするんだけどなぁ。

 三階に食品コーナー、って言うのはやっぱり主婦からすれば嬉しくないのだろうか。

「じゃあまぁ、さっさと選んじゃいましょう?」

 言いつつさっと見渡し、お目当ての場所――女性用水着売り場へと向かう千可。

 さて。こう言う時の千可の選択速度は中々のものだ。

 だから僕が自分の水着を買い終える頃には、千可はもう水着を買い終えているだろう。

 よし、僕も急いで買ってしまおう。そして早く用ことを済ませてしまおう。

 そう思いながら見渡し、お目当ての場所――男性用水着売り場へと向か、

「あ」

 一歩踏み出した体勢のまま、すぐ傍に置かれているマネキンの如く硬直する僕。

 僕も流石にマネキンよりは感情的で人間的だと思うんだよね。

 僕、人間じゃないんだけどさ。

「いやいや、そんなことはどうでも良いんだよ」

 マネキンらしく無く、ぽそりと独り言を漏らしてみる。

 いやだからマネキン云々の話は関係ないんだって。

 今ここで大ことなのは、僕が今現金を一銭たりとも持っていない、と言うことだ。

 牛飼彦星の財布は完全に千可に支配されているので、僕が現金を持つことはまず無い。

 絶対に無駄遣いするから、と月々のこづかいすら貰えないのだ。

「尻に敷かれたサラリーマン、ってこんな感じなのかな……?」

 僕が現金を持っていない。

 千可が現金を持っている。

 そのこと実は、僕だけでは水着を買うことが出来ないことを示していた。

「となると、先に自分だけで選んでもなぁ」

 水着コーナーは広い。

 水着を選び終えた後で合流しようにも、この広さでは行き違いになってしまいそうだ。

 そうなったら捜索は非常に面倒。無駄に疲れてしまう。

 となれば、やるべきことは一つ。

「千可のところに戻るかな」

 いくら僕が犯罪者であろうと、今ここで新たな罪を背負う気はさらさらない。

 一年に一日だけではあるけれど、僕は彼女と会うことが出来る。

 その権利を放棄してまで入手したい水着なんてない。

 その権利を放棄してまで入手したい物品なんてない。

 その権利を放棄してまで入手したい存在なんてない。

 そんなことを考えながら、女性用水着売り場の辺りへ視線を彷徨わせたりしてみて。

「お、あの帽子は」

 間違えようもなく、千可のフェイバリットでチャームポイントなあの野球帽。

 つばが灰色で、その他の部分が濃く淹れたコーヒーのように黒いあの野球帽。

 屋内だろうが屋外だろうが全く関係なくお構いなく千可が被っている野球帽。

 そんな野球帽が、視界に入った。

 ので。

「おーい、千可ぁー」

 ちょっと遠くから声をかけてみて。

「……」

 僕は見事に無視をくらっていた。

 ……無視かぁ。

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!」

 今のはアレだよアレ。遠くて僕の声が聞こえなかっただけだよ。

 とかなんとか自分に言い聞かせながら野球帽へ近付いていき。

「千可ぁー」

「ひゃぁあ!」

 かちゃかちゃり、とハンガー同士がぶつかる音が響く中。

 千可の後ろ姿に向かって声をかけ、駆け足で近付いて、その肩にぽんと手を置いて。

 そして、返ってきたのはそんな叫び方だった。

「……最近の日本ではそんな返事が流行ってるのかなぁ?」

 ニュースは殆ど見ないし外にもあんまり出ない。だから流行に疎くても仕方ないよね?

 インターネットでもニュースはあんまり見ない。だから流行に疎くても仕方ないよね?

「そんな訳ないじゃないですか。ただ驚いただけです」

 まぁ、でしょうね。

 そんな挨拶が流行るほど、この国のサブカルチゃーは終わっていなかった。はずだ。

 はずだ、と断言できないのがこの国の困ったところでもあるのだが細かい所は無視。

 振り返った千可の顔にはまだ驚きが貼り付いている。

 悪いことしたかな。

「で、どうしたんですか? もも、もう終わったんですか?」

 もももう?

