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33.……全てを思い出したら地獄だった。

────見たことのないはずの、地底湖の美しい情景が浮かび上がる。


 青く輝く水の中、睡蓮の花の如く可憐な少女が振り返った。

 水神様の湖の神聖な水と同じ色、澄んだ瞳がオレを見据えている。

 これは、正しい歴史のオレの記憶。

 四年分の消された未来であり過去。

 時空の狭間に葬られたはずの、思い出の残滓……。


『──フェーリ』


 うら若い少女の母が……スイレンが名前を呼んでいる。

 そうだ、オレの前世の名は、フェーリだった……。

 女の子みたいだからあまり本名を名乗りたくないと愚痴をこぼしたオレに、スイレンはこう諭してくれたっけ。


『古い言葉では幸福のことをフェリシタスと言うのよ。ご両親はあなたが幸せであるように、幸福フェリシタスにあやかってフェーリと名付けたのね。とても素敵な名前だわ』


 ……忘却ではなく、消失。出逢いはなかったことにされたから、奇跡でも起こらない限り、スイレンが前世のオレを思い出すことは不可能だ。

 けれど神子である彼女には、何か感じるものがあったのかもしれない。

 だから産まれる前からオレを愛してくれて、フェリシタスと名付けてくれた……。


 真名を取り戻したら、芋づる式に前世の家族の思い出も蘇っていく。


 ……フェーリ(オレ)は早くに両親を亡くし、厳格な祖父と温厚な祖母に引き取られ、育てられた。

 祖父は若い頃は水花王家に仕える近衛騎士だったけれど、水巫女だった祖母と出逢い、恋仲になったことで、腐った王家への忠誠を捨て、祖母を守る騎士になったそうだ。


 こんな大切なことを、なんで忘れていたんだろう?


 たった一人の女性を生涯愛し、最期まで守り抜き、同じ墓に入った祖父の生き様を尊敬して、憧れていた。

 一人遺されたオレは、祖父のような騎士になりたいと夢を描く。

 十五になった日、生前の祖母が受けていた神託に従い修行の旅に出て──そして彼女に、スイレンに出逢った。


『あなたは誰ですか?』

『は、はじめまして。オレは、フェーリです。怪しい者ではなく、騎士を目指して修行中の身でして、その、水浴びを覗くつもりはなくて……ごめんなさい』

『ふふ、水浴びじゃなくて、これは儀式ですよ。服は着ているでしょう? 私はスイレン。水神様に仕える者です』


 スイレンとは一目で惹かれあった。

 二人はすぐに打ち解けて、一緒に巡礼の旅に出た。

努力を積み、水竜の騎士に任命されて……四年の間にたくさんの思い出を作り、愛を告げたのは、オレからだったね。


『ずっと君が好きだった。オレと結婚してほしい』

『嬉しい……。初めて逢った瞬間から、あなたに惹かれていたの』

『オレもだよ。一緒に幸せになろうね』


 跪いて求婚したオレに、君は涙を流して喜んでくれた。

 君の家族、スィやテキ、シズクは可愛くて良い子だったけど、夫として認めてもらうのはすごく大変で、皆に祝福された時は嬉しかったな。


 ……だから水妖精の悲しい事実を知ってしまった際には、二人で地底湖に向かったんだ。


『お互いに敬語はなしって約束したでしょう? 名前も、スイレンじゃなくて、レンと呼んでって言ったじゃない。フェーリとはもう夫婦なんだから』

『ご、ごめん。ここはレンと出逢った思い出の場所だから、つい四年前に戻っちゃったみたいで。懐かしいね』

『これからは私達だけの思い出の地になるわ。悲劇は二度と起こさせないもの。早く封鎖して帰りましょう。嬉しい報告があるのだけど、ここではちょっと……』


 戻ってきた思い出は、悪意の一切ない幸福で包まれた夢のような記憶だった。だからこそ。



 ……全てを思い出したら地獄だった。



 スイレンと夫婦になり心を通わせた甘い記憶と、母と親子として暮らした優しい記憶、かけがえのない思い出が、どちらも切り捨てられない大切な記憶故に、オレの心をズタズタにする。

──ずっと目を逸らして、固く蓋をしていたけれど、フェリシタスとしてのオレも、母を、スイレンを一人の女性として愛していた……。


 知りたかった。知りたくなかった。

 思い出せてよかった。忘れていたかった……。 

 前世のオレと今のオレ、相反する思いに精神が引き裂かれる。

 黙っていると壊れてしまいそうで、思わず叫んでいた。


「ふざけるな!! 母様は、スイレンは、レンは、オレの妻じゃないか……!!」


 反射的に、ドミナスだった残りカスの頭部を踏み躙る。何度も何度も。死体を冒涜するつもりなんてなかったのに、どうしても赦せなかった!!


