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10.どうかあなたには幸福な未来が訪れますように

 ……大丈夫。何も怖くないよ。私が守ってあげるからね。


 晴れて儀式にのぞんだ私は誰にも気取られないよう、心の中で我が子に語りかける。

 

 朝一で身を清め、しばらく電撃を浴びなかったおかげで薄れた電紋と火傷をなぞり、とっくに捨てられたと思っていた巫女服に身を包む。

 雷に打たれ過ぎたせいでうねりが酷くなっていた髪も、時間をかけて丁寧にいたおかげでだいぶ落ち着いた。

 待ちわびた今日のために精進潔斎をして、準備は整っている。


──さあ、始めましょうか。


 私は手始めに苦楽を共にしてきた水瓶を池に沈める。……これでもう、後戻りは出来ない。

 ドミナスは雷の気が強いから儀式の妨げになるかもしれないと説得した甲斐があって、ほどよい距離にある四阿で高みの見物を決めこんでいた。

 その隣には、随分お腹の膨らんだリアンもいる。

 この二人が並んでいるところを見るのは初めてだけど、ドミナスに寄り添うリアンはとても幸せそうだ。

 言葉は交わせなくても、最後に元気な姿が見られて良かった。


『全ての水の源にして、心優しき水神様。あなたを慕う者の声をお聞きください』


 水妖精の発声と同じ、小川のせせらぎのような音で祝詞のりとを唱えると、水面にいくつもの波紋が生じる。この池と神域が繋がった証だ。


 他の神職よりも与えられる加護は多いものの、私自身には大それた力はない。

 何しろ呆気なくドミナスに連れ去られるぐらいのか弱い身だもの。

 私に許されているのは水神様に呼びかけ、奇跡をこいねがうことだけ。

 

『水神様のために清らかな水場を整えました。睡蓮の花も咲き初めています』


 一番咲きの純白の睡蓮を掲げる。

 私が清らかな水に足を踏み入れれば、呼応するかのように睡蓮の蕾がほころんでいく。

 一歩踏み出すごとに花が開き、半分も行かない内に池は満開の睡蓮で埋め尽くされた。

 鏡のような水面に咲き乱れる、色取り取りの睡蓮は秘めやかな甘い香りを漂わせ、まるで天上の世界にいるよう。


「奇跡だ……」

「ああ、なんて美しい」


 遠巻きに見物する誰かの呟きに賛同の声が上がる。

 いつの間にか私は四阿のドミナス達以外からも注目を浴びていた。

 総じて水神様への信仰心が薄い鬼族には祝詞の意味は伝わっていないだろうけど、池中の睡蓮が咲いていく過程は確かに美しい。

 ちょっとした見世物、お祭り騒ぎなんだろうな。


 研ぎ澄まされた私の耳には「水巫女というのは伊達じゃなかったのか……」なんて声も聞こえる。

 本当は水巫女ではないのだけど。

 そもそも水巫女の始まりは、世には出ていない水神様の御子だったそうだから、あながち間違いではないとはいえ。私の立場も、お腹の子のことも、誰も最後まで気が付かなかった。

 ……だって皆、都合の悪いことから目を背けていたものね?

 ドミナスにバレていたら水辺に近付くことは出来なかっただろうから、却って有難いわ。


『どうか私の、あなたの御子の願いを叶えてください』


 池の中央では、雷の棘の蒔絵が施された睡蓮鉢が鮮やかな赤い橋の前で燦然と輝いていた。

 睡蓮鉢が置かれた台座に身を乗り出して、持っていた睡蓮の花をほうじると、私は声を張り上げる。


「水神様! この池を受け皿にして、鬼族の……ドミナスとその血族が治める地に、悠久の水をお恵みくださいますよう。対価として、私はこの身を捧げます!」


──私の愛し子、睡蓮スイレンよ。その願い、聞き届けました──


 天から落ちてきた一滴の雫が私の頭で弾けた。

 渦を巻く水流が鉢の睡蓮と私を持ち上げ、幾つもの水柱が立ち昇る。

 溢れる水は恵みの慈雨となって四阿や庭園一帯に降り注ぎ、私は懐かしい水神様の気配に全身を包まれた。


──さあ、私の元へお帰りなさい──


 水神様の優しいお言葉に安堵し、自然に涙と笑みがこぼれた瞬間だった。

 空間を裂く黒い稲妻が走り、鈍く輝く腕輪をはめた腕が水の壁を突き破る。


「レンっ! 僕を騙した……裏切ったな!! 絶対に逃がさないからなぁっ!!」


 鬼の形相のドミナスに、左腕を握り潰す勢いで摑まれた。

 強烈な雷が迸るけれど、もう怖くない。

 だってここはすでに水神様の領域内だ。

 

