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14.あの女は悪女だ。とんだ悪女だった

 今年も睡蓮の花咲く季節がやって来た。

 レンが去った後も池は年々水嵩を増しても濁ることなく澄み渡り、輝く水面みなもは鏡のように睡蓮の花と赤い橋、青い空を映し出している。

 光沢のある睡蓮の葉は水上に模様を描くように浮かび上がり、庭園の大半を占める池は壮大な絵画になったみたいだ。

 ……水神が御座おわす神の地とは、こんな風に美しいのだろうか。


 池の中央では一際大きく美しい睡蓮が一輪、妖しく揺らめいている。

 白い花びらは根元に行くほど赤みを帯びて、白と薄紅色が入り混じる妙なる色合いがまるでレンの髪色のようだと、ドミナス様が気に入って直々に睡蓮鉢にかざしたものだ。

 元は純白の睡蓮は、レンの血を吸ってからこのような色を呈するようになった。

 蕾の時にレンによって根を切られたのに、ずっと枯れることなく、滾々(こんこん)と水の湧き出る睡蓮鉢から、我々を見下すように咲き誇って……全くあの悪女に相応しい花だといえる。


──あの女は悪女だ。とんだ悪女だった。

 

 

▼▼▼▼▽▽



 俺には弟がいた。

 向こう見ずだが正義感の強い、自慢の弟だった。


【アシオー兄さん! これからは俺様も一緒にドミナス様をお支えするよ!】


 共通点は一本角ぐらいであまり似ていないが、俺のことを一心に慕う弟を、大切に思っていたのに。


「……ど、どうして弟を、ウルクスを殺したのですか?」


 ドミナス様のことを尊敬していた可愛い弟は、悪女の奸計にはまり、他ならぬドミナス様の手によって殺されてしまった……。

 遺体は返されたものの、雷に打たれたウルクスは黒焦げで、顔もわからない有様で。……尊大な所はあるが、こんな死に方をするほど悪い奴ではなかったのに!!


「だって赦せなかったから。そいつはレンに暴言を吐いて、傷付けたんだよ?」


 ドミナス様が何処ぞの地底湖から連れて来たという、見た目だけは清楚な少女の顔が脳裏に浮かぶ。

 …………ドミナス様は、理想的な主君だ。

 聡明で、まるで未来を見たかのように領土争いを制し、決して無駄な血は流さぬ方。

 貴賎を問わず領民にも恵みをもたらし、考案された画期的なシステムは、いつだって俺達の暮らしを豊かにする。


 ウルクスは思ったことが素直に口に出る質だから、怠惰な妾に対して強く咎めることはあっただろう。

 きっと、ドミナス様はあること無いこと吹きこまれたに違いない。

 行き場のない怒りと憎悪を、俺はあの女に向けるしかなかったのだ。


 あの女、レンがドミナス様を誑かした。

 レンが絡む時だけ冷静さを欠くのだと、この時の俺はそう信じて……思い込もうと、していた。



△△△△▲



 次に被害を被ったのは、レン付きの侍女達だった。

 弟の件は知れ渡っていたので、レンと積極的に関わるのを避け、精々食事の世話をする程度の関係だったと聞いている。

 さして交流があった訳ではないが、その内の一人がウルクスと仲が良かったので覚えていた。


 正室のリアン様が到着されて、ドミナス様のご寵愛はすっかり移ったと気が大きくなっていたようではあったが、至って平凡な、どこにでもいるような少女達だった。


「レンが嫉妬して拗ねるから、たっぷり可愛がってあげたんだ。僕に縋りついて甘えて、愛らしかったなぁ」


 三日ほど離宮で過ごされたドミナス様は、本宮に戻って早々、雷撃で侍女達を打ち据えた……。

 機嫌が良かったからか三人とも命に別条はなく、熱傷程度ですんだが、馘首クビにされて身一つで追い出された。ドミナス様はけろりとして言ってのける。


「あいつらはレンを取り囲んで責め立てたんだ。侍女として不適格。追放は自業自得だよ」


 俺はずっと昔からドミナス様にお仕えし、忠誠を誓っている。

 本来なら、こんな血も涙もないお方ではなかったのに。全部、レンのせいだ。



△△△▲▲



 あの鼻持ちならぬ悪女は、リアン様までも籠絡した。


 確かにレンがもたらす水は素晴らしいと認めざるを得ない。

 リアン様経由で分けてもらった水をこっそり、追い出された侍女達にも渡したが、電紋の痛みが格段に良くなったと喜んでいた。

 これほどの水を誰とも分かち合わず、独り占めしていたのか!! と怒りが湧く。

 雷に打たれたことも、熱傷を負ったこともないから、そんな酷い真似が出来るのだ。


「……こんな手間をかけるぐらいなら、水瓶ごとリアン様に献上すればいいのに」

「あらダメよ、アシオー。というより、それは無理な相談だわ。水巫女を始めとした神職は、水神様と契約して加護に応じた量の水を賜るの。大量の水を新鮮なまま保管する特殊な容器、水の器と契約者を無理に引き離せば、水は涸れてしまう」


 思わずこぼれた本音はリアン様に即座に論破されてしまったが、納得がいかない。

 しばらく二人は正室と妾の間柄とは思えない和やかな会話を交わしていたのに、何を思ったのかレンが深刻な顔で切り出した。


「……もしかしたら、私はこのために連れて来られたのかもしれません」


 ……こいつは何を言っているんだ?

