26.それでもどうしようもなく君を愛しているんだ……
雷の気が強い僕が傍にいると儀式の妨げになるかもしれないと、レンに困った顔をされてしまった。
それでも見守っていてほしいから、二人で逢瀬を重ねた四阿に待機してくれないかと請われたら、叶えるしかないじゃないか……。
理由が理由とはいえ意図的に遠ざけられてもやもやするけど、腕輪がある限り僕らに距離など関係ないし、特等席ではある。
ただ従ってやるのも癇に障るので、当日はアレも見学に誘うことにした。
「ドミナス様とご一緒出来るなんて……光栄です」
かつてのアレとレンは姉妹のように仲睦まじかったが、今では袂を分かち、顔も合わせなくなった。
果たしてレンはアレが立ち会うことをどう思うだろうか?
試す意味で誘ったけれど、アレの方は僕の傍に居られることを純粋に喜んでいた。
「それに、水巫女の執り行う儀式を見られるのは、とても貴重な機会です。お誘い頂きありがとうございます」
雰囲気が似ているアレに感謝されると、レンにつれなくされて曇った気分が晴れるようだ。
わざと四阿で二人寄り添っていたら、レンには切ない目で見られたので溜飲も下がる。
それにしても。視線の先、水巫女として振る舞うレンは、なんと神々しくも麗しいのだろうか……。
惜しいけど、水巫女の服を返して良かった。
結ばれた記念に僕の手許で大切に保管しておいた水巫女の衣装は、思いの丈をぶつけた際に一部を引き裂いていたが、器用なレンの手で丁寧に繕われている。
普段の腕輪を覆い隠すレースのドレスだって、わざわざ僕が用意しなかったら、裾や胸元などにレースを取り付けたドレスをリメイクしたり、フリルのリボンやハンカチを切ったり解いたり、糸から編んだり試行錯誤していたよね。
儚げな見た目に反して、レンには必ずやり遂げるという気骨があるんだ。
うっとりと見蕩れていると、レンが何よりも大切にしていた水瓶を水中に沈める。
粛々と儀式を進める姿は凛としていて、威厳があり、近寄りがたい。
涼やかな水音のように澄んだ声も、意味は分からないなりに美しくて、いつまでも聞いていたい響きだ。
『水神様のために清らかな水場を整えました。睡蓮の花も咲き初めています』
レンは二人で成長を見守った純白の睡蓮を掲げる。
池に足を踏み入れれば、共鳴するように睡蓮の蕾が花開いていく。
青空を映す清らかな水面は、あっという間に満開の睡蓮で埋め尽くされた。
咲き乱れる色取り取りの睡蓮の中でも、レンは一番美しく咲いていた。
何時しか四阿の周辺には人集りが出来て、其処此処で感嘆の声が漏れる。
水巫女というのは伊達じゃなかったのか、なんて傍に控えたアシオーも呆然と呟いていた。
『どうか私の、あなたの御子の願いを叶えてください』
どうやら儀式は佳境を迎えているらしい。
池の中央、睡蓮鉢が置かれた台座に身を乗り出して、レンは持っていた睡蓮の花を捧げた。
「水神様! この池を受け皿にして、鬼族の……ドミナスとその血族が治める地に、悠久の水をお恵みくださいますよう。対価として、私はこの身を捧げます!」
鬼族にも通じる言語でレンは声を張り上げたのに、僕の明晰なはずの脳が理解を拒んだ。
──私の愛し子、睡蓮よ。その願い、聞き届けました──
一滴の雫がレンの頭で弾けたと思ったら、強い思念が頭の中に響き渡る。
「レンは、睡蓮……神子だとあえて黙って、いえ、隠していたのね」
辺境でも、“スイレン”が水神関連の名だという知識はあった。
ひょっとして僕に愛称で呼ばせていたのは、周囲に真名を隠して万に一つの確率でも神子だと疑われないため?
そういえばレンから自分が水巫女だと聞いたことは、一度もなかった。
この僕が出し抜かれるなんて……。あまりの屈辱に唇を噛み締める。
アレのか細い声がやけに耳に障り、僕が椅子を蹴倒して立ち上がったのと、渦を巻く水流が鉢の睡蓮とレンを持ち上げ、幾つもの水柱が立ち昇ったのは同時だった。
夏場なのに氷のように鋭く冷たい雨が吹きつけ、四阿に居た僕らを、庭園に集まった鬼族を容赦なく打ち据える。
──あの子の痛みを思い知るがいい──
レンを引き止めるべく速やかに行動に移そうとした瞬間、降って湧いた思念は僕に真実を突き付けた。
──きゃあああっ!!