 緑金の雷撃は渦を巻く水流に散らされ解けて、泡と消える。

 水神様の激流は、私をあれほど苦しめたドミナスの雷を軽く受け流してくれた。

 圧倒的な水量にあえなく分散された雷では、睡蓮の花びらを散らすほどの威力も発揮出来ないでしょう。


 それにしても、騙したなんて人聞きが悪いなぁ。

 私はちゃんと睡蓮スイレンを捧げるって言質を取ったのに。

 こうして睡蓮の花を見る約束も叶えたのにね。

 ……でも、指切りした時から左腕は貴方にあげたつもりだったよ。腕輪はどうやっても外せなかったし、電紋と火傷(所有の証)はまだ残っているもの。


「水神様。どうか私の腕をお切りください」

 

 一際鋭い水流、加圧された刃の如き水が、私の左腕を肘の辺りから痛みもなく切断する。

 物理的に手を切って、腕輪ごとドミナスの縁を絶ったのだと見せつければ、腕を一本失ったのになんとも清々しい気分になった。 


 周囲の水と純白の睡蓮が一瞬だけ赤く染まり、怒濤の水圧でドミナスごと押し流されていく。

 驚愕した顔で何かを叫びながら、必死に私の元へ手を伸ばすドミナスに、恨み言の一つでもかけようかと思ったけど……やめた。

 憎しみも怒りも悲しみも、水神様は全てを水に流し去ってくれたの。

 もの凄い勢いで遠ざかるドミナスを、なんの感情もこもらない瞳で一瞥して、それで終わり。


 そのまま私は荒ぶる水流の渦に飲み込まれ……渦が治まった時には水神様の湖で、神域の睡蓮に紛れて浮かんでいた。ようやく帰ってこれたよ。


『スイレン!』

『可哀想に、辛かったよねー?』

『なにもしてあげられなくて、ごめんね!』


 スィ、テキ、シズクを始め、神域中の水妖精が一斉に押し寄せる。

 その中の一人がお腹に抱きついて、泣きながら囁いた。


『おかえりなさい。ずっと、待ってたよ』


 初めて見る子だ。

 見慣れない顔、新しい水だけど……なんだか懐かしい。


「…………待たせてごめんね。ただいま」

 

 つられて涙を流す。痛みでも悲しみでもない、安堵とも違う。ただ涙が溢れて止まらなかった……。



▲▲▲△△△



「……という理由わけで、少なくともこの腕を切ったのはドミナスじゃなくて、母様自身の決断なのよ」


 フェーリーは全てを聞き終えた後、天を仰いで両手で顔を覆い、動かなくなってしまった。

 回想しながら、可能な限り残酷表現を端折って薄めてまろやかに語ったつもりだったけど、やはり、まだ早かったのかもしれない。


「…………あんまりだ」


 フェーリーは掠れた声で呟いた。

 手の隙間からは幾筋もの涙が流れている。……しまった。泣かせるつもりはなかったのに。


「そんな男を父様なんて呼びたくない。血が繋がっているなんて、父親だなんて思いたくもないよ。ゴミカスが母様にしたこと、とても赦せそうにない……」


 気のせいかな。今、ドミナスのことをゴミカス呼ばわりしなかった? 発音は似てるし、私の聞き間違い、よね?


 ささやかな疑問を吹き飛ばすように、フェーリーが私の胸に飛びこんで来た。……泣き顔を見られたくないんだね。わかるよ。

 可愛い息子の背中に手を回して、その気持ちを汲み取る。


「……母様は、なんであんな鬼との子を、オレを産もうと思ったの……」

「そんなの、生まれるずっと前からフェーリーを愛していたからよ!」


 とっさに口を突いて出た言葉は、私の本心だ。

 優しいフェーリーは絶対に気に病むと思っていたから、本当はドミナスのことなんて話したくなかったのに。

 でもこれからも神域で暮らしていく私と違って、フェーリーには人の世も知ってほしいし、自由に、強く生きてほしい。この子が何より大切だから。


「母様を信じて、フェーリー。あなたと出逢えたおかげで、あの地獄での出来事は全て報われた。だから私はフェリシタス(幸福)と名付けたのよ。私にとっての幸福。そしてあなたの人生が幸福であるように」


 右腕でフェーリーの背中を優しく叩いて落ち着かせた。

 覚えてるかな? あなたが幼い頃から、よくこうやってあやしていたの。


「……オレの顔は、こんなにもあの鬼にそっくりなのに。憎たらしいと、思わないの? せめて母様に似た優しい顔で産まれたかった」

「思わないわ。フェーリーとドミナスは中身が全然違うもの! 特に表情には内面が滲み出る。あなたは笑う時、いつも優しい顔をしているのよ? 母様は、私はそのままのフェーリーが大好き。愛おしくてたまらない」


