17.これ以上もうないと思っていた地獄が上塗りされる
あれから母の助言のおかげで、初めて標的に一筋の雷を浴びせることが出来た。
コツを摑んだからか、逃げられることはまだ多いけど、一日あれば二、三発は続けて当てられるようになり、我ながら成長を感じる。
自然な水の流れに身を任せ、気合いを入れると、オレはピロピロと殻を振る貝と向き合った。
まず第一に大事なのは、どんなに煽られようが集中して雷を練ること。
気を抜けば拡散しそうになるけど、揺るがない強い意志を持つのが肝要。
苛立つ度に母が語った地獄を思い返すようにすれば、腸が煮えくりかえる一方で、頭は冷静に冷えていく。
あの鬼の所業に比べたら、貝の煽りなど可愛らしいものだ。
第二は、雷を練るのと同時進行で水流を操作すること。
指向性を持たせた流れを、貝とオレとの間に直通させてやる。
水流の向きを強制的に変えて、貝の行動を制限した上で雷が通りやすい道を作るんだ。
行けぇっ! と叫ぼうとして、オレの口からごぼごぼと漏れた泡を巻きこみ、銀の稲妻がジグザグに貝へと伸びて行く。
水流と電流を絡めた、会心の一撃。
しっかり的を絞ったから、頭上を筏のように流れている睡蓮の花や葉に影響はない。
急所に当たったのか、貝ががばりと口(?)を開いたところに、続けて電撃を放つ。
第三に大事なのは、畳み掛け。
焦らずにじっくり力を溜めて、剥き出しになった貝の身に二撃目、三撃目、四撃目と着実にヒットを与える。
連日の特訓で慣れたからか、吸いこまれるように雷が当たる。さすがの電気耐性で焦げ目一つついていない貝も、六撃目にしてついに動きを止めた。
ぽこん。
七撃目を受けた直後、間の抜けた音を立てて、貝の身から何か丸い物が排出される。
雷の手を止め、水流を操作して手繰り寄せると、それは親指の先よりも大きな真珠だった。
内側から光輝くような、透明感のある白銀の光沢。
それでいて角度を変えるとほんのりと薄紅色を帯びて、オレの稲妻や母の美しい髪によく似た色合いを魅せる。
なんて綺麗なんだろう……。感嘆の声が泡となって漏れ出した。
──おめでとうございます。目標を達成しました──
澄み渡ってはいるものの、光の届かない湖の底は、深淵の闇で覆われている。
夢とは違い、現実では水神様のお姿を目視することは適わないが、深い闇の底から声なき声が轟き渡った。
役目を終えたからか、貝はこそこそと闇の中へと消えて行く。
──その真珠はあなたの雷を内包して染まり、結実したもの。謂わゆる努力の結晶です。ご褒美としてあなたに授けましょう。きっと、あの子も喜びますよ──
……本当に水神様は何もかもお見通しだ。
謹んで受け取ると、オレは感謝と敬意を表すために、水神様の横たわる闇と、貝の消えた方へ向かって深々と頭を下げた。
△△△△△
「ルイ。水神様から良い物を授かったよ!」
修行を終えて、オレが真っ先に向かったのはルイのアトリエだった。
母にも報告したいが、この真珠を届ける方が先だと判断したからだ。
『これは凄い……こんな大粒の真珠、なかなかお目に掛かれないよ』
「やっと例の修行をやり遂げたら、貝から出てきたんだ。ご褒美だって。これなら使えるんじゃない?」
目を丸くしたルイは、嬉しそうに真珠を受け取った。
作業台にしている大きな切り株に移動して、早速作業に取り掛かる。
ルイが慎重な手付きで取り出したのは、木彫りの睡蓮の花。
花びらの一枚一枚を繊細に彫り上げ、それでいて肌を傷付けないように、花の先端は少し削って丸みを出している。
彫刻したのはルイだが、二人で図案から考え抜いた、母のための装飾品だ。
オレが目下製作中の組紐に通して、首飾りにする予定。
睡蓮の中央、花芯部分の空洞に真珠は誂えたようにぴたりと嵌まる。
中心は雲母を多く含んだ石か、はたまた琥珀にするか、決め手がなく試行錯誤していたから水神様のご褒美は渡りに船だった。
『少しだけ調整は必要だけど……ほとんど出来上がったよ』
「やったぁ!」
母は腕輪がよほどトラウマになっているのか、光り物の類いを一切身に付けない。
けれど温かみのある木の彫刻に、電気耐性の強い貝の真珠なら、きっと受け取ってくれるだろう。
時間はかかったけど、ルイに相談して手掛けた、日頃の感謝と労いをこめた贈り物が間もなく完成する。
「全部ルイのおかげだよ。ありがとう」
『何を言ってるの。真珠はフェーリーがいなかったら手に入らなかった。他ならぬ君の贈り物だからこそ、スイレンは喜んでくれるはずさ』
