第九十一話 旅はマダライオンに乗って
「これでしばらくダフードの街も見納めか……本当に良い街だったな」
巨大な街の外壁もすでに遠くに小さくみえるだけとなり、リエンは感慨深げに目を閉じる。
祖国を失ったリエンにとって、第二の故郷ともいえるダフードへの思い入れは強いだろう。俺も帰るべき故郷はない。リエンと違って国が滅びたわけではないが、帰るべき家も待っている家族もすでにいないという点では似たようなものだ。彼女の気持ちも何となくだが察することは出来る。
「そうだな。だがその気になれば王都からダフードまでは三日もかからない距離だ。再び戻るまでそれほど長くはかからないだろうさ」
俺やリエンならその気になれば一日で駆け抜けることだって可能ではある。ダフードの良いところは、王国の丁度中央に位置しているため、国内どこからでもアクセスが良いところだろう。冒険者として拠点を置くのであれば、ある意味王都よりも向いているのだ。
「……そうだな。せっかくの機会だ。この際この国のいろんな場所を見ておくのも悪くない。もちろん王都にも興味はあるが、実は港街であるウルシュがとても楽しみなのだ」
「ウルシュ? それは意外だな」
ウルシュはたしかに国内有数の港町ではあるが、王女であるリエンが好みそうな要素があっただろうか?
「そうか? フレイガルドは内陸の国だから私は海を見たことが無いんだ。ファーガソンは海を見たことあるのか?」
なるほど……旅をするには危険が伴うからな。内陸地に住む人間にとって、海は想像上の場所でしかない。仕事上やむを得ない役人や軍人以外のほとんどに人間は一生海を見ることなくその生涯を終える。ましてや内陸国の王女であるリエンが海を見る機会など、外国へ嫁ぐなどの事情が無ければあり得なかっただろう。
国が滅びたことで実現したのは皮肉なことだが。
「ああ、何度か見たことがあるが、きっと驚くぞ。とにかく果てが見えないんだ。どこまでもずっと水面が続いていて、どこからともなく絶え間なく波が打ち寄せて来るんだ。そしてその果てしない海には、想像もできないほどの魔物が潜んでいて航海する船を襲うらしい。はるか海の向こうには別の大陸や国々があるらしいが、そこからやってくる船乗りというのは本当に命知らずだと心から思うよ」
南方人に特徴的な青い髪は、元々海の向こうから渡ってきた人々が起源だという説もある。俺が知っている世界が狭いことを海を見るたび思い知らされる。
「そうか……それはますます楽しみだな。海のことは書物で読んだり外国からの使節から話を聞いたりしただけだからな。さすがにそれだけ大きいと私の魔法でも凍らせることは難しいんだろうな……」
「凍らせる? なるほど……足場があれば海を渡れるかもしれないが、さすがに無理だろうな」
さすが天才は考えることが違う。だが、海はともかく川や湖ならとても便利な使い方だ。敵から逃げたり追っ手をそのまま水に沈めたりできるのだからな。
「そういえばファティアは港町の生まれだと言っていたな。本当は魚料理や海鮮料理が得意らしいが、内陸だと鮮度が良い食材が手に入らないから力が発揮できないと嘆いていた」
一度ファティアが作ってくれた海鮮スープは絶品だった。本人は鮮度が悪いからと納得していなかったが。
「あはは。そういえば一緒に市場で回った時も魚が新鮮じゃないと怒っていたな。ウルシュに行けば新鮮な食材が手に入るだろうから、そういう意味でも楽しみだ」
「うむ、たしかにそれは楽しみ過ぎるな」
目的地に楽しみは多い方が良い。その方が旅するのが断然楽しくなる。旅はそこまでの過程にこそ楽しさの大半があるものだから。
「リエンも皆と一緒に馬車に居ていいんだぞ? どうせこの辺りに危険はほとんど無いんだし」
うちの馬車には、早速リュゼとネージュが遊びに来ていて、みんなでティーパーティーをしている。トラスの疲れた顔はちょっとした見物だった。
「いや、私もこれから冒険者として生きていくのであればどんな経験でもしておきたい」
天才な上に真面目な努力家か……ふふふ、これは本当に手が付けられないな。味方で良かったと心から思う。
「それに―――シシリーのおかげでずいぶん楽させてもらっているからな」
『シシリーガンバル!!』
リエンを乗せたマダライオンの使い魔シシリーがご機嫌そうにフサフサの尻尾を左右にぶんぶん振る。
シシリーに跨ったリエンはたしかに快適そうで、実はちょっと羨ましいなと思っているのは内緒だ。
「ん? 良かったらファーガソンも乗るか?」
『ファーガソン、ノル!!』
なぜわかったんだろう……そんなに乗りたそうな顔をしていたのだろうか?
「悪いなシシリー、せっかくだから乗らせてもらうよ」
『ゼンゼンヨユウダヨ』
子どもとは言え、馬よりも一回り以上大きく背中が広いシシリーだから、二人くらい余裕で乗れる。追加でチハヤとファティアが乗ったとしても問題ないだろう。
モフッとした分厚い絨毯のような背中は温かくて非常に乗り心地が良い。このまま抱きついて寝てしまいそうだ。
強いて言えば掴まる所がたてがみくらいしか無いところだが、どこかで特製の鞍を作らせるのも良いかもしれない。
「ファーガソン、そのままだとバランスが悪いだろう? 私に掴まると良い」
「リエンに掴まったらそっちがバランス崩すんじゃないのか?」
「ふふ、私を誰だと思っている。魔法を使っているに決まっているだろう」
なるほど……たしかに不自然なほど安定していると思っていたんだ。
「じゃあ遠慮なく」
「うむ、しっかりと掴まるがいい」
しっかりと言ってもな……細くて小さいリエンの身体を壊してしまいそうで……
「ん? しっかりと言ったはずだが? 魔法の効果範囲から外れてしまうからもっと密着してくれ」
遠慮がちに掴まったら怒られた。うーん、仕方ないか。
言われた通りしっかりと密着するように後ろからリエンに掴まる。自然、抱きしめるような格好になってしまうが仕方がない。
「ふぁ、ファーガソンっ!? た、たしかに密着しろとは言ったがちょっと……」
「すまん、もう少し離れた方が良いな」
「いやいい、万一落ちたら大変だからな。そのままでいい」
「そうか?」
『ねえ、あの大きいネッコ羨ましいわね』
『……いや、どうみてもネッコじゃないと思うんだけど……乗ってみたいのは同意』
周囲の冒険者たちから羨望の眼差しを感じつつ旅は順調に進んでゆく。




