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第13話 深淵より、声は呼ぶ

 仮面の男が路地を曲がると、そこにはひと気のない広場が広がっていた。

 月光に照らされた石畳の上、彼は歩みを止める。


「……なんだ、今日の夜は静かだな」


 彼は誰に言うでもなくそう呟くと、懐からパンを取り出し、もぐもぐと食べはじめた。

 だがその瞬間、仮面の奥からかすかな声が響く。


『……おい……さっきから炭水化物ばかりだぞ……』

「!?」


 彼は咄嗟に仮面を押さえた。


「……本当に、空耳じゃなかったのか?」


 パンくずをこぼしながら、彼は周囲を見渡す。しかし誰もいない。

 ただ、夜風の中に溶けるようにして、空気が一瞬──ざらりとした質感を帯びた。

 その異変に、彼は気づかない。

 だが、仮面の奥で確かに、封印されていた記憶の一部が軋んだのだ。

 一方、塔の最上階。漆黒の円卓の上に、何枚かの報告書が音を立てて置かれた。


「……やはり、“彼”が動いたな」


 低く、威厳ある声が響く。

 円卓を囲む幹部たちの視線が、一斉に一枚の写真に集まる。そこには、崩れかけた屋台を背に立つ仮面の男──トガの姿があった。


「我らの“鍵”が、予定より早く回収されてしまったようだな。例の“想定外製造機”の失策で」

「奴は余計な刺激を与えすぎた。記憶が戻るのも、時間の問題か……?」


 重苦しい空気の中で、ひとりの幹部が立ち上がる。

 手には、十三年前の事件を示す記録の一部が握られていた。


「仮面の素材に使われている“幻晶織”──あれは、本来なら民間に流通してはならぬはずだ」

「だが、蚤の市で売ってたのだろう? 我々の手をすり抜けて。滑稽だな」

「それも、彼にとって“運命”だったということか……」


 誰かがそう呟く。

 そう、あの仮面は偶然手に入れたものではない。全ては、十三年前──“塔の大火”と呼ばれた事件で始まったのだ。

 同時刻、街の裏路地。


「よし……今日も事件ゼロだな」


 トガはパンの袋を丸めながら、勝手に自分の功績を讃えていた。

 街が平和なら、それでいい。問題ない。魔法の暴走も、悪の組織も、自分とは無縁の話だ──

 そう思っていた。


「──って、あれ? なんか煙出てない?」


 パンの袋を手にしたまま、彼は近くの通りのほうを見る。

 そこでは、見慣れぬ仮面の人物が数人、地面に何かを埋め込んでいた。


(……仮面……あれ、俺と被ってね?)


「おーい! そこの怪しい人たちー! 仮面はひとりで充分だぞー!」

「!? やべぇ、バレた!」

「おい“想定外製造機”、だから目立つなって言っただろ!」

「すみません! でも声かけられたの、初めてで……!」

「お前が返事するからだよ!!」


 叫びとともに、怪しげな仮面集団は爆発的な速度で逃走していく。

 トガはその場に取り残され、ぽつんと呟いた。


「……なんだ? 演劇の稽古か?」


 彼は気にも留めず、またサンドイッチを頬張った。

 だが、まさにその“稽古”こそが、街を包む大事件の布石となっていたことを、彼はまだ知らない。

 陰謀は、確実に進行していた。

 それも、“想定外”という名の亀裂を孕みながら。

 街は静かに緊張をはらみ、仮面の男はその中心に向かって──歩き続ける。

 今日もまた、何も知らずに。

 だが、間違いなく──街を救いながら。



 夜の街が雨に濡れていた。屋根瓦を打つ雨粒の音が、まるで数多の囁きのように、仮面の下へと染み込んでくる。


 足元に転がるのは、誰にも気づかれなかった遺体──否、消された存在だった。標的となったのは、表向きは小さな書庫を営む老紳士。その実、街の歴史に繋がる重要な記録の保管者。口封じのための殺害。そう判断するには、現場に残された痕跡があまりに整いすぎていた。

 仮面の下、エレボスの表情は硬い。仲間たちの賑やかな休日の気配も、どこか遠い。彼だけが、何かが変わり始めていることに気づいていた。

 瓦礫に隠されていた一冊の本──表紙に刻まれたのは、見慣れぬ紋章。かすかな魔力の残滓がそれを守っていた。触れた瞬間、ざわめくような感覚が走る。


「……これは、誰かが“未来”を封じ込めた痕跡だ」


 冗談も皮肉もない。無意識のギャグも、気づけばどこかへと消えていた。

 彼の脳裏に浮かぶのは、十三年前のあの惨劇。瓦礫の下から伸びる幼い手。仮面が形を持った日。誰も笑っていなかったはずの、その夜の風景。

 雨音の中、トガの外套が静かに揺れる。足音は、誰にも気づかれぬまま、ひとつの真実へと近づいていく。

 誰にも知られず、誰の支援もなく。ただ、街の“笑顔”のために。

 仮面の道化は、今日だけは笑わない。

 雨は夜を貫き、街路の隅々まで濡らしていた。空から落ちる雫は冷たく、まるで過去の罪を洗い流そうとするかのように、しつこく石畳を打ちつけている。

 仮面の道化、トガは、人気のない裏通りに立っていた。

 先程の書庫に残された古文書。封じられた魔術の痕跡。そこに刻まれていた紋章は、十三年前、エレボスの故郷を焼いた“あの夜”に見たものと一致していた。

 そして、それはただの偶然ではない。


「……やはり、まだ終わってなかったんだな」


 仮面越しの声は低く、どこか痛みを含んでいた。あの夜、自分を残して消えていった人々。その炎と悲鳴の記憶が、今も彼の中で燻っている。あれを終わらせなければ、彼の夜も終わらない。

