0.どうやら前世でオレを殺した鬼の息子に生まれ変わったらしい。
三話投稿一話目。
カシャン。
母様の手づくり、大すきなクッキーがのったおさらが、ふるえるボクの手……こんな小さかったっけ……からすべりおちる。
かゆいようなしびれるような、まわりがぐるぐるするような、むずむずしてきもちわるい────なんとも言い難い違和感が頭から始まって体中を駆け巡ったせいだ。
割れんばかりに痛み出した頭に無意識に手をやれば、側頭部を突き破るように、硬くごつごつして丸まった何か──角が生えている。
触れると、痛みの原因である角は熱を持ち、尖った先端からは微弱な雷の気を放っていた。
雷? そうだ、あの夜も稲妻が天に閃いたんだ……。
緑がかった黄金の光が、恐ろしい鬼の姿を浮き彫りにする。
憎しみに満ちた怒号は雷の轟きよりもよく響いて……。
──死ね。死んでしまえ。地獄に落ちろっ!!
「う、うわああぁぁぁっ!!??」
前世の断末魔と今世の絶叫が同調する。
なんの予兆もなく、急にすくすくと角が生えてきた五才の誕生日。
ボクは──否、オレは前世の記憶を取り戻した。
母と一緒に誕生日パーティーの準備をしていた最中の異変。
不意打ちで生えてきた角に混乱していたら、よりにもよって自分が殺された最期の瞬間が蘇り、悲鳴を上げてしまった。
慌てて駆け寄った鏡には呆然自失で立ち尽くす、見慣れているはずなのに見慣れていない幼子の姿。そしてオレは、全てを思い出す。
──十五になったばかりの夜、オレはいきなり襲ってきた鬼族の男に夢も命も奪われた。
早鐘を打つ心臓を宥めながら、鏡に映る自分の姿を凝視する。
毛先だけ赤みがかった銀色の巻き毛と、透明感のある白魚のような肌は、今世の母から譲り受けたもの。
しかし角を始め、鋭い牙や尖った耳、縦長の瞳孔は鬼族ならではの特徴だ。
どれも、恐らく今世の父であり……前世のオレを殺した仇から受け継いだとしか思えない。
記憶の中で、特徴的な形状の……鬼というより物語に出てくる悪魔のような角と、憎悪に燃える瞳がギラリと冷たく輝く。
幼いながら人間離れした美しい顔立ちは、夜の闇を引き裂く雷の光に照らし出された、あの鬼にそっくりだ。
……前世のオレはどこにでもいそうな平凡な人間だったのに。なんとも複雑な気分になる。
一対の、螺旋状にねじれた角を指でなぞると、小さな電光が空中に散った。
鬼族は親から子に角の形状と能力が伝わるというが……どうやら前世でオレを殺した鬼の息子に生まれ変わったらしい。
哀れなオレの最期を振り返る。
夜道で背後から利き腕を摑まれたと思ったら、鬼族ならではの怪力で引き千切られた。
絶叫し、のたうちまわるオレに幾筋もの雷が降りそそぎ、肉は裂けて骨まで焦がし尽くされる。
轟音と激痛に蹂躙される、地獄の時間は絶命するまで続いた。
鬼族は血気盛んだが誇り高い種族だと聞いていたのに、闇討ちの挙げ句、嬲り殺しってどういうことだよ……。
それにあの鬼はオレを痛めつけている間、ずっと嗤っていやがった!
あの鬼と同じ色、翡翠のような瞳にみるみる涙が溢れて、角先からは激しい電気が散る。
思い出した最期の記憶は、あまりにも痛ましく凄惨で、酷いものだった。
「フェーリー! フェリシタス!」
優しいが切羽詰まった声が今世の名を呼んだかと思えば、その人は放電を続ける角にも怯まず駆け寄ると、小さなオレの体を後ろから抱き締めてくれた。
包みこむような温かさと柔らかさ、清楚な甘い香りに、荒んだ心が次第に落ち着いていく。
「割れたお皿の欠片で怪我はしてない? ……大丈夫。何も怖くないよ。何があっても、母様が守ってあげるからね」
鏡に映るのは、無垢な少女のように可愛らしい女性だ。この人を見ていると、何故だか胸が締め付けられる……。
今世のオレをそれはそれは大事に育ててくれた母であり……憎い仇の妻かもしれない女。
なんで今になって思い出してしまったのだろう?
