プロローグ
ただ逃げていた。
薄暗い森のなか、重すぎる愛を抱え、笑顔で僕の名前を呼ぶ、『妹』から。
彼女の手には、恐らく台所から持ってきただろう包丁が握られている。
「お兄ちゃん?」
僕の身体にまとわりつくような声で、彼女は話しかけてくる。
「待ってよ。私はただ、お兄ちゃんとお話がしたいだけなんだよ?」
そんなわけないだろう。この声を真に受けて今ここで足を止めれば、確実に彼女に殺される。
「せめてその包丁を捨ててから言ってほしいけどな…」
無駄だとは思いながら、一応彼女に声をかけてみる。
「お兄ちゃんが逃げるから仕方がないんだよ…」
「私だってこんなこと、したくないんだよ…?」
思った通りの答えを聞きながら、この先どうすべきかを考える。
このまま逃げ続けても結局はジリ貧だ。だからといって説得も不可能だ。となれば…
「…これは、僕を守るためなんだ」
そう自分言い聞かせて、立ち止まる。
「やっと話を聞いてくれる気になった?」
彼女はそんなことをいいながら、じわじわと近づいてくる。
「今!」
僕は妹に向かって走り出した。
「えっ?」
走ってくるとは思っていなかったらしい妹が、そんなすっとんきょうな声を出す。
そんな声を無視して僕は、妹に抱きつく。
「お兄ちゃん…?」
急に抱きつかれた妹が戸惑った、その一瞬の隙。
「うっ……」
妹の口からそんなうめき声が聞こえた。恐らく妹の背中には赤い染みが出来ているだろう。
「お兄ちゃん…なんで…」
そんな声が耳元で聞こえる。
「もう…こうするしかなかったんだ」
僕はそう呟く。せめて最期くらいはと、妹を強く抱き締める。
それで安心したのか、彼女は一言だけ残した。
「またね」
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「はぁ…はぁ…」
最近、あの日の夢をよく見る。彼女の最期に放ったあの言葉でいつも目が覚める。
「もう、あいつはいないんだ」
そう自分に言い聞かせ、そろそろ朝食をとろうか。
そんなことを思っていたとき。
ピンポーン
家のチャイムがなった。なにか嫌な予感を感じ取ったが、居留守を使うのもなんだか嫌だったので、重い腰を上げ玄関へ向かった。
嫌な予感とは当たるもので。
「はーい」
返事をしながらドアを空けた瞬間。さっきまで見ていた夢がフラッシュバックした。
見覚えのある顔が、言うなれば勇者の服のようなものを身に纏って、立っていた。
そして一言
「また会えたね、お兄ちゃん」