テロッサ次期侯爵の生贄
※この作品はコメディです。
なめした革の手触りは極上。ヒールは脚の美しさを最大限に引き立てる七センチ。飾りの刺繍は緻密で繊細。サイズを入念に測って仕立てられた靴は、間違いなく今までで一番気に入る一足だと確信していた。
問題は靴ではない。
その靴を捧げ持つ男にあった。
「ああ、エレノア嬢のお御足になんて素晴らしくフィットしているのだろう……流石は名高い靴職人ゴルフレッドの作。いかがでしょうか、エレノア嬢」
「素晴らしいとは思うわ……ただ……何故、貴方はわたくしの足が降りる場所に寝転がっているの?」
「この靴を履いたエレノア嬢の第一歩を、この身で受け止めたいのです! 最高傑作の完成を、この体で証明したい!」
「気持ち悪いわ……」
ごめんなさい、わたくしにはそのような趣味はないのよ。
▫
見た目はとても極上の男だ。
金色の髪の毛は貴族によく出る色だが、ほんのりと赤みを帯びているのはテロッサ侯爵家の直系に出るものというのはよく知られている。
甘そうな琥珀色の目も同じく赤混じりで、名乗らずとも貴族の間で彼がテロッサ侯爵家の人間だということはよく分かる。
だからこそ、多くの貴族は必要な時以外、テロッサ侯爵家の人間とは関わりを持とうとはしない。
なぜなら、テロッサ侯爵家には、古くから知られた奇癖がある。
血を引く者は皆、何か一つを偏執的なまでに愛し、それを極めようとする。
学問なら賢者。 政治なら名宰相。 剣なら英雄。 靴なら――床に寝転がる男。
人間性にやや問題はあるものの、政治や学問に目覚めたならば大変有用な一族である為、恋愛結婚とは縁遠いテロッサ侯爵家にわざわざ王家が婚姻相手を斡旋するのは無理もない話だった。
貴族の間ではそれを「生贄投入」と呼んでいた。
エレノアは公爵家の次女で、婚約者がいなかったことと家格も釣り合うからと生贄に選ばれた。
お相手は床に寝転がるレオンである。
靴に対して偏執的な愛を注ぐレオンが次期侯爵など、世も末だとエレノアには感じられた。
テロッサ侯爵家の後継者決めは他の家とは全く異なる。
まず、誰も彼もがやりたがらない。当主など邪魔な仕事ばかりで最愛に力を注げなくなる邪魔な肩書きだと思っているのだ。
これで政治や領政に拘る者ならばまだ話は早かった。そういった者は積極的には当主になってくれるのだから。
問題はいなかった場合である。
押し付け合いで修羅場が発生するのだ。
だからこそ、ほんの少しくらいは可能性がありそうな者が押し付けられてしまうことになる。
レオンの場合は、レオン以外が皆特定の場所に滞在出来るような性格では無かったため、消去法だった。
レオンは本気で嫌がって泣いたらしい。
それでも決定は覆ることがなかった。
その結果、レオンは次期当主を受け入れる代わりに、「自分の理想とする靴を最も美しく履きこなせる女性像」を事細かに語り尽くした。
そして奇跡的に、その条件をすべて満たしたのがエレノアだった。
かくして彼女は、生贄となった。
王家からの斡旋とは即ち王命である。王命にしなければ結婚したいと思う人間がいないのだ。
当然エレノアの意志など介入しない。
本人は後日その事実を知らされ、『意味が分からないわ』と三回言った。
レオンは顔が良い。本当に良い。
どのくらい良いかと言えば、彼が微笑んだだけで老若男女問わず、己の全財産や果ては命を差し出してもおかしくない程に顔が良いのだ。
エレノアは男性の顔にさして興味はないし、目と鼻と口があって不快感を感じなければそれで良いと思うくらいには好みもなかった。
そんな彼女が人生で初めて顔が良いとはこの事か、と感心するほどには美しい男なのだが、言動全てが台無しにしていた。
なんというか、気持ち悪いというか。
いや、気持ち悪いと断言出来る。
エレノアは見目が良いと言われてきたので、まあ恐らくはそうなのだろうと思っていたのだが、レオンを前にするとその言葉は所詮社交辞令だったのだと痛感する。
なんと言うか、圧倒的な美を前にすると自分の価値観は根底から覆されるのだとエレノアは知った。
そして、変態もまた同様なのだと。
