16.事実はオレの想像よりも奇想天外で、残酷だった
水中から見上げる逆光の睡蓮はまるで影絵のようで、差しこむ光との対比がとても綺麗だ。
水神様の湖では根を張らずとも生きていけるから、葉も花も一所に縛られることなく水面を漂い、自由に空を泳いでいる風にも見えて、なんの柵みもなさそうなのが少し羨ましいと、オレは現実逃避気味に考える。
──という訳で。報いは現在進行形で受けていますが、スイレンを冷遇した城の者は、ごく一部を除いたほとんど全てが族長の罪を隠蔽し、懲りずにスイレンや新しい贄を探しています──
うわぁ……と、漏れたため息が泡となってぷかりと浮かぶ。
現実では聞きにくいこともあるでしょう、という水神様の計らいで、オレはまた夢の中の湖にいる。
水神様は池の水を通して向こうの動向を把握していて、まずは母が去ったその後の状況を教えてくれた。
静謐な声で語られた正室の、リアン様の最期を知って胸が痛くなり、腹心の目線を追うかのような過去から現代に続く臨場感たっぷりな語りには思わず空を仰いでしまった。
人の街に出向いた時、一本角の青年……思い返すと、多分アシオー……が若い女性を集めていたのは、母を探すためだけではなかったのか。
手前勝手な思惑に同情する気も失せる。
『あの鬼もそうだけど、全てがそうじゃないんだろうけど……基本、鬼族は自分さえ良ければいいって感じがします』
──人間の思考も大概変わりませんよ。水花王家についても話しましたよね。人も鬼も根は同じ、どちらも罪深い生き物です。……だから私は赤児のスイレンを返さず、神域で育てました。何も知らず綺麗なままでいて欲しかったから──
何千年と人の世を見守ってきた古の竜、そのお言葉は途轍もなく重い。
『……母は鬼族がこうなることも、王家……リアン様との本当の関係も見通していたのでしょうか』
──いいえ。あの鬼に愛していないと突き付けるために徹底して行動はしていたようですが、あの子は何も知りません。知らせていません。スイレンの痛みや辛さ、苦しみを溶かした雨を皆に浴びせたのは私の独断ですし──
『……やっぱり水神様も怒ってたんですね』
──怒ってなどいません。私が本気で怒り狂えば人の世を天変地異が襲いますから、ちゃんと抑えています。あの雨はお茶目の範疇ですよ?──
水神様のお茶目のエグさに顔面が引き攣った。
だから神々は掟で人の世に干渉出来なくなったのだと痛感する。何もかもスケールが違い過ぎる。
オレは水流をかき回すようにゆるゆると頭を振りかぶって、気を取り直した。
聞きたいことは、まだ残っている。
『……前世のオレが殺された理由は、母の騎士に選ばれる可能性があったからですか? だとしたら、ドミナスは何故それを知っていたのでしょうか』
不意に水神様の大きな牙の隙間から、大きな泡が立ち上る。もしかして、これはため息?
