13.わたくしはそれでも貴方を愛しています……
「しばらく月のものが来ていない……」
月並みだけど体に兆候が現れ、専属医に告げられる。
「おめでとうございます。ご懐妊です」
喜びのあまり、涙が溢れた。
ドミナス様との子どもが出来たなんて。
お腹の中に新しい命が宿ったなんて、夢みたい。きっと、レンの水のおかげだ。
嬉しくてドミナス様にすぐに報告したら「やっと世継ぎが出来たか。でかしたね」と喜ばれたのが誇らしく、褒めて? 貰えてついにお役に立てたと思っていたのに。
妊娠を告げた日の翌朝、初雪が降る中、ドミナス様はわたくしを置いてレンのところへ行ってしまわれた……。
「仕方ないよね。レンがこんなに寒いのに池に入ろうとしていたからさ。僕を見た途端に微笑んで、可愛いかったよ。僕の気を引きたかったのかなぁ?」
悲しみに沈んだわたくしは気付かなかった。
……離宮にいるレンの行動を、ドミナス様がどうして把握しているのか、なんて。
▲▲▲△△
「いつもわたくしが去った後、レンが四阿でドミナス様と過ごしてるのは、知ってたわ……でも」
妊娠の初期で気分が落ちこんで、すぐ泣いたり悲観的になっていたからかもしれない。
わたくしはお茶会の時、耐えきれずレンを問い質してしまったの。
「ドミナス様の気を引くために雪の中、凍った池に入ったって、本当?」
レンがそんな人ではないのは、わかっている。
でも、冬場に池に足を踏み入れるなんて信じられない。
ドミナス様が嘘をつく訳がないし、レンの心と体を心配する気持ちもあったの。
……レンの返答は、予想の上を行っていたけど。
「凍った池に入ったのは事実ですが、もうしませんよ。……次に同じことをしたら、ドミナス様に手足のいずれかを捧げる約束なので」
笑顔で語られた内容に衝撃を覚え、彼女らしからぬ強気の会話の後に、突き出されたレンの左腕の惨状を見て、侍女達もお目付役のアシオーも言葉をなくしていた。
「レン……その腕は」
どうして酷い火傷を、電紋……雷による熱傷まで負っているの、と聞こうとして、他ならぬレンに遮られた。
「ドミナス様そのものを体現したような、豪華な腕輪でしょう? 雷の棘が刻まれていて、彼の角と同じ輝きで、薬指の指輪は私だけの特別製ですって。いつでもすぐ側にドミナス様がいるような心持ちになれるのですよ」
レンは袖を戻すと、腕輪を封じこめるように抱き締めていた。その体は寒さのせいではなく小刻みに震え、顔は満面の笑みを湛えているけれど、わたくしにはレンが怯えて、泣いているように、見えた。……なんてこと。
──そうなのですか。私は雷に打たれましたよ。
──私の場合は意識が朦朧として、足元がフワフワして、胸が熱くなって昇天するかと思いました。
……比喩表現だと思っていたけど、違ったとしたら?
レンは、本当に雷で打たれていたとしたら?