レンの痛ましい絶叫が頭の中で酷く反響する。
胸を貫く熱や痺れ、激痛は僕の雷が齎したもの。
レンの悲鳴を初めて聞いたのは、きっと舌まで痺れて声が出せなかったから。
心の中ではいつも悲鳴を上げていたに違いない。
生まれつき雷に耐性のある僕は、こんな苦痛を知らなかった……。
──気持ち悪い、無理っ、怖い怖いっ!!
身動ぎ一つ取れない中で、体を真っ二つに引き裂かれるような痛み、為すすべもなく凌辱される恐ろしさと、生理的な嫌悪感、止め処ない不快感が押し寄せる。
例えるなら、全身を這いずり回る蟲が穴という穴に潜り込み、そこから内部の肉を食まれているような……男の僕が今まで経験したことのない、強烈な恐怖と不快感だった。
──嫌い、嫌い嫌い、貴方なんか大嫌いっ!!
左腕が熱い。薬指など千切れそうなほどの熱さだ。さらには全身を切り刻まれるような鈍痛が押し寄せ、首がギリギリと絞まって、呼吸が、出来ない。
こんな風にレンは感じていた、思っていたのだと気付かされて、涙が出るほど悔しかった……。
だって、僕の愛が伝わっていないみたいじゃないか!
──救いようのない、罪深き者よ。私の愛しい御子は返して貰います──
辛辣な声が湧く。
ハッとしてレンの方を見遣れば、彼女は水流に優しく包まれて──笑っていた。
涙は流しているけれど、悲壮感はない。
僕が見たことのない歓びが、満面の笑みとなって可憐な顔に表れている。
あまりの怒りに、緑金と黒の稲妻が迸った。
「レンっ! 僕を騙した……裏切ったな!! 絶対に逃がさないからなぁっ!!」
嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐きっ!!
僕のことを愛してるって言ったのに、離宮から去ろうと、僕から逃げようとするなんて赦さない!!
怒りに突き動かされるまま、レンの華奢な腕を折らんばかりに強く握り締めた。
手加減もせずに雷撃を放ったのに、渦巻く激流に阻まれ、絡め取られてしまった……。
「水神様。どうか私の腕をお切りください」
どうしてそんなに冷徹なんだよ?
何故僕を省みない!
芳しい血液が広がって、視界が赤く染まる。
怒濤の水圧で押し流されて、レンから、愛しい人から、遠ざけられていく。
「レン、レン、レン、スイレンっ!!」──行かないでっ!!
何度も名前を呼んで、必死にレンの元へと手を伸ばすけど……僕の悲痛な想いは、届きやしない。
レンの白い顔から、表情が消えた。
空虚な瞳で僕を一瞥しただけで、そこには愛も憎しみも、侮蔑はおろか、悲しみや怒りも何もなかった。
まるで、僕なんかどうでもいいとでも言わんばかりの無感情に心が打ち砕かれる。
やがて、レンの姿は幻のようにかき消えた。……ようやく手に入れたと思ったのに、失ってしまうなんて。
僕の手許に残ったのは、血に染まった一輪の睡蓮と……冷たく血の気の失せた左腕だけ。
「レン……スイレン!! 必ず見つけ出して約束通り目玉を抉り出し、手足を切り落として、二度と逃げられなくしてやるっ!! お前は僕のものだっ!!」
雷を巻き起こし、喚き散らし、荒れに荒れてひとしきり怒り狂った後……誰もが逃げるように立ち去った庭園で、僕はレンの左腕を胸に抱いて、涙を流した。
嫌というほど思い知らされたのに、全力で拒まれたのに。
それでもどうしようもなく君を愛しているんだ……。
▲▲▲▲▲
幸福とはほど遠くても、レンの欠けた日常は続いていく。
「今更あの水が無い生活を送るなんて、耐えられません……」
「池を解禁してくださいよ。水はあんなにも沢山あるんだから、少しぐらい分けてくれても良いじゃないですか」
レンはアレを通じて、誰にでも惜しみなく水を与えていた。
控え目に、だけど恨み節を漏らす連中は一定数居て、一様に不満げな顔を僕に向ける。
