第四十七話 ファーガソンの過去
「ファーガソン、また授業サボったんですってね? 先生を困らせちゃ駄目じゃない」
はあ……あの教師、また姉上に告げ口したのか。俺が姉上に弱いって知ってるからすぐに泣きつきやがって。クソつまらない授業するくせにそういうところだけ頭が回るんだよな。
「でも姉上、つまらないんだから時間の無駄ですよ。剣でも振っていた方がマシです」
どうせ聞いていても頭に入って来ないし、それだったら剣の腕を磨いた方が役に立つと思うんだけどな。何も考えていないわけじゃない。
「ふふ、貴方は本当に身体を動かすのが好きなのですね。でもね、貴方は将来この家を継ぐことになるのです。そのためにもしっかり勉強しなくては」
そりゃあ姉さんは俺と違って勉強出来るし言いたいことはわかるけどさ……
「それはそうかもしれませんが……領地経営は安定していますし、優秀な人材もたくさんいるじゃないですか。別に私が苦手なことをする必要はないでしょう?」
街へ行けば領民は潤っていて幸せそうだし、適材適所? って奴で頑張りたい奴が頑張れば良いと思うんだよね。はっきり言って、俺は領主なんかよりも騎士とかになって活躍する方が性に合っている気がするんだ。むしろ姉上の方がはるかに領主に相応しいよ。
「それはその通りですけれど、覚えておいてねファーガソン。この領地だって最初から上手く行っていたわけではありません。優秀な人材だってそう。お父様やお母様、そしてご先祖さまたちが懸命に積み上げてきた礎の上に今の繁栄があることを忘れてはいけませんよ? 勉強はね、自分が何が得意で何が苦手なのか、いかに自分が無知で、それがいかに恐ろしいことなのかに気付くことなのです。何でも出来るようになる必要はありません。出来ないことを知るためにするのです。そして足りないものは謙虚になって教えや助けを請う。それが上に立つもののあるべき姿です」
はあ……姉上に言われると何も言い返せない。そうだ、あんな教師じゃなくて、姉上に勉強を教わればいいじゃないか!!
「ちぇ……わかったよ。勉強は嫌だけどサボるのは出来るだけやめるように努力する。でも姉上が勉強教えてくれればもっと頑張れると思うんだよね」
「ええ、今はそれで良いわ。そういう正直で素直なところ、ファーガソンの長所だと私は思うのよ。でもね……せっかくやる気になっているからとても残念なのだけれど勉強を教えるのは無理ね。私はもうすぐ居なくなってしまうから」
「え……? 居なくなるって……どういうこと?」
「結婚が決まったの。来月には家を出ることになるわ」
頭が真っ白になる。どこかで姉はずっと側に居てくれるものだと思っていたから。
「そ、そんな……だって姉上はまだ十三歳じゃないですか!! いくらなんでも早すぎます!!」
「そうね……私もそう思います。でもね、お相手は王太子殿下の弟君、つまりは将来の王弟殿下なのです。若くして次期宰相候補にも挙がっている有能な方だと聞いています。我がイデアル家にとっても役立つことでしょうし、国内最高峰の学院にも先方の御屋敷から通えるので私にとってもメリットはあるのですよ」
正直驚いた。伯爵家から王家に嫁ぐのであればすごいことだと俺にもわかる。でも、頭が良くて俺が知っている誰よりも綺麗で優しい姉上なら当然だという誇らしい気持ちにもなった。
淋しいけれど、勉強が大好きな姉が憧れだった学院で学べるのなら応援すべきだとも。
「元気でねファーガソン。貴方はとても頭が良い子です。私はちゃんと知っていますからね。なかなか会えなくなると思いますが、いつも貴方の健康と幸せを願っています」
姉は出発するギリギリまで俺に勉強を教えてくれた。支度や準備で忙しかっただろうに……。
そのおかげで、俺は少しだけ勉強する楽しさを知った気がする。
