32.預言は成就され、復讐劇は幕を閉じた。
水で囲われた領域に剣戟の音が木霊する。
膂力は純粋な鬼族で先祖返りのドミナスの方が勝り、剣術に関しては今世の修行に加えて前世の下地を併せた分、オレの方がやや優勢。
持久力も若いオレの方が上、ただし、瞬発力は……と長い立ち回りの中で冷静に分析している隙に、ドミナスは稲妻のような速さで接近すると、薙ぎ払うように一閃する。
「お綺麗な剣筋、実戦不足だねぇ。今のお前は本気の殺し合いをしたことがないだろう?」
咄嗟の放水で直撃は免れたものの、纏っていた水の半分が持って行かれ、切っ先がオレの目の下まで到達、髪一束と右頬を切り裂いた。
しゅうしゅうと蒸発する音は、水が悲鳴を上げているかのよう。
血が噴き出し、傷口から流し込まれた電流は刹那の内に体内を駆け巡る。まるで猛毒を喰らったみたいだ……。
「水に頼ってばかりで攻撃がワンパターン。雷耐性が僕より低いのが見え見え」
ドミナスは余裕綽々で指摘すると、縦横無尽な動きで猛追してくる。
だが確認は取れた。オレは半分に割っていた池の水を音も無く元に戻す。
予測していたかのように溢れ返る水の氾濫を物ともせず、迫り来る水の壁を断ち切り、華麗に跳躍するドミナス。
オレの方は大量の水に浸かったことで痺れから脱却することが出来たので、ドミナスが着地した際に派手に上がった水飛沫、水蒸気をも操って検証の手段にする。
襲い来るドミナスの顔周りに水分を凝集させると、露骨に嘲笑された。
「水神と違って、水の刃を作るのは容易じゃないな? よほどの集中力が必要と見た。水を集めたのは窒息させてやろうという魂胆か。姑息な手を使うねぇ」
ドミナスは纏っていた雷を剣に収束、周囲の水を斬り飛ばし、蒸発させる。
一見力任せのようだが、水を打ち消す電圧は計算ずくで、剣を振るうタイミングも迅速だ。
そして一々腹の立つ一言を添えてくる。
……でもな、雷耐性は低いかもしれないが、煽り耐性はお前より高いつもりだよ。
「水に触れても傷口は塞がっていない。回復の手段は、レンの水はアシオーに渡してしまったものなぁ。……甘ちゃんめ。お前ごときがレンの助力なしで僕に勝てるとでも思ったの?」
嫌味な姑みたいに小言の多い、器の小さな男に嗤い返してやる。
「愛されていなかった哀れな男には、目に見える形でしか母の助力が、愛がわからないのか?」
「……なんだと?」
頭に血が昇ったのか、黄色い肌が赤く染まる。単純な男だ。
「お前が気に入らないと言った名前の由来は、オレの存在が母にとっての幸福だから。オレの人生が幸福であるように。名前は最初の贈り物、母の惜しみない愛の証だ」
「……戯れ言を」
「先ほども言ったが、オレはお前の罪の証、略奪の結果出来た命だ。何故お前のような鬼の子を産もうと思ったか、泣きながら尋ねる幼いオレに、母はこう答えたよ。──生まれるずっと前からフェーリーを愛していたから、と。残念だったな? 母の、スイレンの愛はいついかなる時もオレに注がれている。お前なんかが愛される訳がない。天地がひっくり返ってもあり得ない」
「……もういい!! お前なんか、死んでしまえ。地獄に落ちろっ!! 何度生まれ変わってこようが、その度に殺してやる!!」
怒りに我を忘れたドミナスは、かつてない最大出力の雷撃を放ったが、オレは沈着冷静に、池の水を全て激流に変えて迎え討った。
「雷に頼ってばかりで攻撃がワンパターン。煽り耐性がオレより低いのが見え見え」
先ほどの皮肉を弄って返してやる。
十五年以上の長きに渡り、水神様の水は絶え間なく湧き出ていたのに、ドミナスは一切使わせなかった。地中にまで染み渡ったその総量は如何程になるか。
圧倒的な水量に、渾身の雷撃はあえなく拡散される。
……ただの雷ではオレには届かず、水神様の水に打ち消されると、わかっていたから剣での一戦に持ち込んだのだろうに。
「姑息なのはお前だろ」
