23.愛おしい。いじらしい。……憎たらしい。狂おしいほどに、君を愛してる
レンと過ごした三日間は、まるで甘い蜜に浸っているようだった。
いつまでも続けばいいのにとは思うが、現実的でない。僕には族長としてやらなければならないことが山積みだからだ。
何故かやり直す前には起こらなかった事象、小さな水害やそれに伴う諍いが徐々に増えている。
あるいは、これも過去を変えた弊害なのかもしれない。
両親を筆頭に口煩い連中が残っていたら、水巫女のレンを娶ったせいで水神の怒りに触れたとでも言い出しかねなかったな。
僕が積まれた書類を片付ける傍らで、真実の鏡には和やかに笑い合うレンとアレの姿が映し出されていた。
〖レンは堅苦しいのよ。わたくしのことも、親しくなったのだから名前は呼び捨てにして、敬語もやめる。他人行儀だからね〗
〖わかった。……でも、二人の時だけね?〗
〖よくできました!〗
〖今度はリアンが敬語使ってる〗
……正妻と妾なんだから、もっとギスギスしたり、どろどろして然るべきだろうに、なんで普通に仲良くなってるの?
アレの魂は柔らかく燃えて、春の陽射しのように暖かい光を振り撒き、レンの澄んだ魂も、揺らめく炎を水鏡のように照り返して燦然と煌めいている。
炎と水、相反する魂の輝きが上手く噛み合って互いを高め合い、絶妙なハーモニーを奏でていた。
美しいし、微笑ましいとは思うけども。
……二人とも、僕と居る時より笑顔や言葉遣いが自然で楽しそうだね?
ふぅん。僕には話したこともないプライベートな話までしちゃうんだ?
真実の鏡が二人の会話中に赤くなることはなく、つまり本当に打ち解けているということで……何だか釈然としないなぁ。
レンの存在を知ってアレの魂が燃え上がったように。
アレを正室に迎えたことでレンの魂に強い光が走ったように。
二人を会わせることで、僕へ向ける感情に良い変化が起きないかと期待して見舞いを許したのに、完全に誤算だった。
思い通りに行かなくて、こんなにも苛立っている僕をそっちのけで、レンとアレは密接な関係を築こうとしている。……面白いはずがなかった。
──徹底的に、邪魔してやる。もう二度と二人きりになんかしてあげないからな。
△△△△△
「…………レン。僕の愛を疑ったね?」
しっかり横槍を入れて茶会は妨害したが、怒りが治まらない。
アレと交流出来ないよう離宮に閉じこめて、誰にも見せないよう監禁してやろうか?
「……愛はひけらかすものではないと思っているだけよ」
アシオーの弟の件以来、腕輪を隠す意匠のドレスを着るようになった時も、レンはそう言っていたっけ。
慎ましやかな所は気に入っているから、少し怒りが和らいだ。
「それに、私だって役に立ちたかったの。リアン様のような立派な身分はない。預言を授かった訳ではなく、人徳もない。私が持っているのは、水だけ……。だから、リアン様の日影でいいから、貴方の側にいられる大義名分がほしくて……どんな形でもいいから、私もドミナスの妻だって周囲に認めてほしかったの」
「……へぇ」
冷静になって振り返れば、今までも鏡越しで見るレンの言葉に嘘偽りはなかった。
人は大なり小なり嘘を吐くものだから、認識の違いや微妙な意味合いで、真実の鏡がレンの髪先のように仄かな薄紅色になることはあっても、真っ赤に染まったことは一度もない。
……少しは信用してあげよう、かな。
「私の望みは、ささやかなもの。例えばこんなに上等な紅茶はなくていい、お菓子なんていらないから、この美しい景色を二人でゆっくり眺めて過ごしたい、とか」
奥ゆかしくて可愛い望みだね。
そんなの、いくらでも叶えてあげるよ。
それからも続くレンの述懐に、僕は次第に絆されていく。
「豪華な宝飾なんていらない。私は柱を飾る控え目な緑の薔薇を、一輪だけ貰えればいい。貴方の手ずから渡してくれたら、それだけで満足よ」
緑は僕の瞳の色だ。先ほどアレに贈ったパリュールを意識してくれたのかな?