「嘘だ!! そんなはずない、姉上がそんなことするはずないじゃないか」
家を出てから二年後、成人を直前に控えていたある日、姉が婚約破棄をされて投獄されたという知らせが届いた。
理由は数々の窃盗、同級生に対する嫌がらせの数々、試験での不正等……一体どこの誰の話をしているんだというほどに酷いものだった。
さらに悲劇は続いた。
激しく反発したイデアル家に対して数々の不正疑惑が持ち上がったのだ。
もちろん事実無根だったが、タイミングも悪かった。
皇太子殿下が王位に就くタイミングでの王室スキャンダルは避けたかったのだろう。
最終的には半ば強引に有罪判定が下され、それに反発したイデアル家と領民たちは国家反逆罪でイデアル家は領地没収、同調した領民たちはことごとく投獄された。
父は一連の責任をすべて負わされ、その後裁判直前に獄中で病死。頑強で最後まで戦う気満々だったことから毒殺も疑われたが、結局まともな調査は行われなかった。
あまり身体の強くなかった母も父を追うように失意のどん底でこの世を去った。
イデアル領はそのままヴィクトールの直轄領に組み込まれ、街の自由で明るい雰囲気はすっかり失われてしまった。治安は乱れ物流は滞りインフラは老朽化する一方、ろくに対策や投資もせず搾取するだけだったのだから当然だ。
家と両親を失い伯爵家の令息という地位も失った俺に対して、街の人々の視線は厳しかった。
もちろん事情を知っている人もいるけれど、大半の人々にとっては犯罪者の息子であり、平穏で安定した生活をぶち壊したクズで苦労知らずの貴族野郎でしかない。
街に俺の居場所は無かった。
困っている人々を何とかしたかったし、昔のように笑っていて欲しかった。
だけど俺には何の力もなかった。
逃げるようにして俺は冒険者となり、ひたすら学び、情報収集を続けた。
今なら姉の言葉が痛いほどわかる。現状に甘んじていてはいつか足元をすくわれる。無知であることは恥ではないが、だからこそ学ぶことが必要なのだと。上に立つものとしての在り方を、俺はすべてを失ってから本当の意味で理解したのかもしれない。笑ってしまうぐらいすべては手遅れだった。
その姉だが、まったく消息がつかめなかった。
今でも投獄されているのか、ひっそりとこの世を去っているのか何もわからないまま。
全国を巡り情報網を構築した今でも同じ。
死んだという情報が無いことだけが救いではあるが、同時に呪いでもある。
どこかで助けを待っているんじゃないかという想いで夜中目が覚めてしまう。街で似た雰囲気の女性を見かけるたびに叫びそうになる。
そして姉の消息は掴めないままだが、婚約相手のヴィクトールのことは色々わかった。むしろ俺ほど奴を知っている人間はこの国には居ないとすら思っている。
どんなに固く口止めし、揉み消そうとも事実は消えない。飲み屋で、娼館で人は口が軽くなる。重い事実ほど、人間は心のうちに留めてはおけないからだ。
ヴィクトール……奴は姉の後も婚約破棄を繰り返している。
そしてそれは婚約者が十六歳の成人を迎える前に行われていた。
間違いなく奴は成人した女性に興味が持てない性癖の持ち主だ。
それはそれで仕方がないことではある。だが、だからといって他人の人生や幸せをめちゃくちゃにして良いわけではない。
ヴィクトール、お前はたしかに有能だ。若くして宰相となっただけの実力はたしかにある。
今の王国の繁栄の一端を担っていたことは認めよう。
だがな――――お前はやり過ぎた。
俺がなぜあれほどまでにリュゼが気になっているのか。
姉とよく似た雰囲気を持った少女にどうしても重ねてしまう。
そして今回もまた、悲劇が繰り返されようとしている。
「たとえ天が許しても、俺は貴様を許さない。そのためにここまで死に物狂いで生きてきたんだからな」