第三十二話 メイド長アリシア
「女領主も大変なのですよ。結婚しろと周りからはお見合い話ばかり持ち込まれますし、最近は諦めたのか結婚しないなら養子をとれと一族からは突き上げが来るようになりました」
ウンザリとした様子で苦笑いするマリア。
「どうして結婚しないんだ? まあ……俺が聞くのも変な話だが」
「うふふ、本当に変な話ですわね。良いご縁があればとは思っていたんですけれど……ほとんどが魂胆が見え透いたお話ですし、貴族の結婚なんてそんなに良いものではないですのよ? 子が出来たら出来たで家同士の駆け引きが始まりますし……かといって、養子をとるにしても一族に後を託せるほど見所のある子はいませんの」
「それは大変そうだな……」
街の繁栄を盤石なものにするためにマリアが元気な間に優秀な後継者を見つけるか、育てなければならないが、簡単ではないだろうな……。
「ええ、ですからファーガソン様には大いに期待しているのですわ。私とファーガソン様の子でしたら、間違いなく素晴らしい祝福を受けるに違いありませんから。あ、もちろんファーガソン様を引き留めるつもりはありませんからご安心を。もちろんこの街で暮らしていただけるならそれに越したことはありませんけれど」
「責任重大だな」
「その通りですわ。我がデラクルス家には代々伝わる家訓がありまして」
「……家訓?」
「はい、デラクルス家がここまで繁栄したのは家訓をしっかりと受け継いできたからなのです。初代デラクルス卿はこう云い遺しました『念には念を』と」
「なるほど、それはとても大切なことだな。冒険者家業にもそのまま当てはまる」
「そうでしょう? ですからファーガソン様、念には念をいれて、もう一度お願いしますわ」
やれやれ、マリアには勝てそうにない。
「わかった、全力を尽くそう」
「さすがはファーガソン様ですわ。私とこの街のために頑張ってくださいませ」
そう言われたら頑張るしかない。
「あ、そういえばファーガソン様」
「どうしたマリア?」
「ギルドに出している『草むしり』の依頼もちゃんと頼みますわね? 私の有力派閥から選りすぐって見繕っておりますから」
「……そうだったな」
なるほどな……マリアに子が出来なくとも保険をかけておくということか。為政者としてのマリアは本当に優秀だな。期待に応えられれば良いんだが、こればかりは命の女神ラヴィアのみぞ知るだ。
これはもう一度シンシアの店でガルガル焼きを食べる必要がありそうだな。
◇◇◇
「なるほど……ファーガソン様は馬が必要なのですね」
「二頭だけでも譲ってもらえると助かるんだが……」
「そうですね……他でもないファーガソン様の頼みですから、私も出来ればお譲りしたいのですが……実は少々困ったことになっておりまして……」
「何か困っているなら俺が力になるぞ?」
「デラクルス家メイド長アリシアです。よろしくお願いいたします、ファーガソン様」
灰色の髪をおさげにして、赤みを帯びた瞳は美しいが、眼光は鋭く猛禽類のような印象を受ける。執事同様ただのメイドではない。
たしか食事の時に配膳してくれた子だな。
「ああ、よろしくアリシア。詳しい状況を聞かせてもらっても?」
「はい、もう深夜ですし移動しながらご説明します」
アリシアの説明によると、デラクルス家が管理する放牧地の一つで異変が起こっているらしい。その放牧地にいる馬が次々に原因不明の病気にかかり、動けなくなってしまっているとのことだ。
「当家が管理する放牧地は三か所ありますので、現在は残りの二か所を使用しておりますが、このままではローテーションが出来ないため、馬の育成に大きな支障が出てしまいます」
ただでさえ馬不足の状況で原因不明の病か。まさに泣きっ面にキラービーだな。
「これまでに似たようなことは?」
「いいえ、今回が初めてだと思います」
ふむ、季節性のものではないか。
「馬の症状はどんな感じだったかわかるか?」
「足腰に力が入らないようで、立ち上がることが出来ないのです。それ以外に特に症状はありません」
「なるほど……近くに水場はあるか?」
「はい、小川が流れています」
「アリシア、あくまで可能性だが、原因が分かったかもしれない」
「本当ですか!! さすがは白銀級冒険者様ですね」
「そういうアリシアもただものではないだろう? 元冒険者といったところか?」
動きを見れば大体わかる。騎士のそれではないので、おそらくは冒険者だろう。
「あはは、ファーガソン様はすべてお見通しなんですね。はい、私は元冒険者、等級は銅です」
この若さで銅等級はすごいな……。よほど才能があったのだろう。
「アリシアほどの才能ならそのまま冒険者を続けていても良かったんじゃないのか?」
「まあ……色々ありましたから。冒険者ってほら、結構ろくでもない男が多いでしょう?」
悪いことを聞いてしまったな。たしかにこれだけ見目麗しい女性なら苦労したに違いない。
「悪い、変なことを聞いてしまったな」
「ファーガソン様が謝る必要などないのですよ。ご心配なく、クズどもにはそれ相応の対応をさせてもらいましたから」
ニヤリと口角を上げるアリシアはしなやかで美しい肉食獣のようだ。
「ところでアリシア、ここはどこだ?」
「私の寝室ですけれど?」
「……現場に向かうんじゃなかったのか?」
「あはは、こんな暗いのに行っても仕方ないじゃありませんか。夜明け前に出発します」
「そ、そうか」
「領主さまに聞かれたんですよ、特別報酬は百万シリカが良いか、三ファーガソンが良いかって。もちろん三ファーガソンを希望しました。よろしくお願いしますね」
赤みを帯びた瞳が爛々と輝く。
マリア……いつの間にか俺が通貨単位みたいになっているんだが!?