──……わたくし達、ドミナス様を愛する者同士、仲良くなれそうね。
──私もリアン様とは仲良くしたいです。
あの時も。
──きっと育ててくれた方々の教育が良かったのね。
──はい。……とても大切にしてもらいました。
レンはいつも憂いを帯びたように笑っていた……。
記憶をどれだけ振り返っても、レンがドミナス様を愛していると明言したことはなくて。
わたくしと違って、レンは無理矢理連れて来られたのではと、ようやく気付けた。気が付いてしまった。
「病める時も健やかなる時も、この腕輪がある限り、私とドミナス様はずっと一緒です。リアン様はどうですか? 例えドミナス様が地位や富や名声を手放したとしても。……もしも原初の鬼のように、人食いの本能に目覚めて残虐な本性を晒したとしても。一生を添い遂げる覚悟はありますか?」
あまりにも突出した能力、人間離れした美貌、共感性に乏しい言葉かけの数々。
考えれば考えるほど、ドミナス様は精霊に近い存在だったという原初の鬼の要素を色濃く受け継いでいる……。
いつわたくしにも牙を剥くかわからないと、危険を承知でレンは警告をしてくれたのだ。
……今の今まで、貴女の過酷な境遇に気付かなくて、ごめんなさい。それでも、わたくしは。
「覚悟はあるわ。……わたくしね。昔から体が弱くて、実の親からも疎まれていたの。預言ありきとはいえ、わたくしを必要としてくれたのは、ドミナス様が初めてだった。わたくしはドミナス様を心から愛している。──例え行き先が地獄だとしても、どこまでもご一緒するわ」
わたくしはドミナス様からいただいた腕輪を、愛おしげに抱き締める。
雷の棘の紋様ではないけれど、彫り込まれた繊細な蓮の花と揺らめく炎の意匠は、恋の炎に身を焼き尽くす、わたくしの姿を暗示していたかのよう。
レン、ごめんなさい。ドミナス様のことを赦してなんて言えない。
せめてこれからは貴女が一身に受けていた、ドミナス様の暴虐を、徐々にでもわたくしも引き受けるから。
「……それにね、まだ安定期に入るまで内緒にしていたけど……わたくし、お腹の中に子どもがいるの」
わたくしのお腹にはドミナス様の世継ぎが、預言の子が宿っている。
母は強し、不思議と腹の奥から力が、自信が湧いてくるの。
「……ご懐妊おめでとうございます」
「ありがとう。……すっかり寒くなったから、わたくしは四阿に来るのを今日で最後にしようと思っていたの。レンには、もう会わない。体調もすこぶる良いし、これからは水もいらないわ」
「いいえ」
会わないのに水は貰うなんて厚かましいことは出来ないから固辞しようとしたのに、レンは強く否定した。
「出産はどんな健康な人でも何が起こるかわからない一大事です。お願いします。私には会わなくて構わないので、どうかこれからも水だけは受け取って、飲み続けてください」
「わかったわ。……レン様、素晴らしい水を、心遣いをありがとうございます」
「こちらこそありがとう。──さようなら、リアン」
これがレンと交わした最後の会話になるなんて、思いもしなかったわ……。
──わたくしのお腹が大きくなるにつれ、体を労るという名目で、ドミナス様と過ごす時間は減っていた。
「ほら、これ。しっかり食べて滋養をつけなよ」
「美味しそうな果物をありがとうございます。ドミナス様も、ご一緒に召し上がりませんか?」
「じゃあ一口だけ食べて行こうかな」
……でもね、ドミナス様は短い時間でも新鮮な果物をわざわざ持ってきてくださったり、両親と違って役立たずだと罵ったりしないから、わたくしは幸せなのよ?
▲▲▲▲△
果物をいただいてから、しばらく経って。
『全ての水の源にして、心優しき水神様。あなたを慕う者の声をお聞きください』
レンが池で水神様との契約更新の儀式をすることになり、一緒に見学しないかとドミナス様から誘われた時は、本当に嬉しかった。
ドミナス様がレンと過ごしていた四阿で、今度はわたくしが隣にいられる。
愛情がほんの欠片でも向けられているのかなと、想像してにやけてしまった。
『水神様のために清らかな水場を整えました。睡蓮の花も咲き初めています』
それにしても、儀式に挑むレンは神秘的で息を飲むほど美しい。
睡蓮が咲き乱れる中、緩やかに波打つ長い髪と、水巫女の質素だけど清楚な衣装の裾が花開くように水面に広がっていて、水の妖精が戯れているみたい……。
レンに批判的だった鬼族達も、挙ってレンに見惚れている。言わずもがな、ドミナス様なんてその姿に夢中、意識が釘付けだ。隣のわたくしには見向きもしない……。
周囲の熱狂には目もくれず、レンは粛々と儀式を進める。
『どうか私の、あなたの御子の願いを叶えてください』
突然、レンが爆弾を落とした。
とんでもない事実を暴露したのに、誰も、ドミナス様さえ反応がなくて混乱してしまう。
もしかして清流の調べのような、美しい旋律の声は、レンの言葉は、わたくしにしか通じていない?
