2話 主人公を監視しちゃう系ヒロイン
「こんなもんで良いかなー」
一杯のコーヒーから始まった朝の数十分後。
僕は握っていたシャーペンを机に置き、伸びをしながらそう声を出した。
机の上にはルーズリーフが一枚。
「? 何ですかこれは?」
ぴらり、とそのルーズリーフを手に取りながら千可は言う。
そこに書かれた文字列をなぞるように、視線が左から右へ。
次の行に移って、左から右へ。移り右へ移り右へ移り右へ。
そして。
「……明後日の過ごし方、ですか?」
「正解」
明後日に控えた、今年の旧七夕。
七月七日じゃなくて、八月中にある方の七夕。
その過ごし方を妄想のままに書き綴り書き殴ったのが、千可が持つルーズリーフだ。
明後日は、年に一回のスペシャルイベントの日。
じっくりとゆっくりとしっかりとみっちりと綿密に計画を立てなければならない。
とは言ったものの。
「水着、どこやったっけなぁ……」
このプランによると、どうやら僕たちは明後日プールに行くらしい。
だと言うのに、僕は自分の水着をどこにやったか忘れてしまっていた。
夏にしか使わないから、どこにしまったのかを毎年忘れちゃうんだよね。
「彦星の水着なら、タンスの中に入ってたはずですよ?」
千可はルーズリーフを机に戻し、タンスの方へとUターン。
……タンスの中?
「あっ! ちょ、ちょっと待って!」
僕は焦りながら、立ち上がりながら、その背中に叫ぶ。
「何ですか? ヘンな物でも入れてるんです――」
不機嫌そうに僕を睨みつつ千可がそんなことを言い、片手でタンスの戸をスライドし。
「きゃああぁああぁぁあぁああぁああぁあああ!」
と、悲鳴。
どんがらがっしゃーん、と騒音。
「千可! 大丈夫か!?」
勢い良く立ち上がり、千可の元へと駆け寄る。
そこで僕が見たのは、スペースデブリよろしく散乱した物物物物物物物。
そしてそこから伸びる右腕。
つまり、分かりやすい大惨ことの光景だった。
僕はその華奢な腕を掴み、デブリの中から千可を引っ張り出す。
「……大丈夫に見えます?」
けほっ、と小さい咳の後に声。
「もっと早く忠告しておくべきでした。本当に申し訳ありません」
明後日は待ちに待った大ことな日だ。
ここで千可の機嫌を損ねるのはよろしくない。
なのですぐ両膝を床に着け、上半身を前に倒し肘を曲げ、両手を頭の前で床に着ける。
端的に言ってしまえば、土下座を決行。
「……」
自分で言うのも難だけど、僕にはプライドとかは無いのだろうか。
うん。無いんだろうな。
あったとしても、明後日のためにすぐに手放すほどしか無い。
「この程度のことで明後日をおじゃんにしたりはしませんよ? 向こうも悲しみますし」
あれ、何で考えていることがバレたんだろう?
千可にエスパーの力なんて無かった気がするんだけど。
……いや、今考えるべきなのは千可の能力の有無では無く僕の足の痺れの有無だ。
「彦星の思考回路の大体はもうお見通しですよ」
と、ゆっくりと立ち上がる僕に放たれる、心が若干傷付く台詞。
そこまで単純な思考回路を持っているとも思えないんだけどなぁ。
「……話を本題に戻しましょうか」
話の流れを変えるため、コホンと一つ咳払い。
「この中から彦星や私の水着を探すのも骨が折れますね」
二人はデブリに視線を向け、同時に溜め息を吐いた。
……ん?
「それには完全に同意だけど、ナチュラルに着いてくる気なんだね。千可は」
そして溜め息の後、ふと浮かんだ疑問を投げかけてみる。
デブリから意識を逸らしたかった、と言うのもあるけれど、純粋に気になったし。
「そりゃあまぁ、監視役ですからね。……悪かったですね、お邪魔鳥で」
はっ、と鼻で笑う監視役。
僕が彼女と会う時も会えない時も、千可は必ず僕のそばにいる。
僕が再び捕まらないように。
僕が再び迷走しないように。
僕が再び暴走しないように。
僕が再び堕落しないように。
僕が再び絶望しないように。
僕が勝手に死なないように。
僕が勝手に死ねないように。
僕が彼女と会う時も会えない時も、千可は必ず僕のそばにいる。
まぁその弊害として、僕の生活にはプライベートなんて存在しないのだけれども。
「いや、分かりきっていたことだから良いんだけどね」
今回のデートの行き先の内の一つはプールだ。
そんな露出増加空間で監視役が不在、と言うのもありえないだろう。
「まぁ、それはそれとしてなぁ……」
物理的にも精神的にも、この中から水着を探すのは大変な重労働だ。
どちらにしろ片付けなきゃいけない山ではあるが、探しながら片付けるのとただ片付けるのとでは労働量が違う。
率直に言ってしまえば、やりたくない。
「新しい水着を買った方が良いのかもしれませんね。サイズの問題もありますし」
「え、千可って成長するの?」
千可に限らず僕もだが、この体がこれ以上成長することは果たしてあるのだろうか。
僕だって星外追放される前から変わらずにこの容姿だった覚えがあるのだけれど。
「そんなに人の胸元に成長の可能性を見出せませんか?」
にっこり。そんな四文字を当てたくなるほどの笑顔が咲く。
咲くのだが、どうしてなのだろう。恐怖以外の感情が湧いてこない。
食虫植物が甘い匂いでエサを誘う、みたいな。
この場合のエサは僕ですか僕なんですか僕ですね僕じゃないわけがないですね。
「そう言う意味で言ったんじゃないですからどうか抑えて!」
足の痺れなんて度外視で、僕には再びやるべきことがあるんだ!
