18.痛みも熱も悲しみも、全て喜びで上書きされてしまった
「母様。ちょっと良いかな?」
フェーリーとルイが連れ立って現れる。
この二人は竹馬の友で、私にとってのスィ、テキ、シズクみたいな、家族であり友でもある信頼関係を築いていた。
兄弟のように仲睦まじくて、見ていて微笑ましいのだけど……なんだか、フェーリーの顔付きが違う。
いつまでも泣き虫だと、子どもだと思っていたのに、すごく大人びて見えた。
「どうしたの、フェーリー。ルイもそんなに畏まって」
「大切な話があって。少しだけ屈んでくれる?」
フェーリーの表情は真剣そのもので、私は促されるまま地面に片膝をついて屈む。
五才のフェーリーが水神様の騎士に選ばれた時を思い出す場所で似た体勢だけど、あの頃よりもずっと身長が伸びているのだと気付く。
こんなに大きくなったのね、としみじみしていると、首に何かをかけられた。
「はい。もういいよ」
「これは、手作りの首飾り? この彫り方はルイだよね。フェーリーの組紐とよく合っていて、素敵。……こんなに心のこもった、素敵な宝飾を見たことないわ」
嬉しさのあまり、笑みが浮かぶ。
素朴だけど細かく編まれた組紐に通された睡蓮の花、その中心にあしらわれた大きな真珠は、木漏れ日を受けてフェーリーの髪と同じ色に煌めいている。
可愛らしい睡蓮を象った木の艶めいた表面に、優しい真珠の光が反射して虹色が生み出され、ため息が出るほど綺麗だ……。
昔から手先が器用なフェーリーは、どんぐりなど木の実を拾っては、紐で編み込んだ髪飾りを作ってくれて、それらは今も宝箱に大事にしまってある。
だけどルイの木彫りとフェーリーの組紐、私にとって大切な二人が協力して作った首飾りだなんて、感激しない訳がない。
触れた感触から、もしやと思ってひっくり返して見れば、裏には『あなたの息子より 愛をこめて』と刻んであった。この文字も含めて、何よりの宝物だよ……。
『綺麗でしょう? 真珠はフェーリーの修行の成果だよ。電気属性に耐性のある貝から採れた真珠だから、雷でも壊れないし、きっと雷避けの御守りになってくれる』
「睡蓮の花だけじゃなくて、裏の文字もルイに彫って貰ったんだ。細かいところまで、本当に良い仕事だよね。真珠以外の材料も桑の木に麻紐だから、金属は一切使ってないよ!」
お互いを褒め合う二人の、行き届いた気遣いに目頭が熱くなる。
装飾品や、睡蓮とはいえ花にまつわる贈り物は、ドミナスを思い出して苦しくなるかと思っていたけれど……痛みも熱も悲しみも、全て喜びで上書きされてしまった。
「ありがとう。フェーリー、ルイ、絶対に大切にする」
冷たくも熱くもない、丁寧に磨かれた木の仄かな温かさと手触りが心地よくて、いつまでも触れていたいし、肌身離さず身に付けておきたくなる。
ずっと眺めていたいのに、ぽろぽろこぼれる涙で視界が歪んだ。
私にこんな幸せが訪れるなんて、想像もしていなかったの……。
『スイレン、泣かないで笑っていてよ……』
屈んだままの私のお腹に、ルイが抱きついてくる。
「これは嬉し泣きだから。それに、ルイだって泣いてるじゃない……」
「二人とも、オレのことを言えないくらい泣き虫だなぁ」
フェーリーは穏やかに笑って、抱き合う私達を優しく見つめていた。……母様は果報者だわ。
△△△△△△
水神様の湖では、睡蓮は一年を通して咲いている。
美しいが変わり映えのない景色、時間が止まったような緩やかに停滞した神域で、フェーリーだけが目覚ましい成長を遂げていく。
私の前で泣かなくなったかと思えば、角も手足もしなやかに伸びて、顔付きも精悍になった。
無造作に伸ばした髪で顔を隠しがちだけど、翡翠を嵌めこんだような瞳は曇り一つなく澄んでいる。
フェーリーはもう十五歳、人の世でいう成人を迎えた。
今日は特別な日──水竜騎士の叙任式だ。
睡蓮の首飾りと水滴の冠、純白の衣装を身に纏った私は、水神様の名代として厳かに剣を掲げる。
「よく水神様の過酷な修行を乗り越えましたね。私の愛しい息子、フェリシタスを正式に水竜騎士へと任命します」
「身に余る光栄です」
片膝をついて跪くフェーリーの肩を、青く透き通った剣の平で優しく叩く。
湖の畔で、ドミナスと会った時とよく似た場面だけどあの日の恐怖が蘇ることはなく、むしろ愛しさと誇らしさで胸がいっぱいだ。
「水神様より賜りし剣と、あなただけの紋様、流水の雷を授与します。──おめでとう、フェーリー。私はあなたが誇らしくて堪らない」
両刃の直刀は軽いのにとても硬い。
水神様の鱗から削り出した、この世にたった一つだけの宝剣だ。
