5- 真ん中の私
あの黒髪に青いメッシュの眼鏡の男性に、恐らくノーマと呼ばれていた人。
「花」の言っていた、研究チームのメンバーの、魔法少女。
目の前の女性は私の手首を掴むと、後ろに振り返って進もうとしてくる。
勢いよく言葉を続けることは全く変わらず、何をしたいのか、何を言っているのか何も分からない。
「ね、ね!お話終わったんだよね!じゃあ私のお話、聞いてくれるよね!!」
「ぁ、あの……っ」
目の前の女性は、一方的に言葉をまくし立てる。
さっきの舞のようにこちらの様子を伺ってきたりはしてこない。言葉を待つこともしない。
こちらに向き直すことも無く、手首に入る力が段々強くなる。骨の軋む音が聞こえる気がする。
部屋から廊下に引きづり出されて、肌に触れる寒さが身を刺してくる。
嫌なことを想起してしまう。ああ、嫌だ。嫌だ嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!心に亀裂が入っていく。言いたいことと考えていることが混じって、今何をしているのか分からない。
目の前が真っ暗になって、頭が真っ白になって、どこに立っているか、今立っていられているのかも分からなくなった。
喉を焼かれるような締め付けられるような感覚もなくなって、声が出ない。口は動いているのに、音が一つも出てこない。私には何も無くなっていた。
頬をなぞる熱だけが確かな感覚で、私が生きていることだけが分かる。
「……ぅ、っあ………」
気づけば座り込んでいて、涙を流して蹲っていた。ついた膝がじんじんと傷んで、熱く感じる。
掴まれていた手首は、力の限り振り払ったのか、痛い。私の爪の痕が、手のひらに赤く残っている。
目の前にいた女性は、驚いたような表情で固まっていた。
「あ、ごめんね」
軽く一言が飛んでくる。本当に、気持ちのひとつも入っていなかった。何が悪いのか分からない、大人に言われたから謝っただけの子供のような。
涙が退いて視界の点滅がなくなって、ようやく前を向いた。女性の素足が私の目の前に飛び込んでくる。汚れていて、所々に血が滲んでいる。なにか棘のようなものが刺さっていたりもする。
フラフラと立ち上がって、もう少し見上げてみれ
ば、さっきも見た、顔は幼さを残しながらも容姿の整っている女性が目に入る。とても容姿端麗だが、だぼだぼのTシャツを着て、袖先からは指が少し見えている程度の適当さだ。そして、その人は黒髪の、やはりノーマと呼ばれていた人。
「はじめまして、私はノーマ。対魔法少女組織、研究チーム所属メンバーの魔法少女だよ。さっきはごめんねー、興奮しちゃってて!」
本当に軽く。友人の紹介で初めて会った時のような、さっきの一通りのやり取りがまるで無かったかのように、当然のように軽く挨拶をする。
私は、許せない。酷く恐い思いをした。手首を少し強く掴まれただけ、じゃない。私にはとても嫌な事だった。
警戒の色を濃くして、私は目を伏せて挨拶を返した。今視界に入れてしまったら、泣くか怒鳴るかしてしまいそうだ。でも、この人相手には結局自分が傷付くだけなのだろう。
「……は…じめ、まして。柊…柊 冬樹と申します」
気持ちをなるべく落ち着かせて、挨拶を返す。感情的にならないように、一言ずつ、自分もわかるように。
ふと、ノーマが手を差し伸べてきた。
何?と、さっきやられた事を思い出して、緊張が走る。
「な…んです、か」
恐る恐る、聞く。何をしたいのかなんとなく分かっているつもりだが、警戒を緩められない。
この人は危ない。魔法少女という未知の魔法が使える存在な上、さっきのフィジカル。興奮してしまった、なんて理由で人の骨を砕きかねない人に対して気軽に対応できるわけが無い。
「何って…挨拶だよ、ア・イ・サ・ツ!日本の、礼儀タダシーイ挨拶は、こうやるんでしょ?」
にこっと笑って、ノーマは更にぐんと手を伸ばす。私は、手のひらを袖で覆いながら、緩く握手を交わした。
「ふふん、これではじめましてじゃなくなったね!──じゃあ、これからキミにもーっと魔法少女に関して知ってもらうために、実際に経験してもらうから!」
待って、そんな話は1度も聞いてない。
私の制止の声を振り切って、今度は程々の力で手を引いて、ノーマは走り出した。着いていくのに必死に走って、質問の余地すらも私には与えられなかった。
──────────
チク、タク、チク、タク。カリカリ。
煩わしい秒針が時間を刻むだけの音と、社長が筆を走らせる音だけが部屋を包んでいる。夜だから、もう帰らせて欲しい。
椅子から立ち上がってカリカリと言う音を鳴らすそれを指で掴めば、音はいとも簡単に止まった。社長は、透き通った青い目で、こちらを睨むように目線を上げた。
