2話 状況を整理しましょう
公爵邸の寝室。
午後の柔らかな光がカーテンを透かし、部屋を淡い金色に染めていた。
クロエ・ヴァン・ルクセンベルクはベッドに横たわり、額に冷たい布を当てられていた。
頭がまだズキズキと痛む。
視界がぼやける中、彼女はゆっくりと目を覚ました。
(……ここは……? 馬車で頭をぶつけて……それから……)
突然、頭の中に流れ込んだ大量の記憶が、はっきりと形を成していく。
――私は加藤千尋。日本の普通のOL。
昨日は残業して帰宅して、コンビニ弁当食べて……そのまま寝落ちしたはず……
なのに今、私は……クロエ・ヴァン・ルクセンベルク?あの乙女ゲーム「散りゆく桜」の 悪役令嬢。
全ルートクリアした私から言えることは、この令嬢には救いがない。一番マシなエンドで屋敷監禁エンドの……?
クロエはベッドの上で体を起こし、鏡に映る自分の顔を見つめた。
金色の巻き髪、青い瞳、完璧な貴族令嬢の容姿。
間違いない。これはあのゲームの世界だ。
(やばい……本当に転生しちゃった……しかも最悪のポジション……)
ドアが勢いよく開き、公爵夫妻が駆け込んできた。
「クロエ! 目が覚めたか!?」
父・アルベルト公爵は娘の肩を抱き、普段の威厳が消え失せた顔で言った。
母・イザベラは涙を浮かべて額に手を当て、
「熱はない? まだ痛む? 医者をもう一度呼ぶわ!」
クロエは混乱した頭で、なんとか令嬢らしい笑顔を浮かべた。
「お父様、お母様……ご心配をおかけして申し訳ありません。少し頭をぶつけただけですの。過度な心配はいりません。」
夫妻は一瞬、目を丸くした。
いつもなら散々騒いだ後に、馬車の運転手をクビにしろくらいのことは言う娘が、こんなに穏やかで丁寧だなんて。
父は目を細め、
「……クロエ、頭を打ったせいで雰囲気が...? いやしかし、いつも通り可愛いままだな……気のせいか」
母は娘を抱きしめ、
「よかった、本当に生きていてくれて。ゆっくり休みなさい。医者もまた呼びますからね」
(私は思う。親はこんなに優しかったんだと。原作では見放されるはずなのに。
ただ、ということはまだ救いはあるはず!とりあえずここから。みんなに優しく・丁寧にでいこう!)
夫妻が心配そうに部屋を出ていくと、クロエは深呼吸した。
(よし……もう高飛車は絶対やめる。そして、今後出てくるであろうメインヒロインやその他攻略対象、特に原作で関係性が終わっていた第二王子レオンとは適度に距離を保ち、邪魔じゃないくらいの存在になる。そうすれば、家柄は良いんだからなんとか不便なく余生を送れるはず)
そんなことを思っていると、ドアが小さくノックされ、新人メイドのアンナが恐る恐る入ってきた。
アンナは公爵家に新しく入ったばかりで、先輩メイドから「クロエお嬢様は我儘で怖い方。機嫌を損ねたら即クビ!」と散々脅されていたはず。
震える声で、
「お、お嬢様……お加減はいかがでしょうか……?」
トレイに薬とお茶を乗せ、手がガタガタ震えている。
私はベッドから体を起こし、にこにこした。
「おはようございます、アンナ。お茶と薬をもってきてくれてありがとう。いただきますね」
アンナは固まった。
「……え? ありがとう……?」
「ええ。アンナもお疲れでしょう? こちらへお座りになって、一緒にいただきましょう?」
アンナは小刻みに震えながら後ずさり、
「あ、ありがとう..?お、お嬢様…… 頭を打ったせいで……おかしく.....?」
そこまで言ってアンナは口に手を当て発言を抑え込む。
今の発言、以前の私なら即刻クビにするんだろうが、今の私は一味どころか二味は違う。
(こちとら社会人5年もやってるわけで。こんな発言でいちいち腹立ててたら、顧客対応で毎度発狂しなくちゃいけなくなるわ)
私は先ほどの発言の都合の悪い部分は聞かなかったことにして、そのまま言葉を続ける。
「ええ、私の看病をしてくれてるんですもの。お礼を言うのは当然でしょう。さ、こちらに座ってアンナも一緒にお茶を飲みましょ?」
アンナが固まった。
(以前の私どんだけ怖かったんだよ・・・この程度の発言で固まられると逆にこえぇよ・・・)
固まっていたアンナは何とか動き出した。トレイをそっと置いて、恐る恐るベット脇にある椅子に座った。
クロエはアンナの手を取って、
「アンナの手、冷たいですわ。温かいお茶で温まりましょう?」
「ひゃ、ひゃい!ありがとうございます!いただきます!」
クロエはにこにこしながら、
「これからよろしくお願いするわね、アンナ」
今だ小刻みに震え、ぎこちない笑みを浮かべているが、噂ほどの悪印象は避けられたはずだ。
(よし、まずは側近メイドへの印象操作は成功といっていいんじゃないか。転生したばかりで頭がついていけてない割には上出来・・・だと信じよう!)
――こうして、転生したクロエの「優しさ・丁寧」作戦が、静かに始まった。