──以前私はフルドミナトゥスのことを、“この世の理を歪めた大罪者”だと表現しましたよね。それはあの鬼が神々の定めた禁を破り、正しい歴史を歪めたからです……──
事実はオレの想像よりも奇想天外で、残酷だった。
──あの鬼は古くから続く部族の長です。まだ神々が掟に縛られず、自由だった頃から伝わるアイテムを幾つも所有していました。“預言の水晶玉”もしかり。その中の一つこそが、“時戻しの水盤”です。その名の通り、一度だけ願った過去に戻れる代物ですが、歴史を変えることは神ですら赦されておりません。
時間を始めとした、様々な物が、空間が、関係が歪んでしまうからです──
何故だろう、虫唾が走る。全身の震えが、鳥肌が止まらない。
──本来なら、修行中の前世のあなたは、地底湖でスイレンと邂逅を果たします。心優しいあなたはスイレンの巡礼に付き合い、旅を通して絆を深め、自ら水竜騎士になると誓いを立てたのです。
あの鬼と対峙するのは、もっと先の未来のことでした。強く気高い騎士となったあなたに打ち倒されたフルドミナトゥスは、あなたとスイレンが出会う前に時を戻し、己を鍛え、未来の知識も駆使して大いなる力と権力を得ました。その上で、闇討ちという卑劣な手段を用いてあなたを殺めたのです。私が歪みに気付いた時には全てが手遅れでした──
真っ先に利き腕を奪われたのは、万が一にも反撃させないためか。
なんて陰湿で執念深いのか……頭がぐらぐらと煮えたぎるようだ。
──あの日、あの時、スイレンが出逢うのはドミナスなんかじゃなくて前世の君だったのかもしれない。
ルイの言葉は真実だった。
オレは水竜騎士になるはず、ではなく、正しい歴史では本当に騎士になっていた。
死の直前、あの鬼の、ドミナスの憎悪に満ちた表情がフラッシュバックする。
オレは命と夢を奪われただけではなく、もっと大切な何かを破壊されたような気がして、脳が焼かれた。
……もうダメだ。何も聞きたくない。知ってしまったら取り返しがつかないと、警鐘が鳴り響き、オレは大声で制止する。
『水神様! あったはずの過去の話はもう結構です。こぼれた水を嘆いても仕方ありませんから。これ以上は、怒りと憎しみでどうにかなってしまいそうです……』
──スイレンの過去も、フルドミナトゥスの真実も、幼いあなたには重く、残酷故に黙っていました。修業を通して心と体を鍛えた今なら、と思ったのですが、まだ早かったようですね……──
水神様には申し訳ないが、今はどんな言葉も頭に入りそうにない……。
けれども過去はどうあれ、オレはもうフェリシタスなのだ。
母や家族、友との新しい未来を作るためにも、必ずあのサイコパス野郎に罪を精算させてやると、心を奮い立たせる。
──あなたの魂はいつだって澄んだ水のようです。怒りに燃え、復讐に取り憑かれて尚、歪みも澱みもない。そんなあなただからこそ、手を貸したいと思えるのです──
ふわりと、泡に包まれた二枚貝がオレの目の前に浮かび上がる。
牡蠣とシャコ貝を合わせたような、独特の形状の赤みがかった貝はひと抱えはあり、かなりデカい。
──少し早いですが、次の修行のために用意した標的です。あの鬼を倒すには、私の水の中でも拡散されずに雷を操る、卓越した技術の習得と咄嗟の機転、精神力が必要になるでしょうから──
試しに角先に集中して雷を溜めると、貝は勢い良く水を噴出して泡を破り、ジグザグに軌道を描きながら、凄まじい速度で遠ざかっていった。
貝なのに、滅茶苦茶逃げ足速いな!!
──雷の気配に敏感に反応する性質を持っていますが、電気耐性は非常に高いです。強い雷を何発も当てなければ、動きを止めることすら出来ません──
水流に乗って戻って来た貝は、挑発するようにぱくぱくと開閉する。
今度こそはと素早く放った電撃は、威力が乏しすぎて貝に到達する前に水流にかき消されてしまった。……難易度が高くないかな?
──今はまだ顔合わせ兼練習ですが、目が覚めたら、早速本番に取りかかりますよ。現実ではもっと苦労するでしょうが、この修行を完遂した時に、あなたが得るものは多いはずです──
無心で打ちこめる課題を示され、水神様に感謝する。……今はもう何も考えたくなかった。
△△△△△
貝との修行は思ったよりも長期戦になった。
あいつはとにかく速い、速過ぎる。
水流や水の勢いを利用した逃走も、軌道が読めずに苦戦を強いられた。
現実の湖でも水神様の加護で呼吸はどうにかなっているが、水中では服が纏わり付いて、思うように体を動かせない。
素のオレの身体能力では、重い水を掻き分けるのだって一苦労なのに、あいつは水中でも自由自在に動き周り、貝の癖に煽りやがる。
表情もなにも無いのに、動き方や開閉の仕方でこちらをおちょくっているのがわかる。
イラッとして集中力が低下すると、練っていた雷も解けてしまい、一からやり直し……。
なるほど、死ぬほど腹は立つが、精神力と技術の向上の鍛錬として打ってつけな相手だ。腹は立つけど!
