表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/21

第9話 知られざる忠誠、仮面の陰に咲く

昼下がりの陽が、石畳を柔らかく照らしていた。風は穏やかで、遠くからは鳥のさえずりが聞こえる。

郊外の訓練場──町の喧騒から離れたその静かな場所に、金色の髪が陽を弾いた。

リディアは黙って立っていた。両の拳を握りしめ、目の前に置かれた木製の訓練人形を睨むように見つめている。

彼女の動きに、周囲の空気が微かに震えた。


「……もう一度、仮面の人の動きを思い出して……」


息を吸い、膝を曲げ、踏み込む。

無駄のない動き。全身に巡らせた魔力を掌に収束させ、人形の胴に拳を突き出す。

一瞬で、木が軋む音が響き、表面に浅いひびが走った。だが、リディアの顔に浮かんだのは、納得のいかぬ不満の色。


「違う……彼のはもっと……鋭かった。もっと、一瞬だった……!」


髪が揺れ、汗が額をつたう。小柄な体に秘めた熱量は、静かに燃え続けていた。

仮面の男が見せたあの強さ。それは恐ろしいものではなく、ただ圧倒的で、どこまでも信じたくなる“正義”の形だった。


「私も……ちゃんと、役に立てるように……」


誰に聞かせるでもない、決意の言葉だった。

そしてその頃、街の地下。

ひとつの隠れ家の中、無数の古書や魔道具が並ぶ机に向かっていたのはアレクト。無口で冷静な青年は、仮面の道化の影を独自に追っていた。

静かに書をめくる手は、ある一点で止まる。古代語で記された魔術結社の記録。

ページの端には、十三年前の火災事件に関する記述があった。


「……やはり、繋がっている」


呟き、机の上の魔導式スクリーンを操作する。そこには、過去の目撃情報や出没位置の統計がプロットされていた。

整然と並んだデータの先に浮かぶのは、ひとつの“仮説”。

──仮面の道化は、偶然に動いているわけではない。


「先読みしている?……いや、そうじゃない。これは――戦略だ」


その結論は、アレクトにとって衝撃だった。

彼自身、かつては“知”こそが正義を導くと信じていた。だが、その正義を実行する者がいる。己より遥かに無鉄砲に、そして信じがたい結果を残して。


「……だったら、私はそれを支える知になろう」


唇の端が、ほんの僅かに笑みに動いた。

夕暮れが迫る頃、街の酒場の裏路地に佇む男の姿があった。

フードを目深に被り、手には小さな手帳。彼はリック、元情報屋。今では“仮面の道化”に密かに協力する陰の諜報役だ。


「……また増えてるな、支援要請」


帳面の中に記された依頼の数々。

救われた者たちが、密かに寄せた感謝や支援の品、情報。それらはすべて、仮面の道化の元に集まることなく、彼の知らぬまま、忠誠の証となっていた。


「本人は気づいてないだろうけどな……あんなヤツでも、誰かの希望になっちまったってことだ」


リックは煙草を口にくわえるも、火はつけなかった。

どこか物憂げに、しかし確かに誇らしげな眼差しで、帳面を懐にしまう。


「正義のヒーローさんよ、今夜はどこで暴れてくれるんだか……こっちはちゃんと、後片付けしといてやるよ」


その夜、仮面の男は街の高台にいた。

ひとり、屋根の上でアップルパイをかじる。隣に誰もいないのが、彼にとっての普通だった。

ただ静かに夜風が吹き抜け、彼の外套の裾をさらう。


「……なんか、最近……やたらと片付きすぎてないか?」


仮面の下で眉がひそめられる。

いくつもの事件が、まるで道筋が引かれたように次々と解決している。

気配が消える前に敵が浮上し、拠点は先回りで発見され、何もかもが“うまくいきすぎている”。


「……いや、気のせいか……」


彼はパイの最後の一切れを口に放り込んだ。だがその背後──夜空を見上げる仮面の男を、どこかの屋根の影から誰かが見守っていた。

仮面の正義。その姿に、自らのすべてを賭ける者たち。

だが、本人はまだ知らない。

自分の後ろに、どれだけ多くの“背中”が連なっているのかを。

信頼も、誓いも、忠義も、想いも──

全ては仮面の男の知らぬところで、着実に積み重ねられていた。

