後ろに何かいる
後頭部にハゲができた。
なんか痒いなと思って後頭部を触っていたら、つるりとした感触がして、合せ鏡で見てみてみたら、ハゲができていた。
ちょうど人差し指の第一関節ぐらいの大きさだ。
毛穴が見えず、まるでビニールの作り物のような肌質で自分の頭なのに人工物のようで気持ちが悪い。
わたしの髪の毛は太く多い方で、まさかハゲるなんて思ってもいなかったのでかなりショックだった。合わせ鏡で長い時間同じ体勢でいたので腕が痛くなった。
どうしてハゲたのだろうと、考えてみたけれど、思い当たる節がありすぎてどれが原因か分からない。
仕事でのストレス、睡眠不足、失恋、季節の変わり目、シャンプーの銘柄を変えた、カラーとストレートパーマを同時にした……。
ああ、でも一番の原因はやはり会社のある人物かなと思う。
わたし、石田紗奈は今年26歳になったばかりだ。キャラクターデザインの仕事をしている。
弊社は有名なキャラクターデザインの会社で、学生の頃から働きたいと思っていた会社だ。採用された時は夢かと思うほど嬉しかった。女手一つで育ててくれた母親に報告したときは、涙を流して喜んでくれた。
田舎を出て、都会で1人暮らしを始めて、でも最初はデザインなんてさせてもらえなくて、先輩達のお手伝いや、すでにあるキャラクターを使った商品開発などをしている。
その合間に、自分のオリジナルキャラクターを考えて、いつでも見てもらえるようにチャンスを伺っている。
さて、わたしの部署には40代の女性の先輩がいる。
名前は小原すみれ。
この人は口がうまく、上司に取り入るのが上手い。この人が企画したキャラクターやコラボ商品はいくつも商品化している。
上層部からすると、仕事ができる有能な人物だが、実際は、若手や同僚のアイデアを横取りし、自分の手柄にしていたのだった。
わたしが部署で若手ということもあり、小原すみれは事あるごとに教育と指導といっては、わたしの仕事のやり方や、態度などをネチネチ嫌味を言ってくる。
「石田!あんた、この前頼んだ企画書まだ出来てないの?」
「えっと、なんの企画書でしょうか?」
「はぁー?わたし頼んだよね!次世代キャラクターの応募コンテストの企画書!先週頼んだよね!」
「記憶にないんですけど……」
「わぁ、みんな聞いて!この子、なにも聞いてないじゃない!」
小原すみれは部署どころかフロア全体に聞こえるような大声で騒ぎたてる。
そうしてわたしが悪いような印象を他の人に持たせるのだ。
「本当に聞いていません。小原さんの勘違いじゃないでしょうか」
「先週の退勤前に話したじゃないの!来週が期限だって!」
先週の退勤前?もしかしてあれか?仕事終えて帰ろうとバッグ持って立ち上がった時に、「石田~、次世代キャラクターのコンテストなんだけど。あんたやってくんない?」
(帰る直前に言うなや)「すみません、もう帰るところなので、明日改めてお話聞かせてください」
そうして、わたしは退勤した。
あれか?あんな緩い感じで聞いてきた話?あれでもうわたしがやること決定してるの?てか、それ以来話聞いてないんだけど。
言った言わないの押し問答の後、結局わたしがやることになり、残業してなんとか出来た企画書は、当然のように小原すみれが完成させたようになっていた。
「あんたは、性格が顔に出ている。顔が駄目だ」
「この仕事向いてないんじゃない」
