童話の魔女達
夜空の星がきれいに見える時間、黒色のフードを目深に被った女がトントンと屋敷の扉を叩いた。女の恰好が全身黒づくめであるだけでも怪しいのに、こんな真夜中に1人で人の家を訪問するなど明らかに普通ではない。
しかし数秒して、ぎぃと立てつけの悪い音を立てて扉が少しだけ開いた。
「ここでの約束を述べて下さい」
「一つ、ここでは真名を名乗らない。二つ、ここでは虚偽を語らない。三つ、ここでは魔法で暴れない」
「どうぞ」
事前に取り決めをしてあったらしい約束を合言葉のようにスラスラと答えた女を、眼鏡をかけた学者風の男は屋敷の中へ迎え入れた。
「久しぶりだな、親指姫の魔女。何だそのダサい恰好は」
屋敷の入口近くにあるテーブルの上に、行儀悪く腰かけていた銀色の髪をした少女は、入ってきた女――親指姫の魔女に声をかけた。
「ひさしぶりね。人魚姫の魔女。服は個人の趣味なんだからとやかく言わないでちょうだい。貴方の国の様に肌を露出させるのは趣味じゃないの。貴方こそ相変わらず忌々しいぐらい若々しい外見ね」
フードを取り外し、栗色の髪を外へ出した指姫の魔女は、先に中にいた人魚姫の魔女に不満げな顔を見せる。
「服の事を言ったのは悪かった。だから会って早々外見に対する嫌味は止めろ。人魚の血肉を口に入れた瞬間から年をとれなくなった事に対しては、私自身辟易してるんだ」
親指姫の魔女よりも若い外見をした人魚姫の魔女は、男っぽい口調で心底嫌そうに言うと、テーブルの上から降りる。人魚姫の魔女の外見は、15、6歳の少女のようだ。しかし実際は100歳はとうに超えた年齢で、親指姫の魔女よりずっと高齢だった。
「あの。話すなら、玄関ではなく奥の部屋でどうぞ。皆さん、お待ちですから」
「もしかして、私が一番最後?」
「そう言う事だ。既に飲み始めている奴もいるが、一応まだ始めてはいないからな」
「全員そろった所で仕切り直しをしますから、こちらへ。早く案内をしないと、中にいる人達が、反省会前に本格的な酒盛りを始めてしまいますから」
控えめだが、はっきりと男に意見を告げられ、親指姫の魔女と人魚姫の魔女は言い争うのは一時的に中断し、彼についていく。物腰は柔らかいが、言葉の中に何処かピリッとしたものを感じた為に。
「幹事をシンデレラの魔法使いだけに任せてしまって悪かったな」
「いつもうちの王子に無茶ぶりされてますからこれぐらいどうってことはないですよ。これぐらいはね」
はははと笑うシンデレラの魔法使いの目はどこか濁っていた。疲れからか、メガネの奥にある目の下にはうっすら隈がある。
「サラリーマン魔法使いは大変ね。えっと、私は自営業をしているけれど、結構いいわよ。収入が少ない時は大変だけど、雇われているよりも自由だし」
「脱サラは憧れですが、うちの王子はとても悪知恵が働くので、仕事を辞めるのも難しいんですよ。まあ、悪い事ばかりの職場ではないのが救いですが」
ふふふっと笑うシンデレラの魔法使いの笑みは病んでいるようにみえる。2人の脳裏に彼が働いている職場はブラック企業……もといブラック国家なのだろうかと失礼な言葉が浮かんだ。
「あら、ごきげんよう。親指姫の魔女。先に飲ませていただいておりますわ」
薄暗い廊下から一転、明るい部屋へ入ると、部屋の中で2人の魔女が既にチーズをつまみながらワインを飲んでいた。部屋の中には空瓶が数本床に転がっていたが、2人はどちらもケロっとしている。
「どうぞ。貴方たち2人と同じペースで飲んだら、私が酔い潰れてしまうもの。好きに飲んでいてもらって構わないわ」
「親指姫の魔女、酷いよぉ。そんないい方したら、私が飲兵衛みたいじゃないのー、ぷぅぅぅ」
部屋の中にいた幼女がぷくぅと可愛らしく頬を膨らませた。しかしそんな可愛らしい彼女の手にはボトルワインがしっかりと握られている。グラスにすら入れずにラッパ飲みをしているらしき光景は、まったくもって、幼女らしくない。
「それだけ飲んで良く言えるわね。いばら姫の魔女は、飲兵衛意外の何物でもないと思うわ。っと、これで全員なのよね?」
「はい。仕切り直しという事で、白雪姫の魔女も一度ワインを飲む手を止めてもらってもいいですか? あっ……いばら姫の魔女の酒瓶は取り上げませんから、そういう心を抉るような泣きまねしないで下さい。ではこれから、童話となって残念な形で語り継がれてしまった魔女と魔法使い同士で、嘘偽りない反省会を行いたいと思います」
タイミングを見計らって、シンデレラの魔法使いが反省会の開会式的な宣誓をした。それに合わせて4人の魔女が拍手をする。
