第九十四話 二人だけの秘密
ブレイド伯爵家は、王国でも有数の武の一門である。
質実剛健な領地経営は派手さはないものの、代々領民に慕われる良き為政者であり続けていた。
しかし――――
激化する北部戦線で当主アルトリウスと嫡男レオナードが戦死したことをきっかけに伯爵家の経営は急激に悪化する。莫大な戦費を賄うために多額の借り入れをしていたことも拍車をかけた。
「セリーナ、よくお聞き」
「はい、母上さま」
「お前にはイデアル家に嫁いでもらいます」
「わたしはお嫁さんになるのですか?」
まだ七歳のセリーナだ。何となく家の状況が悪いことは感じてはいても、それがどういう状況なのかまではわからない。
困窮したブレイド家はかねてより親交のあったイデアル家に援助を求めたのだ。
イデアル家は快く援助を約束した。
ブレイド家は心からの感謝の気持ちと将来に渡る親交の証として、長女のセリーナをイデアル家の長男ファーガソンの許嫁としたが、イデアル家はセリーナがブレイド家ただ一人の生き残りであり、将来の女伯爵となることを理由に一度は断った。
しかし、ブレイド家としては、なるべく関係を強化しておきたいという焦りもあった。
将来的に生まれた子の一人をブレイド家に迎えられれば構わないと押し切る形でセリーナが成人したら嫁ぐということで合意したのだ。
「母上さま、お相手はどんな方なのですか?」
「ふふ、そうですね、セリーナよりも三歳年上で、ファーガソンさまという方ですよ」
「ふーん……母上さま、私ファーガソンさまに会ってみたいです」
「来月イデアル家に参りますから、セリーナも一緒に来ますか?」
「はい!!」
「う~……つまらない」
せっかく遠くまで来たのに、母上さまってば難しい顔して難しい話をずっとしてる。きっと私のことなんて忘れてしまったんだわ。
セリーナは待たされることに飽きてしまい、お屋敷の中を探検してみることにした。
「ふーん……中々素敵なお屋敷ね。お嫁さんに来るってことは、ここで暮らすってことよね?」
それならば色々見ておきたい。そう思ったセリーナは屋敷を出て中庭へ出る。
「うわあ……素敵なお庭……綺麗なお花がいっぱい……」
武骨なブレイド家は屋敷もそうだが庭にも庭園や花などはほとんどない。飾りっ気のない家風なのだ。セリーナにとって、イデアル家はまさに夢のような場所であった。
「あら? なんて可愛らしいの。もしかして貴女がセリーナ?」
花に夢中だったセリーナは突然後ろから声をかけられて心臓が飛び出しそうになるほど驚く。
「ひゃっ、ひゃい……あわわ、ごめんなさい、はい、わたしがセリーナ――――」
今度は声の主を見て呼吸が止まりそうになる。
輝くプラチナブロンドの髪がさらさらと風になびいている、澄んだ水色の瞳はすべてを見通すような知性とあふれんばかりの優しさに満ちている。
「きれい……」
「えっ!? 私がですか? ふふ、嬉しいわ。私はエステル。ファーガソンの姉よ、よろしくねセリーナ」
こんなきれいで優しそうな人が姉になるのかとセリーナは舞い上がる。
「一緒にお菓子でも食べましょうね」
エステルに誘われて花が咲き誇る庭園の中でティータイムを楽しむセリーナ。
「あ、もしかしてファーガソンに会いに来たの?」
こくこくと首を縦に振るセリーナ。
「そっか……あのね、セリーナ。ファーガソンったら勉強が嫌で抜け出しちゃったみたいなの。まったく困った弟だわ」
「あははは、わかります。私もおべんきょう苦手だから……」
「あら~、それはお似合いのカップルになりそうだわ。その代わり有能な補佐官が必要になりそうだけど……」
クスクスと笑いあうセリーナとエステル。
「そうだ。セリーナ、一緒にファーガソンを探しましょうか?」
「はいエステル姉さま!!」
「うーん……ここにもいないですね」
一生懸命探すも中々ファーガソンは見つからない。なにせ広い敷地内、隠れる場所なら山ほどあるのだ。それに、そもそもセリーナはファーガソンを知らない。
エステルは私の髪を短くしたらファーガソンになるわと言っていたが、そんなにかわいい男の子がいるだろうか。
「あれ? 今何か動いたような……」
小さな物置のような建物の中でたしかに何かが動いたように見えた。
「……ファーガソンさま?」
中は暗くてよく見えない。
『ウウウウウウウ……』
唸り声がする。どう考えても人間の声ではなさそうだ。
『ガウガウガウガウッ!!!』
尻尾をぶんぶん振りながら飛び出してきたのは毛むくじゃらの大きな何か。
「いやああああああっ!!!?」
セリーナは転がるように建物の外に逃げ出す――――
――――が、躓いて転んでしまう。
『ガルルルル……』
毛むくじゃらの何かが圧し掛かってくる。
もう駄目だ……私はこの化け物に食べられてしまうのだとセリーナは思った。
「おいやめろルシファス、その子怖がってるじゃないか」
『くう~ん……』
あまりにも悲しそうな声を出すので恐る恐る見てみると、化け物だと思った毛むくじゃらは、大きなイッヌだった。意気消沈した様子で自分の小屋へと戻って行くルシファスの耳と尻尾はぺたりと下がっていて悪いことをしたなとセリーナは思う。
「大丈夫か? 怪我はない?」
「…………」
柔らかいプラチナブロンドの髪に優しそうな水色の瞳。エステルを少し幼くして髪を短くしたらこんな感じだろうかという少年が心配そうな顔で手を差し伸べている。
「おいおい、ショックで言葉を忘れたのか?」
「え……? あ、はい、大丈夫です……」
伸ばされた手を掴むセリーナ。
「……なんだよ、俺の顔に何か付いているのか?」
「ひゃっ、な、なんでもないです」
「それにしてもこの辺じゃ見かけない子だな?」
「あ……セリーナです。ブレイド伯爵家から来ました」
「ブレイド伯爵家? それは遠くから大変だったな。俺はファーガソンだよろしくな」
「あ、やっぱり……あ、あの―――――」
「じゃあ俺は逃げるから絶対に誰にも言うなよ」
「え? あ、はい!!」
ファーガソンはあっという間に姿を消してしまう。
「お礼……言えなかったな」
「セリーナ、ファーガソン居た?」
(絶対に誰にも言うなよ)
「いいえ、見つけられませんでした」
「そう……まったくあの子は本当にしょうがないわね。あ、お母様がセリーナ探していたわよ? 一緒に行きましょう」
「はい、エステル姉さま」
(ふふ、二人だけの秘密ですね、ファーガソンさま)