それはやがて、彼が抱える“本当の戦い”に繋がっていくことになる。

そして、夜は更ける。

路地の影には、未だ動き出す気配を見せぬ何者かの影。

仮面の男が知らぬまま、世界は静かに、次の火種を孕んでいた。



黄昏時の廃塔は、街の喧騒とは無縁だった。

かつては貴族の別荘として建てられたというその建物は、今では誰も寄りつかない廃墟となり、冷たい石壁の中で小さな会議が開かれていた。


「……このままでは、また仮面に出し抜かれる」


部屋に響くのは、鋭い女の声。

銀灰色の髪に仮面を半ば外した女、コードネーム『ティレシア』。組織の幹部の一人で、冷徹な策士として恐れられている。

彼女の前には数人の影が並ぶ。皆それぞれ異なる仮面をつけており、雰囲気は重く、空気は張り詰めていた。

その中で、ひときわ場違いな存在がいた。


「……え、俺? また俺のせい?」

「当然だろう、ノワール。お前が“例の文書”をカフェに置き忘れてきたせいで、支部の位置が完全に割れたんだ」

「いやでもあれ、裏返してたし……しかも表紙に『禁・閲覧注意』って書いといたじゃん? 普通読まなくない?」

「読むわ、余計に」


ノワールと呼ばれた青年は、漆黒の仮面を斜めにかけ、長い袖をひらひらと振りながら座椅子にぐでっと沈んでいた。明らかに緊張感のないその姿に、他の構成員は皆、冷ややかな視線を向けている。


「……我々が十三年かけて進めてきた計画が、君のせいで随分と加速してしまったのは確かだ。ある意味、功労者ではあるな」


皮肉混じりに言ったのは『司書』と呼ばれる老人。

仮面の下から覗く眼光は鋭く、その手には常に古びた魔導書がある。


「だが“奴”が動き出した以上、我々の方針も変えねばならぬ。予言の文言を覚えているな?」


『十三年の月が満ちるとき、正義の影が再び笑う』。


「……全ては、あの仮面の男を起点に動き出した。あの日、彼が“火の城”で生き延びたことから……」

「待って。え? あの道化って、十三年前のあれ……?」


ノワールが目を見開くと、全員の視線が彼に集中する。


「今更か」

「えぇ……そうだったの……? なんか、昼間はパン屋の屋根で寝てるし、意外と庶民派っていうか……」

「見た目に惑わされるな。奴の動きには“理”がある。我々の拠点を狙い撃ちしているのは偶然ではない」

「いやでも、パンは好きそうだった」


無視された。

ティレシアは再び口を開いた。


「これより、作戦を第二段階に移行する。“遺された仮面”を回収せよ」


室内が静まり返る。

“遺された仮面”──十三年前、儀式に使われた魔道具のひとつ。仮面の男が偶然手にしたあの品こそが、計画の鍵だった。


「奴が持つあの仮面……我々が“造ったもの”だとは、まだ気づいていないはずだ」

「つーか、なんであんな市で売ってたの?」

「……誰かが手放したか、流出したのだろう。管理が甘かったのは、当時の失態だ」


全員が一瞬だけノワールを見た。


「いや、俺じゃないってば!」


その夜、敵組織のひとつの部隊が密かに動き出す。

目的は仮面の回収。そして、その背後にある『十三年前の大火』の真相を隠すための口封じだった。

ティレシアは外套を羽織りながら、誰にも聞こえぬように呟いた。


「仮面の正義など、偽物に過ぎない。本物の“選ばれし者”こそが、世界を正す」


彼女の目には、冷たい決意が宿っていた。

だがその頃、仮面の男は路地裏で悩んでいた。


「……今夜も静かだな。なんか、最近やたらスムーズすぎるような……」


手にはアップルパイ。横には誰もいない。完全に無自覚なまま、敵の焦燥と緊迫をよそに、今日もひとり平和に街を歩いていた。

何も知らない仮面の道化。

だが、彼の手にある仮面こそが、十三年前に消えた“鍵”。

世界を巻き込む真実の開幕は、既に始まっていた。

崩れていく計画、暴かれていく陰謀、そして──1人のおっちょこちょいが引き起こす、大混乱の予兆。

戦いは、まだ静かに。だが確実に、熱を帯び始めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