「とは言っても、私は反省する事ないし、ほとんど童話にも関係してないけれど。どうしても来いというからきただけだし。ま、話は聞いてあげるから、皆で好きに反省会をしてね」
開会宣言早々に、親指姫の魔女は手を上げてそう申し出た。
今回集まった5人は、童話で語り継がれてしまった魔女と魔法使い仲間で、いつもはチャットのようなもので話したりする仲だ。しかしストレスがたまっているらしいシンデレラの魔法使いが全員に声をかけ、突発的にオフ会をする事になった。
オフ会の内容は、童話の中で残念な語られ方をしていることに対しての反省会と親指姫の魔女は聞いていたが、正直自分には関係ないと思っていた。
「何が関係してないだ。お前がわけの分からない種を渡さなければ、親指姫の物語は始まらなかっただろうが」
「ふっ。私はいい事をしたのよ。子供を欲しがっていた女性に、待望の女の子を授けたのだから。悪名もないし、人魚姫の魔女と違って反省する点はないと思うのよね。残念でした」
「そうですね。実に見事な魔法というか、錬金術だったと思いますよ。麦の種からチューリップを咲かせて、その中に女の子を誕生させるなんて。私にはとてもできません。あれはどうみても違法錬金術の一つ、ホムンクルスですもんね」
ふてぶてしい笑顔で人魚姫の魔女の言葉に反論していた親指姫の魔女だったが、シンデレラの魔法使いの発言に、表情筋を硬直させた。
「えっ……ほむほむ――」
「ホムンクルスですよ。ほむほむは、どこかの世界で魔法少女やっている子の名前ですよ」
動揺しすぎて、上手く口が回っていない親指姫の魔女にシンデレラの魔法使いはニコリと笑った。笑顔を見せると隈が薄く見え、フツメン以上イケメン以下の雰囲気イケメンにみえるが、追及を止める気はない黒い笑みだ。
お前1人だけ逃げようといったってそうはいかないぞという空気に、親指姫の魔女はぞっとした。
もともと、シンデレラの魔法使いに言いくるめられてこの反省会に参加する事になった親指姫の魔女は、何が何でも不参加にすればよかったと心の中で猛反省する。
まさかシンデレラの魔法使いが、錬金術に精通してるなんて――。
「なんだよ? そのホムンなんちゃらって」
「試験管の中に作られ、試験管の中でしか生きられないという小さな人の存在の事です。生まれながらにしてあらゆる知識を身につけていると言われます。試験管の中でしか生きられないという部分は違いますが、なんだかとっても似てませんか? 彼女が用意した女の子に」
「そ、それは……」
「貴方の世界でも、魔女界でも人造人間を作る錬金術は禁止されていますよね。はて、ホムンクルスはどうやって作るんでしたっけ? 確か人間の男の精――」
「そんな汚いもの使わないわよ! やめて。女の子は、お砂糖とスパイスと素敵な何かでできているのよ。私の技術の結晶にそういう事言わないでっ!!……あっ」
シンデレラの魔法使いの言葉についつい言い返してしまった親指姫の魔女は、さっと顔を青ざめさせた。
「はい。言質いただきました。言いふらされたくなれれば、最期までこの会合に参加して下さいね。それから男はそんな汚いものではないですよ。あんまり潔癖すぎるのはどうかと思います。是非克服する事をお勧めします」
「あう、えっと……今、最後じゃなくて、最期って……いや、なんでもないデス」
シンデレラの魔法使いに一瞬で逆らえなくなった親指姫の魔女は、まったく争う事なく白旗を上げた。
「まさか親指姫の魔女が魔女界の違法魔法を行っていたなんてな。何が関係ないだ。違法な事をしたと童話を通して世界中に広まったんだぞ。この中での一番の間抜けは、お前だろ」
「人魚姫の魔女には言われたくないというか、貴方はまったく気が付いてなかったでしょう?!」
一緒に乗っかって偉そうな態度をする人魚姫の魔女を親指姫の魔女は睨んだ。
「そもそも、貴方だって、人魚姫の声を貰う代わりに足を上げるとかとんでもない契約をした上に、王子を寝とるとか最悪の逸話を残してるじゃない。おかげで、魔女のイメージダウンは酷いものよ。人魚姫の国の文化がいくら一夫多妻制だからって、結婚もしてないのに、寝とりは駄目でしょ」
「仕方ないだろ。可愛い可愛い人魚姫の相手が安全かどうか見極める必要があったからな。少々悪名が広まってしまったが、私は後悔はしていない」
「あらあら、男らしいわねぇ。うちの白雪ちゃんにとっても似ていて逞しくて、可愛いわぁ」
ワインを飲みながら、白雪姫の魔女はうっとりとした顔をして人魚姫の魔女を見た。
「白雪姫の魔女。結構酔っ払ってきてないか?」
「ふふふ。どうかしらん?」
