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4.どうやらここは牢獄ではなく地獄だったようです

 ……大丈夫。心までは穢されていない。私の信仰心はこんなことでは揺らがない。まだ、耐えられる……。





 少し痺れが引いてきた体に鞭打ち、寝台から降りて、這いずるように水瓶の元に向かいます。

 浴室の冷たい石の床に膝をつき、水瓶を傾けて頭から冷水を浴びれば、澄んだ水が全身の穢れを清め、体内に残留していた雷の残滓を洗い流してくれました。


 水神様の加護を受けた水に体力の回復だけでなく、水流に雷を散らす効能があると気付いたのは、何度目のを受けた時だったでしょうか……。私にはもう、わかりません。


『どうかこの哀れな身に癒しの奇跡を』


 体が軽くなったら、全身の鬱血や細かい裂傷に回復(ヒール)をかけて、ようやく一息つきます。

 左腕の火傷は幾度も繰り返したせいで根深く焼け付き、完治はとっくに諦めました。

 

『泣かないで、スイレン』

『お願い、ぼくらを喚んでよ。せめて側にいたいよー』

『なんでこんな酷いことが出来るのかな……』


 水瓶を介して水妖精の嘆きが、すすり泣きが伝わってきますが、私は答えません。答えてはいけません。

 もし軽はずみに返事をして、私と関わりの深いスィやテキ、シズクまで離宮に招いてしまったら?

 もしドミナスに見つかってしまったら?

 小さくて可愛い私の家族は無残に殺されてしまうでしょう……。そうなるくらいなら一人で耐え忍ぶ道を選びます。

 

──横暴で気まぐれなドミナスとの生活は、常に緊張を強いられる苦痛に満ちたものでした。

 

 少しでも怯えを見せたり、いきなりの接触スキンシップにたじろいだだけでも、僕を愛してないの? と容赦なく裁きの雷が落ちます。

 そして痛みと痺れで動けない私を、罰だお仕置きだと称して慰みものにするのです。

 手加減された電圧でも、水の気が強い私には効果が覿面で、熱いし痛いし怖いし苦しいです。なのにドミナスはやめてくれません。

 彼の言う愛とは一体なんなのでしょうか?


 それに……私は正妻ではなく妾なのだそうです。


 離宮に連れこまれて間もない頃、まっすぐな一本角の少年に指摘された時は、本気で驚きました。



▼▼▼▼▼



 その頃はドミナスが居なくても、睡蓮の池までなら外出を許されていました。

 池にかかる赤い橋の欄干にもたれ掛かり、巡礼を途中のまま投げ出したことを悔やんでいると、顔を真っ赤にした少年に絡まれたのです。

 少年と言っても私よりもいくつか年上、いかにも血気盛んなお年頃でした。


「おい! 揃いの腕輪をはめていいのは正式な夫婦だけ。妾風情が強請ねだっていいものではないぞ!!」


 強請ってませんが? むしろ要りませんよ、こんな呪いのアイテム。

 ……というか私、お妾さんだったんですか?

 初耳なんですけど。

 衝撃の事実に愕然としていると、少年は鬼の首を取ったように嘲笑いました。


「知らなかったのか? 側近衆に選ばれたばかりの俺様が特別に教えてやる。ドミナス様はな、昔から預言で選ばれた高貴な姫君との結婚が決まっているんだ。男を寝取るような真似をして、育ちが知れるというもの。お前なんてただの戯れの相手、今に捨てられる運命なんだぞ!」


 今すぐ捨ててくださって結構です。私が望んで妾になった訳じゃないので。


 鬼族の皆さんが妙に冷たくそっけない理由が判明しました。

 私は預言で結ばれる夫婦に割りこんだお邪魔虫、ドミナスを誑かす悪女だと思われているようです。大変不服なのですが?

 とっさに反論しかけて、ぐっと飲み込みます。

 迂闊に否定して、もしドミナスの耳に入ったら目も当てられません。

 少年は黙りこむ私の顔を、次いで腕輪を睨んでいます。


「贅沢者め。見目は良くても、昼近くまで惰眠を貪る怠惰な女はドミナス様にふさわしくない! 豪奢な腕輪はお前如きにはもったいない。即座に返上せよ!」


 私だって外したいのに、本当に呪われてるのでは、と思うくらいがっちりはまって取れないのです……。

 ふと気付きました。

 苛立ちを露わにする少年は、側近というだけあって帯剣を許されています。

 私は笑顔を浮かべて左腕を差し出しました。


「これは私には外せません。返上せよと言うなら、その腰のもので腕ごと切り離してください」


 私の本気を感じ取ったのか、少年は取り乱し、あれ、よく見ればその手の……、いや、そこまでは、と口の中で何かごにょごにょ言っています。……なんだ、せっかくこの忌まわしい腕輪から解放されると思ったのに。


「レン。僕以外の男を見て、話して、笑いかけたな?」


 背筋が凍り、心臓が止まるかと思いました。

 橋の対岸、少年とは反対側の方角から聞こえて来たのはドミナスの声です。

 赤鬼のようだった少年の顔が見る間に白く染まり、コツ、コツ、と橋を渡る足音だけが池に響き渡ります。


「僕以外の男にその手を差し出した?」


 背後から伸びてきた腕が硬直した私の体に蛇のように巻き付いて、電気を纏った指が肌の上を這い回ります。顎や髪をなぞる手付きは優しいけれど、逃さないという強い意志を感じました。


「僕の愛の証をあっさり捨てようとしたよねぇ?」


 釈明しようとしましたが、ねっとりと浸食する電流に責め苛まれ、舌が回らなくなって、今にも土下座せんばかりの少年を庇うことすら出来なくて。


「──貴様は僕のレンを罵り、害そうとしたな?」


 最後の台詞は少年に向けられたものでした。

 ……私を一番害しているのは、肉体的にも精神的にも苦しめているのは、貴方ですが?