それに一輪の薔薇を贈るのは、『唯一無二の愛』や『一目惚れ』、『運命の人』など正に僕らに相応しい意味があるんだよ。
特に緑の薔薇の一輪は、求婚の意味合いが含まれている。
「うん、いいねぇ。その答えはすごく気に入った」
黄色がかった緑の、僕の髪色に似た薔薇を掬い取り、編みこんだ髪の根本に挿してやると、レンは声を上げて笑った。思わずこぼれたらしい、偽りのない笑顔。
「ようやく笑ってくれたぁ。レン、僕のレン、綺麗だ。……愛してるよ」
愛おしい。いじらしい。……憎たらしい。狂おしいほどに、君を愛してる。
昂ぶる感情のままに、僕は華奢な体を強く抱き締めた。
抑えきれない情熱が雷撃となって奔ったせいで薔薇は散ってしまったが、意識を失ったレンは睡る蓮の名の通り、とても愛らしい。
花びらを纏い、ふんわりとカールを増した髪を撫でながら、耳元で小さく囁いた。
「僕だけのレン。君は、君の魂はどんな宝石よりも、薔薇よりも美しい。僕はこれから想いをこめて薔薇を贈るよ。──君が偽りのない愛を返してくれるまで」
△△△△△
「リ、リアン様のことは良いのですか?」
レンとの逢瀬を重ねてしばらく経ったある日、アシオーが疑問を投げかけてきた。
「アレにはすでに充分な贈り物をしている。世継ぎのための体にも配慮してやっているのに、これ以上何を望むんだ?」
高貴なアレには宝石を散らしたドレスと貴金属が、純朴なレンには繊細なレースをあしらったドレスと生花が似合う。
僕は気遣いが出来る男だから、それぞれに見合った贈り物をあげているんだ。
九十九本の薔薇の花束とは別に用意していた薔薇をまた一つ、僕の膝の上で大人しくされるがままになっているレンの髪に挿す。
波打つ髪を、淡い黄色がかったものから濃いものまで緑の薔薇で埋め尽くせば見栄えが良いし、僕色に染まった姿には独占欲が満たされる。
やっぱり自然な感じがレンには似合っているねぇ。
まだまだ忙しい中、こうして二人で過ごす時間は貴重だから、心ゆくまでレンを堪能していたのに。
二人の仲を深める邪魔をするなんて、アシオーは空気が読めないな。
「ドミナス様はその、レン様を、重っ、深く愛されていますが、どこに惹かれたのでしょうか……?」
僕は一瞬だけ考えこむ。
そういえばレンにも伝えたことがなかったな。僕の想いを一端でも教えてあげないとねぇ。
「レンの見た目も体も奥ゆかしい性格も最高だけど、一番はやっぱり魂の輝きだなぁ」
「…………え?」
「太陽の光で煌めく水面に映る虹のような。水底から蒼穹を見上げた時のような。それはそれは美しく清麗な輝きなんだ。ずっと見ていたいよ」
腹立たしいことに、一番美しくも妖しく僕を魅了した輝きはまだ引き出せていないけど。
あれぇ、おかしいなぁ。レンの恐怖の色が、また濃くなっているよ?
「例え、この豊かな髪が無くなっても。愛らしい顔が焼け爛れたとしても。……魂の輝きが宿ったような綺麗な瞳が見えなくなるのは、ちょっともったいないかなぁ」
初めて出逢った地底湖のような、神秘的な輝きの瞳は特にお気に入りで、無くすのは惜しい。
欲望のままにふわふわの髪を撫で、まろい頬に指を這わせ、なだらかな肩、細い腰、魅惑的な太股の順で撫でさすり、最後に鎖と指輪ごと小さな左手を閉じこめた。
あの男と繋いでいた手には、手枷のような婚姻の腕輪。思い焦がれた細腕には僕の所有の印と、罪人の証が焼き付いている。
鎖で繋がれた指輪は、それ自体が彼女を拘束する鎖といえた。
ただでさえ小柄な体には僕の手が付いていない箇所などない。だけど。
「左腕以外の手足を切断しても。このしなやかな肢体が抱けなくなっても。傍にずーっと置いておきたい、そんな輝きに魅了されたのさぁ」
……僕は体だけじゃなくて、レンの心が欲しいんだよ!!
