第七十七話 二人の白銀級
「氷剣、マズいことになった、起きてくれ」
スレイは血相を変えて、転がるように氷剣の居る場所へと掛け戻る。
頼みのクライムとレイヴンがやられてしまったのだ、スレイは魔法使いとしては戦える方ではあるが、あくまでそれなりである。剣術に優れた仲間たちと比べられる水準にはない。魔法を使うことが出来ない以上、もはや氷剣に頼る以外の選択肢はない。もちろんアンチ・マジックを解除すればスレイも魔法が使えるようにはなるのだが、相手は紅蓮の魔女と言われた天才魔導士、負けているとは思っていないが百パーセント勝てる保証もない。ならば、このまま魔女を無力化した状態で氷剣に男を葬り去ってもらう方が確実だと判断したのだ。
氷剣の強さは明らかに人の域を超えた異次元。邪魔な護衛騎士さえ倒してしまえば、いかな紅蓮の魔女とはいえ、何も出来ることは無い。
「……まさか三人がかりで勝てなかったとか言わないだろうね?」
怒っているというよりは、少し楽しそうにも見える氷剣の様子に一先ず安堵するスレイ。怒らせてしまえばたとえ仲間だとしても平気で切り捨てる冷酷な一面を誰よりも理解している。
「そのまさかだ。相手はフレイガルドのフレイヤ姫とその護衛騎士だ。フレイヤ姫を無力化出来たところまでは良かったのだが、一緒にいる男が恐ろしいほど強い。あのレイヴンとクライムが一撃でやられるほどにな……」
「へえ……あの二人が一撃で? それは興味深い。なあスレイ、その男と俺、どちらが強いと思う?」
その質問に固まるスレイ。下手なことを言えば殺されそうなほど氷剣の殺気は研ぎ澄まされている。久しぶりに見た本気モードの氷剣の殺気にあてられてスレイのひたいに冷たい汗が幾筋も走る。
「……正直わからん。俺は剣士でも戦士でも無いんでな」
それ以外答えようが無かった。
「ふーん、そうか……スレイがそんなこと言うの初めてだな。つまり……全力で戦っても良いってことだよな?」
「ひぃっ!?」
思わず悲鳴を漏らすスレイ。
もう何年も行動を共にしているが、氷剣が笑っているところなど見たことが無い。それがこんなにも恐ろしいものだとは想像もしていなかった。死と再生の女神ハイリルは、光と闇の二面性を持っていると云われているが、彼女の闇の微笑みはきっとこんな感じだろうとスレイは内心震えあがる。
「ふふ、この俺をせいぜい楽しませてくれよ」
いつの間にか立ち上がった氷剣の目にはすでにスレイの姿など映ってはいない。
そこに居たのは、強者との戦いに飢えた一人の修羅であった。
「やっぱりお前かファーガソン。この国で思い当たる人間が他にいなかったからな」
「……久しぶりだなアイスハート」
「お前とは模擬戦なんかじゃなくて一度本気で戦ってみたいと思っていたんだ。まさかこんなところで望みが叶うとは……やはり日頃の行いが良かったからだろうな」
ファーガソンと氷剣は辺境伯領で一度だけ剣を交えたことがある。二人とも重要な任務中であったということもあって、あくまで木刀を使った軽い模擬戦ではあったが。その時の剣撃の応酬は、今でも辺境伯領において語り草になるほど凄まじいものだった。
そもそも国家レベルで最高戦力の白銀級同士が模擬戦をする機会などまずあり得ない話で、大金を払ってでも観たいという貴族や騎士、冒険者たちが詰めかけて闘技場は満員、辺境伯はその収入で二人への依頼料の何倍もの大金を稼いだといわれている。
「日頃の行いが良かった? ……本気で言っているなら、それは無いと言っておく」
ファーガソンも氷剣も冗談を言うタイプではない。あくまで素で会話する根っからの戦士だ。仮に観衆がいたとして、苦笑いすら出来なかったことだろう。それほどまでに二人の纏っている殺気は凄まじいものであった。
「何でも良い、同じ白銀級同士、存分に殺し合おう」
会話を続けるのも惜しい。早く死合いたくて仕方がないとばかりに氷剣が一歩踏み出す。
だが―――――
「……断る」
ファーガソンはその誘いを一刀のもとに切り捨てる。
「なに? まさかこの期に及んで逃げるとか言うんじゃないだろうな?」
「違う。お前は殺さないと言っている。だから殺し合いはしない」
「甘いことを……あまりガッカリさせるなよファーガソン? そんな中途半端な覚悟で受け止められるほど俺の剣は軽くも遅くもない」
氷剣がすらりと剣を抜くと、そのアイスブルーの刀身が淡い輝きを放ち周囲の温度が下がったようにひんやりとした空気に包まれる。
氷剣の代名詞でもある『アイスブレイカー』はるか昔、氷の精霊が鍛えたという伝説がある名剣。その切っ先はどんな強固な氷もたやすく破壊し、斬られたモノは傷口から凍り付いて動けなくなると言われている。
「……アイスブレイカーか。だがな、俺にもコイツがある、宝剣キルラングレーという相棒がな」
ファーガソンも剣を抜き放つ。彼が携える宝剣キルラングレーは、イデアル家に代々受け継がれてきた家宝。柄部分にはめ込まれた魔石の力によって、たとえば直接の接触だけでなく打ち合った剣を通してでも相手の魔力や体力を少しだけ奪う。
決して派手な効果ではないが、拮抗した戦いやギリギリ紙一重の戦いの中においては悪夢だ。なにせ撃ち合うたびに若干ではあるが脱力感に襲われるのだ。相手にとっては勝敗を分けるほどの恐ろしい魔剣といえる。また、長期戦となればなるほど有利になる事は言うまでもない。
「ほう……良い剣だな。ファーガソン、お前が死んだらそいつは俺のコレクションに加えて気が向いたら使ってやってもいいぞ?」
氷剣アイスハートは笑顔を貼り付けたままさらに殺気を研ぎ澄ます。もしこの瞬間、うっかり近づこうものなら、たとえ仲間だったとしても間違いなく一刀両断にされていただろう。
「せっかくの名剣が貴様のような外道に使われているのは耐えがたいものだな。それならばお前が負けたらその剣は俺がいただくがそれで構わんのだろう?」
不敵に笑うファーガソン。
「ふふ、好きにしろ。そんなことはあり得ないが、それでこそ死合う意味があるというものだ」
心底楽しくて仕方がないという様子の氷剣に対し、無表情を崩さないファーガソン。
「な、なんという……これではまるで竜同士の闘いではないか……」
二人の闘気にスレイは身動き一つ出来ない。一歩でも動こうものなら視えない刃が襲ってくるような恐怖。
深い森の奥。怪物同士の闘いが始まろうとしていた。