 不意に、粉々になった消し炭が塵と化して虚空に消える。

 後に残るのは、レンの左腕の痕跡だけ……。

 神々に大罪者と断定された男は、死体を遺すことさえ赦されなかったようだ。


 怒りをぶつける先を失い、突き付けられた残酷な真実に耐えきれず、膝から崩れ落ちる。

 もう泣かないと決めたのに、涙が溢れて止まらない。顔をぐしゃぐしゃにして、子どものように泣きじゃくる。

 復讐を遂げたら何の憂いもなくなる、フェリシタスとして、堂々と生きていけると思っていたのに、どうしてこうなった?

 

「…………レン」


 全て終わったはずなのに、虚しい。せめぎ合う心が軋んで苦しいよ……。



▲△▲△▲△



 あれから、泣いて、泣いて、涙が涸れ果てた後、姉と入れ替わりで神域に戻ったオレを、レンは何も言わず抱き締めてくれた……。


 不都合なことを聞かれていないか不安だったけど、ルイによると、レンはオレを見送ってすぐに神域を出奔、水場を経由して休む間もなく占領地を移動していたそうだ。

 破壊された貯水池、河川へと赴き、姉と一緒に荒れた川や濁った水を鎮めていたのだと。……律儀なレンらしい。

 ドミナスの血族が領地を治めれば、悠久の水の恵みは途絶えない。

 姉が後継者として認められるよう、お膳立てしたんだ。


 おかげで、ドミナスが居なくなっても変わらず水花国は平和である。

 色々やらかしたドミナスは死後でも批判が殺到、過去の悪事も連鎖的にバレたせいで側近衆は対応に追われ、遂には王家にも飛び火して、国の上層部は大炎上。火消しは大変そうだけど、因果応報だしね。

 吹っ切れたアシオーは、助けた侍女と力を合わせ、民に望まれて女王となる姉を支えるため、尽力している。


──オレは英雄になり、一躍有名になったが、変わらず家族とともにある。

 姉の治世が脅かされる、すなわち国が荒れる時だけは表舞台に出るつもりだけど、現在はかねての約束通り、家族揃っての旅の真っ最中。

 地底湖を封鎖して、後はゆったりと秘境を巡っている。

 夫婦だった記憶を取り戻しても、表面上は変わらず、レンとは仲の良い親子のままで。


「フェーリー見て、あっちに野薔薇が咲いているわ。一面真っ白で綺麗ね。雪が降り積もったみたい」

「母様、花は逃げないからゆっくり行こうよ」

『慌てたら転んじゃうものね』


 レンは何も知らない。知らせるつもりはない。

 真実は、二人の思い出はオレが墓場まで持って行くと決めた。

 本当の関係を知ってほしい、けれど傷付けたくないという、ルイの気持ちを理解してしまったから……。


『フェーリーはこれでいいの?』


 右肩に乗せたルイが気遣わしげに、頬の傷痕を撫でた。

 傷は塞がっていても、じくじくと痛み続けている。……きっと、この痛み(想い)が消えることはない。


「いいんだよ。けじめのためにわざと残したんだ。格好いいだろ?」

『……うん。最高に格好いい』


 ルイが言っているのは傷のことだけじゃない。わかった上ではぐらかした。

 オレにとって、生まれ変わりは絶望であり、希望にもなった。

 いつかの遠い未来で、またレンと巡り逢い、結ばれることを信じて。

 それまでは息子として、家族としてレンを守り抜くよ。オレはこの人の騎士だから。


『フェーリーは今幸せ?』

「そんなの幸せに決まってる。友達ルイがいて、家族みんながいて、大好きな母様がいるんだからね」


 ……幸せなのが辛い。でも、不幸だとは思わない。


「私も幸せ。フェーリーもルイも、スィもテキもシズクも、皆大好きよ」

『わたしも皆が大好き! こうやって旅が出来るなんて思わなかった』

『ぼくだって幸せだよー』

『ワタシも。こんな家族に、ずっと憧れてたの』

『ボクも皆が大好きだよ』


 オレが生涯愛する女性はレンだけだ。

 だからこそ、この幸せで歪な家族の形を壊さないと決めた。


「母様は絶対、オレが守るから。これからもずっと一緒だよ」


 強い風が吹いたので、咄嗟にレンの肩を抱き寄せる。

 夫婦だった消えた思い出の中でも、こうしてよく寄り添っていたね。

 風に散らされた白薔薇の花びらが、霞む視界を埋め尽くした。


「フェーリー、ありがとう。あなたを愛してるわ」

「オレも愛してるよ」


 愛しいこの人には、死ぬまで幸せでいてほしい。



          

最終話は本日正午に投稿。

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― 新着の感想 ―
時空の神はほんとにごめんなさいしなきゃだめだよねこれ てめえが愉悦のために流出させた神器のせいでこんなことに……
こんな…こんなタイトル回収、ある??? 恋人かなー未満かなーと思ってたら、それ以上だった。いや、恋情があるだけつらいんだけど。 思い出したくなかった。思い出せてよかった。どちらもフェリシタスくんの真実…
あんの鬼畜生ぅぅぅ! 評価が『火山に沈めるからマリアナ海溝にコンクリ固めにして沈めたい』レベルに更新されたよ! 未来永劫スイレンとフェリシタスの幸せな日常を見続ける刑に処されて!! 一切干渉することも…
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