これだけ顔が良い男が社交の場に出ていたら、どんな言動でも許せるという女性はいるはずだろうに、レオンを始めとしたテロッサ侯爵家の人々は人前を避けて生きてきた。
辛うじて人前に出せるような人物でも癖が強すぎるらしい。
ただ、王家がすごいのは、そんなテロッサ侯爵家に送る生贄はなんだかんだと幸せに暮らせるようになっていることか。
「エレノア嬢はまさに俺の理想を体現する女神です」
「靴が主体でしょうに」
エレノアがこの屋敷に来てからというもの、足を中心に徹底した管理がされていた。
レオンの夢が詰め込まれた靴を履く足も完璧でなければならない、と。爪の先まで完璧に整えられているためか、エレノアは外を歩くことはなくなった。
こう、汚したら申し訳ないな、とほんの僅かな罪悪感が生まれたのだ。それにもともと活発的でもなかったので、執務の手伝いをしたり、部屋で刺繍をしたり、本を読んだりと怠惰に過ごすことに不満はない。
テロッサ侯爵家は対人関係は壊滅的だが、何かしらに特化した才能を持つ為か、金を稼ぐのは大変に上手である。潤沢な資金があるからこそ好きなことが出来るのだと微笑むレオンからは後光がさしていた。怖い。
エレノアは脚だけでなく全身も磨かれている。
どれだけ美しいドレスを着ても、みすぼらしい靴を履けば損なわれるように。美しい靴を輝かせるためには全身が美しくあるべきだ、というのがレオンの主張らしい。
レオンの周りの人々はレオンがデザインした靴をもれなく履いているのだが、頭のてっぺんから足の先まで磨かれている。
使用人いわく、恐ろしい程に履き心地が良いが、質が良すぎて傷付けないか不安なのだという。
レオンは確かに靴に偏執的な思考を持つが、話を聞いてみると彼なりのルールを持っていた。
芸術品としての靴と使う為の靴。
使用人に与える靴は後者で、履き心地の良さを最優先にしたもので、とことん使い尽くして履き潰すところまでを考えている。
もちろん普段から手入れはして欲しい。その方が長く使えるから。だが、傷付くことを恐れて欲しくないそうだ。働く者のために考えているのだから、傷もまた計算の内らしい。
その一方、エレノアに捧げられる靴は芸術品としてのものである。
靴は人が履いてこそ完成するもの。その為にエレノアも芸術品の部品の一つとして磨くのは、レオンにとって当たり前のことらしい。
人間としてではなく、靴を輝かせる装置として求められている。あまりの潔さにエレノアは感心した。尊敬は出来ないけれど。
「さあ、この靴で俺を踏んで下さい!」
「……」
相変わらず目の前には寝転んでいる生きた芸術品のような男。
靴は素晴らしい。デザインはレオンがしたのだが、確かにエレノアも素晴らしいと認める。
だが、それと彼を踏むのは話が別だ。
エレノアは人生で初めてと言っても過言では無いほどに悩み苦しんだ。部屋に控えている使用人は主人の醜態を直視しなくて済むように目を逸らしているが、エレノアには目を逸らすなんて選択肢は無い。
詳細は語らないが、エレノアはその日、大切な何かを失った。
そして、レオンは人に見せてはならないほどの恍惚の笑みを浮かべたまま失神した。
その事実は侯爵邸の一室の中だけの秘密となり、闇に葬られた。
▫
エレノアはまだ婚約者という立場でしかない。流石に公爵家の次女と侯爵家の嫡男の結婚ともなれば婚約期間はきちんと設けられている。
それにも関わらず、婚約早々にテロッサ侯爵家に滞在することになったのは、レオンが消去法で選ばれた後継者だからだ。
外に出るよりも屋敷に留まる方が好きだという理由が決め手となったが、実務能力はさほど高いとは言えなかった。
エレノアが王家による生贄に選ばれたのは何も「レオンの理想とする靴を最も美しく履きこなせる女性像」だけだからではない。それだけなら他にもいたはずだ。
更に一点、夫の代わりに執務をこなせるだけの能力がある。それが本当にエレノアが選ばれた理由である。
テロッサ侯爵家は豊かな家門だ。そして領地経営に興味が殆どない。稀に現れる奇跡的な直系を探すよりも、まともな倫理観と能力を持った伴侶を宛てがうほうが余程現実的だった。
王命による婚約は結婚するのが当たり前であり、だからこそ早々に侯爵家に送り出されたのだ。
