0 : 序章 最終決戦
【西暦3026年8月】
変えられないものを思い知らされる夜を越えて
それでも朝は来る
大人になるとは
その絶望に身を慣らす刑期
〈身体強化、体組織再構成開始。
通信侵入、再試行。
損傷修復処理、並列実行。
――警告。並列処理数、許容量超過〉
〈痛覚遮断処理、優先度低下命令実行。
――再警告、中枢神経演算領域負荷、臨界超過〉
脳内端末が悲鳴を上げる。
焦げ臭い。体の内側から炭素が燃え始めるのを、嗅覚が捉えた。
頭部を貫く激痛。このまま処理を続ければ。脳細胞が不可逆的に損傷する。そのことを警告が出るまでもなく本能が理解していた。
だが、それが何だ。
役割や、犠牲してきたものを思い出す....必要すらなかった。痛みはこれまで、何度もそれらと結びつけて乗り越えてきた。
思考を挟まず、使い古した決意と覚悟を頼りに、脳と体を動かし続ける。
全長六十メートルの巨大な怪物は足を止めなかった。
人がその足で歩き、手を伸ばせば届く世界より、はるか上空。
月と星の明かりの下、雲のさらに上。
それでもここは、人のたゆまぬ努力と研鑽によって到達され、かつては人の手が確かに触れた場所だった。
壊れた衛星探知機や、途中で折れた軌道エレベーターの残骸が、その証として、星明かり溢れる暗い空に浮かんでいる。
外殻を失った建造物の欠片は、鋭利な断面とは裏腹に錆ひとつなく眠っていた。かつての技術力の静かな遺骸だ。
本来なら、風以外の音が存在しない、穏やかな沈黙の空。
ただ、さらに高みが続いているだけのその世界で、風を切り裂き、暴れ回るものがある。
十五機の戦闘機と、三体の巨大な怪物だった。
戦闘機は、生命を思わせる機械だった。
銀色の機体には、すでに絶滅した「鳥」という生き物を模した金属の翼が備えられ、月光を受けて鈍く煌めく。羽ばたきによる上昇の瞬間、翼は硬質さを失い、滑らかな羽へと形を変える。そして滑空へ移る刹那、無駄のない直線的な形態へと切り替わった。
一方、怪物は、機械のように見える生命だった。
三体とも異なる姿を持つが、基本構成は共通している。頭部と四肢、二足歩行、腕による攻撃。人間に近い輪郭を持ちながら、その顔にあるのは人のものではない、奥行を湛えた双眸だけだった。全身は月光を黒く反射する金属装甲に覆われ、関節の隙間からは、時折血を孕んだ筋肉が脈打つように覗いていた。
荒い呼吸。脈打つ肉。外殻とは不釣り合いなその生々しさが、それが確かに生命であることを示していた。
俺は雲中の建造物の残骸を踏み台に、次々と空間を飛び移った。迫り来る戦闘機の主翼ブレードをかいくぐり、避けきれなかったものは叩き落とす。
接近した瞬間、エンジン音が耳を打つ。不快なほど近い。
連撃をかわした直後、相手の隊が距離を取る。体勢を立て直している――その隙に腕部の再構築処理を走らせた。
敵は対人・対機動兵器戦に特化した旧式戦闘機、零応。そのブレードに対抗するため、刃にも盾にもなる板状形態へと硬化させていた黒い腕が、次の瞬間、柔らかな液体のように泡立ち、ぐにゃりと形を崩す。
〈体組織再構成 処理終了〉
処理過程の一瞬だけ、それは血と筋肉が混ざり合った赤い塊に過ぎないものへと化す。直後再び黒い装甲に覆われた。使い慣れた、人間に近い形状。あれが最も動かしやすい。
痛覚遮断を行っていなかったので、腕全体が、粘土のように潰され、こねくり回され、無理やり形を変えられる激痛を直接感じる。だが痛覚はただの信号だ。身体を守るための警告に従う必要はない。
これ以上の痛みを受け、それでもなお今ここに立つ「僕」になりたかった人間が、どれだけいたか。
そのまま地を蹴ると、零応が反応し、四方へ散開しようとした。
即座に間合いへ踏み込み、そのうちの一機を上段から掴み取る。ブレード部分を避けコックピットを捉えた。硬い質感が確かに手の中に伝わる。
本来なら、構造情報を直接分解する処理を行うはずだったが、演算容量が足りない。処理は発動せず、代わりに握力をかける。
通常は容易には潰せない硬度を持つ機体だ。しかし、この体は最終決戦用に極限まで調整されている。全力を込めれば抵抗はなかった。
硬さが消え、続いて内部にいた少年の身体が圧壊した。敵の攻撃を避けながら思わず視線を向けてしまう。
――怯え、身をすくませたその表情が、刹那視界に焼き付く。
既にブレードで裂かれていた身体の各所が、遅れて痛みを主張し始め、俺は声にならない咆哮を敵へ叩きつけた。
二つの超技術がぶつかり合っているにも関わらず、戦い方は驚くほど原始的だった。
零応は連携し、怪物の隙を突いてブレードで切り込んでくる、急降下するその軌道は、かつて映像で見た猛禽の狩りに似ていた。ときおり機体から弾丸が放たれる光線兵器は、致命打にはならないことを双方理解している。動きを縛るための補助に過ぎない。
