第11話 無意識の進軍、そして絶対的信頼
「こっちです! 仮面様が目指す次の地点、判明しました!」
リディアの号令が響く中、幹部たちはそれぞれの持ち場へと駆け出していた。
その中心には、大量の文献と地図を高速で分析する少女――その眼差しは、仲間にすら正体を隠していた少女、リディア自身だった。
「彼は……“次の屋台”って言ってたわ。つまり――この鐘楼の北東、旧市街の夜店通り。その隣に、かつての神殿跡がある」
「えっ、それって……十三年前の事件の現場に繋がる地下区画ですよね!」
「ええ。だからこそ、仮面様は“無意識”で向かっている。運命的に……!」
少女の手が、地図の一点を示す。
仲間たちは疑うことなく頷き、即座に行動を開始する。
一方その頃。
鐘楼の屋根を滑り降りたトガは、華やかな提灯が連なる通りに足を踏み入れていた。
香ばしい匂い。賑わう笑い声。仮面の下で、少しだけ目を細める。
「……なんか、こういうの久々だな」
通りを抜けた先にあった、古ぼけた石のアーチ。
そこに刻まれた文字――“旧光祀の祭殿”。
十三年前、彼がすべてを失った場所だった。
仮面の下、わずかに歯を食いしばる。だがその直後、屋台の湯気が視界に入ると、
「お、団子だ」
と、足はそっちに向いた。
「敵は、仮面の動きを完全に把握できていません。逆にこちらは、彼の目的地を次々と特定しています!」
「それは……いや、仮面様が行き当たりばったりなだけでは……?」
「黙って」
作戦室では、仲間たちが仮面の“偶然”に命運を預けつつも、それを“必然”に見せるための緻密な動きを繰り返していた。
とある幹部などは、自分が知らぬ間に感動の手紙を書き始めていたほどである。
『仮面様のお導きは、我らにとって希望です。自らが無意識であることにすら意味があると、私は確信しました――』
(絶対バレたら怒られる……!)
その頃、敵組織では。
「はぁ!? 情報が漏れてる!? 何で!? 誰が!? ……って、お前か!!」
「えへへ~、でも逆に言えば、今のうちに仮面さんに先に動いてもらって、封印を解いてもらった方が楽かなって」
「おまえは敵か味方かもわからん! ていうかそれ、計画と逆だ!!」
「でも仮面さん、なんかこう……頼れる感あるし?」
「“想定外製造機”のくせに、よく言うなぁぁ!!」
と、組織の統率はますます崩壊の一途を辿っていた。
一方、別の幹部たちはひそかに語らう。
「奴が再び“光祀の神殿”に足を踏み入れた……ということは、“あの扉”が開く可能性がある」
「かつて“黒月石”が祀られていた、封印の間……十三年前に閉ざされた忌まわしき災厄が、再び……」
その夜。
団子を頬張りながら、仮面の男はふと立ち止まった。
石畳に刻まれた、不自然な継ぎ目。
足元から、鈍く低い音が響く。
(……なんか、懐かしいような……)
気のせいか、団子の餡がいつもよりしょっぱく感じた。
その理由が、過去の“あの夜”と同じ場所に立っているからだと気づくのは、まだ少し先のことになる。
闇は、今まさに動き出そうとしていた。
けれど、それより早く――仮面の道化が、また無意識に、運命を蹴り飛ばし始めていた。
彼が気づかないままに。
仲間の動きは、すでに完璧な迎撃態勢に入っている。
敵の組織は、内部から情報が漏れ、崩壊寸前。
ただ一人、仮面の男だけが。
「……この団子、あと五本くらい食べたいな」
そんな、世界の未来に最も関係ない一言を、静かに呟いた。
夜の静寂を裂くように、旧市街の外れで鐘が鳴った。
「……あれ? 今の、誰が鳴らした?」
仮面の男、トガが団子を咀嚼しながら見上げた鐘楼。その頂で、風に揺れる影が一つ。
そして――次の瞬間、鐘楼の土台がごっそり崩れ、鈍く沈むようにして地面へ沈下していった。
