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第6話 誰がための剣、少女のための試練

 月は、静かに沈みかけていた。

 貴族の街区と平民の街区の境界にある、古びた地下礼拝堂。

 壁を這う蔦と、崩れかけた石の祭壇。その奥には、今では使われることのなくなった供物庫がある。

 そこに、少女はいた。

 金髪はくすみ、薄汚れたドレスを纏ったまま、両手を縛られて座らされていた。


「……ここ、どこ?」

「黙ってろ。口を開くと雑念が入る」


 低く響いた声は、金属の仮面をつけた男――バルクのものだ。

 その後ろには、フードを目深に被った数人の影。全員、素性も見た目もまるでわからない。唯一、共通しているのは――異様な気配を纏っていることだった。


「……トガ、様は……?」

「今ごろは屋根の上で孤高ぶってる。いつものことだ」

「……」

「お前は、あいつの“試練対象”に選ばれたんだ。理由は知らん。だが一度始まった以上、生半可な覚悟じゃ死ぬぞ」


 バルクの言葉に、少女の肩が震えた。

 それでも、彼女は目を逸らさなかった。

 暗い、石造りの地下にあって、その瞳だけは妙に光を帯びていた。

 ――あの仮面の男の背中を見てしまったから。

 あの夜。誰よりも孤独で、誰よりも優しい“力”を持つ男の姿を、彼女は確かに見た。

 自分では一歩も踏み出せなかった恐怖の世界に、迷いもせず突っ込んでいった仮面の男。その姿は、まるで闇の中に差す月光だった。


「わたし、強くなりたいの」

「……いい目をしてる。だがな――」


 バルクが手を振ると、周囲の影たちがゆっくりと動き出した。


 どさり。


 目の前に、木製の剣が投げ出される。


「これは……?」

「魔力もなければ刃もない、ただの木刀だ。だが、その意味は重い」


 バルクが目を細め、低く言い放つ。


「これから数日間、お前はここで“影の訓練”を受ける。逃げ出してもいい。誰も止めない。ただし――」


 彼は、ぽつりと、背を向けて言った。


「一度逃げたら、二度とあいつの背中は見られなくなるぞ」


 少女の唇が震えた。

 けれど――その目は、確かに揺れていなかった。


「……わかった。やってやる」


 彼女が手を伸ばし、木刀を握る。掌が震え、指先が白くなる。

 だけど、ぎゅっとそれを胸に抱き、静かに立ち上がった。

 その様子を、影の中から別の声がくぐもった調子で呟いた。


「……けっこう筋がいいかもしれないわね」

「舐めてると骨折れるよ〜、でも応援してる!」

「そいつ、魔力ゼロだったろ? でも、なんか“いい匂い”する」


 影たちの正体。それは、トガに忠誠を誓う、影の仲間たち――

 だが、彼らは決して表には出ない。名も持たぬ者たち。彼女にとっては、まだただの“恐怖の集団”でしかない。

 それでも少女は、踏み出した。

 その一歩が、地響きのように小さく石床に響く。

 ――そのころ。


(……はぁ。今日は月がよく見える)


 とある屋根の上、トガは満月を眺めながら物思いに耽っていた。


(最近、背中が痒い。なんか誰かに見られてるような……)

(まさか、リディアじゃないよな?……いや、まさかな)


 彼は知らない。

 その頃、仲間たちの手で新たな同志候補が訓練されていることも。

 その少女が、彼のことを“救い”だと思っていることも。

 そして――


「トガ様の好きなスイーツの傾向、まとめました♡」

「新兵の適性は“猪突猛進”と“空腹”に分類されました!」

「目指せ忠誠度100%!」


 謎の共同ノートが、地下で密かに回されていることも。

 彼は、知らない。


(……俺は、ひとりだ)


 そう、仮面の下で呟きながら、今日も静かに屋根の上で月を眺める。


(……たぶん)