「水神様! この池を受け皿にして、鬼族の……ドミナスとその血族が治める地に、悠久の水をお恵みくださいますよう。対価として、私はこの身を捧げます!」
──私の愛し子、睡蓮よ。その願い、聞き届けました──
切羽詰まった叫びの後に、澄んだ水のような声が脳内に湧く。
嘘でしょう? これはまさか、水神様のお声だというの!?
水花王家には、極々稀に水神様の加護が与えられた御子が遣わされる。
近年では滅多に現れないと父が嘆いていたけれど、王家が把握していない神子が存在して、それがレンだったなんて……。
「レンは、睡蓮……神子だとあえて黙って、いえ、隠していたのね」
喧騒に消えたわたくしの呟きと違って、水神様のお言葉はこの場に居る全員に届いていたようで、ドミナス様が椅子を蹴倒して立ち上がった。
愛し子という尊い身を証すかのように、一滴の雫が天から降ってきて、レンの頭上で透明な水の冠を作り出す。
渦巻く水流がレンと白い睡蓮を持ち上げたかと思えば、彼女を守るように水の柱が立ち昇って、水飛沫が雨のように降り注ぎ……。
──あの子の痛みを思い知るがいい──
氷の刃かと疑うほど冷たい思念とともに、わたくしは心臓を雷に貫かれたような激痛に襲われる。
とっさに、お腹を庇い蹲るが、全身が痺れて動けない……。次第に体中を虫が這うような不快感にも支配され、もつれた舌で、なんとか助けを求めようと、声を絞り出そうと口を開いたら、首を、絞められたように苦しくなっ、て、息が出来なく、なり、涙が溢れた。
のたうち回るほどの怒濤の熱と苦しみ、追撃で体のあちこちに鋭い痛みが走る。まるで獣の牙や爪で切り裂かれたかのような疼痛だ。
声なき声で悲鳴を上げていると、とどめのように腕輪が熱を帯びる。炎に炙られるような、骨まで焼き付くされるような高熱だけではなく、何故か薬指まで千切れそうなほど痛い。
……もうやめて!!
もがき苦しみ、心の中で絶叫していると、ハッと意識が現実に戻る。
慌てて確認するが全身に傷はなく、左腕には火傷の跡すらない。
わたくしは、椅子に座したまま、幻想の苦痛に苛まれていたの?
そして天啓のように閃いた。……今の恐怖体験は、痛みは、レンがドミナス様から受けたものだ、と。
あまりの衝撃で、ドミナス様の顔を見ることが出来なかった……。
──さあ、私の元へお帰りなさい──
打って変わって、レンには水神様の温かい声がかけられている。
のろのろと顔を上げると、レンは水流を水中花のように揺蕩いながら、ほろほろと涙をこぼし、笑っていた。
なんの憂いもない、心からの笑顔を初めて見た気がする……。
花が咲いたような笑みに見蕩れていると、ドミナス様の方から黒い稲妻が迸った。
「レンっ! 僕を騙した……裏切ったな!! 絶対に逃がさないからなぁっ!!」
わたくしの隣にいたはずのドミナス様は、空間を突き破り、一息の間にレンの左腕を摑んでいた。
いつでもすぐ側にいるようなって言ってたのは、こういうこと!?