父はテロッサ侯爵家のことをよく知っているからか、渋柿を丸かじりしたような苦渋に満ちた顔をしていた。
利用価値は高いのだが、誰にも使いこなせない。それがテロッサ侯爵家の人々である。
まあ、そんな父の苦悶を他所に、エレノアはレオンから踏んで欲しいと言われること以外は満足な生活を送っていた。
レオンの代わりに書類仕事をすることも苦ではない。正直なところ、父からは「なぜお前は男に生まれなかったのだろうな」と言われる程度にはそう言った仕事が好きである。
領地の各地方を治める代官から送られてきた書類や報告書を片っ端から捌き、レオンの署名を入れたら終わるところまで準備する楽しさ。
現当主から割り振られた後継者用の課題は、九割をエレノアがこなしているが問題は無い。
レオンは靴のデザインを考える時間を減らして執務室に滞在するのだが、ばりばりと書類を捌くエレノアの隣でよく泣いている。
「ごめんねぇ。俺が領地経営能力ないから……」
「気にしないでください。わたくしの役目ですから。ほら、泣いてはなりませんよ」
十八歳のエレノアよりも五歳年上の男がぐずぐず泣き始めると、エレノアはさっと刺繍の施されたハンカチを取り出してレオンの涙を拭うのが習慣になっていた。
エレノアですら、うっかりこの泣き顔を見て胸がときめいてしまうのだ。道を踏み外す者が量産されるのは想像にかたくない。
因みに、何人もの使用人がそれで解雇され、今や精鋭しかいないのが現実である。
「あら。招待状だわ。そうだったわね、王宮舞踏会の時期だったわ」
「えぇ……行かなきゃだめ?」
「そうですわね。流石にわたくしが婚約したことを公の場で見せなければならないわ」
テロッサ侯爵家が欠席するのはまあ仕方ないと思われているが、エレノアは違う。現国王の従兄が父で、その娘であるエレノアは遠いとは言えども王家の血を持つ。
姉は他国に嫁いで国同士の架け橋の一つとなっているが、その妹であるエレノアの結婚は、年頃で婚約者のいない貴族令息達の間でも注目されていた。
他人の顔に興味が無いエレノアは、家の為、国の為になる結婚なら誰でも良いとは言っていた。
まさか生贄に選ばれるとは思っていなかった。けれど、不思議と後悔はしていない。……踏んでほしいと頼まれることさえ除けば。
エレノアが婚約したことは公表されているし、その相手がテロッサ侯爵家の後継者であることも周知されている。だからこそ、一度くらいは公の場に出て「本当に婚約しましたよ」と見せる必要があった。
「レオン様。わたくしのために作ってくださった靴を皆様に見せる機会ですよ?」
「え、あ!」
「結婚式の際も作ってくださるのは分かっていますが、そうではなく、以前作ってくださったあの靴はとても素晴らしかったわ。靴は人に履かれ、そして観られてこそ完成すると思うの。一度だけで構わないわ。参加しませんか?」
「えっと、じゃあ、全身のコーディネートもしていい?」
「ええ。あなたがデザインした靴を最も美しく見せるコーディネートを考えられるのはあなただけですもの」
「なら参加しようか」
「ふふ。それに、王宮舞踏会には王都中の最高級の靴が集まりますわ。デザインを考えるには、たくさんの靴を見ることも大切だと思います。せっかくの機会を逃すのは、もったいないですわよ」
それが決め手となり、レオンは王宮舞踏会への参加を了承した。
エレノアとしては、参加した事実さえあれば良いので、全身をレオンの選んだもので飾られても問題は無い。何よりも、レオンのセンスは良いのだ。
普段のドレスだって侍女ではなくレオンがある程度の組み合わせを考えてそれを伝えているというのだから徹底している。
まあ、履く予定の靴は、闇に葬ったあれこれをした靴で思うところはあるのだけど。
執事などは、すっかりとレオンの扱いに慣れたエレノアに感激していた。一応、王都にもテロッサ侯爵家のタウンハウスはあるのだが、使われることはほとんどないそうだ。
レオンが向かうのは幼少の頃以来なので、執事はまだ先の話にも関わらずタウンハウスの手配をしていた。
