第二十一話 蒼月庵
「いらっしゃいませ、『蒼月庵』本館へようこそおいでくださいました。今宵は満月、まもなく始まりますのでお急ぎください」
頂上の景色を堪能する間も無く、出迎えてくれた店員さんに席へと促される。どうやら時間がギリギリだったらしく、他の客はすでに席について今か今かと何かが始まるのを待ちわびているようなのだ。
「始まるって、何だろうね?」
「何だかワクワクしてきました」
「うむ、この場所には魔力が満ちているな。楽しみだ」
「へへっ、聞いて知ってはいやすが、体験するのは初めてで緊張しやす」
サムだけは何が始まるのか知っているようだが、ここはあえて知らないまま楽しませてもらうとしようか。
「この部屋、天井と壁が無いんだな……」
席に案内されてまず驚いたのは、この店、壁と天井の一部がぽっかりと開いているのだ。席から外の絶景が見えるし、適度に吹いてくる風が心地良い。屋内でありながら屋外の雰囲気も楽しめて悪くない演出だ。
一方の席には、石造りのテーブルにまるで満月のような白銀の皿が人数分並べてあるだけで料理はまだ置かれてはいない。
「これからお料理をお持ちしますが、そのまま食べずに少しだけお待ちくださいね」
今度は黄色い満月のような皿に盛られた料理が運ばれてくる。
配膳が終わると、部屋の明かりが落とされて、部屋の中は闇の中に溶け込む。俺はある程度夜目が利くからわずかな月光だけでもなんとかなるが、他の人たちはこの状態では食べるのは難しいだろう。
「真っ暗で何にも見えない……」
「はあはあ……匂いだけでお預けとは……」
「ふふ、二人ともしばし待て。面白いものが見られそうだぞ?」
リエンは何が起こるのか気付いたようだが……
時間の経過とともに、真っ暗だった部屋に少しずつ月の光が入り始める。
磨かれた夜光石のテーブルは月の光を受けると満天の星空のようにキラキラと輝き、反射した光が丸い皿を夜空に浮かぶ月のように輝かせるのだ。月明かりに照らし出された店内はロマンチックなムードに包まれる。
「わあっ!! 綺麗だね……」
「本当に幻想的です……」
「これは……素晴らしいな」
まるで魔法のように美しい光景に、誰しも息を飲みうっとりとため息を漏らしている。
「なるほど……店全体が月の軌道に合わせて微調整できるようになっているんだな」
壁や天井、テーブルの位置、すべて細かく調整できるようになっている。おそらくは月光を一番綺麗に効率よく採り入れる演出なのだろう。誰が考えたのか知らないが、これはじつに洒落ているな。女性に人気があるのもよくわかる。
「さあ、皆さまお待たせしました、どうぞお召し上がりください」
店内が驚きの声に包まれる。皿に盛られた料理が輝き始めたからだ。
「すごいよファーギー、光ってる」
「これは……どういう仕掛けに?」
「これは実に風流よな」
これには正直驚いた。どうなっているんだ?
「食材に使用している月光果は、月の光でしか育たず、満月の光を浴びて熟成する果実です。そのままでも美味ですが、満月の光を浴びて輝きを放つ月光果はそれはそれは美味しゅうございます」
色々語り合いたいところだが、急いで食べないと最高に美味しいタイミングを逃してしまう。
「はああ……」
一口食べて思わずため息が零れる。旨味が強いわけではない。むしろその逆だ。どこまでも繊細でかぎりなく優しい甘み。まるで体の隅々にまで沁みわたるような感覚はちょっと形容できない。
口に入れると溶けるように無くなってしまうので、気を抜くことが出来ないのだ。しっかりと味わいたくて自然無言になってしまう。
「お野菜は月光花と月影草を使っております。どちらも月光の力で旨味が格段に増す食材です。メインディッシュの『月魚の月光焼き』と合わせてお召し上がりください」
「ファーガソン、見ろ魚が月光で焼けてゆくぞ……」
これは驚いたな。月の光で身が焼ける魚か……聞いたことも無かったが世界は広い。
「月魚は限られたダンジョンにしか生息していない魚ですね。光に弱く、太陽光では炭になりますので、月光でしか調理が出来ないと聞いたことがあります。まさかこんなところで食べることが出来るなんて……」
さすがにファティアは知っていたようだが、食べたことも調理したことも無いという。
「これ美味しい……月光のハーブって感じだね」
ハーブ? チハヤの世界の食材だろうか?
「これも泣きたくなるほど美味いな……」
月魚の身は月光果と同じように繊細で柔らかい。薄味なのにそのすべてが旨味だけで出来ていると言えば良いのか……月光花と月影草によって完全に臭みが消されていて、香りが月魚の旨味を別の次元へ引き上げている。
ああ……美味い。もっと食べたいと思うのに、それでいてもう十分だと思える優しい満足感に包まれている幸せ。全身が喜んでいるのがわかる。
「どうだリエン、体調は大丈夫か?」
「全然問題ない。むしろ元気が漲ってくる感じだ」
「そうか、それなら良かった」
「ふふ、ここの料理は面白い。実はなファーガソン、あまり知られていないが、元々月光には魔力があるんだ。普通の人間には取り入れることは出来ないし、影響もほとんどない。しかし……こうした食材を通じて取り入れる手段があったとは……狙ったわけではあるまいがじつに興味深い」
月光に魔力があるなんて知らなかったな。だがなるほど……月光を浴びて変身したり強力になる魔物や種族がいるが、あれは月光の魔力によるものだとすれば説明がつく。
やたら体調が良くなった気がするのは、食材を通じて魔力が一時的に体中を巡っているからなのかもしれないな……。もちろん料理人はそんなことは知らずに作っているのだろうが。
「食後のデザートは『月の涙』です。月下樹は月の光を浴びると甘い雫を垂らすのです。それを私たちは『月の涙』と呼んでいます。その雫を集めたものが固まると、このように星のカタチになるのですよ」
「へえ……まるで金平糖みたいな見た目だ。味は……ん、優しい甘さ~。口の中で溶ける~」
チハヤのいた世界には似たようなものがあったのだろう。それにしても面白い見た目のデザートだな。
一粒口に入れてみる。
おお……お腹の中がじんわりと温かくなって……そうか、気持ち良いんだ。料理を気持ちが良いと表現するのは変な感じがするが、実際に心と身体が気持ち良くなるんだから仕方がない。
「ご馳走様でした!!」
月光が入らなくなると再び明かりが灯り、現実の世界へと連れ戻される。
わいわい語り合いながら食べる食事も良いが、こうやって静かに味わう食事というのも良いものだな。
まだまだ食べたことのない料理や食材があるのだという事実がたまらなく気分を高揚させる。
これだから旅はやめられない。