 その背中は、既に多くの者に見つめられ、支えられていた。

 朝日も届かない、沈黙の地下。

 時間の感覚を失わせるその場所で、少女の訓練は始まった。

 木剣を構える――


「右足が前だ、逆だ逆!」


 影の一人が叫び、別の影が即座に修正に入る。


「そうそう、腰を落として、そう……ってなんでそこまでガチガチになるの!? それもう棒立ちだよ!」

「わ、わたしなりに真剣に……!」

「“真剣”だからって真顔で動きが棒じゃ意味ないの!」


 指導者たちは、極めて優秀だ。たぶん。

 ただし、全員が全員、個性の塊だった。


「教官、その注意、三回目です」

「メモとっとけよ、教えたこと、ちゃんと」

「気合いは十分、でも筋肉が圧倒的に足りないね。特に腹筋」

「まずは三時間、正座で精神統一からいこうか」


 ――その後、少女は三度倒れ、二度吐き、途中で泣いた。

 だが、それでもやめなかった。


「立ち上がった……だと……?」

「まだいける……わたし、あの人に……会いたいから……!」


 少女の頬は汚れ、手のひらには豆が潰れて血がにじんでいた。

 それでも、涙と一緒に、何か熱いものが確かに溢れていた。


「へぇ……。いい根性してんじゃん?」


 その様子を見ていたバルクが、腕を組んだまま口の端をわずかに上げた。


「じゃあ、そろそろ“実技”いくか」

「じ、実技……?」

「お前にぴったりの相手を用意してある。遠慮なく暴れてくれや」


 その時――


「ウガアアアアアッッ!!」


 壁をぶち破って現れたのは、全身筋肉に覆われた、謎の獣人だった。


「わたし、無理かもしれない」

「まだ早い」


 木剣を握る手が震えながらも、少女は一歩、前に出る。

 周囲の影たちは全員、腕を組んでうんうんと頷いていた。


「見たか? あれが“覚悟”ってやつだ」

「データ更新、忠誠心レベル:+5%」

「トガ様、良い娘拾ったなぁ……」

「おい、まだ拾ってもらってねぇぞ?」


 戦闘開始の合図もなく、獣人が雄叫びを上げて突進してくる。


「ひぃいいいいい!!」

「落ち着け、流れを見ろ!」

「見たけど無理だよおおおおおお!」


 しかし――

 少女の踏み込みは、さっきまでとは違っていた。

 揺れる金髪を振り切り、ただ一歩、渾身の一撃を放つ。


 ごっ!


 木剣が獣人の膝に命中。


「グアッ!?」


 その瞬間、獣人は絶妙な角度で転倒し、転がるように壁に激突した。


「……えっ?」

「膝、狙ったのか?」

「いや、たぶん、たまたま……」

「たまたまで膝を潰すとか、センスしかない」

「やっぱこの娘、伸びるわ」


 そう、奇跡は起きたのだ。偶然かもしれない。いや、必然かもしれない。

 だがその一撃で、少女の評価は急上昇した。

 ――そのころ。

 路地裏の屋根の上では、相変わらず仮面の道化が月を見ていた。

(……最近、なんか空気が軽いな)

(やっぱり、一人って気楽だ。うん。きっと、誰も俺の背後にはいない)

(……たぶん)