「わたし今日早帰りするから、この急ぎの仕事やっといて」
「クレーム?わたしいないって言って。電話かわらないわよ」
小原すみれと仕事をしていて、ストレスが溜まっていく。
鏡で後頭部を見る程、わたしの気持ちは暗くなっていった。当初、すぐに治ると思っていたが、1ヶ月たっても変化はない。むしろ悪化しているように思える。通勤途中の電車の中で、真後ろに人が立っていると、ハゲを見られているんじゃないかと気になり、何度も後頭部の髪を撫でた。
幸いなことに、髪の毛をかきわけないとハゲは見えないので、分かるはずがないのだが。
後頭部に手を回す。項のちょっと右下あたり。指の腹でハゲを触ると、なにか起伏が2つある。それは押すと少し弾力があった。
凹凸の間が切れ込みがあるように感じて、指で何度もなぞるが、鏡越しでしか見ていないのでよくわからない。切れ込みに指が少しめり込んでいく感覚があって、怖くなってネットで調べて近くの円形脱毛症の治療もする皮膚科に行った。
皮膚科の受付で、問診票に円形脱毛症と書いて、提出する。少しの時間待合室で待機してると順番が来て診察室へ通された。
後頭部の髪を左右にかきわけ、先生に見せる。
「はいはい、ここですね」
「髪の毛が抜けてるのに、一ヶ月程前に気がついたんですが。少し腫れてるみたいで」
「ああ、ちょっと腫れてますね」
「先生、2つ盛り上がってるところの間が切れているように感じるんですけど」
「う~ん、切れてはないですよ。少し赤くなっているので、あまり触りすぎないようにしてください」
治療で謎の光をハゲに当てて(後で調べたら紫外線らしい)、薬を塗って、薬局で飲み薬と塗り薬をもらって帰ってきた。
週一の光治療と、毎日の薬を続けるが、ハゲはあまり良くならない。
先生は円形脱毛症はすぐには治らないので気長に治療していきましょうと言われた。
ある日、合わせ鏡で見ると、ハゲに2つの起伏があり、それは唇にそっくりだった。
そっと触ると、ぷにぷにして本当に唇のようだ。2つの凹凸の割れ目に爪を差し込んで見れば、骨のような硬い部分に当たり、まるでそれは歯のように思えて、怖くなって鏡を放り投げた。
わたしが作って小原すみれが発表した企画が通った。
各方面に指示を出していく。毎日が忙しく過ぎていく。
この企画は社内の者も参加して良かったので、次世代のキャラクターコンテストに、わたしも応募してみることにした。
今まで書き溜めていたデザインを参考に、新しいキャラクターを考えていく。
今までにないキャラクターで、液体のようなスライムのようなキャラクターを考えた。透き通る水色の体に、丸っこいフォルムにつぶらな可愛い瞳。何パターンかポーズを変えてデザイン帳に描いてみる。うん、なかなか可愛いんじゃないかしらん。
デザイン帳は休憩時間にも開いて、キャラクターの特徴や性格、口癖などを書き込んでいく。
そのデザイン帳は机の引き出しのカバンの中に入れていた。
仕事が終わり、帰宅しようとカバンを取り出し、何気なく中身をみたらデザイン帳がない。
「あれ?ないない!」
カバンの中や引き出しを探すが見つからない。
「石田さん、どうしました?」
隣の席の同僚が声をかけてきた。
「カバンに入れていたデザイン帳がないんです」
「さっき、小原さんが、石田さんの机の引き出しを開けていましたよ」
小原すみれにデザイン帳を盗まれた!