 そう言ってやりたかったのに、激しい轟音と閃光に意識が飛んで、起きた時には全てが終わっていました。


 あの少年がどうなったのか、出会でくわすことは二度となかったのでわかりません。

 この日から離宮は、ドミナス以外の男性の立ち入りが禁止されたからです。

 こんな後味の悪い思いをするくらいなら、最初からそうしてほしかった……。



▲▲▲▲▲



 以来、私は他者との関わりを避け、レースやフリルのあしらわれたドレスでそれとなく腕輪を隠し、与えられた部屋に一人で閉じこもっていました。

 もう誰も巻きこまないように、最低限の接触しかしないと決意していたのですが……。

 何故か食事係の子達に囲まれて、罵られています。


 いつもはお皿を乱暴に置かれたり、わざと食事をこぼされたり、異物混入されたり、舌打ちされて睨まれるぐらいだったのに、三人とも興奮しているようでした。


「ついにドミナス様がご正室を迎えられたのよ!」

「ボサボサ髪のあんたなんかと違って、それは真っ直ぐな美しい銀髪の、水花国王家の由緒正しいお姫様よ!」

「ドミナス様はあの方を、リアン様をそれは大切にされて、足繁く通ってらっしゃるの!」

「あんたの価値はもうゴミ以下ね!」


 ドミナスの訪れが減ったのは、正室の方のおかげだったようです。

 

 このままお役御免になるのでは、と期待はするものの、喜びをひた隠し、私はしおらしく目を伏せました。

 袖の下で忌々しい腕輪を撫でながら、悲し気な表情を作るのです。


「そうですよね、私のような馬の骨なんて、ドミナス様にはふさわしくないですよね。私は身を引くべきなのでしょうが……」

「そうよ! そうする、べき、なのよ……」


 威勢の良かった、一番年上らしき少女の言葉が尻すぼみに消えて行きます。

 肌がピリピリして、髪が逆立っていくほどの怒気に既視感を覚えて顔を上げると、思わずヒッと息が漏れる。

 揃って青鬼や白鬼の仲間入りをした三人の背後には、当然の如く、無表情なドミナスが立っていました……。

 あまりの迫力に、彼女達は飛び跳ねるように左右に退きます。

 正面から直視したドミナスの両手には、雷が収束していき──。


 ──水神様、どうか私をお守りください。今から一世一代の賭けに出ます!


「ドミナス、やっと来てくれた……」


 覚悟を決めた私は、ドミナスの胸にしな垂れかかりました。

 今にも三人へ雷撃を放たんとしていたドミナスは、怒気を削がれたのか目を丸くして、それからうっそりと笑います。

 過剰な雷は空中に霧散し、空いたドミナスの腕が背中に回されて、恐怖のあまり浮かんだ涙がついに限界を超え、はらはらとこぼれ落ちました。

 それも会えなかった悲しみの涙だと解釈してもらえたのか、ドミナスは大変ご満悦です。


「何日もドミナスに会えなくて、寂しくて、顔も見たことのない正室の方に嫉妬してしまった。ドミナスはなにも説明してくれないし、拗ねていただけなの……。私、こんなに心が狭かったのね。貴方の妻失格だわ」

「嫉妬! そうか、嫉妬。レンは妬いてくれたのか。正室を娶った甲斐があったなぁ! ふふふ、アレとは単なる政略結婚、愛してるのは、本当の妻は君だけだよ」


 あまりに失礼な言い草です。

 女の敵……浮気男の常套句じゃないですか。

 私にはすぐ男を作る、なんて事実無根なこと言っていたくせに、この仕打ち。

 人の人生を歪めておいて、この男はなんで好き放題しているのでしょうか?


 一目散に三人が逃げたのを見届けてから、ほっと力の抜けた私の体に電流が走ります。 

 ……今回は上手く立ち回りましたよね? 

 罰を受ける要素は無かったと思うのですが。


 痺れてくずおれそうになった私を抱き上げて、ドミナスはその場で踊るように一回転すると、首元に鋭い歯で齧り付きました。興奮した彼には加虐癖があるんです……。


「拗ねたレンも愛くるしいねぇ。寂しがらせてしまったお詫びに、しばらく離宮に滞在して可愛いがってあげる。健気なレンへのご褒美だよ。僕達は、これからもずーっと一緒だからね!」


 そう言っている間も電撃は流れ続けています。

 ……怒らせても喜ばせても結果は同じなら、一体どうしろと?

 遠い目をする私の、首筋から流れた血をドミナスの舌がねぶり取りました。痛いし、気持ち悪いです……。

 

「レンは涙だけじゃなくて血まで美味しいなぁ。食べてしまいたいよ」

「もう、ドミナスったら。…………冗談よね?」

「食べたらレンがなくなっちゃうからやらないよ」


 もしも私が全力でドミナスを拒絶したら。

 心か体が耐えきれずに壊れたら。

 ドミナスは容赦なく実行する、そんな確信があります。


 どうやらここは牢獄ではなく地獄だったようです。

 さしずめドミナスは、人を喰らう悪鬼といったところでしょうか。

 

 ……なんでこんなに執着されてるかはわかりませんが、私がドミナスを愛することは天地がひっくり返ってもあり得ません。

 しかし、この状況では食べられるなど以ての外、水神様に仕える身として、自ら命を絶つことも絶対に赦されないのです……。

 水神様や水妖精達の元に必ずや生きて帰る、それが希望であり、目標でした。

 こうなればなりふり構わず形だけでも恭順して見せて、地獄を生き伸びてやります。



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