3.私が貴方を愛することはありません!
「母様っ!!」
「どうしたの、フェーリー。人の世でなにか怖いことでもあったの?」
よしよしと、涙目で私の胸へ飛びこんで来た可愛い一人息子の頭を撫でる。
修行に明け暮れて日々逞しくなっても、泣き虫なところは変わらないなぁと、なんとも微笑ましい気持ちだ。
「オレの父親が、とんだサイコパス野郎だった……」
「何を見てしまったの?」
フェーリーの震える声を聞いて私は不安になる。さいこぱす、というのが何かはわからなかったけど、父親の……ドミナスの、何か猟奇的な……偏執的な……刺激の強い姿でも目撃してしまったのかもしれない。
「薔薇、飾られてた、肖像画、父の、あの鬼が、母様の手に、口づけを……」
混乱しているフェーリーの話を掻い摘まむと、見聞を広めるために行った街で、設置されていたドミナスの肖像画を見たそう。
さらにその絵のドミナスが、私の無くした左手に口づけしているところだったから衝撃を受けたと。
……相変わらず気持ちの悪い男!
「可哀想に。それは嫌なものを見てしまったわね……」
「母様は、驚かないの?」
「別にそれぐらいじゃ驚かないわよ。むしろ、私の手なんかまだ持ってたんだな~って思ってる」
フェーリーの手前口にはしないけど、てっきり食べられたと思ってたから。
「……母様。オレは強くなったよ。水神様にお墨付きが貰えるぐらい。だから、父様……父親について、教えてほしい」
フェーリーはもう十歳を越えた。
肖像画一枚でこれほど取り乱すのだから、実の父がどんな人物か、私の口から説明しておいた方がこれ以上ショックを受けないですむ……と思う。限度はあるけど。
「そうね。あなたの父親について、ドミナスについて、話をしても良い頃合いよね」
心の底にずっと沈めておきたかった記憶が、泡が立つように次々と蘇る。
私がまだ世間知らずで、稚くて、無力な少女だった──あの地獄の一年が。
「私がドミナスと出会ったのは、水神様が休眠期に入ったばかりで、睡蓮が咲き初めた頃よ──」
▽▽▽▼▼▼
「迎えに来たよ、愛しい人。どうか僕の妻になってほしい」
鬼族の美丈夫が片膝をついて跪き、私の左手を取り、手の甲に口づけます。
まるで物語の騎士のような仕草、美麗さで、年頃の乙女なら憧れる場面なのでしょうが……私が感じたのは底知れぬ恐怖でした。
だって、この二十代半ばと思われる青年と私、初対面なんです……。
私は神域で過ごすことが多いので、こんな顔立ちも服装も華やかな鬼族の青年と出会う機会なんて、そうそうありません。
名前も知らない方にいきなり求婚されても困ります……。
しかもここは辺境の地底湖、獣すら寄らない辺鄙な場所です。
なのにこの方は私が鎮めの儀式を終えて、湖から上がったタイミングぴったりに現れて……まるで待ち構えていたみたいでした。
出来れば関わりたくはないですが、お返事はしないといけませんね。
「謹んでお断り申し上げます」
青年の形の良い眉が跳ね上がり、澱んだ底なし沼のような瞳が私を見据えました。
もしかしたら、危ない方なのでしょうか……。これ以上相手を刺激しないよう、丁寧に説明しなくては。
「名も知らぬ方、初めまして、ですよね? 申し出は嬉しいのですが、私は水神様にお仕えする身です。神に仕えることこそが至上の喜びであり、使命だと考えています。未熟者ゆえ、恋に浮かれては使命を全うできませんので」
宗教上の理由ならお断りしても角が立たないと思ったのですが、気のせいでしょうか。空気が重くなったような……。
「……水神は寛容な神だ。神職でも婚姻は自由で、水神を祀る水花国の王家は、代々水神の御子、神子を一族に加えることで繁栄してきた。君が水巫女だろうと、僕の申し出を断る理由にはならないよねぇ?」
水巫女とは秘境の水場を巡り、水神様の加護を賜った水を人々に分け与える役割を持った、歩き巫女の一種です。
……お忍びだからと、水巫女の衣装を着ていたのは幸いでした。
私の意志をまるで無視するような方に、素性を明かす気はありません。
「水神様のご意向や貴方がどうとかではなくて、私が誰とも結婚する気がないだけです。貴方のように立派な殿方でしたら、引く手も数多でしょうに。こんな小娘のことなど、どうか捨て置いてください」
「…………誰とも結婚する気がない、だって?」
穏便に断ったつもりでしたが、どうやら逆鱗に触れてしまったようです……。
凍えるほど冷たい声は、先程まで浸かっていた地底湖の水を思わせます。
青年がすっくと立ち上がると、整った顔は逆光で真っ黒に染まり、瞳など深い穴が空いたように虚ろです……。逃げ出したいのに、手をぎりぎりと強く握り締められています。
「君は嘘吐きだなぁ。目を離したらすぐ男を作る癖に。ねえ──スイレン?」
……なんで私の名前を知っているの!?