フェーリーが肩に掛けるマントはこれといって特別な物ではないけれど、緩やかな曲線で表現した流水が幾何学的な雷文へと自然に移り変わる模様を、銀糸で全面に刺繍しておいた。
鬼族は成人した証に、母や血の近い女性から自分だけの紋様を授かり、祝福を受ける風習がある。
右腕で輝く青い睡蓮とも調和するように図案を考え、コツコツ夜なべして作っておいた甲斐があったわ。
立派に成長したフェーリーに、とてもよく似合っている。
「……ありがとうございます」
堪えるようにぐっと目を細める仕草は、泣かなくなった代わりに出来た癖。
剣を受け取り、立ち上がったフェーリーは、すでに私の背を越している。
それでいてドミナスのように威圧感を与えないのは、人柄に依るものだと思う。
「これでオレはあなたを守る騎士だ」
そう言いながら剣を腰に刷き、空いた手で私の一つしか無い掌を包み込む……なんだか涙が出そうになる。
フェーリーに出逢えて、その成長を見届けることが出来た。もう、いつ死んでも悔いはないの。
……今は平和かもしれないけど、それは薄氷の上に築かれたものだ。
ドミナスの妄執は、狂気はいずれ罪無き人に牙を剥き、国は乱れるでしょう。そうなった時に、私が取るべき手段は……といつも考えていたのだけど。
「母様」
呼びかけに我に返る。
昔からの習慣で考えごとは顔に出ていないはず。
何食わぬ顔で返事をしなくては。
「どうしたの? フェーリー」
「母様が何を思って、どう行動しようとしてるか、なんとなくわかっているつもりだよ。オレは水神様に騎士の誓いを立てているから。母様のことがなくても、あの鬼を……ドミナスを倒すって」
「なんでそんなことを!?」
神との契約、神に立てた誓いを反故にすることは、死を意味する。フェーリーもそれをわかっているはずなのに……。
「水神様はドミナスを正しき流れを滞らせる澱みだって言ってた。人の世に干渉が出来ない水神様の、名代を務められるのは母様だけだったけど、水神様に直々に騎士に指名されたオレにだって権利と、義務がある。あいつの狂気が隠しきれなくなった時こそ、オレが立ち上がる時だ」
フェーリーの瞳は憎しみと怒りに燃えていた。それでいて理知の光を宿している。
……この子はドミナスとは違う。命を無駄に奪うような真似は決してしない。
そのフェーリーが決意しているのだから、止められるはずがなかった……。
そんな日が来なければ良いと思うけれど、それはもう叶わないのね。
「切り落とされた母様の左腕を妻と称して肌身離さず抱えてるヤバい奴が、他にも異常なことを、冒涜的な行動を取らないはずがない! 遺伝子上とはいえ、父親の奇行を食い止めるのは、オレの宿命だしね……」
口先だけでも否定することは出来なかった……。あの男は絶対に何かをやらかす、その確信があるから。
フェーリーの悲壮な覚悟に胸を打たれる。
「でもね。あんな奴に母様やオレの人生をこれ以上めちゃくちゃにされてたまるものか。ドミナスの歪んだ執念を打ち破ったら。オレが母様を守るから、一緒に人の世を巡ろうよ。巡礼じゃなくて、ただの旅をしよう。人生はまだ長いんだから、神域で閉じ籠もった生活はやめて、たまには遊ぼう。母様は綺麗で優しい人だ。もっと広い世界を見てほしい。母様がオレの幸福を祈ってくれるように、オレだってあなたに幸福になってほしいよ……」
「フェーリーは、本当に強くなったね。……いいよ、約束する。二人で、ううん、スイに、テキに、シズク、もちろんルイ、家族皆でお出掛けしようか」
私達はどちらからとも言わずに、自然と小指を絡めて指切りをする。
「指切りげんまん、」
「全部終わったら旅に出ようね」
いつだったかな、フェーリーは私と手を合わせると力が湧いてくると言ってくれたけど、それは私も同じ。
刻印や水神様のご加護なんて関係ない。私達の間には確かな愛があるからだ。
「綺麗なものを見て、美味しいものを皆で食べましょうね」
「オレより先に死のうなんて思わないで、長生きしてよね。これからもずっと一緒だよ。指切った」
私にとって光り輝く装飾品も指切りの約束も、力尽くで囚われた過去を思い起こさせる忌まわしい呪いでしかなかったのに。
輝く真珠と睡蓮の首飾りは一番の宝物に、指切りは未来への希望に変わった。
フェーリーは辛い記憶を払拭して、ドミナスに刻み込まれた呪いを祝福にして、幸福な思い出で塗り替えてくれる。
……あなたがお腹に居る時に、天啓のように降りてきた名前の通りに育ってくれて、私は嬉しいよ。
次からはしばらくドミナス視点。胸糞注意。