「……また逃げられた」
湖から這い上がろうとして無様に転び、ざぶりと岸辺に打ち上げられる。
疲労と、能力の使いすぎで鉛のように体が重い。うつ伏せに寝転んだままでいると、優しい手が差し伸べられた。
「フェーリーの好きなクッキーとパイを焼いて来たよ。休憩にしましょう?」
『今回はボクも手伝ったよ』
『ぼくはもちろんお茶係ー』
「母様! ルイに、テキも。ありがとう……」
「よく頑張ったね」
……逆光でも、母の笑顔はいつだって眩しい。
目を細めて差し出された手を取るけれど、この手が左ではないことを妙に寂しく感じるのは、何故だろうか。
「いただきます!」
水神様の加護で水気を飛ばし、すっかり服を乾かしたら、トマトと煮込み野菜のパイに齧りつき、生姜と蜂蜜入りの薬草茶で流しこむ。
優しい甘さと温かさが疲れ切った体に染み渡る……。
空腹が落ち着いてから、大好きなクッキーはしっかり味わって食べた。素朴で懐かしい味がして、砕いたナッツが香ばしい。
「ご馳走様でした」
温かくて心地よい母の右手がオレの髪と角に触れた。
お互いに目線がだいぶ近づいて、オレはもうすぐ小柄な母の背を超そうとしている。
母と親子以外の関係になる世界線もあったのかと思うと、なんだか落ち着かない。
「……母様は。もし時間が一度だけ巻き戻せるとしたら、あの鬼に出会う前に戻りたいと思う?」
「思わないわ」
つい口から漏れてしまった問いを、母は即座に切り捨てる。
「辛い思いも悲しい思いもしなくて良くなるんだよ?」
「禁忌を破れば、もう皆に会えなくなってしまうもの。こうやってフェーリーやルイ、テキ達家族と過ごせて、私は幸せよ。やり直す必要なんてないわ」
「……そうだね。オレも、幸せだ」
『ぼくもー』
母に断じられて、オレもようやく前を向ける。
あったかもしれないいつかより、このかけがえのない穏やかな日々を大切にしようと思えたんだ。
『それより、どう? 修行は進んでる?』
「……全然ダメ。貝なのに、まるで電光石火。速過ぎてそもそも射程距離にも入らない」
『雷はフェーリーの方なのにね』
「そうなんだよ、ルイ。だいぶ拡散させずに維持は出来るようになったんだけどなぁ」
「差し出がましいかもしれないけど」
オレとルイが同じポーズで首を捻っていると、テキにクッキーを分けながら、母が無邪気に進言する。
「雷と同時に水流を操るのも必要なのかも。水神様も水の能力を使うな、とは仰られてないのでしょう。今までも二つの能力を均等に高めて来たのだから、雷だけに拘らずに試してみたら?」
「……なるほど」
『その発想はなかったね』
『ぼくよくわかんなーい』
型にはまりがちなオレと違い、地獄の一年を生き延びる中で、母は咄嗟の機転と対応力が鍛え抜かれていた。
その母の助言のおかげで、閃くことがある。試す価値はあるはずだ。
「うん、取っかかりが見つかった気がする。母様、ありがとう!」
「どう致しまして。子どもの成長を助けるのが親の役目だもの」
母達の温かい眼差しに見送られながら、オレは再び湖へと飛びこんだ。
しばらく抱えたままだったもやもやから、吹っ切れた……気がする。