「なんです、怖い顔しちゃって」
「見えないのか。作業をしている、止めるな」
「いや、呼んだのそっちじゃないすか。本来申し出た側なのに偉そうにしてんなよ」
爪をいじりながら睨む視線を避けて言い返す。
ぼーっとしながら反射だけで普段の身近な人達と話していると、思わず口が悪くなる。私の悪い癖だ。まあ何も間違っている訳では無いだろうが、ものには言い方というものがある。
「はぁ…確かにそうだな、悪かった。だが、お前もその語気の強さをどうにかしろ。これからお前が同居する相手は、今までお前の周辺にいた人じゃない。お前の暴言ひとつで簡単に傷付く」
「はいはい、分かった分かってるって、すいませんでした!私だって、相手と場所を考慮するくらいできるっての」
「それを今していないのが問題なんだ」
…私だって、遠慮くらいある。
相手だって考慮している。ただ、これは私の一種の友情表現なのだ。反射で脳を介さずに話をすぐにしたいと思うほどに、その人と真摯に長く向き合っている。すぐに出てくるのが、まあ、言ってしまえば軽い暴言というだけで。
難しい話や各々の意見を求められるものだって、私は得意分野なのだ。
「なんだ、ディスカッションでも始める気ですか?この私とディスり合いたいと?」
「…冗談じゃないですか、そんな、そんなわざわざ朱肉で殴りかかろうとすることないじゃないですかっ!!?」
「もちろん俺だって冗談だ、舞さん。魔法まで使ってそんなに本気になるなよ、眼鏡がズレるぞ」
歯をぎりぎりと鳴らし威嚇をするが、社長にはこの程度通用しないことなどお見通しなので、ここは大人としての品格と度量の広さを見せつけるため心を落ち着かせる。
「はあ……で、話って?大方の検討はついてるけど、ひとまず言ってくれないと」
ようやく完全にペンを置いた社長が、髪を耳にかけながらこちらに向き直す。一つ一つの所作が綺麗に見えて、なんだかムカつく。嫌味な程に美丈夫だ。
「…話は、聞こえていた。まずよくやったと」
「わー、ありがとうござーます」
適当にひらひらと手を振って笑ってみせると、先よりも顔を歪ませ話を続ける。元より刻まれている眉間のシワがより濃くなっているが、まあ歳だろう。
「で、お前はこれからどうするんだ」
「どうって、何が?1度の連絡で伝わることは、簡潔に分かりやすく言ってくれないと現場には伝わりませんよ」
社長は私の返答にこめかみを押さえて、下を向きながら言葉を続ける。残念だが、言いたいことの意味はわかるが確証がないと私は恐ろしくてしょうがないのだ、諦めてもらうしかない。
何かを自分の決断でして怒られるくらいならば、最初からしたくないのが本来の私なのだから十分成長しただろう。
「…柊 冬樹の護衛の件だ」
「あー、あの子のね。やりますよ普通に」
「了承貰えたし、こーんなクソブラ…こんなブラックで素晴らしい時間外労働や規定外労働をさせられるよりはマシだと思うので」
つらつらと軽く文句を言う。定期的に不満をたれておかないと、本来やらなくていいことをさせられる。大変厄介な社会である。
「そこもだが…お前、柊 冬樹からアヴァの残滓が無くなったらどうするんだ」
「短期間でも、一緒に住むことになる。そこを考えておけ。記憶消去はそう簡単に使えるものじゃないぞ」
私だって考えなかったわけではない。
対魔法少女組織だって、本来非政府組織だ。故に、あまり世間一般の人間にバレるのは宜しくない。言いふらされてしまうなんて以ての外だ。
が、しかし。
「記憶、記憶ねえ」
「あの子…冬樹さん次第になるけど私としては、消したくないかな」
「…なんだか意外だな。お前はそんな夢のあるやつじゃないだろう」
「失礼ですね!?でも、まあ、冬樹さんの変わるきっかけくらいにはなりそうだし」
あんなに救いを求める顔をしていたのに、いざ救われそうになると怖くて泣いてしまうところ。自分は救われないと思い込んでいるところ。
とても弱い普通の子。魔法少女でもなければ、社会に馴染めるわけでもないのだろう。
「これでも正義って言ったらアレだけど、魔法少女なんで、ふつーの子は助けてあげたいじゃないですか」
「……そうか、なら、好きにしろ。柊 冬樹に関することの判断はお前に一任する」
「だが記憶消去をする場合は経緯と状況をしっかりと俺とノーマに説明しろ」
「はいはい、わかってマース」
本来、人を見捨てられない性格なのだ、私は。
どんなに酷い人でも助けたくなってしまう。そうして、自分も相手も破滅させる。これを、カメリアコンプレックスとでも言うのだろうか?まあ、私は女性なのだが。
──もう、全部に懲り懲りしていたはずなのに、手を伸ばすを諦められないのは、本当は私も助けて欲しいからなのだろうか?