「最近、白雪ちゃんの魔女はご機嫌だねー。でもー、後悔しなくても、そんな事してたら、人魚ちゃんの魔女の事、悪くいう人がいっぱいると思うなぁ。ねえねえ。本当に人魚ちゃんの魔女はそんな酷い事したのー?」
いばら姫の魔女が可愛らしくコテンと首を傾げた。
「まさか。王子はやっちまったと思ってるが、何もなかったさ。そもそも人魚姫の声も取り上げていないぞ。そんな可哀想な事、できるわけないだろ。どうしても人魚姫の言葉には訛りがあるからな。王宮で馬鹿にされないよう、ちゃんとした発音を学ぶまではあまり口を開くなと言っておいただけだ」
「人魚ちゃんの事本当に好きなんだねー」
「当たり前だ。人魚の肉を口にして、不老不死になってから、私は人でも人魚でもなくなっちまった。それでも私を恐れず近づいてきたのは、人魚姫だけ。私は人魚姫が笑顔でいる為なら何でもやるさ」
そう言いきって、人魚姫の魔女も酒を飲んだ。
「若干人魚姫の王子が騙されていて可哀想な気がしますが、人魚姫の魔女が女で、まだ幸いだったという気もしますね。悪名と言えば、いばら姫の魔女も十分悪名として知れ渡っていますよ」
「ええー。ひどぉーい。私、王様に言われたことやっただけなのにぃ。ぷんぷん」
いばら姫の魔女は頬をぷくっと膨らませた。
いたいげな幼女の姿にあった動きだが、そもそもいばら姫の魔法がかけられたのは100年以上前の事。つまりは彼女の年齢も――なわけだが、それを言うと屋敷どころか世界が壊れるレベルで暴れる為、誰も何も言わなかった。
「王様はなんと言ったんですの?」
「えっとー、いばらちゃんが、結婚しちゃうのいやーって言ったの。だから成人前の15歳で時が止まるようにしたんだよ? 体が成熟しなければ、結婚は無理でしょ。でも勝手に死んじゃう魔法だと思った私の次の魔女が、時が止まるんじゃなくて眠りにつくって魔法にしちゃったから、いばらちゃん眠っちゃったんだよねー。だから悪いのは私じゃないと思うんだぁ」
「えっ。時、止められるの?」
「うん。私の時は止まってるでしょ?」
えへっといばら姫の魔女が可愛く笑ったが、部屋の中に居た全員は引きつった笑みを浮かべた。時を止める魔法はとても難しい魔法で、そんな簡単なものではない。
しかし彼女はいとも簡単にそれを操れる雰囲気だ。
「勝手に私の魔法を眠る魔法に変えちゃったのはムカついたけどー、私も親ばかの話を真に受けて願いを叶えようとしたの事は、いばらちゃんに対して悪い事しちゃったなと思って反省してるんだよ? あの時、ごはんの代わりに国中のお酒を用意してくれたから浮かれちゃったんだよねー」
そう言えばメインディッシュの皿が12枚だった為に呼ばれなかったのが原因で、酷い呪いをかけたという童話だったなぁと思いだした魔女達は、人のうわさは当てにならないなと思う。国中のお酒を用意したなら、たぶん一番金がかかったのは、いばら姫の魔女の酒代だろう。
「そ、そう言えば、白雪姫の魔女はどうなの? 最近、和解して、白雪姫に魔法を教えてるって聞いたわよ」
親指姫の魔女は、これ以上聞いちゃいけない話を聞きたくないと思ったのか、白雪姫の魔女に話題をふった。
「そうなの。白雪ちゃんは本当にいい子で、今はすごく仲良くしてくれますの。それに魔法の才能もあって、旦那様の為に魔法覚えるんだって頑張っていますのよ」
「そういえば、白雪姫の童話に出て来る魔法の鏡は実在するのですか?」
「ええ。実際は白雪ちゃんと仲良くなる為に、白雪ちゃんを映し出せるようにした監視鏡ですけどね。あれがあれば、いつでもどこでもどんな時でも白雪ちゃんをみれますの」
「えっ、それスト――いえ、何でもないデス」
ふふふと笑みを向けられた親指姫の魔女は口は災いの元だと、心の刻んだ。
そしてどうして自分は一言多いのだろうと、心労を抱えながら落ち込む。それでも、部屋の中が静まり返るのは居心地が悪いため、別の相手に話題をふった。
「あ、えっと。シンデレラの魔法使いは、確か悪役じゃないよね。どちらかと正義の味方? 的な?」
「ええ。そうですね。巨悪はうちの王子ですから。私は普通の雇われ魔法使いですよ」
禁術であるホムンクルスについても知っているだけでも全然普通じゃないと、親指姫の魔女は言いたかったが、心の中だけにしておく。口は災いの元だと、先ほどからしっかり学んだために。
「シンデレラの魔法使いは、確かシンデレラを舞踏会へ連れていったんだよな。かぼちゃの馬車やドレスを出して」
「ええ。シンデレラを呼んでこなかったら、世界戦争起こすと王子に脅されましたので」
「えっ、シンデレラの魔法使いが脅されたの?!」
腹黒なのに?!