 彼の背後、五つの屋根から、複数の視線が交差しているとも知らずに。


「今日も麗しい背中です、トガ様……」

「任務完了。少女の忠誠心、順調に育成中」

「そのうち“騎士団”できるんじゃね?」


 仮面の男は、自分が築こうとしている“孤高の戦い”が、

 いつの間にか“多大なる信頼の輪”に変貌していることに、今日も気づかない。

 彼の孤独は、最もにぎやかな場所にあった。

 月明かりが揺れる湖面のほとり。

 静寂の中、ゆっくりと水が波打ち、何かが“這い上がる”音だけが響いていた。

 ぬらり、と黒い影が現れる。


「……あの方は、まだ生きているのか?」


 その影は人の形をしていたが、皮膚が異様に薄く、筋肉と血管が透けて見える異形だった。

 指先の先まで神経の震えを露わにしながら、そいつは湖の水面を見つめる。


「『道化』。あの夜、我らが王の首を刎ねた男……」


 周囲には、他にも同じような“異形”が次々と集まってくる。

 目の奥に狂気を宿し、歓喜と怨嗟がない交ぜになった声で、彼らは口々に名を呼んだ。


「トガ……トガ……トガ……!」


 その名は、忌まわしき誓いの合言葉のように。

 一方――

 町の片隅、廃墟と化した教会の地下で、誰かが紙を燃やしていた。

 炎に照らされたその顔は、歪んだ笑みを浮かべている。


「情報は出揃った。実験体《C-13》も生きていたとはね……。じゃあ、あとは“舞台”を整えるだけだ」


 男の背後には、複数の人影。

 全員が法衣に似た黒衣を纏い、口元に仮面をつけていた。


「“死者の道化”を蘇らせる準備は?」

「問題ありません。“生きた素材”も揃っています」

「では、始めよう――“復讐劇”の幕を。十三年の沈黙を破るのは、仮面にこそ相応しい」


 再び街が、血のにおいに包まれるのは時間の問題だった。

 その頃――

 屋根の上では、仮面の男が空を見上げていた。


(なんとなく、最近は静かだな)

(……まあ、仲間って言っても、せいぜい二人。バルクとリディアくらいだし)

(一人の方が気楽だ。余計な情なんか――)


「トガ様、今夜の監視は七班、交代で回してます!」

「こちら八班、路地裏の巡回完了!」

「こちら二班、密告者一名捕縛しました! 口が堅すぎたので、転職させておきます!」

「エレボス様、今夜の差し入れ、温かいパンとスープです」


(……誰だ今の……いや、何人いるんだよ……)


 仮面の男は、顔に手を当てた。

 心の奥底では、薄々感じていた。

 自分が思っている以上に、何かが――いや、「誰かたち」が、彼を中心に動いていることに。

 だが、気づかないフリをした。

 信じてしまえば、失った時が怖い。

 信じさせてしまえば、導く義務が生まれてしまう。

 それが、彼にとって最も恐れている未来だった。


(……いい。俺は俺のやり方でやる)

(誰がいようと、何が起ころうと、正しき怒りを貫くだけだ)


 そして彼は、また闇に溶け込んでいく。

 気づかぬところで、幾重にも張られた“仲間たち”の網に守られながら――

 その先に待ち受ける、新たな戦火の兆しにも気づかぬままに。

 仮面の道化は、再び動き出す。

 新たなる『仮面劇』が、幕を開けようとしていた。

 だが、その裏で、別の仮面たちもまた舞台に上がる準備を進めていた。

 彼らの名は、『屍面教団しめんきょうだん』。

 かつて王家の裏で暗躍していた禁忌の使徒たち。

 教団の目的はただ一つ――


 『偽りの命を支配し、真なる王を屍より蘇らせること』。


 十三年前、王国を陰で操っていた古き血統の者が、ひとりの少年に討たれた。

 仮面をつけた“道化”の手によって。

 だが、教団はその死を「真なる始まり」と捉えた。


 「肉体は朽ちても、魂は永遠。あの方は、我らの贄となり再び甦る」

 「そして次こそ、仮面の王国が築かれるのだ」


 彼らは人を攫い、心を壊し、仮面を刻印する。

 仮面をかぶせられた者は、“意志なき人形”として教団の意のままに動く。

 それは『道化』の名を嘲笑うような、捻じ曲がった模倣でもあった。

 教団が崇める“王”とは、忌まわしき古代の存在――

 人のかたちをしながら、人であることをやめた者。

 それを蘇らせるための『鍵』として、彼らは今、かつて王を殺した仮面の男を追い求めている。


 「真なる王の器――《エレボス》。その怒りこそ、贄として最も相応しい」


 教団の動きは静かに、しかし確実に街を蝕み始めていた。

 闇に紛れ、地下に潜り、魔術と呪詛、死と恐怖をもって支配を拡げていく。

 そして、最初の“狂気”は、すでに市民たちの心の奥底で芽吹き始めている。

 誰かが消え、誰かが変わり、誰かが笑わぬまま帰ってこない。

 仮面をつけた者が、人を操り、街角に立ち尽くしているのを見たという噂が広がり始めた。

 それは、まるで――

 “誰もが仮面をつけ始めた世界”の予兆だった。

 だが、まだ誰も知らない。

 仮面の道化が、そのすべてを焼き払う火種であることを。

 そして彼自身が、“王の器”と呼ばれる運命に選ばれてしまっていることを。

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