20.僕の手を取らなかったことを後悔するがいいさ
彼女を守る騎士だと言わんばかりのお堅い服装ではなく、みすぼらしい旅装の後ろ姿が無用心に歩いている。
服装や体格は違うが、夜闇に溶ける暗い色の髪も、なんの変哲もない水みたいな魂も間違いない、あいつだ。
辺境にある関所は全て僕の手の内、誘導されたとも知らないで、よくぞのこのこやって来たものだ。
怒りの雷が迸り、夜空を緑がかった黄金に染め上げる。
「死ね。死んでしまえ。地獄に落ちろっ!!」
まずは彼女と手を取り合っていた、忌まわしい右腕を力任せに引き千切ると、汚い悲鳴が上がった。ざまぁみろ。お前なんか分不相応なんだよ、カスが。
……お前さえいなければ彼女は僕のものなんだ。
憎悪に憤怒、そしてあの日の屈辱を、高出力の雷撃に変えて絶え間なく打ち据える。もちろん、簡単に死なせないように急所は外した上で。
「う、うわああぁぁぁっ!!??」
間抜けな断末魔だな。もっと泣き喚け。苦しむがいい。
──それからどれだけ痛め付けただろうか?
遂に何の音も発せなくなった焦げた肉塊に、トドメの雷を落とす。
轟音と高熱に貫かれ、原型の無くなった黒炭を何度も何度も足蹴にして踏み躙れば、喉から狂ったような笑い声が溢れて止まらない。とても愉快だ。
これで邪魔者はいなくなった。清々した。
大手を振って、彼女に会いに行ける。
△△△△△
あの男を闇に葬った翌日。
待ち焦がれていた彼女が地底湖に現れた。
水巫女しか知らない隠し通路でもあるのか、意気揚々と駆けつけた時には、すでに彼女は何らかの儀式に取りかかっていた。
青く輝く水に腰まで浸かると、流れるような動作で水瓶を掲げて澄んだ水を注いだり、汲み上げたりしている。
歌うような旋律の声は洞窟内で高く反響して、水琴窟のようで綺麗だが、何と言っているかは理解出来ない。
その美しくも神格的な姿は、綻び始めた睡蓮の蕾のよう。
あどけなさは残るものの、しっとりと濡れた肌に服が張り付いて、艶めかしい体の曲線を浮き彫りにする。
五年も時を巻き戻したせいもあり、まだ子どもかと懸念していたが、まずまずの成熟具合。すぐに妻に迎えて問題は無さそうだ。
ああ、この日をどれだけ待ち侘びただろう。
早くその手を取りたい。輝く笑顔をもう一度見たい。今度こそ僕を見てほしい。
この一年、あの憎い男を打ち倒すために肉体も能力もこれ以上なく鍛えて、高めた。
両親すら手に掛け、辺境を統一し、君に愛されるために己を磨き続けたんだよ?
……なのに、どうしてかなぁ。
「迎えに来たよ、愛しい人。どうか僕の妻になってほしい」
湖から上がった君は、僕の姿を見るなり体を強張らせる。
構わず左手を取り、跪いたけど、見下ろす瞳には怯えの色が隠せていなかった。
口づけた手の甲からは微かな震えが伝わり、満月を映した湖面のような、冴え冴えと冷たい魂の輝き方は、恐怖に染まっているが故の仄かな青白い光だ。
「謹んでお断り申し上げます」
…………なんで断るの?
こんなに愛しているのに。もう邪魔する奴は駆逐したのに。これでやっと愛されると思ったのに。
「名も知らぬ方、初めまして、ですよね? 申し出は嬉しいのですが、私は水神様にお仕えする身です。神に仕えることこそが至上の喜びであり、使命だと考えています。未熟者ゆえ、恋に浮かれては使命を全うできませんので」
はあ? 過去の君とは確かに初めましてだけど、僕が運命を感じたように、君も運命を感じるべきだろう?
恋などしないという口振りだが、あの男を見る目には確かな熱があった。
ただならぬ関係だとしか思えなかったのに、この僕の想いは拒むだと?
……そんなの、赦さない。赦されない。
「……水神は寛容な神だ。神職でも婚姻は自由で、水神を祀る水花国の王家は、代々水神の御子を、神子を一族に加えることで繁栄してきた。君が水巫女だろうと、僕の申し出を断る理由にはならないよねぇ?」
王家の事情まで持ち出して皮肉を告げてやれば、露骨に顔を引き攣らせている。
……そんなに僕が嫌なんだ。傷付くなぁ?