「おわっ……!? ちょ、なんか、地面が、沈んで――」
彼の足元が揺れる。何かが地下から浮かび上がるように、巨大な扉が出現した。
封印が、開いた。
敵組織――『黒月の徒』。
十三年前に計画を未遂に終わらせた彼らは、再び動き出していた。
「これで……“黒月石”が解放される。十三年前、あの男が封じた力を、今こそ我らのものに……!」
幹部たちは地下区画へと進軍していた。だがその中に一人、例の“想定外製造機”がいた。
「え、えーっと。えーっと、あの仮面の人って、たしか……この辺で団子買ってましたよね?」
「なぜその情報が必要なのだ!?」
「だって、なんかほら……運命って、そういうとこから始まるじゃないですか?」
「黙れ……! お前の“運命”は計画の邪魔しかしていない!」
そんな会話を交わしつつも、封印の扉は確かに開いた。
その最奥で、黒く輝く結晶体――《黒月石》が、静かに目を覚ましつつあった。
一方、仮面の男は。
「……ここ、やばい場所なんじゃないか?」
団子の袋を手にしたまま、ぽつんと呟いた。
扉の向こうに広がるのは、かつて“光祀の祭殿”と呼ばれた地下神殿。
今や、崩壊した柱と苔むした石壁が、異様な魔力を放っていた。
「でも……気になるな」
誰にも命じられず、誰にも頼られず。
それでも仮面の男は、足を進める。
その姿を、遥か上空から監視していたのは――リディアである。
「やっぱり、彼は動いた。地下区画に向かったわ」
「仮面様の意志は……我々の予測通りです!」
「偶然じゃないと信じたいですね……」
影の仲間たちは、すでに仮面の進路を先読みして行動していた。
扉が開かれる前から、ルートを封鎖し、封印暴走の拡大を防ぐ布陣を敷いていた。
それでも、計画通りにいかないのが現実である。
なぜなら、想定外製造機が――例によって勝手な行動を取り始めていたからだ。
「封印の柱、間違えて叩いたかもです~!」
「何をしている!? その柱は“封魔の結界”の核だぞ!!」
「えっ、そうなんですか!? 知らなかった~!」
「説明してただろうがああああ!!」
結界が一部破られ、《黒月石》から漏れる瘴気が街の空気に溶け始めていた。
風がざわめき、遠くで犬が吠える。
誰もが、まだ気づいていない。
この夜が、普通の夜ではないということに。
ただ一人、仮面の男を除いて。
「……ん? 団子の味、また変わった?」
舌に残る鉄のような風味に、微かな違和感を覚える。
その違和感が、やがてすべての真実に繋がるとも知らずに。
その時、地上では突如として魔力障害が発生。街の一部に黒い霧が発生し、住民が一斉に避難を始めていた。
「何か……来る」
リディアがつぶやいた。仮面を見つめるその瞳に、恐怖と期待が混じる。
「“彼”はきっと、やってくれる。無意識にでも、きっとね」
彼女の言葉に、誰も異論を唱えなかった。
なぜなら――過去にも、そうして全てが解決してきたのだから。
そして今、封印の奥で《黒月石》の脈動が加速する。
それは、人の感情に呼応する魔の石。
十三年前のあの事件も、この石がきっかけだった。
――全てを燃やし尽くす、“黒月の祈り”の再演。
その中心に立つ男は、今まさに団子の串を最後までしゃぶりきって、呟く。
「……なんか、あっちの方でやばい音したな。ちょっと見に行ってみるか」
誰よりも無計画に。
だが、誰よりも真っ直ぐに。
仮面の道化は、今再び“災厄”の中心へと歩を進める。
かつ、手にはまだ食べかけの団子。
「……やっぱり、砂糖増しになったな。いや、これはこれで……」
団子を咀嚼しながら地下神殿の深部へ進むその姿は、世紀の危機に挑む英雄というより、買い食いしながら道に迷った旅人に近い。
だが、その足取りは確かに、かつて人々を恐怖させた『黒月の儀式』へと繋がっていた。
神殿の奥にある石造りの広間。
