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第7話 笑うはずだった仮面、泣いた夜の記憶

(――仮面には、笑ってるか泣いてるか分からない利点がある)


 エレボスは、時折そんなことを思う。

 表情を隠すというのは、実に都合がいい。怒っていようが、怯えていようが、何食わぬ顔で正義を語れる。


(でも……たまに思う)


 この仮面の笑いが、本当に“笑い”だったことが、一度でもあったか――と。

 十三年前。

 王都がまだ“善政”の名を掲げながら、裏では腐敗しきっていた頃。

 華やかな貴族社会と、その影に横たわる拷問、殺人、権力遊戯。

 法は飾り、貴族は神、庶民は道具。

 その構造を誰よりも知っていたのは、皮肉にも一人の少年だった。

 貴族の家に生まれながら、使用人のように扱われて育った少年。

 孤児を連れ帰ったという建前で、実験に使うために拾われた子供――それが、かつての“彼”だった。


「君はね、選ばれたんだよ」

「仮面を通じて、“本当の君”になれる」


 少年の顔に刻まれたのは、魔法の印。

 それは“自我”を仮面に封じ、身体に魔力を蓄えるための術式――つまり、『仮面そのものが武器』になる呪いだった。

 人を殴れば殴るほど、仮面が笑う。

 血を浴びれば浴びるほど、仮面は光る。

 そして、自分が“誰か”になればなるほど、自分が“何者だったか”は消えていった。

 あの夜。

 館は燃えた。

 罪なき使用人も、道化のように飼われていた子供たちも、全てが呪術の生贄にされた夜だった。

 エレボスだけが生き残ったのは――彼が、「器」だったから。


「怒れ」

「憎め」

「殺せ」

「笑え」


 そう命じたのは、仮面だったのか。

 それとも、仮面を被った自分自身だったのか。

 気づけば、炎の中に立っていた。

 手は血に染まり、目の前には、かつて“父”と呼ばれた男の首。

 口元は、笑っていた。仮面のように、裂けるような笑みで。

 そして――十三年後。

 その仮面は、未だに砕けないまま、彼の顔を隠し続けている。


(……とか、それっぽく回想してるけど)

(実際は、途中からよく覚えてないんだよな)