 それに私はフェーリーが顔立ちだけはドミナスに似た男の子で良かったと、心から思っている。

 もしも姿形が、魂の輝きが私に似た女の子だったら……ドミナスの執着はそちらにも向かっただろうから。


 そういえば水神様が教えてくれたけれど、水を残した甲斐もなく、リアンは出産時に亡くなっていた。産まれた子はドミナスと同じ色の髪と肌の、女の子だったそうだ。

 リアンの死は悲しかったけど……女の子でもドミナスの血が強く出ているようだし、預言通りなら父親ドミナスを越える女傑に育つだろうし、執着の対象になっていないなら一安心だわ。

 本当にあの男は陰険でねちっこいもの……。

 

 フェーリーによると、ドミナスの肖像画には見せつけるようにたくさんの薔薇が飾られていたらしい。

 その中にはきっと、白薔薇も混じっていたはず。


『必ず見つけ出して約束通り目玉を抉り出し、手足を切り落として二度と逃げられなくしてやる』


 そんなメッセージが伝わってくるようで、ゾッと背筋が寒くなった。

 一方的に離縁して十年以上経つけど、あの偏執狂ぶりが変わるはずがないわ。


「……母様はあの鬼が憎くないの? 最短で神域に逃げる口実とはいえ、水神様の加護の水を恵んでいくなんて……水神様のお力で領土を水攻めしたり、逆に水源を枯らしたり、復讐してやろうとは、思わなかった?」


 私の行動をそんな風に捉えたのね……。

 フェーリーこそ復讐に、怒りに囚われてしまっているようで、これはしっかり話し合わないといけない。


「復讐が悪いとは思わないわ。でも水神様のお力は人には過ぎたもの。それこそ水の害を願えば、ドミナス一人に留まらず、辺境が、鬼族全てが滅亡するほどよ……」


 ドミナスは統治者としては本当に優秀なんだよね。

 私が去ってから随分領土を広げているようだけれど、人族から不満の声は上がらず、水花王家の統治よりも歓迎されているのだとか。

 あの男は私さえいなければ、まだまともなのだ。いつまで続くかはわからないけど。

 ともかくドミナスの領土に住んでいるというだけで、何の関係もない民衆の平和な暮らしをおびやかしたくなんかない。

 ……鬼族が全滅しても一人だけしぶとく生き残りそうだしね。

 

「フェーリー。復讐の旗の元に罪のない人まで巻きこんでは、害してはダメ。それは鬼畜生の所業、ドミナスと同じところに堕ちてしまうわよ」

「……」


 ドミナスの名前が出る度に、フェーリーの心臓の鼓動が乱れる。

 そうか、この子はドミナスの名前を口にするのも、聞くことすら嫌なのね……。


「フェーリーは不満かもしれないけど、ドミナス……あの鬼からあなたを隠し通したことが報復にはなっているかもしれないわ」

「え……?」


 短い声からフェーリーの戸惑いが伝わってくるようだ。

 落ち着かせるように父親譲りの角を撫でるけど、どんなに感情が荒ぶる時でも、この子から雷で打たれたことはただの一度だってない。本当に優しく育ってくれた。


「可哀想に、あの鬼はこんなに可愛いフェーリーが産まれたことすら知らないの。子ども時代の貴重な成長過程だって一切見せてやらない。きっと立派になったあなたの存在を知ったら、歯軋りするほど悔しがるわよ?」

「母様は優し過ぎるよ……」

「そんなことないと思うけど……」


 ドミナスが歪むほど渇望した愛を、全てあなたに注ぐ──それが私の復讐よ。


 だから私のために復讐しようなんて考えないで、前向きに騎士になる夢を叶えてほしい。

 それが私の、母としての望み。

 だけど、フェーリーがどんな決断をしても、支えてあげたいとも思っている。

 騎士の修行はまだまだ続くから、これからも根気強く伝えていこう。


「忘れないでね。何があっても母様はフェーリーの味方よ。今も昔もこの先もずっと、あなたを愛してるわ」 


 フェーリーは私の誇りで、生きた証。

 どうかあなたには幸福な未来が訪れますように。




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― 新着の感想 ―
母は強し…‼︎ そうだよね、復讐とかより可愛い我が子に集中したいし、その子を完全に隠して愛を注ぐのがゴミカス様への復讐になるとか、もうそっち向いてる暇なんてこれっぽっちもないよね…! そして我が子には…
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