暴れて逃れようとする私を、彼は冷たく見下しました。
「君にはまだ名乗っていなかったね。僕の名前はフルドミナトゥス。辺境の鬼族を束ねる者。君の最初で最後の夫だよ」
濡れた肌が粟立ち、髪が逆立つ。空気が震える。
……これは、落雷の気配?
バチリと、緑金の稲妻が走り抜けます。
歪み、捻れた角から放たれた雷に貫かれ、私の体は崩れ落ち、意に反して男の腕の中へ。逞しい胸にもたれかかる私を、フルドミナトゥスは強く抱き締めました。
「なんて甘くて良い香りだろう。君から僕の胸に飛びこんで来てくれるなんて、感激だなぁ。愛しいスイレン。……やっと結ばれるね」
体が痺れて……苦しい……。全身が痛くて、熱くて、抵抗したくても、……指一本動かせな……。嫌っ、やめてっ!!
……それから私の身に何が起こったかは、悍ましすぎて思い出したくありません。
▲▲▲▲▲
「ほら、君のために離宮を改装したんだよ?」
散々に弄ばれ、嬲られて、意識を飛ばした私が運ばれたのは華美な部屋でした。
大きな寝台や鏡台などの調度品には全て、純金製の雷の棘があしらわれています。
それはフルドミナトゥスの象徴、鬼族独自の紋様のようです。
どこもかしこも黄金尽くしの豪華絢爛さで、質素な巫女服の私と、なんとか懇願して持ちこんだ素焼きの水瓶が浮いています。
「わ、わあ! なんて素敵なお部屋。私、この部屋以外も見てみたいし、外にも行ってみたい、です」
「…………外に出たいなんて、まさか僕から逃げ出すつもりなの?」
彼の目からハイライトが消えました。空気が雷の気配に震えています。
「いいえそんな、滅相もないです! 私のためなんて聞いたら、じっくり見て回りたいじゃないですか! お庭もあるなら……フルドミナトゥス様も一緒に散策しませんか?」
「一緒に! それは良い考えだね。でも他人行儀だし敬語はやめて、僕のことはドミナスって呼んでほしいなぁ」
慌てて取り繕うと、フルドミナトゥス、いえドミナスは歪んだ三日月のような笑みを貼り付けます。ここは彼に従うしか道はないようです……。
「わかったよ、ドミナス。私のこともレンと呼んでね?」
「レン……レン!! やった、僕だけのレンだ! いいよ。君から手を繋いでくれるなら、僕はどこにでも一緒に行ってあげる」
なにが嬉しいのか、レン、レンと連呼し、けたけたと笑い続けるドミナスと不本意ながら手を繋ぎ、離宮を巡ります。
傍目にも浮かれてスキップをし出しそうなドミナスが異様なのか、死んだ魚の目をして足取りも蹌踉な私とのギャップが激しいせいか、通りかかる鬼族の皆さんは一様にギョッとしています……。気のせいか視線が冷たいです。
「離宮は大切なものを置いておく場所だからね、宝物庫も兼ねているんだ」
次に連れて来られたのは黄金の山や見たこともない宝石、貴重な魔法具が所狭しと積まれた、富の象徴のような場所でした。
古びた水晶玉や割れた水盤なども大切そうに陳列されていますが、きっと神代から伝わる希少なアイテムなのでしょう。並々ならぬオーラを感じます。
「レン。僕からのプレゼントだよ」