「水神様のご意向や貴方がどうとかではなくて、私が誰とも結婚する気がないだけです。貴方のように立派な殿方でしたら、引く手も数多でしょうに。こんな小娘のことなど、どうか捨て置いてください」
「…………誰とも結婚する気がない、だって?」
嘘吐き。嘘吐き。嘘吐き。嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘。
……あの男とは、あんなに愛おし気にこの手を取り合っていたじゃないか。
握る手に力がこもり、恐怖の色が一層強く濃くなった。
「君は嘘吐きだなぁ。目を離したらすぐ男を作る癖に。ねえ──スイレン?」
本当は君から名乗って欲しかった。
その上で名前を呼びたかった。
出逢いをやり直したら、君は喜んで僕を選んでくれると思っていたのに……残念だよ。
「君にはまだ名乗っていなかったね。僕の名前はフルドミナトゥス。辺境の鬼族を束ねる者。君の最初で最後の夫だよ」
良く練って手心を加えた雷をスイレン目掛けて放つと、ビクンと大きく跳ねた体がよろめき、僕の腕の中へ倒れこむ。
鬼族では真名を名乗るのは婚姻や決闘を申し込むなど、特別な時だけ。
僕は名乗りを上げて、君は僕に身を任せた。
これは求婚を承諾したと見做されるよねぇ?
清らかで控え目な甘い香りが鼻腔をくすぐった。ふわふわした髪がくすぐったい。どこもかしこも柔らかい肢体を持ち上げて、折れそうに細い首や腰に指と舌を這わせる。白魚のような滑らかな肌は、手触りも味も極上で、癖になりそうだ。
なんて儚くて、弱々しくて、愛らしいのだろうか。この肌に僕の印を刻み付けたい。牙を立てたい。鋭い爪で引き裂いてしまいたい。
どうしようもなく愛しているのに、同じくらい傷付けたくもあり、歯止めが効かない。
「なんて甘くて良い香りだろう。君から僕の胸に飛びこんで来てくれるなんて、感激だなぁ。愛しいスイレン。……やっと結ばれるね」
……それからは誰にも内緒の、めくるめく愛の時間。
僕とスイレンの至福の一時を、語る必要はない。可愛いスイレンの姿態は僕だけが知っていれば良いんだ。
「……お願い、します。この水瓶だけは、持って行かせてくだ、さい」
開けた衣服をかき合わせ、生々しい痕跡の残る胸元を隠し、スイレンは哀れみを誘うように弱々しく掠れた声で懇願する。
過剰なまでに傷付けたい、可愛がりたいという衝動を抑えられなかったせいで、随分と痛ましい目に合わせてしまった。まあ、どんな姿でも愛くるしいけれど。
スイレンは痺れた体で無理に立ち上がろうとして膝と片手を付き、掌からは血が流れ出す。……なんて鮮やかな赤。彼女の血は、最高品質の赤ワインのようだ。
『どうかこの哀れな身に癒しの奇跡を』
彼女が何かを唱えて水瓶の水で傷口を流すと、露出した石でざっくり切った傷も血も、跡形もなく消えてしまった。僕が舐めたかったのに、もったいないなぁ。
「水神様の水は傷を癒し、あらゆる生き物に、活力を与えるのです。……必ず、貴方のお役に立ちますから、どうか水瓶だけは……」
「ふぅん?」
その水の効能は知っていたよ。
やり直す前の僕が、あの糞野郎に辛くも負けてしまったのは、水を用いたスイレンの助力があったからも大きい。
この水瓶があれば、どれだけスイレンに無理をさせても、傷付けたい衝動が抑えられなくても、長持ちしてくれそうだね。
あの男のために使っていた水を、今度は僕のために使わせるというのもそそる提案だ。反対する理由はない。
水瓶から引き離すように軽い体を抱き上げると、不安になったのか、スイレンの目から涙が溢れ出す。
僕は卵型の顔の輪郭をなぞるように、べろりと舌で涙を舐め取った。
「君の涙は美味しいなぁ。まろやかな味わいは洗練された白ワインみたいだよ。この涙に免じて、水瓶は持って行ってあげる。感謝してよねぇ?」
「ありがとう、ございます……」
僕の手の中で安心したのか、スイレンは意識を手放した。
眠る彼女はまるで人形のように可愛らしい。
これから閉じこめる離宮は、さしずめ実寸大のドールハウスと言ったところか。
……求婚を拒んだからには容赦はしない。
妾として、水神ではなくこの僕に奉仕させてやる。
僕の手を取らなかったことを後悔するがいいさ。




