第二百四十話 泣き虫皇女と寝不足聖女
「カグラ、聞いて欲しい。俺は明日帝国へ攻め込む」
「帝国へ……行かれるのですか……?」
そうか……これが今生の別れとなるのですね。
驚きよりも、もうファーガソンさまに会えないのだということが辛く悲しい。
「ああ、そうなればお前の父である皇帝を倒さなければならなくなる。本当に……すまない」
なぜだろう……その真剣で申し訳なさそうな姿におかしくなってしまう。
「ファーガソンさま……どうかお気になさらず。帝国に私の家族と呼べるものはおりません。ただ一人……仲の良かった腹違いの姉がおりますが……すでに帝国を出奔しておりますので」
「そうか……辛かったなカグラ」
ファーガソンさまの温もりが私のすべてを包み込んで――――孤独な過去を忘れさせてくれる。
朝が来れば終わってしまう。でも――――この想いも温もりも――――決して消えない。誰にも消すことなんて出来ない。
この世界から旅立つその瞬間まで――――私はこの想いと温もりを抱きながら生きてゆく。
誰が何と言おうとも――――私は幸せだったのだ。今この瞬間に私よりも幸せな人などどこにもいない。
高らかに誇りたい――――私の存在全てをかけて伝えたい――――
私は――――ファーガソンさまを――――この世の誰よりも――――心から愛しているのだと。
「そうですね……悪いと思ってくださっているのなら――――もう一度抱いてくださいますか?」
「一度だけで良いのか?」
「もう……馬鹿」
間も無く夜が明ける――――朝が来てしまう。
「ファーガソンさま……どうかご無事で。絶対に死んではなりませんよ」
今なら言える。ファーガソンさまが助かるなら、私の命など惜しくはないと。今の私には祈ることぐらいしか出来ないけれど。
「ああ、帰ってきたらカグラを皆に紹介しなければならないし、美味しいものをたくさん食べさせてやりたいからな。帝国は内陸だから海は見たこと無いんだろ?」
「え……海……ですか? あ、はい……見たことはないですが……」
「そうか、なら一緒にウルシュへ行こう。旨い海鮮料理が食べられるらしいから楽しみにしててくれ」
「ちょ、ちょっと待ってください!? 先ほどから一体何の話を――――」
「何って……今後の話だが? それともカグラはここに残りたいのか?」
今後の……話?
「あの……ファーガソンさま、私は捕らえられて処刑されるのでは?」
私の言葉を聞いたファーガソンさまは、これまでで一番優しい笑顔を浮かべて――――
「安心しろ、そんなことにはならないし、万一そんなことをしようとする奴らがいたら――――その時は俺が――――まとめてぶっ飛ばしてやる。そもそもだな……俺はこれから帝国に喧嘩を売りに行く男だぞ?」
少年のように笑うファーガソンさまに胸のときめきが止まらない。めちゃくちゃなことを言っているのに信じさせられてしまう。
ああ――――この人は――――なんて純粋で真っすぐで……温かいのだろう。
真実を見抜く力は失ってしまったけれど――――
本物の前では――――そんなもの必要なかったんだ。
「はい……無事のお戻りをお待ちしております。海も……楽しみです……とても……」
「そうか、それは良かった」
「ですが――――不安なのです。私はこんなに幸せで良いのでしょうか? あまりにもたくさんの――――光と温もりに包まれて――――このまま消えてしまうのではないかと――――」
「させないさ、カグラ、俺がそんなことさせない。お前はこれからたくさん幸せになるんだ。俺がこの手で幸せにしてみせる。お前が離れたいと言い出しても離してやらないからな」
「はい――――はい……絶対に離れたりしません――――だから離さないで――――お願い」
私は一体何度泣くつもりなのだろう。
嫌な涙じゃない。嬉しさと温かさがあふれて零れ落ちるたび――――私の暗い過去も傷も洗い流されてゆくようで――――泣き止もうとするけれど――――貴方が優しくするものだから――――私はとっても泣き虫になるのです。
「はあ……今頃ファーギーとカグラ良い感じなんだろうな……」
ひとりベッドで天井を見上げる。
あの時――――カグラの福音を浄化した瞬間――――流れ込んできたあの子の記憶と感情――――
「あんなの……放っておけるわけないじゃん……」
もちろん面白くはない。またファーギーの女が増えてしまった。
でもさ……あの子を救えるのがファーギーしかいないんだったら――――
私がちょっとだけ我慢するくらいなんてことない。
私は――――そんな優しいファーギーが大好きで――――そんな自分のことが大好きだから。
「……帝国は嫌い」
あの国はおかしい。福音とかいう呪いもそうだし、ラクスにした実験だって狂ってる。
「絶対に何とかしなくちゃ……そのために……私の力が……きっとあるんだ……」
身体は疲れているけど頭は冴えて眠れない。
考えろチハヤ――――私がどうすべきか。
「よし、皆準備は良いか?」
いよいよ決戦の日だ。
帝国を倒すことが最大の目的だが、俺にとって同じくらい大切なことは仲間を守ることだ。誰一人失うわけにはいかない。
昨晩のうちに帝都にゲートを設置するところまでは準備完了している。
「帝都に飛ぶ前に一つ、昨日帝国皇女のカグラに聞いたんだが、帝都では毎日魔道具を使って皇帝からの言葉が街の隅々にまで届けられているらしい」
「皇帝の持つ福音の力……言葉で縛る力だったな?」
「ああ、その通りだフレイヤ。問題はそれを俺たちが聞いてしまった場合、身動きが出来なくなってしまう可能性があるということだ」
「ちょっと待て、もしそれが本当なら、なぜカグラは無事だったんだ?」
当然の疑問だな。マールがそうだったように、帝国の秘密を洩らさないようにされていないのはおかしい。
「どうやら皇帝の能力は自らの子には効かないらしい。もしかすると自分の一部と判定されるのかもしれんな」
「なるほど……」
興味深そうに考え込むフレイヤ。
「だからといってカグラを連れて行くわけにもいかない。フレイヤ、お前の防音魔法で防げると思うか?」
「……わからない。音を媒介にしている以上、防げる可能性は高いと思うけど……それに賭けるのは危険すぎる」
たしかにな……魔道具による音声だけなら防げるかもしれないが……皇帝から直接発せられた場合、防げると思うのは楽観が過ぎる。
「いっそのこと……遠距離から皇宮に隕石でも降らせるか?」
本気半分、冗談半分でフレイヤが物騒なことを言い出す。
たしかに効果的だが……周囲の犠牲が大きすぎる。それは最後の手段――――というか使うつもりはない。
「あのさ……」
チハヤ……なんだか眠そうだな、昨日は眠れなかったのか?
「どうしたチハヤ?」
「うん、あのね、良いこと思い付いちゃった」
にんまりと悪い笑みを浮かべる聖女様に少し背筋がゾクッとする。
この表情どこかで見たことがある気がするんだが……?