「いや、行き違いになるのも面倒だから一緒にいようかな、って」

 言いながら千可の顔を見てみると、どうしたわけか強張った表情がそこに。

 疑問符を浮かべながら視線を落として見ると、手元にはやたらと派手なビキニが数枚。

 赤やら黄やら紫やら桃色やら。

 何枚も買っても意味がない物だから、今はただ候補を選んでいるだけなのだろう。

 でも。

「千可が白でも黒でもない服を買う、って言うのも珍しい気がするよ」

「悪かったですね背伸びしちゃって!」

 手に取った水着の中の一枚のように頬を赤くして、千可は叫ぶ。

 と同時にがちゃちゃん! と音を立てて棚に戻される水着(Withハンガー)達。

「いや、イメチェンって言うんだっけ? そう言うのも悪くないと思うんだけどね」

 普段見られないもの、って言うのはレアなものだしね。ちょっと見てみたい。

「……これをイメチェンと言うのなら、今の私が着る水着のイメージはどれですか?」

 と、視線をハンガーに送ったまま僕に問いかける千可。

「今のイメージ、ねぇ」

 呟きながら店内をさっと目で確認。

 やはり目に付く女子用水着は、大きく分けて三種類。

 ビキニ、ワンピース、スクール水着。

 三者三様、十人十色、皆違って皆良い。

 どれが特別素晴らしい、って言うのを断言することが出来ない。

 ビキニ。

 少ない布面積が柔肌を殆ど隠さずに披露する、奇跡の一品。

 ワンピース。

 露出度は中途半端だが魅力は一歩も引かない、至高の一品。

 スクール水着。

 少ない肌面積と紺のコントラストが輝く、少女限定の一品。

 この中から今の千可に似合う水着、か。

 となると、やっぱり。

「……スクール水着かな」

「変態ですか!」

 がばっ、と振り返りながら千可が叫ぶ。

 その顔はさっきまでの赤とはまた違う赤色に染まっていた。

 何が違うのかは僕にも分からない。でも、何かが違う気がする。

「彦星は私のことをそう言う目で見ていたんですか! 流石に驚きましたよ!」

「何でそんなに早口なの!」

 スクール水着って学生が着る水着なんでしょ?

 千可の外見年齢は中学生くらいだし、スクール水着を着ていてもおかしくないじゃん!

「大体、スクール水着と言えば子供! 子供と言えば純真でピュアで優しい!」

 最近の子供は荒んでいるって聞いたこともあるけど、そんな悪評は完全無視完璧無視。

「だから千可がスクール水着を着ていたとしても全く問題ない!」

 まぁ、千可は細いし、顔も整っているんだし、ビキニやワンピースを着ていたとしても充分似合うと思うんだけどね。

 でも、スクール水着を見た瞬間何故か何かがビビッと来たんだよね。

 何がビビッと来たのかは知らない。

「……公共の場でスクール水着への愛を叫んでいる時点で、充分にアレなんですけどね」

「ハッ!」

 そうだったここデパートだった! つい忘れてた!

「相変わらず、彦星ってテンションが上がると周りが見えなくなりますよね」

 はぁ、と溜め息の音。

 見ると、もう千可の顔はもう赤くない。いつも通りの色に戻っている。

「相変わらず、なんですね」

 まぁ、そう言われても仕方ない人生を歩んできた覚えはあるけれど。……人生?

「……ちなみに、彦星が一番好きな水着は何なんですか?」

 何が『ちなみに』なんだろう、なんて疑問はさておき。

「好きな水着、ねぇ」

 急にそう言われても、いまいちパッと思いつかない。

 別に僕は水着大好き人間と言う訳じゃないし。人間じゃないから、って意味ではなく。

「あ、そうだ」

 ビキニを着ている彼女。

 ワンピースを着ている彼女。

 スクール水着を着ている彼女。

 その三つを想像して、どれが一番可愛いかで判断すれば良いのか。

 なんて天才的思考回路なのだろう! 誰だこんな名案を出したのは! そうか僕か!

 そんなナルシスト発言はさっさと切り上げるとして。

 ふむ。

 ふむ。

 ふむ。

 ……。

 うん。

「その人らしさに溢れているなら、別に何でも良いんじゃないのかな」

 結論。

 想像の中の三種類の彼女を見て、僕は誰が一番良いのかを選ぶことが出来なかった。

 だって、どれも僕の愛しの彼女なのだから。

 だって、水着は装備品に過ぎないのだから。

「……そうですか」

 ぽそり、そう呟いて。

「私は店員に聞きたいことがあるので、彦星は彦星の水着を選んでいてください」

 言いながら、千可はカバンから財布を取り出し、一枚の紙幣を取り出す。

 そこに描かれているのは、日本では有名な一人の女性。

「ちゃんとお釣りとレシートは返してくださいよ?」

「いや、ここで離れたら僕は間違いなく迷子になるよ?」

 迷子センターって何階にあるんだっけ?

