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十一話

「千菜ー!今日は病院?」

「うん、そうー!今日もいい写真が撮れたからお見舞いに行ってくるよー!」

「そっか、また明日ね~!」

「またねー!バイバイ~!」


 二階の教室から顔を覗かせる友人に大きく手を振り、校門に向かって小さな体が駆けだしていくのを佐和子は複雑な気持ちで見送る。初めて千菜が古賀のお見舞いに行ってから10日、毎放課後に教室を飛び出ていく友人を佐和子が見送るのはもはや恒例となりつつあった。



* * *



 『天使の階段』の写真を撮り、千菜が突発的に病院に向かった日の夜のこと、佐和子に一本の電話がかかってきた。


「もしもし、さわちゃん?今大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」


 ちらりと壁の時計を見れば8時20分。病院の面会時間を考えるともしかしてと思う。


「もしかして今帰りなの?」

「うん、今病院出たとこ」

「まだ家に着いてないのよね?」

「うん」

「・・・近くに怪しい人が出てきたらすぐに逃げんのよ」

「わかってるよ。それにチャリだから大丈夫~」

「自転車乗りながら電話してこないの!」

「乗ってないよ~。押してるし」


 思わず大きなため息をついてしまった。


(まったく。なんでこう、危機感がないかなぁ)


 千菜とは短くない付き合いである。わかっていたがしかし、こういうのんきなところは良いときもあるが、悪いときもある。もう少し、女子として危機感を持ってほしい。とつくづく思う。


「さっさと自転車に乗って帰ってほしいとこだけど。どうしたの?古賀先輩には会えたんでしょ?」

「うん。会えたよ。元気だった、ってのも変だけど、思ってより大丈夫そうで安心した」

「そう。よかったね」

「うん。でね、佐和ちゃん」

「何?」

「あたし、・・・先輩のこと好きだ」

「・・・知ってる」

「いいなぁ、とは思ってたけど、やっぱり好きだった」

「そうね」

「さっきお見舞いに行ってね、元気そうな姿を見たとき、すごく安心したの。元通りにサッカーができるって聞いたときなんか、思わず泣けてきちゃった」

「うん」

「古賀先輩が好きだな、って胸の中がいっぱいになっちゃって」

「うん」

「だから、・・・告白するね」

「うん・・・はぁ!?」


 うんうん、としんみりとしながら聞いていた佐和子の耳に、予想外の言葉が飛び込んでくる。思わず大きな声で聞き返してしまったのも仕方ないだろう。


「告白、する」

「え、ちょっと待って、早くない?」

「そうかな?」


 心底不思議そうな千菜の返しに佐和子は頭を抱えそうになった。少々変わった子だとは分かっていたが、恋愛沙汰でも佐和子の常識の斜め上を行ってくれる。限界まで好きになったら告白するとは言っていたが、こんなに早くていいのだろうか。ころころと付き合う相手を変える人間もいるが、千菜はそれとは違うだろう。だが、告白するってもう少し、なんというか、悩むものだと思うのだけど---


(でもまぁ、千菜だし)


 千菜と付き合う中で何度も繰り返した言葉をつぶやき、佐和子は無理やり自分を納得させた。人には人のペースがあるのだから自分があれこれ言うべきじゃない。佐和子に言えるのは一つだけだ。


「・・・頑張るのよ」

「うん!ありがと、佐和ちゃん」


 「じゃあ、そろそろチャリ乗るから切るね。ばいばい~」と嬉しそうな声が聞こえると、ぷちっと通話が切れる。ツーツー、と流れた音がいつの間にか止まっていた。


(告白、するのかぁ)


 千菜が以前から古賀のことを好きでいるのは分かっていた。折にふれて楽しそうに古賀のことを話す千菜のことをよく見ていたし、バレンタインにはチョコレートを渡したことも知っている。だけど本気で好きではないのではないか、という思いも佐和子の中にはあった。それは千菜の中に切なさや独占欲、嫉妬心だとかどろどろしたものがなかったせいかもしれないが、ともかく、なんとなく佐和子は千菜が古賀に憧れているだけなのではないか。と漠然と思っていた。それなのに---

 『彼』のことを考えればツキンと小さく胸が痛んだ。封じていた想いが溢れそうになり慌てて深呼吸をした。


 はぁ、と息をつき待ち受け画面に戻ってしまった携帯を眺める。そこにはつい先日千菜と見た『天使の階段』の写真が映し出されていた。



* * *



 写真を持って初めてお見舞いに行った日から、千菜は毎日病院に通うようになった。毎日病院のベッドの上では先輩もつまらなかろうと、話のタネに千菜が写真を持っていけば思った以上に話が弾み、千菜は毎回その日に撮った写真を持って病院に向かった。ところが会話の中で千菜が遅い時間に来る理由をポロリとこぼすと、古賀の眉間に大きな皺が寄ることになった。

 

 遅い時間に見舞いは来なくていい。と言われたその日以来、昼休みに部室にこもり写真を現像するという日々が続いている。昼食もそこですませてしまうことが多くなり、佐和子としては千菜の好きにさせたいと思いながらも少々不満が溜まりつつあった。そんなある日---


「山内」


 いつものように窓から千菜を見送ると、佐和子の後ろに立った人から声をかけられた。なんとなくそろそろかな、と思っていたので驚くことはない。


「何?」

「なぁ、吉野って・・・毎日古賀先輩のお見舞いに行ってんのか?」

「そうみたいだよ」

「吉野と先輩って付き合ってんの?」

「まだみたいだけど、千菜は古賀先輩のこと好きみたいだね」

「・・・」


 ちらりと後ろを見やれば、最近とみに逞しさが増してきた榎本の姿があった。強張った表情で窓の外を見つめている。その視線は遠くに駆けていくただ一人に向けられているのだった。



 

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