渦を巻く奔流をドミナスにぶつける。
迎撃のために放たれた緑金の雷を、飲み込んでも余りある水流に一筋の雷が迸った。
呆気なく散らされたドミナスの雷撃とは違い、赤みがかった銀の雷は、激流の勢いをも活かして矢のように真っ直ぐに進み──斬りかかった剣を伝ってドミナスの残った腕を焼き、体内で呪いのように暴れ狂う。
「!?」
「これは母の助言だけど、剣を持つ時は注意しなよ。金属から雷が伝って皮膚が焼ける」
ドミナスは、役目を終えて緩やかに退いていく水に足を浚われかけるほど、膝ががくがく震えていた。
雷耐性が高い黄色の鬼でも辛うじて立っているのがやっと、という有様だ。
自分以外の雷撃に打ちのめされて、生まれて初めての激しい苦痛に苛まれているはずなのに、瞳から憎悪の色は消えず、ふらふらした足取りでも果敢にオレに挑もうとして……露出する泥濘んだ地面、何かに足を取られたかのように体勢を崩す。
「痺れている時は無理に動かない方がいいよ。バランスを崩して転びやすくなってるから」
ドミナスの足元、地中に半ば埋もれたそれは、母がかつて沈めた水瓶だった。
長年水中にあったことで藻が繁殖し、滑りやすくなっている。
「ほら、お前にもわかる形での母の助力だ。真実の愛はいつだってオレに向けられていると証明されたな」
言い返せず、ドミナスの端正な顔が失意に歪む。
水瓶に気付いたのは偶然だけど……鍔迫り合いの中、押されていると見せかけて誘導した甲斐があったよ。
これで心も肉体も、真っ正面から完膚無きまでに打ち負かすことが出来た。
水の勢いに押された分、二人の距離は開いている。
だけど、瞬発力の劣るオレなりに、最大速度を見せてやろう。
雷を纏った剣先を、心臓の位置目がけて放った──正確な狙いは母の左腕だと、ドミナスは勘付いたらしい。
「…………これだけは……僕……愛して……」
ホルダーごと腕を捨て、みっともなく地べたを這ってでも逃げれば助かったかもしれないのに。
ドミナスは、焼けて電紋の刻まれた手から剣を取り落とすと、そのまま母の左腕を抱きこんだ。
「……僕の……レン」
……左腕は母の意志でドミナスに与えたもの。取り戻すことは叶わない。
ならば忌まわしい腕輪と指輪ごと、オレの雷で浄化してしまおう。母もきっとそれを望んでいる。
「母は──レンはお前の物じゃない!! 一人で地獄に落ちろ!!」
水の気を帯び、金属を纏った母の左腕は、水神様の剣を通して裁きの雷をしっかり媒介してくれた。腕ごと胸の中心を貫かれたドミナスは、抵抗も出来ず、じっくり時間をかけて内側から焼き尽くされていく。
耳をつんざく雷の重低音、金属の爆ぜる音が、不快な断末魔をかき消してくれた。
取り返しのつかない喪失感、蹂躙される屈辱、苦悶と激痛、深い絶望。前世のオレと、母が味わった辛酸を、お前も存分に味わうがいい!!
怒りと憎しみに任せて絶えず雷撃を流していると、ドミナスの濁りきった瞳から完全に光が消えた。出力を上げてとどめを刺せば、人の形をした黒炭が刃から滑り落ちて脆くも砕け散る。
──預言は成就され、復讐劇は幕を閉じた。
指輪も焼け落ちたことで、無残な死に様が中継されなかったのだけが慈悲か。
聖なる池にこんな男の消し炭を混入したくないので、周囲の水は退かせたまま、地形そのものを変える。
俯瞰で見ると三日月の形で固定された池の淵に、一人佇むオレという構図だ。
執念深い男だったが、最期は呆気なかったな、なんてわずかな感傷と勝利の余韻に浸っていたのに。
原型を無くすほど焼け焦げ崩れたドミナスの残骸から、煙ではない何か……紺碧の霞が立ち上った。
不思議と忌避する気持ちは起きない。むしろ綺麗だとすら感じる。
ドミナスから滲み出たものなのに、悪い物だとは思えなかった。
それにはきっと、オレの喪った何か……大切な時間が内包されている、そんな予感がして。
オレは霞に手を伸ばして、自ら受け入れた。