 迷子センターに迷わず直行できる子供はまず迷子にならないのだから、全国のデパートは迷わずに迷子センターの場所をもっと分かりやすくするべきだと思うんだよ僕は。

「用ことが終わったら必ず見つけ出すので、水着コーナーから出ないでくださいね」

 そう言うと千可は踵を返し、店内の奥の方目掛けて歩を進めようとする。

「それより、僕が千可の用ことが済むまで待っていれば良いんじゃないの?」

「それは赦しませんよ?」

 にっこり。

「……はい」

 そこまで言われたらもう僕も食い下がる訳にはいかない。

 僕はひらひらと手を振り、男性用水着売り場へと向かおうと振り向く。

 その直前。

「優しい、か」

 千可がそんなことを言った、ような気がした。


「あ、居た居た」

 紺色の短パン型水着、約千円。

 三枚の紙幣と十枚近い小銭を握り締め、レジを後にして数分。

 後方から聞こえたそんな声に振り向くと、そこにはこちらへ歩いてくる千可がいた。

 片手には僕が持っているのと同じ、この店のロゴが描かれたレジ袋。

「千可は何買ってたの?」

 僕はレシートとおつりを渡しながら聞いてみる。

 店員に用がある、ってことは欲しい物の場所が分からなかったのだろう。きっと。

 となると、そんなに簡単に見つかる物を買ったわけではないのだろう。きっと。

 水着コーナーにあって、簡単には見つからないであろう物?

 となると。

「過激な水着でも探してたの?」

 それ以外に考えられない思いつかない想像できない。

「明後日を――」

「すみませんでした」

 ぺこり。

「だから、ここ公共の場ですよ?」

 がばっ!

「もっ、もう少しゆっくり起き上がってくださいよ怖いですから!」

 見ると、二歩ほど引いたところで自分の体を抱くように千可が立っていた。

 二歩ほど引いたところで僕に引いていた、ってことですね。なにそれ悲しい。

「ただ欲しいサイズがどこにあるのか分からなかっただけですよ」

「あぁ。なるほど」

 そう言われればその可能性もあったのか。店員に聞くってことは。忘れてた。

「で、どんな水着買ったの?」

 さっきは余計なことを言ったせいで答えを聞けなかったから、もう一度聞いてみた。

「明後日を――」

「何でだ!」

 結果、何故か再び怒られていた。

 百十度ほど体を倒して謝罪の意を示す。

 言動と行動が全く釣り合っていませんね。はい。

「何ですかその不気味な角度! ちょっと怖いですよ!」

 え、二十度変わっただけでそんなに怖くなるものなの?

「千可、今カメラ持ってる? 確認したいからちょっと僕を撮ってみて?」

「嫌ですよ何言ってるんですか!」

 確かに、はたから見たら僕は中学生に向かって深々と頭を下げる高校生だろう。

 うん。どんな状況だよ。

 確かに、深々と頭を下げる高校生をカメラで撮る中学生がいたら不気味だろう。

 うん。どんな状況だよ。

「そもそもカメラ持ってませんし。彦星も知ってるでしょう?」

「まぁ、言われてみれば」

 千可がいつも彦星を傍にいる。

 と言うことは、つまりこうとも言える。

 彦星がいつも千可の傍にいる。

 と。

 だから、千可が何を持っているのか。

 そして、千可が何を持っていないのか。

 それは僕が二番目に知っていると言うことになる。

 勿論、一番知っているのは千可本人です。

「……後、何を買ったかは秘密です」

 頃合いを見て、千可の要望の通りにゆっくり頭を上げ、千可曰く不気味な角度を解除。

「で、何で秘み、っ!」

 瞬間。

 で、何で秘密なんだ。

 気を取り直してそう問おうとした僕に、凍てつくような視線が突き刺さる。

 その視線の主は紛れも無くこのお方、千可だった。

「……『ひみ』?」

 僕が台詞を途切れさせると同時に視線も解除され、いつも通りの目に戻る。

 僕が中断してしまった台詞を律儀にも拾いながら、いつも通りの目に戻る。

 何も無かったかのように冷凍ビームも解除されて、いつも通りの目に戻る。

 おっかしいなぁ。千可に冷凍ビーム発生の力は無かった気がするんだけれども。

「ま、まぁこの話はここまでにして、さっさと他の買い物を済ませようじゃないか!」

 これ以上この話題を続けることは、僕の首を絞めることに等しい。

 好奇心は猫をも殺す。動物虐待大反対。

「まぁ、それもそうですよね」

 いきなり叫ぶように話題転換を試みた僕に、若干たじろきながら千可は言う。

「そして早く家に帰ってしまおう!」

 そして早く反省会を開くとしよう!

 外見は成長しないかもしれないけれど、内面は成長できるはずなんだ僕にだって!

 だから千可に怒られないように、改善点を探そうじゃないか!

「ですね。……早くデブリの処理もしないといけませんし」

「あ」

 悪戯っぽく笑う千可の顔と声で、僕は思い出したくない懸案事項の存在を思い出した。

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