愛する人には同じだけの熱量を返してほしいよね?
真実の鏡に映るレンには嘘はないのに、なんでかなぁ、空々しさを感じる……。
僕とは自発的に手を繋いでくれないくせにとか、どうしても、あの男と手を取り合っていた最愛の君と比べてしまうんだ。
「い、嫌だわドミナスったら。そんな酷いことをされたら、魂の輝きだって濁ってしまいそうじゃない?」
「レンもそう思う? ……だから最終手段なんだよねぇ」
レンが愛しくてたまらない。でも、同時に手酷く傷付けてしまいたい。
歪んだ想いを止められなくて、それでも手放したくなくて。どろどろと煮詰められた愛憎が僕の中で渦を巻いている。
「ひっ……! さ、さすが、は、ド、ドドミナス様。常人とは視点が、違って……いらっしゃる」
……さっきから恐怖や動揺が隠せてないけど、お前は知性を司る白鬼だろうが。腹芸の一つ出来ないでどうするんだよ?
白けた目を向けたら、奇しくもレンも冷たい目でアシオーを見ていた。……君は僕だけを見ろよ。
いつぞやの弟の件を思い出し、無性に腹が立つ。
「あれぇ? レン。僕の目の前で、僕以外の男を見たぁ?」
八つ当たりだとはわかっているが、滾る怒りは全部アシオーにぶつけようか。
こいつにはまだ使い道があるけど、替えが効かない訳じゃないし、弟の元に送ってやるか。
雷撃を練ろうとレンから離そうとした手を、繋ぎとめるように固く握り締められる。
……初めてレンから、手を繋いで、くれた?
驚いたせいで力の緩んだ右手は持ち上げられて、折れそうに細い指が絡められた。まるで、恋人繋ぎのように……。
「……酷いわ。ドミナスこそ私を疑うの? あんな人、どうだっていいのに」
「え、あ、レンの意志で、僕の手を握ってくれた……?」
自分でも間抜けな声が漏れたと思う。
「彼の方を見たのは、新しく飾られた薔薇の……白薔薇の方が気になっていたからよ。白薔薇には『約束を守る』という花言葉があるのを知ってる? 花束に、一輪の白薔薇を加えてほしくて」
……やっぱり君は嘘吐きだね。それでもいいよ。
九十九本の薔薇は『永遠の愛』、『ずっと好きだった』という、僕からの秘やかなメッセージ。
そこに一輪の薔薇を加えたら、百本の薔薇で『献身的な愛』、『百%の愛』になる。……僕の愛に応えたといっても過言ではないよね?
レンは上目遣いに濡れた瞳で、一心に僕だけを見つめる。
閃光のように強い輝きは、熱視線となって僕の心臓を貫いた。
「私のことが信用できないのなら。男だったら誰にでも色目を使う節操なしだと疑うのなら。二度と他の男を見ることが出来ないように、貴方の手でこの目を抉っても構わないわ」
「……本当に?」
「ええ、約束する。指切りをしましょう」
指切りは水花国に何処からか伝わった古い風習で、必ず約束を守るという誓約だ。
まさかレンから持ちかけてくれるなんて……小指を食べていなくて、良かったよ。
「指切りげんまん、」
「嘘を吐いたらその瞳を抉って食べる」
僕を見つめる綺麗な瞳。
僕だけを見てくれるなら、奪うつもりなんてないけれど。
レンの目玉はきっと、どんな高級な菓子や果物よりも甘くて美味しいだろうなぁ。
僕はレンと交わす指切りに……言い換えれば、彼女の合意を得て少しずつ肉体を僕の物にする契約に、すっかり味を占めてしまった。