嬉しそうに、花開くように微笑む母の姿がありありと頭に思い浮かぶ。
「うん。……まだ少し切ないけど、オレは母様の子どもに生まれて幸せだ。これからも親孝行をしないとね」
何気ない呟きだった。
だけどオレの一言で、ルイは俯いて涙をこぼす。
しまった、と思った時には遅く、ルイは声を上げて泣いてしまった。
「ご、ごめん。無神経なことを言っちゃた!」
産まれたくても産まれられなかったルイに対して、配慮が欠けていた。全面的にオレが悪い。
ルイは『違う、フェーリーは悪くない』と、首を振ってオレの胸へと飛びこんでくる。
『ボクだって、本当なら、スイレンから産まれるはずだった……。ボクはスイレンの、君の母様のお腹に宿った命だったんだよ。でも、あの鬼の、ドミナスのせいで、生まれる前に消えてしまったんだ!!』
泣きじゃくるルイを、オレは抱きとめることしか出来なかった……。
母の境遇を考えたら、オレが宿るより先に誰にも認識されずに流れた命があっても、なんらおかしくはない。
それがよりにもよってルイだったなんて……。
──ボクはね、今のフェーリーより、ちょっとだけお兄さんだから。君の母様のことも、君のことも大好きで、ずっと見守りたいと思ってる。……ボクらのために泣いてくれるフェーリーに、幸せになってほしいんだよ。
ルイはあの時、どんな気持ちで言ったんだろう?
ずっと辛かったに、悲しかったに違いない。
それでもオレ達を愛して見守ってくれていたんだ。
「……母様には言わないの?」
水神様に純粋培養されて育った母だが、地獄の経験も経て、か弱いようで流れる水のしなやかさと強さをも持ち合わせている。
きっと、いや絶対に受け入れてくれるはずだ。
『こんなこと、すでに傷付いてるスイレンには、言えやしない! これ以上悲しませたくない! だから、君達が死ぬまで隠し通して、死後の、魂の姿になってから、打ち明けるつもりだった、のに。肉体から、この世の柵みから解き放たれた後で、スイレンと、君と、本当の家族になれたら、って』
それが、ルイがいつか話すと言っていた夢なのか。なんて、痛ましい……。
「今だって本当の家族だよ! 母様もオレもルイを愛してる!」
『わかってる! わかってるよ! それでも、ボクは……!!』
ルイの慟哭は止まらなかった。
……こんなの酷過ぎる。
あの悪鬼はどれだけ悲劇を生み出したら気が済むんだ……。
これ以上もうないと思っていた地獄が上塗りされる。ドミナスを打ち倒す理由が、また一つ増えた。
「ルイ。やっぱり母様に話そう。母様は絶対にルイの想いを拒まないよ」
『……そもそも、無理なんだよ。ボクは水神様と契約して水の体を頂いた時に誓っている。スイレンが生きている間は母様と呼びかけないって』
「なんでそんなことを……」
『ボクが自分で望んだことさ。水神様は神域の睡蓮のように、この真珠のように美しく純真無垢なスイレンを好んで、愛している。だからリアン様との本当の関係も、どんな想いで最期を迎えたかも、絶対にスイレンの耳には入れない方が良いって、進言もした。激しい嘆きや絶望がスイレンの心を壊さないように……』
古来より、神に立てた誓いは、契約は絶対に破ることを赦されない。そうでなくても頑固なルイは決して話さないだろう。
もしオレが代わりに母に打ち明けたとして、それが契約違反と判断されたら、ルイは水の泡となって消えてしまうかもしれない……。
『水神様は慈悲深い方だ。けれど神と人とでは考え方に埋められない溝がある。ボクは契約と引き替えに、遠い遠い未来の希望を貰った。それでいいんだよ……』
かける言葉が見つからず、オレはいつも母がしてくれたように、小さな背中を優しく叩いて宥める。
母の代わりとはいかないかもしれないが、親の愛を求めるルイに出来るだけのことをしてあげたかった。
「何があってもオレはルイの味方だよ。これから先も、死んだ後だってずっと」
涙が溢れそうだけど、もう泣くのはやめる。
人生なんて、人の命なんて儚いもので、時間は移ろい、何もかもが変わっていく。
それでもオレは強くなると誓いを立てた。
どんな悲劇も地獄も飲み込んで、前を向いて生きて行くと。
この手の内に抱えた愛する人を全て守り抜くんだ。
……今この時こそ、本当の意味で騎士になる覚悟が決まったのかもしれない。
「可愛い御子よ、お眠り、お眠り……」
悪夢に魘される時、いつもルイ達があやしてくれたように、子守唄を歌う。
母や皆から与えて貰ってばかりの、たくさんの愛情を少しは返せたかな?