使用人の選別は大変そうだけど、まあ何とかなるでしょうとエレノアは割と楽観的だった。
日々は恙無く過ぎていき、ドレスや装飾品も決まり、王都へ乗り入れたエレノアとレオン。
すっかりレオンの顔に慣れていたエレノアは、公爵家に彼を連れて行ったところで、レオンの美貌が突き抜けていることを思い出した。
次期公爵である兄の妻は、レオンを一目見た瞬間から様子がおかしかった。
そしてその夜。なんとレオンの寝室へ忍び込もうとしたのである。
元々、中々に香ばしい義姉だったらしく、兄は以前から離婚を考えていたという。
今回の件は、兄にとって決定打になったらしい。……それはそれでどうなのだろう。
因みに、被害者になりかけたレオンは義姉に対してこう思っていたそうだ。
「歩き方は酷いし、ドレス選びのセンスも悪い。あんな履き方では靴が泣くよ。靴への冒涜だ」
涙腺の弱い彼はほろほろと涙を零しながら靴を哀れんでいた。知っていた。レオンは義姉の顔など覚えていないだろう。
彼の体を抱きしめてハンカチで涙を拭うエレノア。なすがままのレオン。
兄は何とも言えないしょっぱい顔をしていたが、今はそれどころではない。
それよりも、一刻も早くこの泣き顔を収めなければならない。道を踏み外す犯罪者が量産されかねないのだから。
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王宮舞踏会の日はまさに波乱に満ちていた。
レオンは初めて王家主催の舞踏会に参加したのだが、参加している人々の靴にしか興味がなかった。
それは王族に対してでもそうで、国王陛下と王妃殿下の靴を見て興奮していた。
まあ、人の興奮する点って色々あるものね。
エレノアはすっかりとレオンの思考に慣れきってしまい、彼の感性についても理解し始めていた。
ただ、何度でも思い出すのだが、レオンの顔は突き抜けた芸術品レベルの美しさである。
これまで一度も公の場に出てこなかった幻のテロッサ侯爵家の後継者が、これほどまでの美貌なら私が婚約者になったのに! とエレノアに対して憎しみの籠った視線を向ける者もいるが。
「うわぁ……靴への冒涜者が多すぎだよ……エレノア嬢……俺の婚約者が君で良かったよ。君以上の素晴らしい女性はいないよ」
前半の声は流石に顰めていたが、後半ははっきりとした声だったので、それはもうしっかりと周りに聞こえたようだ。
言葉だけならとても熱烈だが、エレノアにはわかる。
レオンの理想の靴を履きこなせるのはエレノアだけという意味でしかない。
あくまでも主体は靴で、エレノアはおまけなのだ。まあそれでも気分は良い。彼の基準を満たしているという意味では。
レオンは顔が良い。それは間違いないが、中身は靴狂いの変態寄りだ。すぐに踏んで欲しいと言ってくる。
それでもその靴を履くエレノアを大事にしてくれているし、代わりに仕事をすれば感謝は忘れないし、使用人だって大切にしている。
彼の中の一番が靴なのは仕方ないが、いつかは不動の二番目になっていれば良いな、と思っていたエレノアは知らない。
レオンは靴狂いだ。だからといって、人を愛せないわけではない。
というか、テロッサ侯爵家の人々は己が偏執的に愛するものを認め、許してくれる伴侶をこよなく愛する。
彼らにとって偏執的に愛するものは順番をつけられるものではない不動の位置に置かれるのだが、伴侶もまた特別な場所に置かれる。
それら二つは比較するものではない。それぞれに愛する特別な存在なのだ。
レオンにとってエレノアとは、初めこそ驚いていたし引いてもいたけれど、直ぐに慣れてレオンを受け入れてくれた存在だ。
元より見た目は理想そのものだった。そもそも、その条件を自分で提示したのだから当然である。そこから更に中身まで好ましいとなれば愛するのは必然であった。
これから先、エレノアは驚くほどにレオンに愛されることになる。
ただ、その事実をエレノアが知るのはもう少し先の話である。
私にしては珍しくコメディ要素強めの話になりました!
ざまぁも断罪も何もない。
ただ、「この靴を履いて踏んで下さい!」と言わせたかった。
そしてドン引く令嬢が見たかった。
から始まった作品です。




