第九話 ダフードの朝市 甘いモノと焼きたてパン
「チハヤ、オコメというのは穀物なんだよな?」
「うん、この世界にも麦はあるみたいだし、イネ科っぽい雑草も生えているから多分あるんじゃないかな。聞いた感じこの辺りの気候だと望みは薄いかもしれないけどね」
ムギというのはおそらくパンの原料になるギルのことだろう。チハヤによると、ギルとオコメは生息域や好む環境が真逆らしいので、ギルの生産地であるこの辺りでは、オコメはまず育たないと思われる。
とはいえ、市場には遠方から持ち込まれる食材も多く、オコメに似た穀物があれば代用できるかもしれないし、生産地まで足を運んでも良いかもしれない。最終的に王都まで行って手がかりとなる情報すらない場合、外国まで足を伸ばす必要が出てくるが……まあ、そうなった時はそうなった時。今考えることじゃあない。
「オコメ? ああ、あの勇者様が探しているって噂の? いや、見たことないね。噂ではずっと東の方にそれっぽい穀物があるとかないとか。あくまでも人伝に聞いた噂だけどね」
市場で聞き込みをしてみたが、答えは皆似たようなもの。オコメという単語だけは市場関係者の間では知られていることが分かったのは収穫だ。商売になるからと東から仕入れようとする業者や商人は当然出てくるはず。一度販路が確立できれば、地理的な条件は価格以外には影響しない。チハヤによれば、オコメはある程度保存に耐える食材だということだから、その点でも問題ないだろう。
しかし東か……王都はここからはるか東方にあるから、もう少しは情報があるかもしれないな。勇者がわざわざ遠くの国からやってきているというのが本当なら、何らかの有力な情報があったに違いないからだ。
「ん? どうしたチハヤ、何か気になった食材があったのか?」
「ん、ハチミツの匂いがする」
「ハチミツ? ああ、キラービーシロップのことか。欲しいなら買っておこうか」
「良いの? ありがとうファーギー」
おお……ようやくチハヤの自然な笑顔が見れたような気がする。
チハヤが少しでもげんきになるなら、このくらい安いものだ。キラービーシロップは、貴重な甘味だし、保存もきくから旅のお供にはピッタリだから無駄にはならない。
「キラービーシロップですか!! 良いですね、大抵のお料理にも使えるんですよ、それ」
なるほど……ファティアも欲しそうにしている。それじゃあもう少し買っておいた方が良いかな?
「親父、キラービーシロップは出ているのだけで全部か?」
「へい、今日はこれだけでさあ」
「それじゃあ全部もらうよ、いくらだ?」
「五本で二万シリカになりやす」
あるだけといっても、大した量じゃない。こうして市場で見かけることは少ないから、良い買い物が出来たかもしれない。
「へへ、毎度アリ、サービスでビーワックスも付けておくよ」
おお、ビーワックスは旅に欠かせないから助かるな。
「そういえばこの世界には砂糖って無いの?」
買ったばかりのキラービーシロップを舐めながらチハヤが尋ねてくる。
「サトウって何だ?」
「えっと……シュガー? 甘くてサラサラした粉状の甘味料なんだけど」
「ああ、シュガならありますよ。ただし、輸入品なのでとんでもなく高価で庶民には手が出ませんが」
「ふーん……それなら砂糖で大儲けできるかも……」
「もしかしてシュガの製法を知っているのか、チハヤ?」
「うん。あれ」
チハヤの指さしたのは、カブ―の葉。
「チハヤ、たしかにカブーの葉は美味しいですけど、甘くはないですよ?」
「違う。根っこから砂糖が採れる」
マジか……!? カブーの根は不味くて食えないから家畜の餌になっているんだぞ。
「似ているだけで出来ないかもしれないけど」
たしかにチハヤの知っているのは異世界の話だが、もしそれが可能ならたしかに大儲けできるかもしれない。
「その話はまだ誰にも言ってないんだよな?」
「うん」
この国ではいたるところにカブ―が生えているからな。その中にはチハヤの言うシュガが採れる種類もあるかもしれない。
「落ち着いたらシュガ工場を立ち上げても良いかもしれないな」
「それ良いね、ファーギー。私、味見役やる」
「私も味見役で雇ってください!!」
そんなに味見役が必要になるかどうかはさておき、夢は広がるな。それに今思ったが、チハヤの持っている異世界の知識はもしかしたらとんでもない価値があるんじゃないのか? 気を付けないと悪い連中に利用されかねないが。
「旦那ああ!! ナイスタイミングですよ、もうすぐ順番でさあ!」
付近を一周まわって戻ってくると、サムがホッとしたように手を振ってくる。
「悪かったなサム。お前も好きなだけパンを買って良いからな」
「さっすが旦那、太っ腹!! ゴチになります」
見た目はちょっと強面だが、サムは本当に珍しいくらい良い奴だ。
まだ冒険者ランクこそ低いが、信頼できる人間というのはそれだけで貴重だ。仕事に困ることはないだろうな。
「むふう……ちょっと固いけど焼きたてだから美味しい」
「ほほう、これは……たしかに並ぶだけのことはありますね!! 美味しいです」
二人とも気に入っているようで良かった。並んだ甲斐があったな、サムが。
どれどれ……おお、外側はカリッと焼きあがっているのに、中は思ったよりも柔らかくてしっとりしているな。やはり焼きたてということが大きい。
生地にナッツ類が入っているのが良いな。味に深みが出るし、食感としても良いアクセントになっていて最後まで飽きさせない工夫が実に素晴らしい。
写真 / Ichenさま
「うん……やっぱりパンにはハチミツだよね」
チハヤがパンにキラービーシロップをかけて食べている。パンに甘いのをかけるなんて信じられないことをするな。
「ファティアもやってみたら?」
「は、はい……えええっ!? 美味しい!! すごく美味しいです!!」
そんなに美味いのか? 邪道こそグルメへの道とは言うが……。
「チハヤ、一口もらっても?」
「良いよ」
「おほっ!! 良いなコレ。思っていた以上にパンに合う」
キラービーシロップがもっと手頃な価格なら毎日でも使いたいくらいだが。
うーん、これから野生のキラービーの巣を見つけたらスルーせずにシロップを集めてみようかな。でもなあ……魔法使いがいないと厄介なんだよな、あいつら。