第九十六話 ひび割れた掌
「――――というわけでお前の後を追いかけて来たのだ。どの街にも数日程度しか滞在していなかったせいで追いつくのに苦労したぞ」
語り終えたセリーナは苦笑いする。
それは大変だっただろうなと思う。基本的にダフードの街のように長期間滞在することはないし、移動のスピードは馬車よりも早い。
「そうか……お前があの時の……そうだったのか」
ようやく思い出した。そうだ、あの子はたしかにブレイド伯爵家から来たと言っていた。
「なぜ勝負にこだわったのか、だったな……」
言い淀むセリーナだったが、意を決したように言葉を紡ぐ。
「なあファーガソン、お前はなぜ……私を助けに来てくれなかったんだ?」
どんな思いなのか。怒りなのか哀しみなのか、俺には想像もできない。その言葉は聞き取れないほど小さかったが、俺の心にナイフのように突き刺さる。
「お前は最強の冒険者じゃなかったのか? お前も大変だったのはわかる。だがなぜ……それならなぜ成功して強くなった後も私を探してくれなかったんだ?」
「……セリーナ」
「お前にとって婚約者である私はそんなに存在感がなかったのか? ずっと迷惑だと思っていたのか?」
セリーナの目に涙があふれる。
そうか……やり場のない怒りと悲しみを俺にぶつけるしかなかったんだな。
セリーナにとって俺は――――
――――世界でただ一人助けてくれるはずの人間だったのに。
「違う……知らなかったんだ。お前が婚約者であることも、そんな境遇にあることだって知らなかった……」
違う。そうじゃない。知らなかったというのは理由にならない。そんなことしか言えない自分が、セリーナが一番助けて欲しい時に助けてやれなかった俺自身が許せない。
「……知らなかった? 本当に?」
「ああ、俺のことをいくら憎んでも恨んでも良い。だが真実と正義の女神アストレアに誓って本当のことだ」
「そう……だったのか……なんだ……私が嫌われていたわけではなかったのだな」
心底ほっとした表情を浮かべるセリーナ。
「嫌うはずないだろう? お前はちゃんと俺との約束を守ってくれたじゃないか」
「……ファーガソン」
絶対に誰にも言うな、そんな俺の何気なく言った軽口のような言葉をセリーナはちゃんと守ってくれた。そして再び会えなかったことに当時は結構落ち込んだことも思い出した。
「次に会ったら礼を言わなくちゃってずっと思っていたんだ。ありがとうセリーナ。そして生きていてくれて……本当にありがとう」
強く強く抱きしめる。セリーナが背負ってきたもの丸ごと抱きしめる。彼女を苦しめてきた呪縛を、悪夢を壊してやりたい。失った愛を温もりを与えてやりたいと心から願う。
「ふぁ、ファーガソン……さま!?」
「セリーナ、安心しろ、俺に出来ることならお前のために喜んで力になる。依頼も引き受けるよ」
「う……うう……うわああああん」
彼女の纏っていた仮面が崩れる。ずっと心の奥底に閉じ込めてきた想いがあふれ出したのだろう。
ああ、たしかにセリーナだ。あの時泣きべそかいていた女の子だ。それに今だってまだ十代の女の子じゃないか。
俺は頭を撫で続けるくらいしか出来なかった。セリーナが泣き止むまでずっと……
「立てるか?」
伸ばした手を掴もうとして引っ込めるセリーナ。
「どうした?」
「手……ゴワゴワで酷いから」
セリーナの手は硬くゴワゴワだ。ベテラン冒険者や騎士団の精鋭部隊ですらここまではならない。想像を絶するほどの数、豆を潰してきたのだろう。
「俺がそんなことを気にすると思ったのか? お前の手は戦う覚悟を持った者の手だ。誰よりも努力して頑張ってきた手だ。俺が見てきた中で一番綺麗で美しい手だ。本当だよセリーナ」
セリーナの手を両手で包み込む。そのひび割れた掌は俺にとっては宝物のように尊いものに感じる。愛しさがあふれ出してくる。
「あ、ありがとう……」
恥ずかしそうに頬を染めるセリーナがほんの少しだけ微笑んだような気がした。
「ところでファーガソンさま、エステル姉さまの行方はまだわかっていないのですか?」
……そうだったな。俺は全く知らなかったが、セリーナは姉上ととても仲が良かったらしい。王都へ嫁いでからも手紙のやり取りをしていたことを今日初めて知った。
「……姉上は……亡くなっていたよセリーナ」
声が震える。胃が逆流しそうになる。怒りと悲しみが押し寄せてくる。
「そんな……で、ですが、情報が間違っているかも――――」
「……本人に直接聞いたんだ。だから間違いない……」
「本人って……まさか王弟ヴィクトールと会ったのですかっ!!! 奴がっ!!! エステル姉さまを苦しめた張本人にっ!!!」
セリーナが激昂する。怒りの炎で焼き尽くさんと髪が逆立つ。
「そうだ」
「それで!! ヴィクトールは今どこにっ!? 私が剣を磨いてきたのは奴の首を落とすため――――」
「ヴィクトールは死んだよ」
セリーナの表情が固まる。
しばしの沈黙の後、彼女は泣き出しそうな表情で悲しい微笑を浮かべる。
「そうでしたか……私の手で葬れなかったのは悔しいですが……きっとエステル姉さまも喜んで……」
また泣かせてしまった……せっかく笑えるようになったのに。
「……そうだと良いな。だから俺は王都へ行って、姉上の墓を見つけ出すつもりだ。どんな手を使っても必ず……」
「……私も行きます。エステル姉さまにこれ以上寂しい想いをさせるわけにはいきませんから」
「――――というわけで、セリーナが旅の仲間に加わることになった。よろしく頼むリエン」
「セリーナ=ブレイドだ。よろしく頼むリエン」
俺と二人きりの時以外は話し方がいつもの碧眼に戻るらしい。
「……ちょっと確認したいんだが、セリーナはファーガソンの婚約者ってことで良いんだな?」
知らなかったとはいえ、セリーナは俺のことをずっと婚約者として認識していたんだ。彼女の気持ちを考えれば今更なかったことに出来るはずがない。
「ああ、そういうことになる」
「えっ!? ファーガソンさま……良いのですか?」
セリーナは婚約破棄でもされると思っていたらしい。可哀そうにひどく驚いている。
「……わかった。そういうことなら私とセリーナは同じ立場ということになるな。こちらこそよろしく頼む」
「なるほど、そういうことか。わかったこちらこそ同志としてよろしく頼む」
固い握手をかわす二人。
同じ立場とか同志だとかイマイチ話の内容がわからなかったが、まあ、仲良く出来そうで良かったよ。