そんなはずは無いと、こんなに分かっているのに?
──────────
楽しさを抑えられない、と言いたげなように目の前で黒い髪を揺らしながらぴょんぴょんと跳ねる少女は、なにから乱雑に書類や荷物が積まれた机から何かを引っ張りだし、にぱっとこちらを振り向いて言った。
「これ!これね!本当は内緒なんだけどね、冬樹ちゃんはお友達だから、特別!」
そう赤くなった顔で言い、なにやら見せてくれたのは2本の鍵とカードキーのようなもの。
鍵は、ひとつは普通のアンティーク系の鍵。もうひとつはどんな形状をしているのかが良く掴めない、訳の分からない鍵。
着いてきて!というノーマの背を追っていけば、ノーマはすぐに壁の前で立ち止まった。
「あの……こ、これただの…壁、ですよね……?何かあるん、で、すか」
なるべくたどたどしくならないように務めながら喋る。が、少女はそんなことも気にせずににこやかに話を進めた。
「ただの壁に見えるでしょ!見ててね、あっ、静かにね!」
口に指を近づけ、しーっと小さく呟く。まあ別に、元々うるさくする気もないので大人しく従った。
ノーマは壁を2度指で軽く叩いてから持っていたカードキーを壁に軽く押し当てると、ピッ、という軽い電子音が響いて、すぐに壁は透き通って消えてしまった。
「ま、魔法……」
「そ、魔法!これは前の研究チームトップの人が作ったらしいんだよね〜」
ノーマに続いて壁に空いた隙間に入ると、透き通って消えてしまった壁は、消えた時と同じように即座にすうっと壁に戻ってしまった。
驚きよりも先に、えっこれ帰れるの?という不安が頭によぎるが、どうしようもないので見なかった振りをすることにした。
足元の仄暗い階段を下って、下りきったのか少し広い空間に出る。視界を上げると、今度はしっかりと扉があった。
ドアノブのある扉だが、試しにノブを回してみても開く気配もない。押しても引いてもどうしようもなく、鍵があっても、穴がないんじゃな……と、思考して憂鬱になる。
だがまたそんなことも気にしないようにノーマは明るく話をする。
「今度はねー、この鍵を使うんだよ!普通は面倒くさい事しなくってもいいんだけど…私はこうしないと使えないから!」
そう言いながら、ノーマはズボンのポケットから何かを取り出した。それは私でも普段から見慣れた、カッター。
「えっ、え。ど、ぇ…それで、何するんです」
「んー?血を出すの!私は血を使わないと魔法が使えないから!」
そう軽く言いながら手のひらに薄くカッターで傷をつける。血が少し滲んできて、なんだか痛々しい。
だが、ノーマは少しも気にする素振りはなく血の滲む手で形状把握のできない鍵を握り、鍵に薄く血をつけた。
「うぇ……それ、本当にどう…するんですか……」
「これ?これをねー、ここに入れます!」
ててーん!とでも言いたげに、ノーマは扉の隣にある窪みを指さした。
ノーマは窪みに鍵を置き、何かを口にする。舞さんがアヴァに触れながら言っていた言語のように、上手くききとることが出来ない。
「███████████████」
私が驚きに身を任せていると、鍵が淡く光っている。光はすぐに消えてしまったが、扉を見れば、今まで無かった鍵穴がある。
「はい、冬樹ちゃん」
私にもうひとつのアンティークの鍵を渡し、隣でわくわくとしながら私が鍵を開けるのを待っている。
私は焦る気持ちを隠し、鍵穴に鍵を差し込んだ。ゆっくりと回し、かちりという音が頭に響く。また鍵を元の位置に戻し、震える手で鍵を引き抜く。
嫌なことを想起する頭を振り払って、勇気を込めてノブを回し、ドアを開ける。先程と同じドアとは思えぬほど、ドアはいとも容易く開いた。
「ようそこ、魔法少女の世界に!」
隣では、扉の先に手を向けながら、目を伏せこちらに笑みを向けるノーマがいる。
少し冷えた空気が頬を撫ぜ、眩んだ視界が正気に戻れば、今度は頭が疑問に包まれるにはあまりにも簡単だった。
「は………?」
扉の先には、多くの怪物が、人間が、死肉であろう残骸が。檻のようなものであったり、器のようなものであったり、氷のようなものの中に無数に入れられた、非人道を形にした空間だった。
隣のノーマは、こちらの顔をのぞき込みながら、また同じことを言う。私が手に持った鍵をノーマの両手で包みながら、今度は子供のように、悪戯に成功して嬉しいと言いたげな顔で、こちらに笑う。
「なに、これ……」
「ようこそ、魔法少女の世界へ」