 訝しげな視線をレンに向けるが、白々しい自分語りは続く。


「私は実の親の顔すら知らない孤児です。そんな私が誰かの妻に望まれるなんて思ってもいなくて、一度は申し出をお断りしたんです。……でも、ドミナス様は一歩も引かなくて、請われるまま身を任せてしまった。ドミナス様と過ごす日々は、まるで夢のようでした」


 口でならどうとでも言える。たった一度断ったからなんだ?

 本当に分不相応だと思うなら、水だけを引き渡して身を引くべきだろうに。それをしない時点で何を言っても言い訳でしかない。


「ドミナス様が何故私のような者を側に置いておくのか、それは私が水神様に仕える身だからではないでしょうか。水神様から賜った水を、リアン様、延いてはドミナス様のためにお使いし、二人を影で支える。それが私に望まれた役割なのではないかと」


 殊勝なことを言っているが、レンは何かを企んでいる……知性を司る、白鬼たる俺の直感がそう告げていた。

 美しく飾った言葉の下には、醜い本性が隠れているに違いない。

 どうしても鋭い目で見てしまうが、俺に敵意があることは気取られていないはずだ。





 ……紆余曲折を経て、四阿からリアン様を見送りながら、レンは洗練された仕草で黙礼する。

 リアン様の仰る通り、所作が綺麗だな。

 こいつは自分を孤児だと称しているのに、怪しい。粗を探すべく、じろじろと不躾に見ていたのだが……。


 レンの背後に、音も無く黒い亀裂が生じた。

 空間が陽炎のように歪んでいく。

 唖然としていると、見慣れた黄色い手が、輝く腕輪が空間を大きく裂いて、ドミナス様の全貌が出現する。

 黒い雷を纏うドミナス様は、物語に出てくる魔王のようだった……。なまじっか顔が美しいだけに、威圧感が半端ない。


 さしもの悪女も悲鳴を上げて逃げ出すのではないだろうか?

 しかし、何気なく後ろを振り返ったレンは、禍々しさ漂うドミナス様と目が合っても、風一つ無い湖面のように凪いだ瞳で見つめ返していた。


「…………レン。僕の愛を疑ったね?」


 地獄の底から響くような重低音。

 俺は声もなく固まっていたのに、レンは毅然として言葉を返す。


「……愛はひけらかすものではないと思っているだけよ」 


 それからはレンの独壇場だ。


「それに、私だって役に立ちたかったの。リアン様のような立派な身分はない。預言を受けた訳ではなく、人徳もない。私が持っているのは、水だけ……。だから、リアン様の日影でいいから、貴方の側にいられる大義名分がほしくて……どんな形でもいいから、私もドミナスの妻だって周囲に認めてほしかったの」


 無欲を強調するような台詞、哀れみを誘う眼差し、上手く立ち回って、ドミナス様の怒りをあっという間に鎮めてしまった。


 ……正直、感心してしまうが、すぐに打ち消す。この女はドミナス様の寵愛を笠に着て、どうせ雷に打たれることはないと、高をくくっているだけだ。


「うん、いいねぇ。その答えはすごく気に入った」


 笑顔を、平常心を取り戻したドミナス様の手が、黄色がかった緑の薔薇を掬い取り、レンの複雑に編みこんだ美しい銀髪の根本に挿した。

 それがよほど嬉しいのか、レンは鈴を転がすように笑う。


「ようやく笑ってくれたぁ。レン、僕のレン、綺麗だ。……愛してるよ」

「……っ!!」


 感極まったドミナス様がレンを抱き締める。

 傍から見ても強烈な威力の電流が華奢な体を襲い、レンは大きく痙攣すると、声も無く意識を手放した。……薔薇の花びらが散るのを、呆然と見つめながら、俺は心の中で呟いた。


 仮にも愛する女性に対する仕打ちじゃない、と。



△△▲▲▲



 レンとリアン様の交流の度に、俺は似たような光景を目撃することになる。

 ドミナス様を上手く懐柔すると、喜びの電流がレンを襲う。

 逆に失敗して怒らせることもあったが、その場合は裁きの雷がレンの体を貫いた。

 ……いや、これどう足掻いても雷回避出来なくないか?

 レンは、悪女だ。悪女だが、哀れみを禁じ得ない……。


 

 愛しているというレンへの無情な仕打ちに対して、政略結婚のリアン様は厚遇するという格差にも違和感を覚える。

 ドミナス様のお考えが、二人への愛情のかけ方が捻れてちぐはぐでわからない……。


 幾度目かの逢瀬に立ち会った時、俺はついに尋ねてしまった。



「ドミナス様はその、レン様を、重っ、深く愛されていますが、どこに惹かれたのでしょうか……?」と。



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