「えーっと、確かあの時……火事があって……なんかドーンってなって……」

「……そんで、気づいたら拳が血だらけで、あれ?って思って……」


 仮面の下で、ぽりぽりと頬をかくように指を動かす。

 回想の中で自分を美化しようとしたが、思い出せるのは『物理でなんとかした』という結末だけだった。

 そして今、その“仮面”には、王家を支配していた古代魔術が封じられていたと、仲間の一人が言っている。

 曰く、『その仮面は、王を再生させる器だ』

 曰く、『仮面を砕くには、真なる怒りの魔法で焼き尽くすしかない』

 曰く、『それを知ってるのに、なんでまだ被ってるの!?』


「だって便利だし……」


 そんな理由で今も仮面を被っているエレボス。

 本人はあまり気にしていないが、仲間たちの間ではそれはすでに“神聖な遺物”扱いになっていた。

 リディアに至っては、仮面のコピーを三枚ほど作って保管しており、時折「今週のエレボス仮面の色味チェック」なる謎の会議を開いている。


「え?何それ怖い」


 本人だけが知らない信仰が、密かに進行しているのだった。


 ――そして、仮面に眠る力に気づいた者たちが、今、動き始める。


 再び蘇らせようとする王の意志。

 その媒介として選ばれた仮面と、その使い手。

 皮肉なことに、本人が一番その重要性を理解していないまま、戦いの渦に巻き込まれていく。

 笑う仮面の下で、彼は今日も無自覚に――世界の運命をぶん殴っていた。

 仮面の秘密を巡る戦いは、まだ始まったばかりである。



 王都の夜は静かだった。

 だがその静けさは、ただの“静寂”ではない。

 誰かが意図的に、何かを隠すために作り出した、張り詰めた薄氷のような沈黙。

 路地裏の影が揺れる。月光が届かぬその暗がりに、ローブを纏った男がひとり佇んでいた。


「……目覚める時が来たか」


 その男――〈導師ドゥセ〉は、仮面越しに遠くを見つめていた。

 握る杖の先、鈍く光る仮面の欠片。

 それは十三年前の“あの夜”に砕け、散り散りになった王家の神器――『道化の仮面』の一部。

 元は一対だった。

 一つは神託を受ける祭礼用の聖具。

 もう一つは、王の罪を覆い隠す“影の仮面”。

 ドゥセが握るのは、後者。

 だが、真に力を持つのはもう片方。

 すなわち、蚤の市でなぜか売られていた、“あの”仮面である。


「まさか、拾われるとはな……運命というには、出来すぎている」


 一方、王都の中心部。貴族街の外れにある、とある屋敷の地下。

 そこには、誰にも知られず作られた“隠れ家”があった。

 元は反体制派のアジトだったが、今は仮面の男の仲間たちが、密かに拠点として使用している。

 部屋の中央には、長机を囲むように数人の人影。

 皆、一様にフードを被り、仮面の男の話をしていた。


「……本当に気づいてないんですか? 我々がこれだけ動いてるのに」

「たぶん、気づいててもスルーしてる。あの人、割と“気まま”だから」

「というか、そもそも“殿”って我々の名前覚えてます?」

「たぶん五人くらいしか仲間いないと思ってる。いや、三人くらい?」


 薄暗い部屋の中、さまざまな報告と対策が飛び交っていた。

 エレボスが仮面を手にしてからというもの、彼の行動は常に“何かを呼び起こす”ようだった。

 事実、それは王都の隠された組織を刺激し、既に動き出した者たちもいる。


「次は、貴族議会の汚職ルートだな。ドゥセの資金源の一部になっている」

「潜入して、記録を盗み出す。ついでに焚いて焼く」

「焼くな! 証拠は残せ!」


 真剣な声と軽口が交錯する。

 そしてその奥で、一人の少女が、静かに武器の手入れをしていた。

 ――リディア。かつて仮面の道化に惹かれ、自ら追いすがった金髪の少女。

 今は、名も無き“影”として、主の目に映ることなく忠誠を尽くしていた。

 誰よりも早く動き、誰よりも主の意志を理解しようとし、

 誰よりも――主に気づかれていない。


「……でも、いいの。あの人が信じてくれるまで、私はこの影でいい」


 小さな声は、誰にも届かない。

 そしてその頃、当のエレボスは――


「うぉおお!? 芋の中から虫出てきた!! なんで!?」


 王都の南、屋台通りにて、焼き芋に対して全力の悲鳴を上げていた。

 道行く人々は仮面の異様な風貌に驚きつつも、彼の悲鳴に笑っていた。


「お、お客さん……それ、サツマイモじゃなくて、里芋です……」

「ぬるぬるしてると思った!! この仮面、視界狭いんだよ!!」


 そんな彼の姿を、路地裏の屋根上から見守る数人の影。


「……あれが、“器”?」

「……大丈夫なのか、世界」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫になるのが“あの人”なんだよ。意味分かんないけど」