怪物はそれに応じて皮膚の性質を切り替え、防ぎ、あるいは力で叩き返す。打ち合い、避け合い、組み伏せる。戦闘は技術戦というより、格闘に近かった。
残る二体の怪物に視線を向ける。
No.2は、優勢ではないものの零応に対応しきっている。No.3は、この戦いの速度についていけていない。それでも、戦況からは振り落とされていなかった。
追い詰められている。
戦うたび、相手は戦い方を更新してくる。こちらは確実に戦力を削っているはずなのに、消耗が早いのは俺たちの方だった。想定はしていた。だが、敗北の可能性を現実として立ち上がり、打ち消せない。仲間である彼女たちを守れていない。自分が何より苛立たしかった
「ナギ!!」
佐藤君の声だ。
次の瞬間、その声が脳内に直接流れ込んでくる。常に侵入を試みていた彼の機体が、ふとした拍子に俺の防壁へ接続してきた。
完全なハッキングではない。彼自身が対話を選び、遮断を解除したらしい。
この状況で俺と話すことを選んだ。その事実に、胸の奥が軽くなる。解放されたかのような感覚に、俺は一瞬だけ、喜色を滲ませた。
「ナギ!!お前は間違っている!!これ以上俺の仲間を殺すな!やめてくれ!!」
表情制御系がわずかに緩むのを感じた。この呼びかけで戦いが終わる余地があると思っているのだろうか。いや、まさか彼も今本気でそう信じているわけではない。ただきっと、彼の周りでは、今までそれで通ってきたのだろう。
俺はその甘さが嫌いじゃなかった。
淡々と、佐藤君を守るように周囲を飛び回る戦闘機を蹴り落とす。対応しきれないものは他二体からの援護で捌いた。
零応に迫り、佐藤君を殺すために弾丸を避けながら攻撃を重ねる。拳や蹴りが機体を捉えた。
俺は唯一の友人の呼びかけに応じた。
「正しいか、正しくないかは、どうでもいいんだ」
詭弁だろう。
社会的な観点とやらでは彼は間違いなく正義だ。俺にとっての初めての友人は、どこまでも正直で、熱く、正しい人間だった。
佐藤君はただ避け続けていた。当たっても、傷がつくのは俺の体だけだ。
ふと気づく。
彼の機体に侵入している通信に、別系統の信号が混ざっている。背後、ドーム幹部からのものだろう。何か指示を受けているに違いない。その瞬間、胸の奥がひどく白けて冷えた。俺、いや僕自身にも、彼にも。それぞれに立場がある。
俺は大切な人を思い出して、再び動いた。
「君には譲れないものがある。なら、僕だって同じだろう。」
零応の射撃を搔い潜り、折れたマスドライバーの基部へ降りる。
片膝が構造物を叩いた。メリ、と嫌な音が走る。砂埃を吹き上げながら、建造物はかろうじて耐えた。
ここで”怪物”としての擬態を解く。
怪物の体が、突如として水銀のような液体へと変じ、外側から静かに崩れ落ちていった。
黒銀の粘性を帯びたそれは何層にも重なりながら溶解し、やがて地面に広がる厚い液だまりだけを残す。
しかし、その中心に一人の青年が立っている。
液体は彼の輪郭に沿って集まり、ところどころに黒銀の名残を残しながら、人の姿へと移ろって行った。
先ほどまで巨大で無骨な怪物を成していた同じ物質が、今は端正な顔立ちを形作り、髪の一本一本にまで行き渡っている。
ただし、それは完全な人間の肉体ではない。彼の体を覆うのは皮膚ではなく、怪物の時と同じ黒い金属、関節や胴を包むように密着した無機的な装甲だった。それは衣服のようでいて衣服ではなく、肉体の一部として存在している。
惚けていたように攻撃をやめていた一体の戦闘機が、我を取り戻したように再び火線を走らせる。だがその瞬間、周りにいた怪物のうちの一体が青年がいる方向を庇うように割り込み、戦闘機の正面に立った。
放たれた射撃は、その腕に弾き飛ばされる。
怪物は体当たりするように零応の隊列へ突っ込み、そのまま間合いを詰めた。蹴りが叩き込まれる。
それを見ながら、俺はマスドライバーの上を進む。人間には致死量となる放射性物質が舞う空を、静かに踏みしめながら。
黒銀の液体は俺から切り離せない。巨大な影のように背後へ伸び、地面を引きずりながら、俺の動きに従っていた。
この空間を歩いているのは俺一人だ。
かつての社会が築いた科学の残骸を踏み越え、人が立つことすら許されなくなった場所を、当たり前のように進んでいく。
「ナギ!!」
佐藤君の声が、再び通信に割り込む。
俺はそれに応じるように、芝居がかった仕草で両手を広げた。佐藤君が乗るコックピット、外部を写すカメラを、正面から見据える。今、俺を見ているのは彼だけじゃない。
「そうだ。僕はナギ。君たちを滅ぼす敵さ。」
そして今度こそ、ただ一人佐藤君を指さす。
「君の正しさ、
俺を殺して証明してみせろ。」