「……もう土下座は良いですから起きてください。話しにくいですから」
呆れにも似た声が背中に降り注ぐ。
限界寸前の足を動かし、再び立つ。
「まだ涼しい午前中の内に、さっさと買いに行っちゃいませんか?」
「買いに行く、と言うとデパートにでも?」
僕は星外追放された身だ。
ぶっちゃけてしまえば犯罪者みたいなものだ。
そんな僕を店が豊富で交通の便も整った場所に住まわせて、生活費も用意してくれる。
そんな超優遇待遇をこんな僕に与えるなんて、神がどうかしていたとしか思えない。
彼女の口ぞえがあった故でもあるがそれでも、神がどうかしていたとしか思えない。
僕にまだ利用価値があるからなんだろうけど、神がどうかしていたとしか思えない。
まぁ、そのお陰で毎年のデートで行き先にも資金にも困らないし、こう言う時にすぐに必要な物を買いに行けて大助かりな訳だけどね。
「食材の買い足しなどもありますし、それで良いんじゃないでしょうか」
右手の人差し指を頬に当てて考える、なんて仕草の後に今の台詞。
「牛乳も残り少ないですしね」
そんな仕草を狙わずに行う、なんて今時珍しい気がする。
日本の今時、なんてよく知らないけれどもさ。
「じゃあ、そうしようか」
そうと決まれば善は急げだ。犯罪者が言うのも難だけれども。
「と言う訳で、千可。お願い」
僕は家の外でも中でも、主に作務衣を着ている。
別にパジャマを用意している訳でも無いから、この服のまま外に出ても問題はない。
ただちょっと少し皺が寄っているかなー、とかそのレベルの話だ。
だから、着替えずにデパートへと向かっても問題は全くない。
「……は?」
きょとん、なんて四文字がお似合いな顔が首ごと斜めに傾けられる。
演技でも何でもなく、状況を一切全く理解していないかのような表情。
「え?」
そんな千可に、僕も首を傾げてしまう。
明後日の天気を調べている途中で見たけれど、今日は暑いらしい。
夏が暑いのは当たり前だけど、今日は格別の暑さらしい。
となると、こんな暑い日にデパートへと歩いていくのは体力の無駄だ。
ヒートアイランドだか何だか知らないけれど、日本の夏は熱中症が危ないらしい。
故に。つまり。だから。すなわち。要するに。
「千可の力でパパッとデパートまで、さ?」
僕は仮にも御伽話の主人公だ。そんな存在を監視する役が一般人な訳が無い。
千可はある特殊な力を持っている存在だ。
千可が星外追放者の監視役に抜擢された理由であるその力。
地球に居る僕が宇宙に居る彼女に会える理由であるその力。
その力で、暑い外を移動することなくデパートへ向かってしまえば良いじゃないか!
「明後日を何のイベントも無い普通で単調で退屈な日に変えてあげましょうか」
「ごめんなさい調子に乗りました」
ぺこりと九十度、上半身を前に倒す。
使えば使うほどダメになるものなーんだ?
答えは星の数ほどある。
そして僕は、土下座もその中の一つだと思う。
だから今、僕は今日だけでニ回はやめろと言われた体勢――土下座を使わなかった。
単純に足が限界に近いから、とも言うらしいけどね。この国では。
「……アレ、一度使うとかなり疲れてしまうんで、極力使いたくないんです」
怒気を孕んだ声が一転。呆れたような声に元通り。
そんな千可の声色の変化に、僕の心拍数も元通り。
その様子から察するに、明後日の僕は未だに平和なままのようだ。
「はぁ」
安堵の溜め息をつい漏らす。
雨も降っていないのに会えないだなんて、それこそ催涙雨が降っちゃうよ。
催涙雨は彦星が流した涙だ、なんてロマンチックな考えも日本にはあるらしいよ?
……そんなにしょっぱいのかな、日本の雨って。
舐めたこと無いや。舐めたいと思ったことも無いや。自分の涙なぞ舐めたくも無いや。
「では気を取り直して、ちゃっちゃと出かけませんか?」
今度は首を縦に振った。