前世のオレには夢があった。
ありふれて、子どもっぽいかもしれないが、誰よりも強い騎士になるという夢が。
利き腕を潰された時の絶望と怒り、鬼に対する憎しみがこみ上げてくる。
──赦せない。絶対にやり返す。殺してやる。
道半ばで理不尽に殺されたのだ、復讐を志すのは当然だろう。
しかし、フェリシタスとして生まれて五年、父親の存在を見たことも聞いたこともない。
父親かもしれないあの鬼について、オレは探りを入れることにした。
そもそもこの優しい人は、あの鬼の悪行を知っているのだろうか?
母のしなやかな右腕にそっと触れた。
手入れの行き届いた髪に玉の肌は瑞々しく、長い睫毛に縁取られた瞳は森の奥に隠された湖のように澄んでいる。
たおやかで上品な美人だが、母には昔から左腕がなかった。
今は素朴でも質の良いドレスの袖に隠されているが、肘のあたりから切り落とされた傷跡も痛々しく、儚げで可憐な容姿と相まって、ボクが母様を守ってあげるんだと、とフェリシタスはよく家族の前で宣誓していたっけ。
その気持ちは、前世を思い出したって変わらない。
「クッキーをおとしちゃってごめんなさい。むずむずするな、とおもったら、ボクのあたまから角が生えてきたの。それにすごくピリピリする……ボクはおかしいのかな」
「フェーリーはおかしくないよ。気にしないで。いきなりでびっくりしたね。母様もこんなに早く角が生えるとは思ってなくて、なにも教えてなかったの。ごめんなさい」
困ったように笑っているが、なんだか悲しげで、母様が大好きなフェリシタスの胸が痛む。
「あなたの父は鬼族、中でも珍しい黄色の鬼よ。フェーリーの肌は白いけど、この角や雷……電気を操る力は、あなたの父から受け継いだ、貰ったものなの。鬼族はね、角が生えて覚醒すると不思議な力が使えるようになるわ。五才で目覚めるのはとても早いけど、必ずなにか意味があるはずよ」
「そうなんだ……。ねえ、ボクの父様って、どんなひと? どうして会いにきてくれないの?」
子どもの好奇心を装って核心を突く。
母は一瞬だけ遠い目をして、すぐにとびきりの笑顔を浮かべた。
「あなたの父はね、とても遠いところに住んでいるの。会いたくても会えないような、はるか遠くに……。でも、寂しくないわ。母様や皆はずっと一緒だから。フェーリー、私の幸福。生まれて来てくれてありがとう。愛してるわ」
父について持って回ったような濁した言い方だが……もしかしたらあの鬼は高貴な身分で、オレは私生児なのだろうか。
オレが育ったこの屋敷も質素でいて上等な物ばかりが揃えられており、控え目で美しいが片腕という瑕疵のある母は、正妻ではなく愛人として囲われているのかもしれない。
母が大好きだからこそ、なんとも言えないやるせなさと喪失感に打ちのめされる。
「父様のこと、もっとおしえてほしいなぁ」
オレを抱き締めたままの右腕に力が入った。痛くはないが、母の体は明らかに強張って、項垂れた拍子に流れた長い髪で表情が読めなくなる。
「あなたが大きくなったら……自分の身を守れるぐらいに強くなれたら、必ず教えてあげる。お願いだから、待っていて」
「……わかったよ。せめて、父様のなまえをおしえてくれる?」
重い沈黙を経て、母はようやく口を開いた。
「……通称はドミナス。真名はフルドミナトゥス、よ」
フルドミナトゥスとは、古い言葉で『稲妻の支配者』という意味を持つ。
そんな大層な名前が真名ということは、やはりあの鬼は鬼族の中でも高い地位と権力を持つ相手なのだろう。
オレは憎い仇の名を心に刻み付ける。
例え今世では父親だったとしても容赦はしない。するもんか。
絶対に復讐してやるからな……!!
生まれ変わって0から始まったフェリシタスの話、開幕。




