第五十一話 ヴィクトールと冒険者
「まったく……この私をこんなところまで呼びつけるとは……アルジャンクローの娘でなければ絶対にあり得ないことだ。まあ、その分たっぷりと楽しませてもらうから覚悟しておけよ、ふふふ」
リュゼノワールの妖精のような美しさに一目惚れしたヴィクトールは、ありとあらゆる方法を駆使して、ようやく見合いにまでこぎ着けたのだ。
名目上は見合いだが、ヴィクトールはそうは思っていない。有無を言わせず手籠めにして、既成事実を作ってしまえば逃げられない。すでにアンドレイ子爵を通じて手は打ってあるのだ。
ヴィクトールは、その光景を妄想して下品な笑みを零す。馬車の中には誰も入れないので、見られる心配もなく、ここでは宰相としての仮面を付ける必要もない。
「しかしこんなに興奮するのはイデアル家のエステル以来だな。あの時は私もまだ若く失敗してしまったが……んん? 馬車が止まった? 野営地に到着したか」
「た、大変です閣下、ま、魔物に襲われております」
激しく馬車の戸が叩かれる。
「ああん? 何のために高い金を出して護衛を雇っていると思っているのだ? 速やかに排除しろと伝えよ」
「そ、それが……全員逃げ出しまして……」
「何だとっ!! 使えない奴らだ、全員探し出して首を跳ねてやる。魔物ぐらいなら、貴様ら護衛兵でも何とかなるだろ」
この辺りの街道沿いでは基本的に危険な魔物は出ない。それこそ駆け出しの冒険者でも対応できるはずなのだ。
「む、無理です……相手は……うわあっ!! た、助けて」
とうとう護衛兵までもが逃げ出してしまった。
今回の見合いは、公的なものではなく、多分に後ろめたい計画の下に動いているため連れてきているのは最低限の私兵のみ。護衛を雇ってはいたが、あくまで数合わせの冒険者くずれだ、もとより忠誠心などない。私兵は私兵で、いつもヴィクトールと悪いことをやってきたエリートクズ兵ばかり。
期待は一切していなかったが、ここまで酷いと変な笑いが出てきてしまう。とはいえ、このままでは埒が明かない以上、ヴィクトールもついに重い腰を上げる。
「何たる情けなさよ。まあ良い、普段王都から出ずに魔物を斬ったこともない軟弱者どもに、本当の剣技というものを教えてやる」
ヴィクトールは王家指南役の下で幼少の頃から帝王教育の一環で武芸百般をたしなんでいる。そして王家の血筋ということもあり、ある程度の魔法も使えるのだ。普段は宰相として前面に出ることは無いが、将軍として前線で兵を率いることも出来る魔法剣士でもある。護衛をあまり重視していないのも、いざとなれば自分で何とかなると思っているからに他ならない。
久しぶりの実戦に血が騒ぐと国宝級の宝剣を手に馬車を出てみれば――――やけに周囲が暗い。まだ日が落ちるには早すぎる……?
訝しんだヴィクトールがふと空を見上げると、そこには乗っていた馬車よりも二回り以上大きい巨体が旋回している。辛うじて確認できる四枚の翼、頭部には、ワシのような鋭利な嘴と紅蓮の眼光がギラリと光っている。
「ぐ、グリフォン……だと!?」
ヴィクトールの額をつつっと冷や汗が流れ落ちる。
当然知ってはいる。だが、戦ったことなどない。武芸の師範からは、出会ったら全力で逃げろ、絶対に戦うなと言われていたことを思い出す。
「くそ……これでは誰かを囮に逃げることすら出来ないではないか……」
しかもグリフォンは一体ではないのだ。二体のグリフォンが周囲で兵士や護衛たちをバリバリと飲み込んでいる。すでに全滅したようで動くものはほとんどいない。残る一体は上空から完全にヴィクトールをロックオンしている。今はまだ警戒して様子を見ているが、背を向ければいつでも襲い掛かってくるのは明白だ。
どうする? こんなところで死ぬのか? この私が? 有り得ない。 魔法でグリフォンの目を潰せば行けるか……? ヴィクトールは自問自答するが、彼が得意とする風系統の魔法は同じ風属性の魔法を使うグリフォンにはほとんど効かない。相性が最悪の相手なのだ。
普段は用心深いはずの彼だったが、さすがに浮かれて油断していたことを認めざるを得ない。ヴィクトールの中で絶望の二文字が現実味を帯び始める。
、
「おい、そこのお前、助けてやろうか?」
「だ、誰だ!?」
「通りすがりの冒険者だ」
絶望の淵でわずかに生まれた希望。ヴィクトールは、藁にもすがる思いで冒険者に向かって叫ぶ。
「た、頼む、金ならいくらでも払うから助けよ」
「金に興味はない」
「地位か? わ、わかった、私なら爵位を与えてお前を貴族にしてやることも出来る――――うおっ!?」
が、そう言っている間にも、グリフォンの風圧は増す一方で、ヴィクトールは無様に膝を突いてしまう。
「人を探していてな? お前が知っているなら助けてやる」
「わ、わかった、何でもいいから、は、早く、早く助けてくれ!!」
今にも襲ってきそうなグリフォンの動きに一刻の猶予もない。
「生憎グリフォンを叩き斬れるほどの剣は持っていなくてな。その宝剣を借りても良いか?」
「わ、わかった、渡すから、ってうわああああっ!!」
ヴィクトール目掛けて急降下してきたグリフォンの鉤爪を間一髪で受け止める冒険者。
「……お、おお、実に見事な腕だ。よし、この宝剣を使え、そしてグリフォンを討伐せよ!!」
喜んで冒険者に宝剣を手渡すヴィクトール。
「……なあヴィクトール」
「な、何だ、お前私を知っていたのか? ぶ、無礼ではあるが今は許す、何だ?」
「先に聞かせてくれ。エステル=イデアルの消息を知っているか?」
「なんだ探していたのはエステルか……もちろん知っている。彼女なら死んだぞ。地下牢で自害して果てたと聞いた」
これで助けてもらえると安堵の息を吐くヴィクトール。
「……そうか。もう一つ、なぜエステルは地下牢に入れられていたんだ? 表向きの理由は知っているから本当の理由を話せ。嘘だと判断したら俺はここから去るぞ」
「な、なぜそんなことを聞く?」
「言いたくないのなら俺はここを去るだけだ」
「わ、わかった。婚約者のクセに私の要求を拒み続けたからだ。成人するまで待てと馬鹿なことを言い続けたから嫌になって棄てた。私も若かったんだ、今は後悔している」
「……後悔しているのか?」
「ああ、無理やりにでも手を出すべきだった。本当に勿体ないことをしたと後悔している」
「そう……だな……。そうしていればもしかしたら死なずに済んだかもしれないな」
「そうだろう? そうなんだよ、だが、ようやくエステルの代わりを見つけたんだ。今度こそ失敗はしない。だから私はこんなところで死ぬわけにはいかないんだよ!!」
ヴィクトールの中では、もう自分が助かったものと確信していた。それほどまでに目の前にいる冒険者の持つ存在感は別格だったのだ。仮にも大国の宰相を務める男だ、実力を見極める目は持っている。
同時にこれほどの腕を持つ男を味方に引き入れれば、ヴィクトール陣営はまさに盤石、そんな思惑もあって、ヴィクトールは男の質問に喜んで答えたのだ。
まさか――――その男こそ、自分を狙う敵であるとも知らずに。