──病める時も健やかなる時も、この腕輪がある限り、私とドミナス様はずっと一緒です。
かつてのレンの言葉を反芻した直後、澄んだ水に緑金の雷が網のように広がる。
浴びせられる電流の威力が視覚化したことで、恐ろしさが一層引き立てられるが、渦中のレンは冷静だ。
「水神様。どうか私の腕をお切りください」
左腕から溢れる血は、水中に赤い睡蓮が咲いたみたいだった……。
ドミナス様がレンの名を連呼しているけれど、彼女には響いていない。
……ごめんなさい。貴女の地獄を甘く見ていた。自らの腕を迷わず切り落とすほど、ドミナス様を憎んでいたのね……。
わたくしに泣く資格はないけど、涙を流さずにはいられなかった。
涙で滲む視界の中、レンの姿は霞んで、消えて……。
「レン……スイレン!! 必ず見つけ出して約束通り目玉を抉り出し、手足を切り落として、二度と逃げられなくしてやるっ!! お前は僕のものだっ!!」
後には雷を撒き散らす、地獄の悪鬼のようなドミナス様の、怨嗟の声が響いていた……。
▲▲▲▲▲
レンが去った後、ドミナス様はその狂気を隠さなくなった。いいえ、レンにのみ向けられていた狂気が、ついにわたくし達にも向いただけなのかもしれない。
「池の水を使えば、水神との契約が成立してしまう。対価を、スイレンを取り戻せなくなる。水を使うことは赦さない。誰であろうと絶対にだっ!!」
レンはわたくしを通じて本宮の皆にも惜しみなく水を与えていた。
レンの水の恩恵を受けていない鬼族はおらず、反発の声が上がったけど、声を上げた者、無断で水を汲もうとした者は皆、容赦ない雷の餌食となって命を散らした。
ドミナス様による、恐怖政治の幕開けだった。
……水を使えないのはわたくしも例外ではなくて、寝台から離れられない日々に逆戻り。
せめてお世継ぎが産まれるまでは、と懇願したけど、聞き入れてもらえなかったわ。
あんなに怖いドミナス様の顔を見るのは、初めてだった……。
「……レン。ごめんなさい」
貴女は黙って一人で耐えていたのに、レンの分も引き受けると誓ったのに、わたくしは全然だめで。
人払いをして泣いていると、寝室の片隅に何か光る物を見つけた。
優しい光に引き寄せられ、力を振り絞って這いずると、それは初めてレンが水を持って来た、硝子の容器だった。
中にはコップ一杯分だろうか、僅かだけど澄んだ水が湧いている。
──どうかこれからも水だけは受け取って、飲み続けてください。
この水はレンの、最後の慈悲なのかもしれない。
「ありがとう……」
わたくしは硝子の容器を抱き締める。
細々とでも水を飲むことで、わたくしは地獄を生き伸びることが出来たの。
▲▲▲▲▲
意識が、遠くなる。
どこかで弱々しい赤児の泣き声が聞こえた。
……強く産んであげられなくて、ごめんね。
難産の末に、わたくしは息を引き取ろうとしている……。
なんとか我が子を産み落とせたけど、もう抱くことも、出来ない。ドミナス様とは、ずっと会っていない。お産に立ち会ってもくれなかった……。
「おめでとうございます。リアン姫様、玉のような女の子です……」
最期まで付き添ってくれた専属医、優しい老婆が震える手で赤児の顔を見せてくれた。
可愛らしい、輝く肌の女の子。なんと愛おしいのだろう。
……でも、わたくしは最後の心の支えだった、預言を実現することも叶わなかったのね。
「この、子の、名前は、ニンファエア、と……」
女の子だったわたくしの子に、ドミナス様が関心を持ってくれるとは思えない。
名前はわたくしからの、最初で最後の贈り物だ。
「……どうかこの子に、わたくしは、母はずっと愛していると、伝えて……」
「はい、必ず」
「我々で立派にお育てします。ご安心を」
預言の姫ではなかったのに、侍女達は涙を流し、温かい言葉をかけてくれる。……わたくしは一人ではなかったのね。
「……ドミナス、様」
最期は見捨てられてしまったけど。
わたくしはそれでも貴方を愛しています……。