水の恩恵を受けながら、レンに感謝なんて微塵もしていなかった癖に。恩知らず共が。
「池の水を使えば、水神との契約が成立してしまう。対価を、スイレンを取り戻せなくなる。水を使うことは赦さない。誰であろうと絶対にだっ!!」
僕が宣言しても、愚か者は不服そうで、中には隠れて水を汲もうとする恥晒しまでいた。
……鬼族は誇り高い種族だ。
その矜持を忘れ、恵みを享受することを当たり前だと勘違いして、貪ろうとする……なんと不遜なことだろう。害虫にも劣る。
そんな輩は最早守るべき民に非ず。僕の部族には不要だ。
そして、レン付きの元侍女達の時とは違い、庇ってくれる優しい彼女はもういない。
──裁きの雷は、愚か者達を等しく焼き払った。
「……ドミナス様」
粛清が一通り終わり、誰も声を上げなくなった頃、四阿でぼんやり池を眺めていた僕に、アレが縋りついて来た。
「せめてお世継ぎが産まれるまで、ほんの少し、一口で良いから、お水を分けていただけませんか……?」
とうとうレンが渡していた水の効果が切れたのだろう。
発熱したのか手は熱く、如何にも苦しそうで顔色も悪かった。
……僕が知る限りレンに感謝していたのはアレだけ。レンもアレにはずっと水を飲んでほしいと願っていたっけ。
「ダメだ」
それでも。慎ましやかに僕の服の裾を握るアレの手を振り払い、一蹴する。
……預言だなんだと言い訳して傍に置いていたが、認めるしかない。
レンだけに愛を捧げているつもりで、しかし、僕はアレにも愛情を向けていた。
消えた未来でも特に不満があった訳ではなく、アレに対する情が僅かでも確かに残っていたのだと痛感する。
「お前も例外じゃない。水はやらない。僕に二度と近寄るな!」
過去に遡ったあの日。
築き上げたものを全て手放してもレンを手に入れると誓ったのに、僕は何一つ失っていなかった……。
アレへの思いを、レンはきっと見抜いていた。だから僕の元を去ったに違いない。
……間違いは正さなくては。
僕は四阿を後にする。
アレを拒絶し、二度と振り返らぬ覚悟で背を向けた。
▲▲▲▲▲
主を失った離宮に住み着いてから、どれくらい経っただろうか。
ろくに水も与えず打ち捨てていた一輪の睡蓮が、衰えることなく美しく咲き誇っていることに気付いて──名案を閃いたんだ。
離宮に引きこもり、睡蓮を見守りながら、僕は執事やアシオーを使って忙しく働いた。
来たる日に向けて、あらかじめ囚人監視の指輪と紐付けていた通信の鏡を全て、大盤振る舞いして国の主要都市に送りつける。
鏡でやり取りをして、時にはアシオー達だけでなく側近衆を派遣、指示を出す。
忙しない日々を過ごす中、彼女の残した睡蓮は僕にとっていつしか癒しになっていた。
「おかえり。君は相変わらず綺麗だね」
──防腐処置のために職人に預けていた左腕が戻って来た。
腕輪も指輪もそのままに、時を止めた左腕を専用のホルダーに入れて胸に抱く。
……これでいつも一緒だ。
レンがかつてそうしたように池の中を進み、生い茂る葉を掻き分けて中央の鉢に睡蓮を挿した。
滾々と湧き出る水の先、何処かに必ず居るはずのレンに向かって語りかける。
「真珠のような純白の睡蓮が、君の血を浴びてから赤みを帯びたんだ。白と薄紅が入り混じる妙なる色合いは、君の髪色のようで綺麗だろう? 僕のお気に入りだ」
湧き出る水にくるりくるりと向きを変える睡蓮は、八方に妖しくも美しい魅力を振り撒いている。
……本当にレンのような花だなぁ。だけど、そこが良い。
僕の決意が届くと信じて、宣誓する。
「僕は水神から必ず君を取り戻す。次こそは絶対に離しはしない。愛しているよ、レン」
スイレンの苦しみと痛み、悲しみのフルコース~水神様の怒りを添えて~は受ける人によって度合いが違う。
弱:リアン
中~強:アシオー、その他鬼族
最強:ドミナス




