第五十二話 決着
「聞きたいことはそれだけだ……この剣はいただいていくぞ」
もう興味が無いという様子でヴィクトールに背を向ける冒険者。
「な、どういう意味だ? それは貸しただけで……いや、まあ良い、この私に仕えるのなら、お前に預けても良いだろう」
ヴィクトール自身あまり剣に興味はない。下手に男の機嫌を損ねるわけにもいかないし、この男が手に入るなら剣の一本や二本安いものだと内心すばやく計算する。
「お前に仕える? その気はない……それにこの剣は元々イデアル家の家宝だ、返してもらうぞ」
「イデアル家……だと? お前……まさか?」
ここに来てようやくヴィクトールは気付く。冒険者の柔らかいプラチナブロンドと淡い水色の瞳はあのエステルとよく似ているではないかと。たしかイデアル家には当時十歳ほどになる弟がいたはず。
「ああ、俺はエステルの弟ファーガソンだ。お前のおかげでお家取り潰しになったがな」
ようやく合点がいったというという表情でファーガソンを見つめるヴィクトール。驚きはしたが動揺はない。むしろ正体がわかったことで交渉がしやすくなったとすら考える。
「そうか……それは悪いことをした。よし、私の力でイデアル家は復活させよう。晴れてお前は伯爵になれる。どうだ、悪い話ではないだろう?」
ヴィクトールは女性関係を除けば基本的に合理的な人間だ。宰相としての顔は有能そのものであり、瞬時にファーガソンの利用価値を理解していた。
「…………」
しかしファーガソンは黙ったまま動こうとしない。その間にグリフォンがヴィクトールに接近する。
「な、なんだ、まだ足りないのか? そうか女だな? わかった、お前の好きな女がいれば私が何人でも用意してやる、だから早く助け――――」
間一髪転がるようにしてグリフォンの爪をかわすヴィクトール。しかし決して浅くない傷を負ってしまう。
「ふぁ、ファーガソン!! なぜ戦わない? 私が倒れれば次に狙われるのは貴様ではないのか!!」
「グリフォンが俺に? 有り得ない」
ヴィクトールは気付く。なぜ自分ばかり狙われるのかということに。
恐怖しているのだ――――あの災害そのものと畏れられるグリフォンが目の前の男に。手を出したら殺されると正しく理解している。
つまり……ファーガソンにはグリフォンを倒す理由が無いという事実を。
「わ、わかった、話を聞こう、一体何が不満なんだっ!? 私はお前となら帝国を廃し大陸統一すら出来るのではないかと思っている。騎士団長でも将軍位でも望むように後押ししよう」
ヴィクトールにはわからない。なぜファーガソンが動かないのか。叫ぶほどに冷めてゆく温度に焦りが募る。
「不満……か。そうだな、姉上が身に覚えのない容疑を着せられて……その輝かしい前途を理不尽に奪われて……名誉を回復する機会も与えられず……最後は独り自ら命を絶ち……埋葬された場所すらわからないことに比べたら不満など無いな」
感情すら抜け落ちたようにつぶやくファーガソンの姿に、ようやくヴィクトールは理解する。
この男は――――最初から助けるつもりはなかったのだと。
「わ、悪かった!! エステルの埋葬場所は調べさせるから!! 知りたいだろ? なっ?」
もはやヴィクトールに交渉する余裕などなくなっている。それはそうだろう。ここでファーガソンに見放されれば、待っているのは確実な死だ。なりふりなど構ってはいられない。
「調べさせる……か。つまりお前は姉上が亡くなっても、一度も墓を参ることなく生きてきたんだよな? 後悔することも顧みることもなくのうのうと生き延びてきたってことだよな?」
「そ、それは……その……公務が忙しくて……」
しどろもどろになるヴィクトール。
「いいかヴィクトール、姉上は俺が知る限り最も聡明で優しい女性だった。お前と婚約してからも……姉上は一度も不満や愚痴なんか言わなかったんだぞ!! 手紙にはいつもお前に対する感謝や敬意が書かれていた。この国を良くするため、将来やりたいことやあふれるほどの夢が書かれていたんだ……それなのに……貴様のした仕打ちはなんだ? 姉上は強い人だ、自分に対する不遇で死を選ぶような人じゃない。そこまで追い込んだのはお前だ、お前が……お前が!! イデアル家をここまで追い込まなければ!!!! 姉上は……姉上は……」
初めて感情を爆発させたファーガソンに、ヴィクトールだけでなくグリフォンたちもビクリと動きを止める。
「わ、私を殺すつもりか……?」
「いいや。お前は殺したいほど憎いが……それでも姉上の婚約者だった男だ。だから殺さないよ」
「それじゃあ助けて――――」
「お前も国を背負う気概があるのなら、自分で切り抜けるんだな」
くるりと背を向けるファーガソンの背後で――――ほどなくヴィクトールの断末魔が聞こえた。
「最初から助ける気など百パーセントなかったさ。だが、リュゼのことを聞いて二百パーセント助けないと決めたよ」
ヴィクトールの乗っていた馬車から竜の卵を取り出し、竜皮で出来た袋にしまい込むファーガソン。
「皮肉なものだな……姉上にもらった袋がこんなところで役に立つとは……な」
『姉上、これは……?』
『竜の皮で作った袋よ。これを身につけていればきっと貴方を守ってくれる。だからって無理してはいけないわ』
『ありがとう姉上、大切にします』
竜皮にはグリフォン除けの効果もある。卵を保管する際は竜皮に包んでおかなければならない。ファーガソンは、街を出てから卵を袋から出し、グリフォンを呼び集めていたのだ。
「この様子だと逃げ切れたのは数人ってところだな」
あえて数人逃げられるようにグリフォンをけん制した。ヴィクトールがグリフォンに襲われたのだと証言してもらう必要があるからだ。
「姉上……ごめんなさい。俺は……自分の手では斬れなかった」
ファーガソンは一人涙を流した。
憎い相手が死んでも喜びなどなかった。
ただクズが死んだ。それだけ。何も変わらない、姉も両親も還っては来ないのだ。
それでも――――
少なくともリュゼを守ることは出来た。一時的なものかもしれないが、それでも守れた。
これでアンドレイ一味の野望も潰えるだろう。
マリアが自分と同じような目に遭うことは避けられた。
独りだったあの頃とは違う。
今は愛すべき仲間が居る。守るべき場所がある。
「ねえ、姉上……俺は……少しはマシな男になれているでしょうか?」
憧れだった姉の姿を見上げるように天を仰ぐ。
月が優しくファーガソンを照らす。
さあ、帰ろう、皆が待つ場所へ。
愛すべき街、ダフードへ。