「小原さんどこにいったか知らない?」
「たった今フロアを出ていったけど」
わたしは早歩きでフロアを出て、廊下を探し回っていると、トイレで小原すみれを見つけた。手にはわたしのデザイン帳が握られている。
「小原さん!それ、わたしのデザイン帳ですよね。どうして勝手に盗っていくんですか」
小原すみれはその大きな目でわたしを睨むように見返した。
「人聞きの悪いこと言わないでくれない?ちょっと借りただけよ」
「人のカバンの中から持っていったくせに!返してください!」
デザイン帳に手を伸ばすが、避けられてしまう。
小原すみれはデザイン帳をパラパラとめくり、
「なかなかいいデザインじゃない。わたしが石田の代わりに発表してあげるよ」
「そ、そんなことやめてください」
「わたしが発表したほうが、デザイン通るって。上層部にわたし気に入られているし」
冗談じゃない。わたしが今まで考えたデザイン案が盗られる。今までデザインに費やした時間も労力も全部小原すみれに盗られる。
悔しいのに、うまく言葉が出てこない。今まで仕事を押し付けられたり、アイデアを盗まれたりし続けたため、知らないうちに採取されるのに慣れてしまっていた。
涙がでそうになったその時。
「クソババア」
誰かの声がする。
「なんですって?」
小原すみれはわたしが言ったと思いわたしを睨む。
「人の手柄横取りババア」
また声。でもわたしは喋っていない。当然口も開いていない。小原すみれはわたしの顔を凝視したまま。
「なに?後ろに誰かいるの?」
わたしの後ろを覗き込むが、誰もいない。わたしも自分の後ろを恐る恐る振り返る。
「腹話術?」
わたしも何が起こっているか分からない。
お互い困惑顔である。
「何?気持ち悪い」
小原すみれは明らかに怯えていた。
その隙に、わたしはデザイン帳を取り返す。
「自分のデザインは自分で発表しますから!」
そうしてわたしはトイレから駆け出した。
帰宅し、心を落ち着かせるように自分に言い聞かせながら、合わせ鏡で後頭部を見る。
鏡に写ったのは、以前よりもはっきりした唇。ハゲの部分に口がある。
「っぎぎぎ」
声にならない声が後頭部の口から出て、わたしは悲鳴を上げた。
病院には怖くて行けなかった。鏡でハゲを見るのも辞めた。後頭部に口がある妖怪がいたなと考えたり、恐怖のあまり現実逃避することにした。
職場では、小原すみれはわたしの顔を見ると、お化けでもみるような顔で避けるようになっていた。
聞けば、お化けのようなホラーが苦手なのだとか。
わたしにとってはありがたかった。
わたしのデザインしたキャラクターは最終選考まできた。
上層部の前でキャラクターのアピールを発表することになった。
資料を作り、発表の練習を入念にした。
ここでわたしのオリジナルキャラクターが採用されるかどうかの大事な時だ。
途中まではうまくできたのに、上層部の人からの予想外の質問で頭が真っ白になった。ちゃんと質疑応答の練習はしていたのに。何も言葉が出てこない。
その時、後頭部の口が、小声で助けを出してくれた。
後ろからの声のおかげで、わたしはプレゼンを乗り切ることができた。
結果、わたしがデザインしたキャラクターが採用された。人気がでればグッズ化や他のキャラクターとのコラボあるだろう。夢が叶った瞬間だった。
家に帰ってお酒とおつまみを買ってお祝いをする。
ビールが美味しい。
何本もお酒を飲んで気分も良くなる。
「発表の時は助かっちゃった。ありがと」
そっと、後頭部を指で触る。
唇の柔らかい感触が指に伝わってくる。
「あなたも食べてみる?」
酒の肴の焼き鳥を、小さく切って人差し指に乗せ、後頭部の唇にそっと押し当ててみた。
なんの反応もなく、自分で何やってんだろと笑いかけたとき、
指をちゅっちゅっと吸い付く感触に悲鳴を上げた。
流石に酔が覚めた。
そして、小原すみれは上層部からある日呼び出しを受けた。
「石田君のこと気持ち悪いとか言ってるらしいけど、それってコンプライアンスにひっかかるから発言に気をつけたほうがいいよ。それに普段から石田さんに対して暴言がったって、報告がきてるんだよ。しばらく自宅待機するように。処分は後ほど通達するから」
こうして小原すみれは、姿を消し。処分を受け、地方の営業所に転勤になった。
それからは、後頭部の口が何か喋ることはなく、数カ月後、何気なく合せ鏡で見てみると、ハゲがあったところには口は消えていて、短い白髪がびっしりと生えていた。
後頭部の口は幻覚だったのだろうか。
ハゲは治ったけれど口もなくなってしまって、少し寂しい気がした。
次のキャラクターのデザインをするとき、唇が特徴のキャラクターを作ってみようと思った。