そこに今、“それ”はあった。
黒く、深く、脈動する石。《黒月石》。
封印が綻び、空間そのものが歪み始めている。
「……おぉ、これが“ヤバい”ってやつか」
仮面越しにぼんやりと眺める男に、石の魔力は静かに揺らぎを返した。
普通の人間なら即座に気を失うか、精神を蝕まれるだろう。
だがこの男は。
「……なんだか、腹の調子が悪くなりそうな気配だな」
真顔でそう言って一歩後ずさる程度だった。
その背後で、ガタッと物音がする。
「えっ、ちょ、まずい、バレ――」
現れたのは黒月の徒の一人、“想定外製造機”。
封印監視担当、だったはずなのだが。
「……あんた、敵?」
仮面が問いかけると、彼は妙に元気な返事を返した。
「いやいやいや、敵っていうか……なんかこう……第三勢力?」
「どこのだ」
「え、あ、でも、ちょっと見たくなっちゃって……黒月石、ナマで見るの初めてで……」
彼はあろうことか、石に触れようと手を伸ばす。
「おい、それまずいやつじゃ――」
「おおぉぉおおぉおぉおぉおッッ!!!」
手を触れた瞬間、神殿が爆ぜた。石の瘴気が広間に噴き出し、空間そのものがたわみを持って揺れ始める。
空間が歪む。魔力が解き放たれる。儀式が、走り出す。
「……ほらぁー! やっぱ触っちゃダメだったぁー!」
「お前が言うなッ!」
思わず仮面の男がツッコむ。
が、瘴気が勢いを増してきたのを見て、冷静な判断を下す。
「もう、止めるしかないな……団子、持って帰れなさそうだ」
地面を踏み鳴らす。空気が割れた。
仮面の男が纏う魔力が静かに発動し、瘴気に立ち向かうように光が展開する。
力の奔流が交差するなか、後方で想定外製造機が叫んだ。
「えっ!? なんか……浄化されてる!? すご……! え、仮面さんって、何者!?」
「いや、俺もよく分かってない」
「そんな返答あります!?」
そのころ、地上では。
リディアが静かに、だが確実に布陣を敷いていた。
彼女の指示で、仲間たちは瘴気の拡大を防ぐために魔方陣を設置し、避難誘導と情報統制を行っている。
「仮面様は……地下で黒月石の暴走を抑えています。ですが、問題は“あの男”です」
「想定外……またですか」
「はい。まさか封印に直接触れるとは思っていませんでした」
「……もう“事故”じゃ済まされないですね」
そう呟きつつも、仲間たちの表情にはどこか確信がある。
仮面の男が、どうにかしてくれる。
彼が無意識にでも正解を引き当て、状況を好転させることを、誰もがどこかで信じていた。
――そして、神殿。
仮面の男の拳が、瘴気を貫いた。
その衝撃で、《黒月石》が一瞬だけ脈動を止める。
「……割れた?」
ヒビの入った黒月石が、断末魔のような震動を放つ。
瘴気が一気に収束し、神殿の崩壊も止まる。
「うわ……マジで、止まった」
「何となくで殴っただけだったんだけどな……」
ふと視線を向けると、想定外製造機がガタガタ震えていた。
「……まさか、本当に……伝説の、救世主……」
「え? 団子の人だけど」
「伝説だァァァァアア!!」
叫びが神殿にこだまする。
こうして《黒月石》の暴走は、ひとまず収まった。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
瘴気に触れた人間の一部が異変を起こしているという報告が、街中に広まり始めていたのだ。
黒月の徒の幹部たちは、仮面の男の出現を想定以上の脅威と捉え、計画の“次段階”へと進もうとしていた。
そして――仮面の男はというと。
「……団子屋、また元に戻ってるといいな」
と、心底どうでもいい心配をしていた。
戦いは、まだ終わらない。
世界は今、ほんのわずかに運命の軌道を逸れはじめている。
その中心で、仮面の男は変わらず無自覚に、英雄を演じ続けていた。