五話
甘い匂い。ピンクと赤のリボン。女の子の浮き立つような声。
何度来ても楽しくなるのはどうしてだろう。
バレンタインまであと4日と迫った週末のこと、千菜は佐和子とチョコレートを買いに出かけていた。
(古賀先輩、受け取ってくれるかな?甘いの苦手だって聞いたけど、どれにしよう?)
写真の選別作業のあったあの日から、古賀とは廊下で会えば立ち止まって話をするくらいの間柄になった。もともと口数の少ない古賀だから長話というわけにはいかないが、千菜はそれでも十分だった。
それでも女の子のイベントであるバレンタインを見逃す手はない。
(だってあたしが古賀先輩を気にしてるって少しでも知って欲しいし)
乙女だなぁ、と思いつつ目の前に積み上げられたチョコレートを眺める。
色とりどりにラッピングされたチョコレートは見ているだけでもわくわくした。
「千菜、決まった?」
チョコレートが積み上げられた棚を見て回っていると、後ろから佐和子が声をかけてきた。
「うーん、これにしようかな?」
「トリュフ?」
「うん。コーヒーリキュールが入っていて、あんまりあまくないんだって。先輩、甘いの苦手だって聞いたし」
手に取ったのはシンプルだけれども大人っぽいラッピングをされたチョコレート。本当は手作りも気になったけど、彼女でもない女の子からの手作りチョコはちょっと重いかな。と思って早々に諦めた。
その代わり、大量に作る友チョコは手づくりだ。
「いいんじゃない。先輩、コーヒー好きらしいし。でも本当に手作りじゃなくていいの?」
「いいの。そっちのほうが重くないだろうし。その代わり、佐和ちゃんにはちゃんと手作りの友チョコあげるからね」
「わかったわよ。先輩の代わりにしっかり千菜の重た~い愛を受け取ってあげる」
「よろしくね」
クスクスと笑いあい、千菜はレジの行列に並んだのだった。
* * *
2月14日バレンタイン当日。学校はどことなく浮き足立ち、落ち着かない雰囲気が流れていた。甘い匂いが漂うと、あちこちでチョコレートが飛び交う。
最近では男の子に渡す本命チョコや義理チョコとは別に女の子に配る友チョコなんてものもあるから、本命が居ない女の子だってチョコレートを持ってきてる。
それがお菓子メーカーの策略でもなんでも、甘いものが好きな女子高生からしたらそれに乗っとけ、ってことでイヤな気なんてしないのだ。
もちろん、本命チョコを持つ子はドキドキしながら渡す時を待つ。
千菜もその一人だ。いや、『だった』。
「千菜、おはよ~。今日は早いね。なに、緊張して眠れなかった?」
教室に入って来るなり佐和子が千菜を見つけて寄ってきた。千菜が今日、古賀にチョコレートを渡すのを知っていて聞いたのだ。
「おはよ、佐和ちゃん。そうじゃなくて、えっと。・・・もう渡して来ちゃったの」
「えぇっ!なにそれ、どういうこと?」
どことなく恥ずかしそうにしながら千菜が言ったことに佐和子が食いついた。「あのね・・・」と心持ち声を小さくして話し出した千菜の前の席の椅子を引くと、佐和子は身を乗り出したのだった。
* * *
バレンタイン当日、いつもより2時間も早く起きた千菜は早々に家を出た。最寄の駅に着いてもいつものように混雑はしていない。通学通勤時間帯をかなり外れている駅は人もまばらで、滑り込んできた電車はスカスカだった。もちろん座ることもできたのだけど千菜はそうしなかった。座ったところでこれからすることを考えるとそわそわしてしまって、落ち着けないのが目に見えていたからだ。
ドアの脇に立ちぼんやりと外を眺める。肩にかけた通学カバンと逆の手には大きな青いショッピングバッグと落ち着いたグリーンの小さな紙袋がぶら下がっていた。その手をぎゅっと握り、緊張を逃がすように大きく息を吐いた。
(古賀先輩、受け取ってくれるといいな。お世話になったからと言って渡せばいいかな)
いつもならまだ寝ている時間。千菜が早朝から学校に向かう訳は、サッカー部の朝練に出る古賀にチョコレートを渡すためだった。
もちろん普通どおり学校で渡してもいいのだろうが、大勢の人の目がある場所で古賀にチョコを渡すのはどうにも照れくさく、だからといって呼び出すのは申し訳ない気がする。靴箱の中に食べ物を入れるのは抵抗があるし、なによりできれば直接手渡したかった。
そんなわけで色々考えた結果、早朝朝練の前に突撃することになったのである。
ところが---
(え、あれ、もしかしてあれって古賀先輩!?)
学校最寄の駅を出て改札を抜けたところで、千菜は10メートルほど先を行く目的の人物を見つけてしまった。
(早いよ、まだ6時過ぎなのに!)
昨日榎本に聞いたところ、サッカー部の朝練は7時からだと言っていた。古賀がいつ来るか分からないが、なんとなく誰よりも早い気がして千菜も早く出てきたのだ。それなのにまさか同じ電車だったとは。
(どうしよう、声かけようかな)
改札を出たときと同じ距離を保ちながら千菜は古賀の後を歩く。ここで挨拶でもしてそのままなし崩し的に学校まで一緒に歩きたい。でも嫌がられたらどうしよう。行くべきか行かざるべきか。ぐるぐると頭の中で渦をまく。でも---
(先輩と一緒に歩きたいな・・・)
不安が願望に勝った。
「・・・古賀先輩!」
驚いた顔で後ろを振り返った古賀に、千菜は少し照れた笑顔で「おはようございます」と駆け寄ったのだった。