繋いだ左手が強く引っ張られたかと思うと、そのまま手首に腕輪をはめられました。
手枷かと思うほど重たい腕輪にはドミナスの紋様が刻まれ、角と同じ鈍い金に輝いています。
腕輪は繊細とは言い難い鎖で繋がれた指輪が揃いになっていて、そちらは薬指に通されます。
ドミナスの繋いだ右手には、同じ意匠の腕輪……とても嫌な予感がしました。
「僕とお揃いの腕輪。これで僕らは夫婦になったんだ! 指輪は君だけの特別製。左の薬指には心臓に繋がる愛の静脈が流れているんだって知ってたぁ? 僕のレン、愛してるよ」
「……」
「ふふ、泣くほど喜んでもらえて嬉しいなぁ」
無意識でしょうか、繋いだ手から決して弱くない威力の電気が流れて来ます。
金属で出来た装飾が焼けるほど熱くなり、私の肌にはドミナスの紋様が火傷となって刻み付けられました。
熱くて痛くて、手を振りほどいてしまいたかったけど、それは悪手です。絶対にもっと酷い目に合うだけ……。
「ねえ、レン。君も僕を愛してるよねぇ?」
笑顔なのに、顔立ちは美しいのに、仄暗い情欲のせいか醜く歪んで見えるドミナスに、私は無理をして笑みを向けました。答えを間違えたら、詰み、でしょうね。
「私はドミナスとさっき出会ったばかりなのよ。それなのに今ここで愛してるなんて言ったら、貴方の地位や財産が目的みたいじゃない? ドミナス、私はもっと貴方を、貴方の内面も知りたいな。愛を騙るのはそれからでも遅くないでしょう?」
この答えは存外お気に召したようです。
満更でもない顔で頷かれました。
「レンの誠実で正直な所は好ましいな。そうだね、愛を語らうには二人で過ごす時間の積み重ねが重要だ。少しずつ愛を育むのもまた一興。最も、僕は初めて君を見た時から愛しているけど」
「いつから私のことを知ってたの?」
「教えてあげない。僕だけの秘密だよ」
こんな強烈な男に見初められた覚えが、私には全くありません。
これが偏執狂というものでしょうか?
でも私が水神様の御子であるということはバレてないようですし、謎は深まるばかりです……。
「次は庭に行こうか。君のために睡蓮の池を作らせたんだ」
「わあ、楽しみだなー」
大きな池には赤い橋がかかり、水面を彩る睡蓮の蕾も見事なものでしたが……外の世界を断絶するような高い高い壁の方にばかり目を奪われてしまいます。
「──レンはなんで壁ばかり見てるのかなぁ?」
「天辺を流れる雷がまるで花火みたいで見蕩れてしまったの! 今飛び散った光、この指輪や、ドミナスの髪の色みたいで綺麗だったね。素敵なお庭に案内してくれて、ありがとう」
バチバチと弾ける電流の威力からして、鳥すら近寄れないでしょう。というか黒焦げにする気ですか……?
脱走は死あるのみ、という強い意志を感じます。
水神様の休眠期が明けるのはまだ先。水妖精には頼れず、完全に孤立無援状態です。
私にあるのは水神様から賜った、いくらでも水の湧く水瓶だけ。
……状況は厳しいですが、この雷の牢獄から逃げ出す方法は必ずあるはずです。
「早く僕のことを愛してね?」
私が貴方を愛することはありません!




