三話
「古賀先輩!」
---待って。
その気持ちだけで声をかけた。だが振り返った古賀にかける言葉を準備していないことに気づき慌ててしまう。
「あの、その・・・」
もう頭の中は真っ白だ。
「何?」
呼び止められたものの続きを話さない千菜に、古賀はだんだんと訝しげな表情になっていく。
(マズい。これじゃ不審人物じゃない!)
「あの!私、榎本君と同じクラスの吉野千菜と言います。写真部でこの前の試合も応援に行きました。それで、あの・・・写真撮ったんです!」
「写真?」
「はい、試合の写真です!それで、あの、古賀先輩もいりませんか?」
勢いづいて早口になっていくのが恥ずかしくて、顔を赤くしたまま俯いてしまった。しかし、返ってきたのは冷たくも聞こえる言葉だった。
「悪いけど、写真には興味ない」
「・・・そうですか」
すげなく返されて思わず声が小さくなってしまう。この空気の中会話を続けるのも難しく、千菜は視線を落とす。「それじゃ」とグランドに走っていく古賀をただ見送るしかなかった。
---「練習頑張ってください」
(それくらい言えれば良かったな)
そう思いつつ千菜は校門に足を向けたのだった。
* * *
「この前貸して貰った写真さ、焼き増しして欲しいんだけどいいかな?」
榎本がそう言ってきたのは、翌週の月曜日のことだった。榎本に写真を頼まれた次の日、千菜は家に置いてあった写真をアルバムにまとめて渡したのだ。放課後の部活のときはなかなか余裕が取れないだろうということで、週末の練習のときに他の部員に見せると言っていたはずだった。もちろん引退している3年生はまだ見ていないだろう。なのに、もう焼き増し?
「いいけど、どの写真がいいの?」
「全部」
「全部!?」
「を、10人分」
「10人分!?どういうこと?」
榎本が少々申し訳なさそうな表情をしていても、千菜は戸惑いを隠せない。写真は80枚入りのアルバムに丁度入る枚数で、それを10人分・・・。
「あとさ、もしかして他にもサッカー部の写真ってあったりする?」
「あるけど・・・」
「悪い、それも見せてくれない?」
パン!と手を合わせ、思い切り拝むように頭を下げられてしまった。
「そんなに写真ばかりどうするの?」
「いや、昨日さ、練習の後吉野から借りたアルバムを皆で見てたんだけど、なんか流れ的に3年生の卒業祝いにあげたらどうだ、って話になって。それじゃあどれにしようか選ぼうってことになったんだけど、結局決められなかったんだよな」
「だからって、全部なんて」
「吉野の写真ってどれもいいんだよ。あのさ、試合以外の写真もあっただろ?」
「うん」
そういえば、たまたま校内をぶらぶらしながら撮り溜めた写真の中にサッカー部の練習風景を撮ったものもあって、一緒にアルバムに入れておいたはずだった。海外だったら捕まるんだよな。知らない人に撮られるのって嫌な人もいるだろうな。と思いながらも差し込んだのは、その写真の選手たちが生き生きと輝いていたからだ。
(もしダメならちゃんと謝ろう)
その覚悟もしていたのだが、どうも話は違うようだ。
「練習してるときの写真も、汗だくで泥だらけなんだけどなんか格好良くてさ。自分たちの写真だけど欲しいって思った」
「ナルシスト?」
「違うっ!・・・だからさ、俺たちでも欲しいんだから、先輩たちに卒業祝いで贈ってもいいんじゃないか、って話になって、他にも写真があったら見せてもらいたいんだ」
ようやく話が見えた。だけど。
「写真を見せるのもいいし焼き増しもできるけど、けっこうお金かかるよ。その辺は大丈夫?」
実際問題、枚数が多くなればその金額もバカにできないのだ。現に千菜も家の仕事を手伝うアルバイトをしている。
「1、2年生合わせて25人。割ればなんとかなるだろう」
「それならいいけど。じゃあ、明日持ってくるね」
「悪いな」
「いいよ。でもちょっと多いから色々手伝ってね」
「当たり前。あ、やべ。一限英語当たってたんだった。じゃ、よろしくな」
「うん」
クラスメイトに声をかけながら席に向かう榎本。仲の良い友人に何か声をかけられ、心なしか赤くなり照れくさそうにしながらも軽口を叩いているようだった。
(サッカー部の写真、どのくらいあったっけ?)
写真をアルバムに纏めたときのことを思い出し、千菜は思わず眉間にシワを寄せてしまった。アルバムに纏めた80枚は絞りに絞ったもので、練習風景も含めるとサッカー部の写真は確か150枚はあったはずだ。
あれを纏めるのは一苦労だなと思いつつ席に戻ると、佐和子がにやにや笑いながら待っていた。面白がっている雰囲気に少し警戒。
「何?」
「べっつにぃ。榎本、何だって?」
「サッカー部の写真、焼き増しして欲しいって頼まれた」
「それだけ?」
「それだけ」
納得いかなそうな表情をしている佐和子を「もう授業始まるよ」と追い払うと、カバンからノートを取り出した。
ふと思い出す。
(古賀先輩の写真も入れたほうがいいのかな?)
試合後の古賀の写真を現像したとき、千菜はしばらく言葉もなく見入っていた。あの時シャッターを押したのは間違いじゃなかったし、今まで撮った写真の中で、もしかしたら一番よく撮れているかもしれない。そう思ったのは今考えると古賀のことが好きだったかもしれないが、被写体の内面がよく表れているいい写真であるのは間違いないだろう。
---悔しさをにじませる決意
フィールドを睨むように見つめる古賀の目にはどんな風景が映っていたのだろう。
千菜はそんなことを考えながら教科書をぼんやりと見つめたのだった。