 王都には、仮面の男の名を密かに囁く者が増えていた。

 いつしか彼は“道化の騎士”と呼ばれ、

 誰かにとっての希望であり、誰かにとっての不確定な脅威となっていた。

 敵は既に、王都の内と外で動き出している。

 十三年前の事件――王の仮面を巡る血塗られた儀式。

 それは今、再び新たな“劇”として幕を開けようとしていた。

 けれど、仮面の男は今日も――ただ、気ままに歩いている。

 誰かを救うためでもなく。

 過去を清算するためでもなく。

 焼き芋を食べるために。

 だが、その歩みの先には、確かに“運命”が待ち受けていた。

 気づかぬうちに、誰よりも多くの想いを背負いながら。

 だが、その歩みの先には、確かに“運命”が待ち受けていた。

 気づかぬうちに、誰よりも多くの想いを背負いながら。

 その夜。王都の北端、放棄された劇場跡に、不穏な焰が灯る。

 ひび割れた舞台の上に、仮面を付けた者たちが集う。

 皆、仮面の道化とは違う。無機質な金属の仮面。無表情な白面。咎を刻んだ赤。

 それぞれが己の信念を隠し、己の目的を遂げるためだけに集まった者たち。


「……十三年。ようやく、再演の時だ」


 重々しい声が、舞台の奥から響く。

 薄闇を割って現れたのは、フードを深く被った男。

 その手には、半壊した古代の書と、かつて王家が封印したはずの“儀式の残骸”。


「仮面はまだ未完成……だが、“器”は現れた。我らの願いを成すには、今しかない」

「……だが、その器は、あまりにふざけている」


 舞台袖で小さく呟いた者に、別の声が笑う。


「だからこそ“道化”なのだ。最も恐るべきは、狂気に似た無垢。無自覚なる正義こそ、時に神すらも否定する」

「では、始めよう。新たなる“戴冠の儀式”を――あの仮面の、正統な継承者として」


 一方その頃。王都中心部、路地裏にあるいつもの裏道。

 仮面の道化――エレボスは、今日も黙々と焼き鳥を頬張っていた。


「んぐ……これ、うめぇな……!」


 屋台の老主人が笑いながら串を差し出す。


「仮面の兄ちゃん、こっちも食ってけ。さっきのお代? いいさ、あんたには世話になってるしな」

「えっ、オレ、なんかしたっけ」

「してるだろーがい! うちの娘が誘拐された時、助けてくれただろ!」

「ああ……あれ、うん……通りすがりにたまたまね」


 そう言いつつ、内心では――


(……あれ? 誘拐事件って……あの時の子、やっぱあの屋根から落ちてきた餅みたいな……いや、言うのやめとこ)


 口元に串をくわえたまま、仮面越しに周囲を見回す。

 今日も変わらず、静かな王都の夜――に見えていた。

 しかしその裏で、確実に“何か”が忍び寄っていた。


 「王立劇場跡地で、夜な夜な怪しい集会が行われている」


 そんな情報を持ち込んだのは、裏の連絡網を掌握する仲間の一人。

 名はアレクト。商人を装いながら、王都の情報の流れを操る観察者。


「ただの演劇サークルかと思いきや、魔力の反応が異常だ。中には高位の術者もいる可能性が高い」

「……で、また俺が突っ込むの?」

「いやいや、今回はちゃんと下準備してる。あと、リディアが既に中に潜入済み」

「え、リディア……あの子まだいたの……? あれ、最近見てないような……」


 エレボスの脳内では、金髪の少女が泣きながらサンドバッグを殴っていた記憶が微かに蘇る。

 その頃、劇場跡の地下。

 リディアは、フード姿で完全に溶け込み、敵の情報を着々と集めていた。


「……やはり、“儀式”の準備が進んでいる。仮面を使い、何かを“召喚”するつもり……」


 小さく、通信石に囁く。


『よし、突入だ』


 通信の先で、仮面の道化が即答してきた。


「ちょっ、待って、まだ深く――!」

『突入だッ!!!』


 ガシャァァアアアン!!!


 派手に天井をぶち抜いて、道化の男が舞い降りる。


「よう、劇場の皆さん! 観客が多くて緊張するけど、開演前に挨拶しとこうか」


 彼の背後には、なぜか舞台照明が煌々と灯り、スポットライトが仮面に当たっていた。


「……あの人、ほんとに考えて動いてるのかな……」

「逆に、考えてない方が恐いだろ……」


 敵も、味方も、思わず静まる一瞬。

 だが、次の瞬間。

 リディアの短剣が閃き、アレクトの毒煙が舞い、裏の仲間たちが次々と影から現れた。

 気づけば、敵は四面楚歌。

 仮面の男の“無計画な突入”が、結果的に完璧な包囲網となっていた。

 ――こうして、“道化の仮面”を巡る新たな戦いは、再び幕を開けた。

 仮面を持つ者は、己の意志を知らぬままに、数多の者たちの運命を変えてゆく。

 それが、正義かどうかは――たぶん、本人にも分かっていない。

 だが一つ、確かなのは。

 彼の拳が振るわれる時。

 何かが壊れ、何かが救われ、何かが始まる。

 その一撃が、世界を救うか否かは……まあ、成り行きで。

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