 足音ひとつ。傘も差さず、雨を全身に浴びながら、彼はゆっくりと歩き出す。

 一方その頃、仲間たちは――


「よーし、今日は休暇だ!全員、昼まで寝て良し!」

「それって普段と変わらなくないですか?」

「鍛錬したい者は外へ出よ。私は一人で煮込み料理を仕込む」

「……誰も手伝わないんだ。え?えっ?」


 指示があるのかないのかわからぬまま、それぞれがのんびりと過ごしていた。

 リディアは、屋根の上からぼんやりと街を見下ろしている。


(……あの人、やっぱり今日も一人で動いてる。何を考えてるんだろう)


 知っているようで、知らない。仲間たちは“仮面の道化”に忠誠を誓っていたが、その心の奥にある傷や、目指す場所は、まだ誰も見えていなかった。

 だが、それは変わり始めている。

 夜の奥底から、静かに蠢く気配があった。

 封印されたはずの古き魔術。かつて街を焼いた炎。その残滓が、再びこの街に呼応しようとしている。

 そして、ある屋敷の地下。赤いローブの男が、震える手で一冊の書を開いていた。


「ま、まだだ……まだ予定通り……だよな……?」


 額に汗を浮かべながら、男は呟く。

 だが、扉の外では“想定外製造機”として名を馳せる部下が、今日もまたとんでもない手違いを仕込み中であることを、彼は知らなかった。

 崩れていく計画。暴かれていく陰謀。そして、静かに進む災厄。

 だが、そのすべてを知らぬまま、仮面の道化はただ、誰かを救おうとしていた。

 その足音だけが、冷たい闇を断ち切っていく。

 風が、街の屋根瓦をなぞるように駆け抜けていく。


 薄曇りの空の下、古都ベル=アーデルの路地裏では、何事もなかったかのように、平穏な一日が始まっていた。表通りでは貴族の馬車が通り、菓子屋が甘い香りを振りまき、広場では旅芸人たちが賑やかな音楽を奏でている。

 だが、その裏で。


「……また変死体。今月に入って、これで五件目だな」


 現場に立つ黒衣の騎士が、重く口を開いた。

 石畳に崩れるように倒れていたのは、上流階級の男だった。金糸の縁取りがなされた外套、指に巻かれた宝飾の数々。だがその華やかな装いとは裏腹に、表情は酷く歪み、目を見開いたまま絶命している。

 体には外傷がない。毒の痕跡も、魔術反応もなかった。


「おい、これ……例の“仮面劇”と関係あるんじゃないか?」

「いや、それは……」


 周囲の騎士たちが互いの顔を見合わせ、口を噤む。

 そのどれもが、まるで『仮面の道化』の存在を都市伝説であるかのように扱いながらも、確実にその姿を目撃した者の証言が増えていることに薄気味悪さを覚えていた。

 だが、彼はすでに動いていた。

 場所は変わり、街の片隅。

 煤けた壁の間を、誰にも気づかれぬようにすり抜けるように、一人の男が歩いていた。

 仮面をつけた、黒衣の道化。

 その背にはマントが翻り、視線の先には、今まさに屋根から屋根へと軽やかに飛び移っていく人影がある。

 足音もなく、殺意もない。

 けれど、その男には確信があった。


(……あの動き。追われることに慣れてる)


 盗賊でも、刺客でもない。身のこなしに、無駄がない。そう、まるで──誰かの目を避け続けてきた者のように。


「……だったら、俺が追えばいいんだろう?」


 仮面の下で、無自覚な正義が笑う。

 その夜。街の南部にある薬草市場近くで、盗掘未遂の騒ぎが起こった。

 複数の商人が失踪し、代わりに闇市の倉庫から古代遺物が見つかるという不可解な事件だった。だが、被害者も加害者もおらず、ただ倉庫の扉が内側から破壊されていたという。

 結果的に、それが黒い錬金術の片鱗であったことに気づいたのは、ずっと後のこと。

 一方その頃。


「はぁ~~……まさか遺物倉庫を蹴り飛ばすとは思わなかったねぇ」


 塔の中腹。例の“想定外製造機”と呼ばれる男が、ぼんやりとお茶を啜りながら、部下の報告書に頭を抱えていた。


「いや、さすがに仮面の道化が自分で建物壊すとは想定外……え?違う?倒れてた大男を投げただけ?……もっとダメじゃん!」

「中枢に報告を?」

「……いや、黙っとこう。うん。彼が“結果的に”妨害してくれるなら、それはそれで……」


 こっそりと棚の下に報告書を押し込みながら、男は何食わぬ顔で紅茶を啜った。

 すべての事件が静かに繋がり、見えない線が蠢き出していた。

 だが仮面の道化は、まだそのことに気づいていない。

 いや、気づく気配すらない。

 その夜、彼は静かに屋根の上を歩きながら、空を見上げていた。


「……最近、変な連中が多い気がする」


 誰にともなく呟いたその言葉が、夜風にさらわれていく。

 その背中の向こうに、また一つ、闇の中で灯る蝋燭のように、誰かの命が救われていた。

 仮面の道化は今日もまた、無自覚に、闇を裂く。

 そして災厄の扉は、今、静かに開かれようとしていた。


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