という言葉は飲み込んだはずだが、親指姫の魔女はシンデレラの魔法使いにニコリと笑みを向けられた。声なき声はしっかりと彼に届いたらしい。
「腹黒というのは、私みたいな見るからに腹黒そうな者ではなく、まったくそうみえない人の方が危険なんですよ。ちなみにうちの王子は後者なんですよ。私も昔はあの王子を裏から操ってやると思っていたのですが、逆に弱みを握られましてね。まるで、今の貴方の様に」
「は、ははは」
親指姫の魔女はだらだらと冷汗を流した。蛇に睨まれた蛙のようだなと、現実逃避した頭で考える。
「なんでシンデレラの王子はシンデレラとそんなに結婚したかったんだ?」
「一目ぼれだったそうですよ。もっとも一目ぼれしたのは舞踏会の会場ではないですけどね。人は、自分にないものに引かれると言いますから必然だったのでしょう。王子は一目惚れなさった後、きっちりとシンデレラの血統などを確認し、必要な後ろ盾やお金を用意した上で、婚約を申し込んだようです。とてもロマンチックな方法で。ちなみにシンデレラのお姉さま方も、その後ご結婚され、童話のように足を切られたなどの酷い事は起こっておりませんので安心して下さい。彼女達の結婚相手がどんな方かは、ご想像にお任せします」
想像、したくないです。
親指姫の魔女は切実に思う。絶対碌な話ではないと。
「さてと、では全員一通り反省が済んだということで、反省会は終わりましょうか。ただ親指姫の魔女にはこの後もしっかり色々私の愚痴を沢山聞いて頂こうと思いますので、一緒に失礼しますね。後は皆さんで好きに飲み明かして下さい」
「いや、私もここで皆とお酒を飲むから……」
突然の話にギョッとした親指姫の魔女は、ブンブンと勢いよく首を横に振った。
「なら、私と一緒に飲みましょう。屋敷に色々、貴方が好きな柑橘系のお酒も用意していますから。いいですね?」
「……はい」
じっと見られて、最終的に親指姫の魔女は観念してうなづいた。逃げきれないと悟って。
「では、失礼します」
シンデレラの魔法使いが挨拶すると同時に、2人の姿が部屋から消える。
残された3人はそれぞれお酒を飲んで、彼らが消えた場所を見つめた。
「以外に早くお持ち帰りされましたわね」
「だな」
「流石シンデレラの魔法使いだねー、行動適格ぅ」
突然の事だったが、残された3人は特に驚くことなく、飲み会をそのまま継続する。
「アイツの男嫌いもシンデレラの魔法使いなら何とかできるだろうし、案外ちょうどよかったんじゃないか。親指姫の魔女はそろそろ結婚を考えなければいけない年齢だったしな」
「親指姫の魔女をシンデレラの魔法使いが口説くために力を貸してほしいと、シンデレラの王子に言われた時は驚いたけどねー。すごいよね。魔法使いも十分腹黒いと思うのに、その魔法使いを上手く利用している王子様は。そもそもどうやって私たちの連絡先知ったんだろうねー」
今回の反省会は、実は最初からシンデレラの魔法使いが親指姫の魔女を口説くために用意された見合いの場だった。
まさか弱みを速攻で握って、早々にお持ち帰りしてしまうとは、3人とも思っていなかったが。
「まあ、どういう方法でもいっか。でもどうせなら結婚式に呼んでくれないかなー。私たち、2人の仲を取り持つために頑張って協力したよね?」
「御二人の結婚式に出席できたら素敵ですわね。でもその時は、時魔法を使わないで下さいませ」
「だな。親指姫の魔女が眠ったら喧嘩友達がいなくなって、張り合いがないからな」
今頃シンデレラの魔法使いに口説かれて、ひぃぃぃぃとひきつった叫び声をあげているだろう親指姫のことなどお構いなしで、3人の魔女は自由に未来に思いをはせ、お酒を飲みながら楽しくトークを繰り広げるのだった。